第8話

 愛菜之に消毒……もとい、食べ尽くされた後。

 愛菜之の作ったご飯をあーんで食べさせてもらったり、愛菜之にお風呂に入れてもらったり。モコモコのパジャマを着た愛菜之をぎゅっと抱きしめて、思いっきり撫で回したり。

 愛菜之にしたいことをして、愛菜之はそれを受け入れる。受け入れるっていうか、大歓迎してた。懐が広い彼女さんである。

「甘えん坊さんな晴我くん、可愛い……」

 そう言って、ずっと俺のことを抱きしめてくれていた。息が荒かったのはちょっと怖かった。あと、胸に顔をうずめさせてくるから苦しかった。けれど、離してなんて言えなかった。

「私のものだよ、ずっと……」

 そんなことを言ってくる愛菜之に離してなんて言えるわけがない。酸欠になるんじゃないかってくらい、強く長く、抱きしめられていた。


 そんなこんなで迎えた次の日。

 朝、裏愛は来なかった。まぁ、バスケの朝練でもしてるんじゃないだろうか。俺はあまり、裏愛について知っているわけでもないのだ。深く考えても意味はない。

 しかし朝練をする人ってすごい。何がすごいって、朝にめちゃくちゃ早く起きれることがすごい。その後に運動とか、俺なら血を吐いて残機が減る。ちなみに残機はゼロです。

「……そういえば、後輩についてはどうするんだ?」

「消しちゃダメ?」

 電気消していい? くらいの感覚で聞いてくるけど、言ってることがデンジャラスすぎる。後輩は電気でもなければ、尊ぶべき生命なんですよ。

「消すのはダメだ。愛菜之が犯罪を犯すのは嫌だか……」

 ……あれ、待って。不法侵入、盗聴、盗撮。薬物混入に監禁……おやおやおや。どうやら私たちは、大きな勘違いをしていたみたいですねぇ。ここいらで紅茶でもどうですかってね。

 まぁ、このくらいなら別にいい。ていうか、被害被ってるのは俺だけだし、そもそも嫌だと思ってないし。

「……嫌だからな」

「なんで間が空いたの?」

「妖精が通ったのよ……」

 そう、可愛い可愛い愛菜之という名前の妖精がね。んん? 目の前にいるけど、これ捕まえていいやつ? 愛菜之愛護団体に怒られたりしない?


 冗談はさておき、解決策を練らなきゃいけない。まず目的として、後輩を俺たち二人から遠ざけること。愛菜之が間違いを犯さないこと。欲を言えば、愛菜之以外の女の子と話せるようにはしておきたい。最近は業務連絡ですら嫌がるようになってきてて、嬉しいような悩むような……。

 とはいえ、この中で最短ぽいルートは俺が愛菜之以外の女の子と話しても、愛菜之が怒らないようになるルートだろう。愛菜之にうまく言い聞かせれば、愛菜之も許してくれるはず。

「愛菜之、後輩と仲良くすることって……」

「私以外の女とお話したいんだ? あ、今日は麻婆丼と唐揚げだよ」

 はい出た、先回り。ほんっとに俺の思考読むの好きだね。そんなところも好きだよ。なんなら、俺が今日食べたいものとかも当ててくるからね。しかも用意までしてるのが、できるお嫁さんって感じがして好き。もう好き! 愛してる! 結婚して!

 最短ルートに思えたルートは、厚い壁に阻まれていた。となると、後は後輩を遠ざける、もしくは俺たちが遠のくルート。

 ただ、あの後輩はおかしなスイッチが入っている。なので俺たちが遠ざかろうにも、アイツは絶対追いかけてくるだろう。


 残されたルートは、後輩を遠ざけるルート。ちなみに犠牲者は無しの方向で。ていうか犠牲者ってなんだよ。なんで犠牲者が出る出ないの話にならなきゃいけないんだ。

「ご飯はありがとう。やっぱり、俺が愛菜之以外の女の子と話すのを許せそうにはないか?」

「じゃあ、私が他の男と話すのはいいの?」

「絶対ダメ」

 目をバッキバキに見開いて即答すれば、愛菜之はクスクスと笑い出す。からかうとか、おかしくて笑うとかじゃなくて、どこか幸せそうな笑顔だ。

「ね? 嫌でしょ?」

「……嫌です」

「私も晴我くんが他の女と話すの、それくらい嫌なんだよ?」

「はい……」

「そんなにしょぼってしないで? 大好き、だーいすき」

 愛菜之はあやすように、俺のことを抱きしめてくれる。その上、背伸びをして頭を撫でてくれた。最近はこんなことをされても、当たり前のように受け入れてしまう。

 恥ずかしいからか、愛菜之が抱きついて撫でてくれてるからか。どっちかは分からないが、なんだか体がぽかぽかと暖かかった。


 というわけで、お昼。

 いつものごとく、あーんで食べさせてくれると思っていたが……。

「……普通のあーんでいいよ」

 愛菜之が卵焼きを咥えて、俺に顔を近づける。流石にこれは、なんというか色々と不都合が……。

 俺の言葉に愛菜之は悲しそうな顔で、首をかしげた。たぶん、「嫌?」 って聞いてるんじゃないかと思う。

「嫌じゃないよ。むしろ食べたいぐらいだけど、時間が足りなそうだしさ」

 予想は当たっていたようで、俺がそう言うと、愛菜之は嬉しそうに顔をもう一度近づけてきた。卵焼きの甘い香りが鼻をくすぐる。あんまり美味しそうな匂いを立てるもんで、耐えられずに食べてしまった。

 咥えている卵焼きを半分いただく。口と口がついたら捕食されそうな気がしたので、細心の注意を払って半分だけを噛み取る。

 愛菜之はモグモグと卵焼きを咀嚼しながら、半眼で俺を見てくる。それでも俺は気づかないフリをして、卵焼きを味わうようによーく噛んだ。

「美味しいよ、ありがっ……」

 よーく噛んでいた卵焼きは、愛菜之が舌で全部取っていった。その代わり、愛菜之は器用に自分が食べていた卵焼きを流し込んでくる。

 愛菜之の唾液と混ざる卵焼きが、なぜか異様に美味しく感じた。

「……美味しい?」

「美味しい」

 どうして愛菜之の口を通しただけで、美味しく感じるのだろうか。俺がそういう体に変えられたのか、それとも愛菜之の唾液が美味しいからか。

「んっ」

 愛菜之がさっきと同じように、卵焼きを咥えて俺に顔を近づける。

 ……少しくらいなら、授業に遅れてもいいんじゃないかなんて思ってしまった。




 授業に遅れることもなく、しっかりと受けられた。急いで食べたのでどうにか間に合ったが、正直なところ、味とかはよく分からなかった。

 そんなこんなで放課後になったが、靴箱で待ち構えているかと、少し警戒していたのだが……。

「晴我くん?」

「ん、なんでもない」

 アイツを探してキョロキョロしていたが、結局見つからない。何もしてこないのは、それはそれで怖いんだが……。

「早く帰ろ? 今日はオヤツに、クッキー焼いてあげるね」

「マジか」

 愛菜之の焼いてくれるクッキーは絶品。店を出してもいいと思うくらいに美味い。ま、独り占めしたいから店なんて出さないで欲しいんですけどね。

 まぁ、何もないなら帰ればいい。アイツだって常識人のはずだろうし、さすがに家にまで来たりはしないか。


『せーンぱい、私です。開けてください』

 インターホンの画面に映る後輩に、げんなりとした顔で俺は言葉を返した。

「すみません、うちはお断りしてるんで……」

『セールスマンじゃないンで。ウォーターサーバーの契約とか迫ったりしませンから、さっさと開けてくださいよ』

 なんで具体的な商品を言うんだ。余計にリアリティが出るだろうが。ウォーターサーバーて意味あるんだろうか。いつでもお湯が使えるってのは魅力的だけどなぁ……。

「……あの女、学ばないなぁ」

 いつの間にか後ろにいた愛菜之が、刺すような視線でインターホンの画面を睨みつけていた。

 愛菜之はため息を吐いて、通話終了ボタンを押す。と思えば、さっさとキッチンまで戻り、焼き上がったクッキーを皿に盛りつけた。

「一緒に食べよ?」

「いや、後輩が……」

「チェーンもかけておいたし、無理に入ろうとしたら私が止めるよ。あんなの無視して、一緒に食べよ?」

 そう言って紅茶を夫婦湯呑みに淹れて、テーブルの上にクッキーと一緒に置いた。席に着いた愛菜之が、こっちこっちと手招きをする。

 その間も、絶えずチャイムは鳴り続ける。応答がないからか、ドンドン! とドアを叩いてくる始末だ。セールスマンじゃなくて借金取りみたいなことしてくるの、やめてほしい。

「い、一回見てくるよ」

「あ、晴我くん……」

 席を立つ俺に、愛菜之が悲しそうな顔で呼び止める。後ろ髪を引っ張られすぎて千切れそうなくらいだが、振り切って玄関まで早足で行く。

 チェーンと鍵を外して、玄関を開けた。

「……遅いっすよ」

 裏愛は寒いのか、マフラーに顔を埋めて俺を睨み。まぁ、呼んでるのに放置されりゃ誰だって嫌か。

「通話も切るし出てこないし、なンなンすか。……あたしのこと、嫌いなンすか」

「そんなわけ……」

 心細そうに視線を逸らす裏愛に、思わず俺は否定しようとした。けれど、最後まで言うことは出来なかった。

「嫌いだよ。私も晴我くんも、あなたのことがね」

「愛菜之!?」

 俺の後ろにいつの間にかいた愛菜之が、微笑を称えて裏愛に言い放つ。

「私と晴我くんの間に横入りするような不純物、私たちが必要とするわけがないでしょ?」

「……そーゆーことですか」

 裏愛は裏切られたような顔で、愛菜之から俺へと視線を変えて睨みつける。中学生の頃は、こんなに睨まれたことはなかったのに。

「家にまで巣食っちゃってるンすね。じゃ、尚更あたしが頑張らなきゃっすね」

「は?」

「あたし、負けませんから。あたしは必ず先輩を救います」

「……晴我くんを救う?」

「あンたが、先輩をおかしくしてる。先輩はもっとあたしに優しかった。あたしといる時はもっと楽しそうな顔をしてた!」

 それを聞いた愛菜之は、さっきまでの微笑を引っ込め、まるで一切の感情を捨てたような冷たい表情を浮かべる。

「もう晴我くんはあなたに興味がない……それだけのことでしょ」

「……ッ!」

 悔しそうに顔を歪めていた裏愛だったが、何かを思いついたようにハッと表情を変え、そして不敵に笑う。

 裏愛の百面相に訝しげな視線を向ける愛菜之に、裏愛の人差し指が突きつけられた。まるで昨日の、宣戦布告のように。

「じゃあ、勝負しましょうよ。どっちが先輩にふさわしいか」

「……私たちにメリットがないけど?」

「あたしが負けたら、もう二度と近づきません。この勝負を受け入れてもらえないなら、あたしはどこまでも二人を邪魔しますよ?」

「……っ」

 愛菜之は、やられたとばかりに顔を引きつらせる。三日ほどしか邪魔をされていないが、それがこの先も続くのは愛菜之も避けたいのだろう。

「その勝負、受けてあげる」

 愛菜之は仕方なしとばかりにため息を吐きつつ、勝負を受ける。それを聞いた裏愛は、ニヤリと笑った。

「あたしが勝ったら、あンたら二人に別れてもらいます」

「やれるものならどうぞご勝手に」

「……威勢だけ良くてもどうにもなりませんよ? とりま今週末、先輩の家で話しましょ」

 今の今まで蚊帳の外だったというのに、いつの間にか俺の家で待ち合わせをすることになってしまった。……週末は、愛菜之と家でイチャイチャする予定だったんだが。

「勝負内容はそん時に、お教えします。じゃ、今日はこのくらいにしといてやりますよ」

「首を洗って待っとくことね」

 二人はしばらく睨み合っていたが、お互い同時に 「フン!」 とそっぽを向いた。玄関のドアが音を立てて閉まり、愛菜之はしばらく玄関のドアを───その先にいるであろう、裏愛を睨んでいたが、何かを決意するように息を吐いて、俺に向き直った。

「ごめんね。クッキーと紅茶、冷めちゃった」

 申し訳なさそうに俺に謝る愛菜之に、俺はかぶりを振る。愛菜之のクッキーと紅茶が冷めたくらいで不味くなったりはしない。

「……勝負、絶対に勝つね。私たちの平穏のためにも、晴我くんのためにも」

 それは、ある種の愛の告白のような、勝利宣言のようにも思えた。きっと愛菜之ならやり遂げる。そう思わせる迫力があった。

 



 少し冷えたクッキーと、温くなっていた紅茶は、やっぱり美味しかった。

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