第12話

「あっ……!」

 あたしが出した声か、彼女サンが出した声か、はたまた先輩が出した声か。それすら分からないほど、あたしの頭の中は絶望に侵食されていた。

 一度でもボールをコート外に出された時点で、あたしの負けが決まる。自分を奮い立たせる背水の陣のつもりのハンデ、圧倒的な力量差を見せつけるためのハンデ。そのはずだったのに。

 けれど、まだだ。まだ、コート外にボールが出たわけじゃない。


「ぁあッ!」

 声を荒げながら、あたしはボールへ食らいついた。まだ、まだ戦える。こんなとこで終わったら嫌だ、あたしだって、あたしだって先輩のことが。

「しつこい、女!」

「よく、言われるっすよ!」

 ボールへの1、2メートルの距離をあたしと彼女サンは駆けて行く。あたしは、ほぼワンマンで戦うしかなかったから粘着プレイは得意なンで。

 ボールへ手を伸ばす。届く、届かせる。あたしの方が強い、実力だって、想いだって。あたしの方が、あたしの方が!


「─────愛菜之!」

 先輩が彼女サンの名前を呼ぶ。やめてよ、先輩。そうやって、あたし以外のやつの名前呼んだりすんの。思った以上に辛いからさ。


「頑張れ!」

 やめて。あたし以外の人、応援しないでよ。


 わかってた。先輩には恋人がいるンだから、この想いは消すしかないんだって。わかってたはずだった。

 どうすればいいか分からなかった。こんな想いは知らなかった。初めて抱いた思いを、持ち続けて、潜め続けて。

 バカみたいだ。こんな、他の女を応援するような先輩を追っかけて。推薦もらったからなンての、建前で。本当は初恋のケジメのつけ方知らないだけの、バカな女ってだけで。

 伸ばした手が、届く。何年も何年も触ってきたボールの感触が、指の腹に伝わる。

 届いた、届いたんだ。私の思いだって、きっと先輩に─────。


「晴我くんは私のもの」

 あたしの隣にいる彼女サンが、まるで悪魔みたいな声でそう言った。

 怖いって、思えなかった。そう思う暇なんてなかった。

 あたしの手とは違う、可愛くて細い手がボールの側面を捉える。


 ボールが弾かれて、遠くに転がっていった。




「愛菜之!」

「やったよ! 晴我くん!」

 駆け寄って、飛び込んでくる愛菜之をそのまま抱きしめる。ほかほかしてる愛菜之で暖を取るようにぎゅうっとすると、愛菜之も返事をするように俺をぎゅっと抱きしめた。

 愛菜之の頭を撫でながら、立ち尽くしている裏愛に目を向ける。すっかり勢いをなくして静止しているボールを、裏愛は見つめ続けていた。

「晴我くんが応援してくれてすごく嬉しかったよ! いっぱい頑張れたよ! 晴我くんのおかげだよ!」

「愛菜之が頑張ったからだ。すごいよ愛菜之は」

「えへへ、えへへへへ」

 喜んでいて何よりだが、俺は素直に喜べなかった。俺は後輩のことが嫌いじゃないし、良い友人だと思っている。けれど、愛菜之は後輩……というか、女性全員を嫌っている。

 どうにか穏便に済ませたいものだが……。

「裏愛……」

 俺が呼ぶと、愛菜之がジトッとした目で俺を見る。こういう時くらいは目をつぶってほしいもんだがなぁ。

 名前を呼んでも、裏愛は反応しない。初心者の愛菜之に負けたことが悔しいのか、現実を受け止めきれていないのか。

「晴我くん、もう帰ろ? 私たちの平穏が戻ってきたんだよ! 帰ったらいっぱいイチャイチャしようね!」

「え? や、裏愛がまだ……」

 俺がまた名前を口にすれば、ジトッと可愛く見てくるかと思えば、大きい瞳をこれでもかと見開いて、光のない目を俺に向けてくる。

「私より、あの女の方が大事?」

「違うが……」

 愛菜之が一番大切なのは変わらない。ただ、このまま帰ってしまっては、勝敗はちゃんと決したことになるのか不安だった。

「裏……」

「いやー、マジで負けるとは思いませンでしたよ。ハンデあげすぎちゃいましたね」

 裏愛は俺の声を遮って、くるりと振り返る。俺を見てニカッと笑みを浮かべ、そしてべーっと舌を出した。

「彼女サンも先輩もどっちも頭おかしっすよ! 一生おかしいまんまで、一緒に過ごしていったらいいと思います!」

「お、おお……?」

 やけに元気な裏愛に困惑するが、負けを認めたということでいいのだろうか。

「ンじゃ、あたし帰るんで! 二人もさっさと帰ったらどうすか!?」

「……約束して」

 元気いっぱいな後輩とは裏腹に、愛菜之は親の仇でも睨むような視線を裏愛に向けていた。

「もう二度と、私たちに関わらないって」

「邪魔しないっすよ。信用ないンすか、あたし?」

「約束して」

 愛菜之が少し怒りの含んだ声で言うと、裏愛はため息をついて肩をすくめた。

「はいはい。どうぞお幸せに」

「……帰ろう、晴我くん」

 愛菜之に手を引かれながら、俺は慌ててついていく。

 裏愛は俺たちを見てはおらず、拾い上げたボールをずっと見つめていた。裏愛の表情がどんなものか、何を思っているのかは、わからなかった。


「……応援してますよ」


 二人の背中を見れなかった。見たら、現実を受け止めてしまいそうで。

 今まで応援してくれてた先輩は、いない。あの人の隣に立つことも、触れることもできない。

 ようやく過去形になってくれたなぁ、あたしの思い。

 ほんとに遅いよ、区切りをつけるのも、時が経つのも。あと一年早く生まれてれば、なんて。

 周り、ぼちぼち人いるしなぁ。さっさと帰らないと。




 帰ったら、目ぇ洗わなきゃだ。

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