第7話

 帰って早めに寝ようと決意したのも束の間、放課後に嵐はやってきた。

 靴箱の前で裏愛が、トントンと背中を叩いてきた。

「せーンぱい。後輩が来ましたよ」

「……もう関わることはしないって言っとろうに」

「だからァ、ンなの先輩の勝手じゃないすか」

「だから、お前のためでもあるんだよ。後ろを見てみろ」

 俺が裏愛の後ろを指でさすと、そこには化身アームドしそうな勢いの愛菜之がいた。

 俺は今にもチビりそうなのだが、殺意を向けられている当の裏愛は飄々としていた。

「殺す」

「そういうのいいですって。本気で殺す気もないのに……」

 そう言って、手をヒラヒラと振って煽る裏愛に、愛菜之はカチカチとカッターナイフの刃を出して向ける。

「……マジすか?」

「だから言ってるだろ、お前のためでもあるって」

 ため息をついて、俺は愛菜之に近づいた。愛菜之の手からゆっくりとカッターナイフを取り上げる。まだ行動に移す前で良かった。

「愛菜之、早く帰ろう」

「うんっ。でも、あの女を先に殺さなきゃ」

 そう言って、愛菜之はどこからともなく別のカッターナイフを取り出してカチカチと刃を出していく。すんなりとカッターナイフを渡してくれたから変だと思っていたが、やっぱりまだ隠していたか。

「……愛菜之」

 少し低めの声で愛菜之の名前を呼ぶ。すると愛菜之は、絶望したような顔で俺の手を掴んできた。

「ご、ごめんなさい。そんなに嫌だった? 嫌いにならないで? ごめんなさい、ごめんなさい」

「嫌いになるわけないだろ。怒ってもないしな」

 嘘です。若干、怒ってます。

 まぁ、裏愛が傷つくのが嫌っていうよりは、愛菜之に万が一があるといけないから怒ってるだけだ。何においても、俺は愛菜之が傷つくのを見たくはない。

「……彼女サン、頭おかしいンじゃないすか?」

「そこがいいんだよ」

「……きンも」

 げんなりした顔で、裏愛は俺を睨んでくる。そんなに見つめられると照れちまうぜ……。

 まぁ、ここまで俺たちの関係を見せれば裏愛も諦めるだろう。俺たちが異常……なのかは分からないが、異常性というのに人は忌避感を抱くからな。

「……ま、そンならあたしが先輩を元に戻してあげましょう」

「はい?」

「その彼女サンがいるからおかしくなってるンすよ。あたしが彼女になって、先輩を正気に戻してあげます」

「いや、何を言ってんだお前」

「あたしが先輩の彼女になってやるって言ってンすよ」

「は……?」

 爆弾発言にいち早く反応したのは、愛菜之だった。愛菜之の瞳から光が消え、射抜くような鋭い視線を裏愛に向ける。

「ほんとに殺されたいの?」

「そういうとこが先輩をおかしくさせてるンすよ。すーぐ人を殺そうとかする彼女とかおかしいっす」

 裏愛はビシッと人差し指を指して向けると、俺たちに宣言した。

「あたしが先輩の彼女になって正気に戻します。てことで、まずは別れてください」

 ……何から何まで、この後輩はめちゃくちゃだった。


「あなたの方がおかしい。私が付き合いたいから別れろなんて、普通言わないでしょ?」

「わ、私は別に先輩が好きなわけじゃないっす。洗脳されちゃった、かわいそーな先輩を助けてやろうとしてるだけっすよ」

「余計なお世話。私と晴我くんの仲を引き裂こうとするなら本当に……」

「はい、そこまでな」

 そう言って割って入り、俺は愛菜之の手を掴んで引き寄せる。

 これ以上、注目を集めるのは良くない。そもそも愛菜之がカッターナイフを取り出した時点で周りで見ていた奴らの一部が 「先生呼ぶ?」 とかヒソヒソ言ってたんだ。面倒ごとは避けたい。

「俺は愛菜之と予定があるから、また明日な」

「は? ちょ、先輩! まだ話は……」

「また明日にでも聞くよ。じゃあな」

 愛菜之の手を引いて、俺はさっさと立ち去る。裏愛は何か言おうとしていたが、ようやく注目を集めていたことに気が付いたらしい。

 顔を真っ赤にしながら、逃げるように俺たちとは反対方向から帰っていった。

「……この後の予定ってなに?」

 愛菜之がそう聞いてくる。この後の予定は別に何にも入れていなかったから、聞かれて当然だ。まぁ、予定なんて何にも考えてない。場を収めるために適当に言っただけだ。

「愛菜之とイチャイチャする予定がある」

「……えへへ」

 愛菜之は照れたように笑い、俺の腕に抱きついてくる。いつものこのポジションについてくれると、不思議なことにお互い落ち着く。

「……それと、裏愛についても話さなきゃだしさ」

 俺が裏愛の名前を出すと、愛菜之は目の色を変えた。やっぱり愛菜之以外の名前を出されるのは、心の底から嫌なようだ。

「随分汚されちゃったもんね。帰ったら、私でいっぱい染めなきゃね」

 蠱惑的な笑みを浮かべ、意図的に体を擦り付けてくる。帰ったら、愛菜之に染められる。嫌だと言ってもずっと俺と触れ合い、繋がり、犯し続けるだろう。

 

 胸が高鳴り、血が駆け巡る。俺はもう、裏愛についての話し合いのことなんて、とっくに忘れてしまっていた。

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