第2話

「その女の人、誰なンですかね?」


 唯一の後輩が、隣の愛菜之を睨みつける。それに愛菜之は鼻で笑い、余裕綽々の笑みでこう返した。


「晴我くんの妻ですが?」




 どうしてこうなったのでしょうか。俺は何もしていないのに。別に何か、特別な力を持ってたり、異世界転生してるわけじゃないのに。どうしてこうも変な目に遭うのですか。

「つまぁ? なんスかそれ、刺身に添えられてるやつすか?」

「それはツマだな……」

 なんで変なボケかましてんだコイツも。ツマ美味しいよね……。

 そうじゃなくてだな。なんでコイツはこの学校にいるんだ。そもそも、なんで俺らの高校の制服を着てるんだよ。

「なんでお前、ここにいんだよ」

「え? 新入生っすよ。あたしのおめでた〜い姿、見てないんすか?」

 頭のほうがおめでたそうだが、どうやらコイツはここに入学してきたらしい。……いやいや、待ってくれ。コイツは俺よりも頭が良いほうで、何もわざわざこの学校を選ぶ必要はないはずだ。

 納得しない俺の顔を見て、後輩はため息を吐きながら説明してくれた。

「スポーツ推薦っすよ。勉強しなくて済むンで」

「な、なるほど……」

 そうだ、コイツは確かバスケ部だったんだ。身長も175センチと、高い方に入る。髪も邪魔にならないようショートカットにしていると話してくれたこともあって、それも似合っている。

「ま、先輩は頭悪いンでこんなとこしか選べないっすよねぇ?」

 ……それでもって、俺を良くバカにしてくるやつだった。




「晴我くんを、馬鹿にした?」

 あっ、まずい。

「今の、取り消して」

「は? なンすか?」

「今の頭悪いって言葉、取り消して。謝って」

「嫌ですけど。先輩が頭悪いの事実じゃないすか」

「それ以上言ったら殺す」

「殺す? ブハッ、面白いこと言いますね。奥さん?」

 やばいやばいやばい。過去最高にやばい雰囲気になってる。バチバチいっちゃってるもん。

「何が妻っすか。こんな先輩に、妻も彼女もいるわけが……」

「私、付き合ってますけど」

「金で?」

「好きで」

 愛菜之の返答を聞いた後輩は、「ブハッ」 とまた吹き出した。

「いやいやいや、何考えてンすか? こんな、なんの魅力もない男の何が……」

「晴我くんは、私のために指輪を用意してくれました。誕生日には私と子作りしてくれました」

「指、子づく、はぁ!?」

「ちょ、愛菜之……!」

 俺が止めようとしても、愛菜之は構わずに続ける。光のない目で、後輩のことをずっと睨みながら。

「私は晴我くんと旅行に行って、晴我くんとずっと愛し合ってた。朝も夜もずっと、ずっとね。それ以外の日だって……」

「な、なん……!」

 言葉を続ける愛菜之を遮ろうと声を出すも、後輩は声を出すだけで言葉になっていなかった。

 愛菜之はお返しのようにため息をつくと、侮蔑の表情で後輩を見る。

「あなたみたいな人、晴我くんは眼中にもないの。消えて」

「わた、私は!」

「消えろ」

 冷えきった言葉、表情は後輩を怯ませるには十分だったらしい。後輩は最後まで愛菜之……ではなく、俺を睨みつけながら小走りで帰っていった。

「……ま、愛菜之」

「ごめんね、晴我くん」

「え?」

 俺は怒られるかと思っていたのが、愛菜之はその逆に謝ってきた。俺のことをぎゅうっと抱きしめて、あやすように背中を撫でる。

「もっと晴我くんのこと、見ておけばよかった。ごめんね、ごめんね」

「え、あっ、いや……」

 ごめんも何も、中学生の頃は仕方がない。愛菜之とは会った記憶も、ましてや中学生の頃の顔すら知らない。それで謝られるのも、お門違いというかなんというか。

「愛菜之は悪くないよ」

「ううん、私が悪いんだ。幸せすぎて油断しちゃってた。あんな羽虫にも気づけないなんて……」

 愛菜之は悔しそうに、俺の制服を掴む。愛菜之がアイロンをかけてくれた制服に、皺ができていくのが感じられた。

 愛菜之はパッと俺から離れると、にっこり笑って俺を見上げた。

「今日は、汚れちゃったね」

「え?」

 今日は何も、汚れるようなことはしていない。だというのに、愛菜之は俺の服の汚れをパッパッと払うように触ってくる。

「あの羽虫に汚されちゃったんだよ? 今度からは汚されないように、気をつけなきゃだね!」

「あ、ああ……」

 相槌に言葉を漏らすと、愛菜之はそれを肯定と受け取ったとのか嬉しそうに俺の腕を抱いた。

 羽虫、か。俺の後輩は……まぁ、口は悪いし俺のことを何故か目の敵にするが、悪いやつじゃない。けれど、羽虫呼ばわりはやめてほしいと言えば、愛菜之は怒るかもしれない。

 どっちか片方を取ることもできない、優柔不断な俺は何もいうことができなくて。自己嫌悪と、彼女の笑顔と、後輩の恨むようなあの顔に、罪悪感が押し寄せてきた。

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