第72話
「ではでは! 早速お願いします!」
エプロンをつけた猿寺が、同じくエプロンをつけた愛菜之に頭を下げる。猿寺って体育会系なの?
「えっと、最初はチョコを溶かしていくの」
「湯煎ってやつですね!」
「そうそう。やってみよっか」
テキパキと指示を出し、それに従う猿寺。愛菜之も猿寺も要領が良く、作業をこなしていく。
しかし、猿寺がチョコを作るとはなぁ。たぶん先輩にあげるんだろうけど、先輩以外の他の人にあげたりするんだろうか。
俺は俺で、リビングのソファに座らされている。愛菜之曰く、「猿寺さんが自分で作らないとダメだから」 とのことらしい。今でも俺は、もどかしくて横から手を出したくなってしまっている。
そういうところを見極めて俺におすわりを命じるあたり、やっぱり愛菜之は俺のことを理解してる。
それはそれとして……愛菜之のエプロン姿、めちゃくちゃ可愛い。今度、エプロンつけて料理してほしいってお願いしようかな。
俺の家で料理を作ってくれる時、愛菜之はエプロンをつけない。髪の毛を一つにまとめるくらいしかしない。
それはそれで可愛いのだが、普段見ることのないエプロン姿のスペシャル感。新婚妻みたいな雰囲気が出ていて、抱きしめたくなる。
ジーッと見ていると、俺の視線に気づいた愛菜之が笑顔で小さく、手を振ってきた。猿寺は作業に夢中で、うんうん唸っている。
今ならちょっとくらいイチャイチャしても、猿寺の邪魔にはならないだろう。メッセージアプリを開いて、愛菜之とのトーク欄を開いた。
『エプロン、めちゃ似合ってて可愛い』
ほんの少しの間が空いて、愛菜之の服のポケットにあるスマホが震えた。
愛菜之はスマホを開いて画面を見ると、嬉しそうに頬を緩めた。
スマホを少し操作して、俺を見つめる。照れているのか、スマホで口元を隠していた、
『今度お料理するときに、またエプロンつけるね』
マジか、このプレミアム愛菜之をもう一度拝めるのか。
思わず、口元がにやけてしまう。エプロンつけてる愛菜之を後ろから抱きしめたりしたい。
そんな風に二人ともニヤニヤしてたら、猿寺が「シャッターチャンスですか!?」 とか言ってきた。料理中にカメラ持つのやめなさい。
「愛菜之さん! できましたよ!」
「うん、綺麗にできてるよ。あとは冷蔵庫に置いておくだけだよ」
「良かったぁ〜……」
ヘナヘナとその場に座り込む猿寺。俺の方から見るとキッチンに隠れてしまっている。
愛菜之は「頑張ったね」 と優しく声をかけていた。俺の彼女、優しいんですよね。
なんて後方彼氏面をしていると、猿寺は冷蔵庫にチョコを入れて、ぐでっと椅子に座り込んだ。愛菜之は労いのお茶を淹れてくれていた。
「なぁ、俺はいてもよかったのか?」
ぐったりしてる猿寺に聞いてみると、力なく首を縦に振った。
「味見をしてもらいたく……男の人でも甘いものって大丈夫なのかな、と」
「ああ、なるほど」
男だろうがなんだろうが、甘いものは大抵の人が好きだと思うけどな。そもそも先輩が甘いもの好きかどうか分かんないしなぁ。
「味見かぁ……役得だな」
「晴我くん?」
「はい!」
キンキンに底冷えした声で、俺を呼んだ。大体この声で俺を呼ぶ時の愛菜之は怒っている。
いつもと違う雰囲気に、猿寺も首を傾げている。
「私以外の女の子が作ったものは?」
「食べません!」
サーイエッサー! まで言おうと思ったくらいに、愛菜之の迫力がすごい。なんかオーラまで見えてきた気がする。
「で、でもさ。味見役は誰が……」
「私がすればいいでしょ? それとも晴我くんは私以外の女の子が作ったものを食べたいの?」
「食べたいというか、味見役くらいでしか役に立たないというか……」
「晴我くんがいないと、私は動けないんだよ? 十分、役に立ってるよ」
「ええ……」
絶対立ってない! 俺は置物にしかなってない!
猿寺くらい仲が良い子なら、手作りお菓子を食べてもいいと思ったんだが……。
猿寺は別に構わないのか、成り行きを見守っている。ていうか、愛菜之が怖くて何も言えないんだろうな。俺も怖くて、今すぐにでも愛菜之に抱きついて泣きつきたい。
「猿寺さん、私が味見役でもいいよね?」
「わ、私は構いませんけど……」
俺をチラチラ見ながら言うが、そんな風に助けを求められましてもね……。俺だってこの状態の愛菜之には、下手なことはできないって。
「二人とも分かってくれて良かった。お茶のおかわりは?」
「いただきます……」
「もらおうかな……」
俺と猿寺は、すっかり喉が渇いていた。
「うん、美味しくできてるよ」
「よ、良かったです……」
まるで合格発表日の受験生みたいな顔をしていた猿寺は、愛菜之から合格をもらいホッと息を吐いていた。
「学校に持っていくと溶けちゃうから、お家で渡すのが良いと思うよ」
「い、家に呼ばないといけないんですか……」
暗い顔でおかわりしたお茶を啜る。課題が次から次へと出てきて、もううんざりといった様子だ。
家に呼ぶっていうか、家の前まで来てもらうくらいでいいと思うがね。猿寺はたぶん、家の中に入れないといけないと思ってるんだろうけど。
家の中に入れないといけないってことにしとこう。そっちの方が面白そうだし。
「……猿寺さんは、先輩のことが好きなの?」
慎重な面持ちで、愛菜之がそう聞いた。それは俺も気になっていたが、先輩にチョコを贈るか聞いた時の反応で、もう答えは出ているようなもんだ。
「……その、正直分からないんです」
答え、出てなかったわ。
指をモジモジと絡ませて俯いたままの猿寺を、愛菜之は真剣な目で見ていた。俺は空気に徹していた。
「今まで、ずっと写真写真ばかりでして。人と話す時も写真のことばかりなので、恋愛とかに興味もなかったし、周りの人の恋愛話なんて聞いたこともありませんでした」
懐かしむような口調で、淡々と話していく。猿寺にとって、恋愛なんてそこまで重いものじゃないのだろう。
それに、と猿寺は続けた。
「みんな、あの人が好きだとか、この人が好きだとか言ってましたけど、結局のところは恋愛をしてる自分が好きなだけでしたから」
なるほどな。確かに中学生の時は、相手のことを本気で愛すっていうのはあまりないだろう。
愛菜之だったら、中学生だろうと相手のことを本気で考えるんだろうな。
……俺も中学生の頃は、そんな人がいたな。
「だから、お二人を見た時は驚きました。本気で相手のことを好きで、相手のことを見てる。それにお二人は、とても幸せそうでした」
猿寺は鞄からカメラを出して、カチカチと操作をした。数秒経ってから、カメラの画面を俺たちに見せた。
「ごめんなさい。実は、お二人のことを一度だけ隠し撮りさせていただいたんです。この写真、お二人が並んで歩いているところです」
俺と愛菜之が出会って、たぶん間もない時の写真だろう。俺はろくに目を合わせられなくて、愛菜之も恥ずかしそうに制服の裾を掴むだけの、初々しくも幸せな頃。
「お二人のおかげで、人を撮ることがまた楽しくなりました。お二人のおかげで、写真を続ける決意ができました」
「いや、そんな大層なことは……」
「いいえ、お二人のおかげです。お二人がいたからこそですよ」
柔らかく笑って、お茶を啜る。
話せたことが満足なのか、嬉しそうに笑っていた。
猿寺が撮ってくれた、俺たちの写真を見てみる。画角も光の加減も綺麗で、隠し撮りとは思えないほどだった。
「礼を言うのはこっちだ。良い写真を撮ってくれてありがとな。文化祭の時の写真、今でも大切に持ってるよ」
そう言うと、愛菜之もうんうんと頷いた。
「私も、文化祭の時の写真を額縁に入れて飾ってるよ。あの時の写真がすごく嬉しくて、見るたびに文化祭の時を思い出すの」
幸せなひと時を思い出させてくれる、魔法の写真をくれた猿寺には感謝しかない。
俺たち二人の話を聞き終わると、猿寺は目尻に涙を浮かべていた。
「写真家冥利つきます、嬉しいです。えへへ……」
大切そうにカメラを抱えて、涙を拭いた。
そんな猿寺が、羨ましくも、カッコよくも見えた。
自分の好きなことに打ち込めて、情熱を持っていて、一喜一憂できる。きっと猿寺は、写真を撮ることに恋をしているようなものなんだろう。
明日のバレンタインデーが、良くなることを祈る。
俺にとっても、愛菜之にとっても、猿寺や先輩にとっても。
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