第5話

「俺は、愛菜之じゃないとイケない」

 …………いや、待って待って待って待って。

 こんなことを言うつもりじゃなかった。もっとこう、優しい感じの言葉をかけて、もっと愛情を感じるような言葉をかけるつもりだった。

 なのに今かけた言葉は、ただのセクハラ。このシリアスな雰囲気の大事な場面で、セクハラ。たぶん俺、通報されたら即逮捕されてもいいと思う。

「私じゃないと、いけない?」

 愛菜之が別のニュアンスで汲み取ってくれる。そのまま別の意味でのニュアンスで思いを伝えていけばよかったのに、俺はなにをとち狂ったか、元のニュアンスで伝えてしまった。

「じゃなくて、俺は愛菜之じゃないと、その……」

「私じゃないと?」

 愛菜之は俺にグイグイと詰め寄る。もう逃げられない。そもそも最初の一手から間違えていたんだが……。

「愛菜之じゃないと、気持ちよくなれないというか……」

「え?」

 愛菜之が顔を近づけ、声を聞き逃さまいと耳を澄ます。やけになった俺は、愛菜之にありのままを話した。

「……愛菜之じゃないと、興奮しない。愛菜之じゃないと気持ちよくなれない」

「……え?」

「一人でする時は、愛菜之の写真を見てシてる。愛菜之が帰った後は、愛菜之が着てた部屋着とかの匂い嗅いだりしてる」

「え、ええ!?」

 愛菜之はみるみる内に顔を耳まで真っ赤にして、さっきまでの絶望した顔とは逆の、血流が良すぎる顔色になってしまった。

「愛菜之がくれた写真を見て、毎日一人でシてる」

「ま、毎日!?」

 ますます顔を赤くして、恥ずかしすぎて涙目になる愛菜之が可愛い。からかってるわけでもなく、全部本当のことだからしょうがない。

 赤裸々に語る俺に、愛菜之はあわあわと焦りまくる。どうやらいつもの愛菜之が戻ってきてくれたらしい。

 そのことに俺は気づかないまま、喋り続ける。

「愛菜之にシてもらった時のこと思い出してシたり、愛菜之がバレンタインの時にくれた音声聞いて、シてる。あの音声のせいで寝不足になったことも結構ある」

「ふぇ、あぅ、ううぅ……」

「もう俺、愛菜之がいないとダメな、おかしな体になってるんだよ。愛菜之がいてくれないとおかしくなっちゃうんだよ」

「わ、私がいないと……」

 それは紛れもない事実だ。愛菜之がいてくれないと欲の一つも解消できない、狂った体になってしまった。愛菜之に狂った体に変えられてしまった。

「愛菜之が好きだ。顔も、体も、声も匂いも髪型も、作ってくれるご飯だって好きだ。後輩なんて霞むくらいに、俺は愛菜之が好きなんだよ」

 愛菜之が否定した愛菜之を、俺は肯定し、好きだと言う。俺は愛菜之の全部が好きだ。愛菜之の何もかもが好きだ。後輩一人が入ってきたくらいじゃ、揺るぎなんてしない。

「愛菜之」

「ひゃ、ひゃい……」

 愛菜之が俺の言葉を待ち、指をモジモジと絡ませる。そんな愛菜之を抱きしめて、耳元に口を近づけた。

「愛してる」

「ひゃう!?」

 キザったらしく低めの声で囁くと、愛菜之は嬌声を上げながら腕の中でビクンと暴れる。

 後で絶対恥ずかしくなること間違いなしだろうが、今は愛菜之へ愛情を伝えることが先だ。俺の黒歴史が増えるぐらい、どうってことない。

 そのまま近づけていた口をさらに近づけ、可愛い形をした耳に甘噛みをする。愛菜之は身を捩らせて、俺に体を寄せて押し付ける。

 そろそろ頃合いだろう。俺は愛菜之の耳から口を離し、できる限り優しい笑顔で、愛菜之におねだりをする。

「……シてくれるか?」

 愛菜之は蕩けた顔で、俺の胸に手を当てる。心臓の音を手で聞いて、数秒視線を交わす。

 手の温もりを感じる。暖かくて、心地良い。それよりも熱く、滾るような視線。火傷しそうなくらいで、思わず視線を逸らしてしまう。

 その時点で、俺の負けだった。

「……可愛い」

 愛菜之はポツリとそう呟き、俺を優しく押し倒す。かと思えば、強引に口を塞いでくる。

 口の中で散々舌を暴れさせた後、口を離した愛菜之は爛々と輝く瞳で俺を見つめながら、指を下へと這いずらせていく。

「好き」

 たった二文字の言葉は、着火剤が大量に撒かれた脳内に、とてもよく響いた。

 燃えるような体の熱が、理性を燃やして灰にした。




「今日も、まだまだ寒いなぁ」

「そうだね」

 二人用のマフラーをつけて、お互いの手を温めるように隙間なく手を繋ぐ。昨日はどうなることかと思ったが、仲直り……喧嘩もしてないので仲直りかは分からんが、仲直りはできた。仲直りのおかげで、こうして今、仲良く登校している。

 もう裏愛とも関わることもはない。あんなに言えば、アイツも俺に愛想を尽かすだろう。それに、俺には愛菜之がいる。愛菜之さえいれば、後はどうってことない。

「晴我くん、他の女のこと考えるのやめて?」

「考えてないよ」

「嘘」

「嘘じゃないって。俺は愛菜之一筋だからな」

 そう言って、手に力を込めてみる。愛菜之は嬉しそうにはにかんで、もっと身を寄せてくる。

 平和だなぁ。やっぱり、俺は愛菜之と二人でいる時間が一番好きだ。こんな平穏が、いつまでも続くといいなぁ。

「あっ、先輩みーっけ」

 ……せめて会うにしてもさ、学校とかでよくない? 何もこんなとこで、朝早くから会う必要なくない? あとご都合主義をやめてくれない?

「……あのな、もう関わるのはやめるって俺……」

「え? ンなの、先輩が勝手に言っただけっすよね? あたし、はい分かりましたとか言ってました?」

 言ってないな。そもそもお前が、はい分かりましたとかお行儀良く言えるわけがないな。

「てことで、彼女サン? そんなに睨ンでも、あたしはまた来ますからね?」

「…………」

 愛菜之は沈黙を貫き、しかしその目には確かな殺意を込めている。真っ黒の瞳が、今にも撃ち抜かんばかりに裏愛を睨みつけていた。

「ま、朝はこンくらいにしといてやりますよ」

 裏愛はからかうような笑みを浮かべ、俺にへらへらと手を振ってくる。

「ンじゃ、まったねー。晴我せーンぱい」

 そのままさっさと、通学路を駆けていく。一部始終を見ていた周りの連中は、裏愛がいなくなると興味なさそうに自分の話に戻っていった。

「……あの女、晴我くんの名前を呼んだ」

「ま、愛菜之?」

「……潰してやる」

 

 ……こりゃまた、平和な日常は遠のきそうだ。

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