第11話

 どうやら愛菜之が劣勢らしい。顔を悔しさに歪める愛菜之と、そんな愛菜之をキリッとした目で挑むように見つめる裏愛。

 3セットのうち、一回でもセットを取れればいいという有利なルールとはいえ、やはり実力差は出る。愛菜之なら勝てると思っていたが……。

 いや、別に信じていないわけじゃない。俺はいつだって愛菜之のことを信じているし、好きなんだ。

 けれど事実、愛菜之は2セットを圧倒的な実力差のもとに取られている。現実を見ないわけにもいかない。

「……が……すか」

「……しえ……ない」

 二人が何かを話しているらしいが、風のせいで聞こえない。何を話しているかは分からないが、二人とも、何やら深刻な顔をしていた。




「先輩のどこが好きなンすか」

「……あなたに教える必要なんてない」

 ドリブルをしつつもその場で動かず、私に聞いてきた。急に何を聞いてくるかと思えば、こんな女に教える義理もないことだった。

「答えてくださいよ。それとも、なンすか? 先輩は良いとこ一つないダメ男ってわけすか?」

「……本気で殺してあげた方がいい?」

 私がそう言うとビクッとしたけど、すぐにキッと私を睨み直した。

「今はバスケ勝負っすよ。ルール違反しようもんなら即刻、別れてもらいます」

 そんなことを言ってくるこの女を今すぐ殺したい。けれどこの女が言った通り、まだ我慢しないと。

「……あなたこそ、どうしてそこまで晴我くんにつきまとうの」

 お返しのつもりで聞いてみると、チラリと晴我くんを見た。それだけで殺したくなるくらい心の中で感情のマグマが沸き立つ。けれど今、手を出すと負けになっちゃう。

「先輩は、あたしのことを応援してくれたんで」

「応援……」

 応援、応援ね。

 晴我くんに応援してもらう。頑張れとか、かっこいいなとか、すごいなとか。そんなことを言ってもらったのかな。

 ああ、いいないいないいな。羨ましい、羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい。

 私の晴我くんに応援してもらうなんて、ずるいな。ずるいずるいずるいずるいずるい。私の晴我くんなのに、私だけの晴我くんなのに。

「中学ン時、あたしだけバカ真面目にバスケに打ち込ンでました。負けが積み重なって、みんな遊びくらいにしか思わなくなって」

 ダムダムとコートを叩くボールの音。ひゅるりと通り抜ける風。

 それでも、この女の声がやたらに大きく聞こえるのはなんでだろう。

「なンで真面目にやってんの? 勝てっこないのにって。嫌ンなって、体育館裏でイジけて。そしたら……」

 また、チラリと晴我くんを見る。また見た、私の晴我くんをまた視界に入れた。

「先輩がたまたま来て、そン時に少し話して……」

 話して? 私の晴我くんと会話をした? 私の知らないところで?

 私と晴我くんの中学校は違うとはいえ、私の晴我くんと会話なんてしてたんだ。ああ、歯痒い。晴我くんを汚されたことに苛つく。力がなかった中学生のころの自分に苛つく。今ならお金だって、色んなことの知識だってあるのに。

「あたしが頑張ってるとこ、見たことあるから期待してるって。誰かにそンなこと言われたの、初めてで」

 昔を懐かしんでるような、思い返して幸せに浸っているような。そんな楽しそうな、幸せそうな、憎たらしい顔。

 晴我くんを想っていいのは、私だけなのに。

「嬉しかった。ンで、そっからちょくちょく先輩とつるむようになって。それで、好……」


 それ以上、言わせない。


 思いきり足を踏み込んで、ドリブルをして呑気に話している女狐に向かって突っ込んでいく。許さない、許されないことをしたんだ。

 私以外の人間が、晴我くんを好きになるなんて大罪、許されるはずがないんだ。

「ッ!? ンの!!」

 直前のところで私を避けて、どうにか私から距離を取る。体勢が崩れているところにまた突っ込んでいくけれど、体幹が強いのか、すぐに体勢を直していた。

「なンすか!? 人が喋ってンでしょうが!?」

「うるさい!!」

 最初に、私の晴我くんに近づいた時点で殺せばよかった。晴我くんに指輪をもらってから平和ボケしてたんだ。晴我くんを狙う女狐なんて、いくらでもいる。

 晴我くんに言われて殺さないようにしていたけど、許さない。コイツだけは、コイツだけは!!

「くっ……! ああ、もう!」

 女狐が、私に突っ込んでくる。またさっきみたいに体を捻って避けるつもりだ。同じ手が通じるとても思ってるのかな、舐められたもんだなぁ。

「フッ!」

 短く息を吐いて、体を捻って私を避けていく。それに私も、必死の思いで食らいつく。

 追いつける、手が届く、ボールを弾ける。決まった、終わりだ。

「甘いンすよ!」

 そう言って、女狐はまたスピードを上げた。届かない、負ける。

 晴我くんを汚されたのに、語られたのに、想われたのに、その上、奪われる。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だ────────。


「頑張れ、愛菜之!」


 ─────晴我くん。


「頑張れ!」


 晴我くんが、応援してくれてる。晴我くんが、頑張れって言ってくれてる。

 晴我くんが応援してくれた、応援してくれた応援してくれた。

 嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。あは、あはは。幸せすぎておかしくなる。頭が焼き切れるくらい快楽物質が出てる。

 もっと頑張ったら、褒めてくれるかな。もっと、もっともっともっと。もっと──────。


「頑張れ、愛菜之!」

 思わず声を出してしまった。最後まで黙って見守ろうと思っていたが、抑えきれずに愛菜之を応援してしまった。

 愛菜之はチラリとこっちを見たと思うと、幸せそうな笑みを浮かべて、そして裏愛に追いついていった。

「なっ!?」

 コート外の俺にまで聞こえてくるほど、裏愛は驚きに大声をあげていた。追いつかれるとは思っていなかったのだろう。愛菜之はまだまだスピードを上げ、そしてついに。

「あっ……!」

 誰が上げた声だろうか、それすら分からない。けれど揺るがない事実が、そこにはあった。

 


 裏愛の手から、ボールが離れた。

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