第6話

 後輩と愛菜之、二人のドッカンバトルが始まりそうなことに俺は眠れなかった。どうにか心を落ち着かせようと、愛菜之にもらった添い寝ボイスを聴くと死んだように眠れたのでことなきを得られた。

 この戦い、俺は愛菜之の味方になるつもりだが……まぁ、裏愛もちゃんと弁えて、はちゃめちゃなことはしてはこないだろう。

 ていうか何、戦いって。殺し合うわけでもないんだから。

「おはよ、晴我くん」

 問題は愛菜之だ。朝から俺のベッドに、裸で潜り込んでくるのをやめなさいって言ってるだろうに。

 何回も口を酸っぱくしてやめろと言っているのだが、それでもやめないのは、俺がなんだかんだ喜んでいるのがバレてしまっているからなのだろうか。

「……それ、やめて」

 主語のない言葉でも、大方のことを察してくれる愛菜之は、にへっと笑って俺のおでこにキスをする。

「嬉しくないの?」

「……嬉しいけど」

「けど?」

「愛菜之が風邪引きそうでやだ」

 そう言うや否や、愛菜之は俺を抱きしめて、顔を胸に埋めさせてきた。ダメだこれ、何も考えられなくなってしまう。起き抜けで五感が鈍っているのに、愛菜之の匂いも、感触も、何もかもが俺を襲ってくる。

「私の心配してくれてるんだ……嬉しい。だいすきだよ」

 うーん、このまま眠ってしまいたい。学校? どうでもよくない? それって風船より大切なの?

 愛菜之がいるなら中卒で軽率なポンコツでも良い気がしてきた。たりないふたりではなく、たりないひとりだが。

 ま、俺は学校をサボることもできない臆病者ですが。正直めちゃくちゃ行きたくない。後輩が何をしてくるかも分からないし、愛菜之が怒るとどうなるかが怖い。

「学校休みたい……」

「合成した音声もってるよ。先生に電話する?」

「……ちゃんと行きます」

 あぶない、愛菜之に頼りっきりじゃダメだ。いざという時、愛菜之の力になれなくなってしまう。……愛菜之に管理される生活も悪くないけど。

「いい子いい子」

 そう言って愛菜之が、俺の頭をなでなでしてくる。子供扱いされたことへの照れや反抗感、甘えたい気持ちが心をぐちゃぐちゃにする。このまま甘えっきりになりたい。

 でも、そろそろ離してもらわないと本当に学校をサボってしまいそうだ。てことで、いただきまーす!

「ひぅ!?」

 愛菜之の胸にキスをした。胸っていうか、谷間っていうか。これ以上言ったらセクハラになりそう。起訴されたら敗訴確定なのでやめときます。現実はゲームのように逆転できないんですよ。

 驚いた愛菜之は、俺の頭を離してしまった。とてつもなくもったいないことをした気分だが、頼んだらいつでもしてくれるだろうし、ここは断腸の思いで愛菜之から離れる。

「……私の胸、嫌だった?」

「ずっと愛菜之の胸に顔を擦り付けてたい」

「え、ええっ!?」

「でも、学校は行かなきゃだからさ。二人で一緒に行こう」

 なんだかんだで学校は楽しい。勉強とかはあんまり好きじゃないが、愛菜之とすると不思議と好きじゃないことも楽しくなる。

 それに、嬉しいことがもっと嬉しくなる。

「俺、愛菜之のお弁当、めちゃくちゃ楽しみにしてるんだよ。あと、愛菜之にあーんしてもらうのもさ」

「ほんと?」

「それがなかったら学校なんて行ってない」

「言いすぎだよ」

「いーや、大マジ」

 愛菜之の細くて綺麗な手を取り、指を一本一本絡めていく。思いが手を、指を伝って届くように。なんて考えながら。

「愛菜之がいるから幸せなんだよ。だから、ずっと一緒にいてくれ」

「……ぷ、プロポーズ?」

 まだこの歳じゃ……何回やったっけな、このくだり。まぁ、あと二年もすれば結婚できるしなぁ。プロポーズはまだ取っておきたい。プロポーズ紛いのこと、何回もしてきてるけどな。

「プロポーズじゃない」

「あっ、そ、そうなんだ……」

 目に見えてしょげる愛菜之に心が痛む。餌をもらえなかった子犬みたいな顔をしないでほしい。ていうか、子犬より可愛い顔しないでほしい。

「プロポーズは大事な時まで取っておきたいんだよ」

「だ、大事な時……?」

「大事な時は大事な時。ほら、服着て。学校行こうぜ」

「う、うん……!」

 愛菜之はいそいそと支度を始める。……大事な時、か。それまで、平和な日常が続いてほしいなぁ。

 ま、これから後輩とバトルですけどね。




「はい、あーん」

「あーん」

 ……おかしい。昨日は朝から宣戦布告みたいなことをしてきたのに。裏愛のやつ、今日は朝から何もしてこない。

 何もしてこないのは、それはそれで不安になる。これは何かのブラフ……? ダメだ、沼にハマりそう。このゲームには必勝法はないのか……!

「晴我くん? なんで他の女のこと、考えてるの?」

「ん、裏愛ぐぷ」

 変な声を出してしまったのは、愛菜之がお手拭きで俺の口を押さえてきたからだ。いきなりのことでショートする俺に、愛菜之は自分の口に人差し指を立てて、にこりと笑った。

「他の女の名前、口にしちゃダーメ。汚れちゃうよ?」

 愛菜之はそう言って、口を優しく拭いてくれた。自由になった口で、言葉に気をつけながら話す。

「……汚れたりはしないんじゃないかな〜」

「あの女のこと、やっぱりまだ好きなんだ?」

「裏愛は好きとかじゃんぷ」

 また最後まで言わせてもらえなかった。愛菜之に口を塞がれ、週刊少年雑誌みたいな声を漏らしてしまった。

 今度はお手拭きではなく、愛菜之の口で塞いできた。さっきまであーんで食べさせあっていた、卵焼きの甘い味がする。

「……ぷあっ。消毒、ね?」

「……裏めぷ」

 後輩の名前を口に出すたびに、愛菜之は乱暴に俺の口の中を掻き回す。頭をガッチリと押さえつけて、愛菜之以外を考えられないように。

「……ぷはっ。わざとやってる?」

「後輩の名前を出すだけでキスしてもらえるからな」

「……あの女の名前を出さなくても、してほしいならいくらでもするよ」

 素直に言えればどれだけよかったか。甘い甘い、そういうことをする時の雰囲気なら素直になれるんだが、こういう普通の雰囲気の時は素直になれない。男心は難しいね!

「……アイツが何もしてこないから、不安になってさ。俺と愛菜之の時間が減ったら嫌だし。何より、愛菜之が不安がるのは嫌だ」

「……晴我くん」

 愛菜之は俺に心配されていることに嬉しそうに頬を緩ませる。俺を抱きしめて、頭を俺の肩に乗っけてくる。

「あの女、潰しちゃおうよ」

「ダメだって」

 明るい声で何を言い出すかと思えば、また物騒なことを。俺は愛菜之の手が血で汚れるとこなんて見たくない。

「晴我くんを不安にする障害は取り除かなきゃ。私、晴我くんのためならなんでもするよ!」

「じゃあ、アイツは消さなくていいからキスしんむッ」

 何? もうキスって言葉に脊髄反射してる? キスの早押しクイズ? ピンポンって言ってやろうか。

 またも口の中を嬲られ、ようやく口を離された俺は疲弊しながらイスにもたれかかる。愛菜之はご満悦の表情で、俺にお茶を注いでくれた。

「口移しがいい?」

「……口移しがいい」

 そう答えると、愛菜之は輝くような笑みでまた俺に口をつける。……キスって、中毒性ある? チュウだけに? なんチュッて! なんチュッて!


 ……疲れてるので、今日は早めに寝ようと思います。

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