2年生

第1話

「ん、んぇ……」

 気持ちの悪い声で唸り、枕に顔を埋める。ピピピッと鳴り続けるスマホのアラームを止めて、大きく息を吐いた。

 四月だというのにまだ肌寒く、布団が俺を離そうとしてくれない。布団は俺ともっと温め合いたいらしい。

 そんな冗談はさておき、そろそろ起きないといけない。今日は始業式、そして俺たちに後輩ができる日だ。

 軽く伸びをして体をほぐす。……なんか、柔らかいのが手に触れてるんだけど。

「ふぁ……」

 くすぐったそうな、甘い声が布団の中から聞こえてきた。この声、感触……間違いない!

「愛菜之ぉ……なにしてんの……」

「えへへ。おはよう、晴我くん」

 俺に胸を触られて、嬉しそうな顔をしている愛菜之がいた。


「私、別に気にしてないよ?」

「いやでも、無許可で触るのはさぁ……」

 土下座する俺と、その俺の頭に膝枕をしてくれる愛菜之。俺は土下座をしているつもりだが、側から見れば彼女の膝に顔を埋める変態にしかなってない。

 いくら付き合っていて、恋人で、夫婦だとしても不躾に触るのはいかんのですよ。まぁ、愛菜之は喜んでいるみたいだが……。

 そんな愛菜之は、タートルネックの縦セーターにジーパンを履いていた。学校があるにもかかわらず、私服でいるのは、俺が愛菜之の私服姿が好きだから、だろうか。

「私が触らせたんだから気にしないで?」

「え?」

 どうやら俺から触ったわけではないらしい。とはいえ、俺に胸を触らせるのはなんでだ。

「晴我くん、私の胸が好きなんでしょ? 晴我くん、朝が苦手って言ってたから、元気出してくれるかなって」

「俺は胸が好きなわけじゃ……」

「私の胸、嫌い?」

 そういう聞き方、ほんとにずるいんだよなぁ……。好き以外言えなくなってしまう。俺は胸が好きなんじゃなくて、愛菜之の胸が好きなだけなんだが。

 ぐるりと仰向けになると、愛菜之の胸と顔が俺を見下ろしてくる。

 ニマニマした顔で俺の言葉を待つ愛菜之に、俺はそっぽを向きながらぽそり、と言った。

「好きだよ」

「なにが好きなの?」

「……愛菜之の胸」

 促されるがままに返すと、愛菜之は嬉しそうにニンマリと笑う。どうやら俺の返答はお気に召すものだったらしい。

「私の胸が好きなんだ?」

「好きだよ」

「触りたい?」

 ……何? 俺、試されてんの?

 正直に言うと触りたい。触ったことあるから分かるが、めちゃくちゃ触ってて幸せになる。よく分かんないけど、幸せな気持ちになれる。ふわふわしていて、柔らかくて。

「……触りたいです」

 素直な気持ちを言うと、愛菜之は嬉しそうに笑って服を捲った。

 セーターが捲られていくと、愛菜之の綺麗な白いお腹が見えた。胸の下まで持っていくと、愛菜之は一旦手を止めた。

「見たい?」

 愛菜之が最近いじわるになってきてる気がするんだよなぁ。愛菜之にいじわるされるのは好きだが、癖になりそうだからやめてほしい。

「見たいです」

 もうプライドもなく即答で言うと、愛菜之はまた嬉しそうに、にへっと笑う。

「下の方だけだよ」

 そう言って胸の中心あたりまでセーターを捲る。南半球を観測する俺は、その立派な山に目を奪われていた。

「……は、はい! おしまい、ね?」

 愛菜之は顔を真っ赤にして、それでも笑顔は崩さずにセーターを下ろした。

 自分から小悪愛菜之ムーブをかましといて、照れるとかズルすぎる。可愛くて可愛くてしょうがない。

「もっと見せてよ」

「ふぇ!?」

「愛菜之のこと、もっと見たい」

 そう言って、手を伸ばしたその時。

 けたたましいアラームの音が、俺のスマホから鳴り響いた。

「あ、時間……」

 愛菜之が呟きで、壁にかかっている時計を見ると針は確かに遅刻ギリギリの時刻を表していた。

「……続き、帰ったらするから」

「え、え?」

 顔を真っ赤にして慌てる愛菜之。今度は笑顔を崩さずにはいられなかったらしい。

 真っ赤な顔をしている彼女の唇に、自分の唇をつける。軽い挨拶をして、俺は起き上がった。

「学校行こうぜ。遅刻したら、また周りのやつらから冷やかされるぞ」

「……今日、サボるっていうのは」

「春休み明けのテストがある」

「……晴我くんのいじわる」

 先に意地悪をしてきたのは、どっちなんだか。




 始業式が始まって、その後はテストがあった。まぁ、てんで大したことのないテストだったが。

 俺には専属教師の愛菜之先生がいるんでね。しかもご褒美をいっぱいくれる、美人の先生。

「はい、あーん」

 ご褒美には含まれないご褒美、お弁当にあーん。幸せすぎて泣きそう。学校って楽しい! 学校に行こう!

 特番のことは置いといて、愛菜之のお弁当は今日も今日とて美味しい。愛菜之にあーんをされると、三千割り増しくらいで美味しくなるのはなぜでしょうか。

「美味しい?」

「幸せの味がする……」

 そう言うと、愛菜之は照れたような、嬉しそうな顔で笑う。この顔を見るたびに俺も幸せになるから、幸せの永久機関が完成している。

「うまい、うまい……愛菜之好き……」

「私のこと、好きなんだ?」

「結婚したいくらい好き……」

「け、結婚したいんだ……」

 そうじゃなきゃ、指輪なんて渡さないがね。まぁ、右手用だからあんまり虫除けの効果とかもなさそうだけど。

「わ、私も結婚したいよ。結婚して、子供作って……あっ! 子供は女の子と男の子を一人ずつで、それでそれで……!」

 愛菜之は興奮した様子で、理想の将来を喋り続ける。子供を作った後は一生懸命育てて、老後は二人で旅行に行ったり……。その理想の将来はとても魅力的で、ずっと俺と一緒にいることが理想の内に入っていることに嬉しくて死にそうになる。

「それでね、あとは……。あっ、ご、ごめんなさい! また一人で先走っちゃった……」

「や、嬉しいよ。愛菜之が先のことまで考えてくれてるの」

「ほ、ほんと?」

「だって、将来もずっと一緒にいてくれるんだろ?」

「あ、当たり前だよ!」

 愛菜之は俺の腕にぎゅっと抱きついて、俺を真剣な顔で見つめる。思った以上に真剣な表情だったので、思わず心臓が跳ねてしまった。

「私、晴我くんとずっと一緒にいる! ずっとずっと、永遠に一緒にいるもん!!」

「お、おう……」

 こうやって不意打ちでキュンキュンさせてくるんだから、ほんと心臓に悪いよなぁ……。




 ご飯も食べて、後は入学式があった。まぁ、俺は寝ていたので内容も何も聞いちゃいなかった。そんなもんじゃない? だって、中学の頃は仲の良い後輩とかいなかったもん。

『以上で、入学式を終わります。新入生、退場』

 放送と共に、新入生が退場していく。新入生が退場していく足音で、俺も目を覚ました。うーん、いい目覚め!

 ……とは言えずに、寝ぼけ気味の頭で新入生を見つめる。知ってるやつは……いない。そもそも友達が少ない俺に後輩なんぞいるわけがない。……あっ、一人いたか。でもまぁ、こんな学校には来ないでしょ。

 そう思いながら、俺はまた吸い込まれるように、瞳を瞑ってしまった。




「晴我くん、寝不足なの?」

「寝不足ってわけじゃないんだけどな……」

 ああいう長い話って眠くならない? なるよね? なります。

 放課後、自販機の前で愛菜之と話す。俺の奢りで買った紙コップのココアを、美味しそうに飲む愛菜之が見れるので好きなスポットだ。

 寝不足ねぇ……。寝不足ってよりは単純に体力がないだけだ。もっと体力つけなきゃなぁ……。愛菜之が心配してしまう。

「そういや、愛菜之には後輩とかいないのか?」

「後輩……部活とか、委員会とかしたことないからいないかな」

「へぇ……」

 愛菜之なら、ファンクラブとか作られてそうなもんだがね。ま、リアルにファンクラブ作るやつなんていないか。そんなもん作品の中の幻想! 愛菜之のファンクラブとか実在したら右手でぶっ壊すぞ。

「晴我くんは後輩、いないの?」

「んー……いませんねぇ」

 そんなコミュニケーション力があったら苦労してないねぇ。俺には愛菜之さえいれば、なんでもいいけどねぇ。

「そっか、安心」

「なんで安心?」

 聞くと愛菜之は、俺の腕にぎゅっと抱きついて笑った。

「後輩の女とかいたら、消さなきゃだもん」

「んなの、いるわけ……」

 ───その時、晴我に電撃走る。

「いるわけないですよほんとにマジで」

「なんでそんなに口調が変わってるの?」

 そういう気分なんですよほんとにマジで。大丈夫、大丈夫なはずだ……。

「愛菜之、早く帰ろう。イチャイチャしようぜ」

「晴我くん、最近は甘えん坊さんだね」

 嬉しそうに笑った愛菜之が、紙コップをゴミ箱に捨てる。

 愛菜之が俺の腕を抱き、いつも通りに帰ろうとしたその時。

「先輩!」

 こういう時、大体ことは上手く進まない。ご都合主義のクソみたいな展開、やめてくださらない?

「やっと見つけたー! ……で、その女の人、誰なンですかね?」

 

 俺の唯一の後輩が、愛菜之を射るような視線で睨んでいた。

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