第4話

「そういえば、田中せんせーが結婚したらしっすよ」

「マジかよ」

「マジすよ」

 カフェの中で昔話や、中学の先生の現状を聞いて楽しむ。しかしあの田中先生がね……。控えめな人だと思ってたが、やることはやるんだなぁ。人間、意外な一面というのはあるもんですねぇ。

 裏愛はキャラメルラテをすすり、ホッと息を吐く。ボーイッシュな見た目とは逆で、甘いものが好きらしい。人の奢りはやっぱり美味しいらしく、今ので飲み干したようだった。

「つか先輩、彼女サンいたんすね?」

「ん、ああ。高校入ってからな」

「ふーん……」

 興味なさそうに相槌を打つが、目線がずっと俺とキャラメルラテを行き来している。天然なのか、わざとなのか。

「ほんとなんすか。その……子作りとか、指輪とか」

「……ほんとだよ」

 短く肯定すると、裏愛はどこか傷ついたような顔で俺を睨む。一体なぜ、そんな顔で俺を睨むのだろうか。先を越されたことが悔しいのかもしれない。まぁ、裏愛はすぐにでも彼氏くらいは作れそうだが……。

「先輩、アレすか。高校デビューとかで彼女サン、とっ捕まえた感じすか?」

「高校デビューとかしねぇよ……。なんていうか、一目惚れだよ」

「なンすか、それ。バカにしてンすか?」

「大マジだよ。愛菜之とは初めてあった気がしなくて、なんか分かんないけどこの子じゃなきゃダメだと思って……」

「意味わかンないっすよ。はぁ……つまンな」

 ため息を吐いて、すっかり飲み切ったキャラメルラテの紙コップが形を崩すほどにぎゅっと掴む。何がそこまで癪に触ったのか。俺に先を越されたことがそんなにも悔しいのだろうか。

 二人のどちらとも口を開くことなく、変な空気が続いていく。なんの気なしにスマホを見てみると、表示されている時刻はすでに2時間ほどの経過を表していた。

 そして何より、愛菜之からなにもメッセージや電話が来ていない。愛菜之のことだから、何か一つくらいはメッセージを送ってくると思っていたが……。

「ここら辺でお開きにするか」

「えっ」

 急なお開きになったことに驚いたのか、裏愛が声を上げる。別にもう、話すこともないと思うんだが。

「あっ、それと言い忘れてたけど」

「なンすか」

 なぜか機嫌の悪い裏愛に、俺は申し訳ない感じを出しながら続けた。

「愛菜之が心配するから、もうお前とは話せない」

「……は?」

 裏愛はキョトン、とした顔でいたが、話を理解したのか顔を思いっきりのしかめ面に変えた。

 まるで苦虫でも噛んだように 「うえっ」 とそっぽを向きながら、裏愛は荒々しい口調で話す。

「彼女できたからって調子こいてンじゃねっすよ。なンすか? 彼女サン、地雷系すか? そんなの流行りませンよ」

「地雷とかじゃないが……」

 ちょっと愛が強いだけだしなぁ。そこが魅力というか、そこ以外も魅力というか。

 裏愛はまだ何か言おうと考えていたようだが、俺に否定されたことにイラついたのか、荒々しく席から立ち上がり、鞄を引っ掴んだ。

「……帰ります」

「そ、そうか。あの、お金は……」

「彼女サンと、よろしくやっとけばいンじゃないすか?」

「お、おお。あの、やっぱ俺の奢り……」

「先輩のバーカ」

 最後まで俺を睨み、どこか潤んだ瞳でツカツカと店から出ていく。中学時代は、あんなに俺のことを睨んできたりはしなかったんだがなぁ。

 ……お代って、やっぱ俺が払わなきゃなのか。




 家の扉に鍵を差し込んで回すと、鍵は空回りする。どうやら誰かが先に家の中にいるらしい。まぁ、家にいるのは愛菜之だろう。結構な時間、ほったらかしになってしまったので怒っているだろうか。

 ご機嫌取りのテイクアウトで買ったケーキを片手に、玄関を開けた。

「ただいま」

 パタパタという足音も聞こえなければ、おかえりの声も聞こえない。それから少し待ってみても返事はない。

 鍵を開けっぱなしにしていたかと思ったが、玄関にはちゃんと愛菜之のローファーが置いてあった。愛菜之は家にいるようだった。

「愛菜之?」

 リビングへの扉を開けて名前を呼んでみる。名前を呼ぶまでもなく、愛菜之がソファに座っているのが見えた。

「愛菜之、ごめんな」

 後ろから声をかけてみても、愛菜之はずっと前を向いたままだった。やっぱり怒っているらしい。それもそうだ、彼女よりも後輩を優先するようなやつには怒って当然だ。

 ケーキを冷蔵庫に入れ、愛菜之の隣に座る。愛菜之はずっとスマホを見ているようだった。

「愛菜之?」

 声をかけてみても返事はない。こんなに近くにいるのに、まるで愛菜之は声が聞こえていないかのように何の反応も示さない。

 その反応がより不安を掻き立てる。どうすれば許してくれるだろうか。頭くらいなら、いくらでも地面に擦り付けるんだが……。

 ふと気になって、愛菜之のスマホの画面を見てみる。そこには、俺の顔が映し出されていた。

 愛菜之はずっと、俺の写真を見ていたらしかった。

 光のない目で、愛菜之は小さく唇を動かしながら何かをぶつぶつと唱えている。まるで蚊の鳴くような声の小ささだったが、耳を澄まして聞いてみる。

「……くん。私の晴我くん、私の晴我くん私の晴我くん私の晴我くん私の晴我くん私の晴我くん」

 無表情に、平坦に、ずっとそれだけを唱え続ける。まるで呪い殺すように、まるで恨みの全てをぶつけるように。

「愛菜之、愛菜之」

「私の晴我くん私の晴我くん私の晴我くん私の晴我くん私の晴我くん」

「愛菜之、ごめん。本当にごめん。もうあの後輩とは喋らないように言っといたから。もう二度と関わらないことにしたから」

 それでも愛菜之はずっとスマホに映る俺だけを見つめていた。愛おしそうに指で画面をなぞり、そんな指先とは裏腹な暗い瞳が、怖くて怖くて。

 ─────可愛くて愛おしくて、たまらなかった。


「愛菜之」

 スマホを愛菜之の手から取り、代わりに俺の手を掴ませる。写真の俺じゃなくて、本物の俺を見てほしい。

「ただいま」

 謝るでもなく、言い訳をするでもなく、最初に出てきた言葉はそれだった。なんだか言い訳するのも、謝るのも、愛菜之を傷つけるだけのような気がした。

「…………私、いらないの?」

 愛菜之は光のない瞳を、大きくてくりっとした瞳を潤ませて、俺を見つめる。頼りない手に、ほんの少し力が入る。

「晴我くんの、迷惑になるなら。邪魔なら、消えるよ?」

「……俺、愛菜之がいないと死んじゃうんだけどな」

「嘘」

「嘘じゃない」

「嘘だよ」

 だって、と愛菜之は続ける。

「私よりも、あの女を選んだ。私は晴我くんに選ばれなかった。私は晴我くんと離れて死にたいと思ったけど、晴我くんはそう思ってないでしょう?」

「離れたつもりじゃなかったんだ」

 俺はただ、言い訳をするしかない。愛菜之に愛想を尽かされないために、必死に取り繕うしかない。

「私、前に寄ってきた女を殺そうとしたり、邪魔だとか色々言ったよね。その時は、晴我くんは嫌な顔してなかった。私が人を殺すのを嫌がってはいたけど、その女が悪く言われるのは嫌がってなかった」

 愛菜之は、ぽとぽとと涙を落としていく。雫が俺と愛菜之の手の内へ流れて、染み込んでいく。

「でも、私があの女……晴我くんの後輩に、消えろとか、汚されたとか言った時は、嫌な顔してた。悪く言わないでって顔してた」

 愛菜之の手が震えていく。お化けを見た子供のように、どこか怯えている様子だった。

「私よりも、あの女が大事なんだ。私なんかじゃ、私なんかじゃ晴我くんの隣にいられないんだ」

「何言ってんだよ」

「私は、私は晴我くんに選ばれなかった。もう私に、価値なんてない」

「だから、何言ってんだよ」

「そうでしょ? 私よりも、その後輩の方が大切なんでしょ? 私を選ばなかったって、そういうことでしょ?」

 光のない瞳が俺を見つめる。俺を見つめて、まるでその先まで見ているのかと思うほどに見つめてくる。

「どうすれば、私を選んでくれるの? どうすれば、私だけを見てくれるの? 顔を変えればいい? 体型? 髪型? 声? 匂い? ご飯の味付け? どうすれば私は晴我くんの理想に近づけるの?」

 愛菜之は俺の胸に顔を埋め、俺を抱きしめる。力なく腕を回して、精一杯俺を引き寄せようとしていた。

「教えてよ、晴我くん……なんでも、なんでもするから……」

 しなだれかかる愛菜之に、俺は何を言うべきかわからなかった。けれど、俺は愛菜之にちゃんと言わないといけない。俺がどれだけ愛菜之のことが好きで、愛菜之がいないとダメか。

 愛菜之の肩を掴んで、俺から愛菜之を引き離す。愛菜之は絶望したような顔で、力なく俯いていた。

「愛菜之、よく聞いててな」

 俺の言葉に愛菜之が顔を上げる。息を吸い込んで、俺は用意した言葉を吐き出した。


「俺は、愛菜之じゃないとイケない」

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