第18話
「ん、んん……」
起き抜け、スマホを確認する。ぐっすりと眠れた時は、起きる時も気持ちがいいとか言ってる人は嘘つきだ。起きる時は大体気分が悪い。
「おはよう、晴我くん」
隣に愛する彼女がいるときは例外だが。
付き合って二年。手を繋いで、キスをして、名前で呼び合って、体を重ねて、一緒に旅行もした。
高校生としてはかなり進んでいる自覚がある。しかし同棲は、もう進んでるとかいう次元じゃない気がする。
「寒くないのか?」
「最近はあったかいから平気だよ」
まぁ、最近はあったかいっていうか暑くなってきたからなぁ。とはいえ、裸で隣にいられるのびっくりするからやめてほしい。
「まだ眠い? ギリギリの時間まで寝ててもいいよ?」
「んや……起きる」
とか言いながら、愛菜之の胸に顔を突っ込んでいる俺がいる。そんな俺を愛菜之はあやしてくれる。思わず、心の中の言葉が出てしまった。
「すきだ……」
「えへへ、私も好きだよ」
愛菜之の匂いがするベッド、愛菜之の感触や体温。愛菜之尽くしのあたたかい家、どこぞの大手の会社よりもアットホームだと思う。
愛菜之が用意したこの家。なんというか、他人の家とは思えなかった。
間取りは違う。逆に間取りだけ違った。
家具家電はもちろん、キッチンや風呂やトイレや食器にベッド、いろんなものが俺の家で使っていたものと一緒だった。
しかもどれもこれもが新品。俺の家から持ってきたとかじゃない。持ってきたものは夫婦湯呑みくらいだった。
「よく眠れた?」
「よく眠れすぎて怖い……」
「よくわかんないけど、よかった」
人は多少なり環境が変われば、眠れなくなるものだと思う。しかし、なんでこんなに眠れたんだってくらい寝れた。
やっぱり愛菜之効果は大きいんだろうか……。科学的に証明してほしい。そんでそれを参考にして安眠グッズを作って欲しい。買い占めるから。
もちろん、お風呂も一緒に入った。二人で入るには十分すぎるくらいの広さ、シャンプーや石鹸まで俺が家で使ってたのと同じもの。ドライヤーやタオルさえそうだった。
ご飯は愛菜之のお手製。美味しくないわけがない。
歯磨きは愛菜之にしてもらったし、髪だって乾かしてもらったし、全部が全部、愛菜之で覆われた生活だった。
まぁ、そんなわけで同棲生活は始まった。俺にとって最高すぎる新生活。一歩間違えればヒモ男だが、そんなことにはならないだろう。……たぶん。
「はい、あーん」
「んあー」
朝ごはんすら食べさせてもらっている時点でダメな気がする。愛菜之にぶら下がるだけのヒモ男……今でさえヒモじゃね?
「美味しい?」
「美味しい」
そう言えば、愛菜之はニコニコと笑う。これから毎朝、この笑顔を見られるのか……。正直、嬉しさで自爆しそうです。
「お水飲む?」
「飲む」
愛菜之は当たり前のように口に水を含み、俺と口を引っ付ける。そこから流れ込んでくる水を、俺は当たり前に飲み込んでいく。
「美味しい?」
「もっと」
その言葉を聞いた愛菜之は、実に嬉しそうに、もう一度水を口に含んだ。
そしてまた、俺はその水を飲んでいく。これさえ当たり前のことに感じているのは、おかしいのだろうか。そこら辺の感覚はもう無いに等しい。
「飲みきっちゃったね」
「美味しいからさ」
空のコップ、満たされた心。
目の前の女の子の笑顔が、陽だまりのようにあたたかい。
世界で一番幸せなのは、俺だって胸を張って言える自信がある。それくらい、幸せで幸せでたまらなかった。
「今日から学校、行かなくていいよ」
そう言われるまでは。
待てい待てい待てい。
俺は確かに学校は嫌いだし勉強も嫌いだし、なんなら愛菜之以外のものはどうだっていい。
しかし、俺はいい子ちゃんだ。学校はちゃんと行くし、授業は寝ないで聞くし、テストもそれなりの点を取る。
というわけで、俺は学校に行かなきゃいけない。
「学校に行って、一緒にお弁当食べるんだろ?」
学校に行くことの目的ってそれだけじゃないと思うが、俺たちはそれくらいの目的でしか行ってない。
「お昼は作ってあげるよ。あったかいご飯のほうが美味しいでしょ?」
「愛菜之が作るなら冷えてても熱くても美味しいけどさ……」
そういうと、愛菜之はにへ〜っ、と顔を蕩けさせた。そんな可愛い表情しないでくれ……。
とはいえ、今回は俺には手錠がかけられていない。一応、支度をしていてよかった。俺はいい子ちゃんなんだ。
「まぁさ、とりあえず学校には行こうぜ」
そう言って、リビングから玄関に向けての扉を開けた。
開けたはずだった。
ガチャ、と無機質な音をたてる扉に、俺は二度見する。もう一度、ドアノブを回して開けてみようとするが、またガチャガチャと無機質な音を返してくるだけだった。
「開かないんだけど」
「開けられないよ?」
こともなげに返してくる愛菜之に、俺はもう現実を受け止められなかった。
愛菜之はニコニコと変わらず笑顔で、俺を見つめていた。まるでようやく欲しいものを与えられたような、そんな満足げな顔だった。
「私の好きな時に、解錠も施錠もできるんだよ」
そんなハイテクなお家に住んでいたのか、鈴木さん。
ていうのは冗談で、たぶん愛菜之が後付けしたシステムなのだろう。どれだけ金をかけたかは知らないが、本当に無駄遣いだけはしないでほしい。
「これからはこのお家で、ずっと私と一緒に暮らすの」
「条件があるだろ」
母さんが帰ってくる時は、俺は俺の家で寝泊まりする。そういう条件だったはずだ。
「このお家と晴我くんのお家は繋げてあるの。地下通路だよ! これで外の汚い世界に触れないで、お母様が帰ってくるときは寝泊まりできるよ!」
地下通路ってなんだよ、意味がわからないよ。
しかしまだ、俺の家から外に出ていけばいいだけの話。これにて一件落着。よし、学校に行こう!
「晴我くんのお家も私の許可がないと開かないから大丈夫だよ」
なにが大丈夫なの? なんで心を読むの? なんで読めるの?
疑問符に疑問符を重ねてしまう。あまりにもご都合主義の支離滅裂な展開に頭をかかえてしまう。
あまりにもひどい現実、過ぎていく時間。遅刻確定なのはもういい。こっちはリアル脱出ゲームやらされてるんじゃバカタレ。
「外に出してくれよ」
「ダーメ」
そんなに可愛く言われても困るもんは困る。愛菜之にめっ! されるのは好きだが、この状況は好ましくない。
愛菜之のことだから、この先なにがあろうと俺のことを養ってくれるし、快適に住まわせてくれるだろう。なんなら、俺が今困っている心配ごとだって片付けてきそうだ。
……あれ? もうなんかこれで良くない? 愛菜之に養われるルートでハッピークッキーもんじゃ焼きじゃない?
「欲しいものがあったら言ってね! なんでも用意するからね!」
これからの生活が楽しみなのか、愛菜之はウキウキとそんなことを俺に言ってくる。別に欲しいものはない、強いて言えば自由をください。
「今日はどうしよっか? ご飯はもう食べたから、お昼寝? それとも朝のお風呂? えっちする?」
「考えさせて……」
矢継ぎ早に言われて、俺の頭の負荷が増えるだけだった。寝起きでそういうことするの、けっこう体力いるんだよなぁ……。
「えへへ、えへへ〜」
これからの生活に想いを馳せているのか、嬉しそうに顔を緩める愛菜之を尻目に、俺は自室(これも元の俺の部屋とおなじ家具がそろえられていた)に戻っていった。
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