第73話
今日、運命の日。
男たちにとって大切な日、バレンタインデー。
あの子にもらえるか、もしかしたら意外なあの子からもらえたりするんじゃないか。そんな淡い期待を胸に学校へと登校する、運命の日だった。
あ、ちなみに俺はもらえること確定なんで(笑)。
なんて煽りを入れても、俺も俺とて緊張していた。
まず朝起きて、スマホで日付を確認しちゃうくらいには緊張していた。
チョコをくれると愛菜之は言っていたが、それとは別に不安なこともあった。
愛菜之に告白する輩がいるかもしれない、ということだ。
今時、バレンタインデーに男が女子にチョコを送る、いわゆる逆チョコなんてザラにある。
そういう危険性もあるので、今日の学校が早めに終わることを祈ります。愛菜之が他の男から、チョコを渡されるところを見るなんて耐えられそうにない。
起きたくない……チョコは欲しいけど、不安な気持ちが拭えない。あと、単純に朝に弱い。
それでも、愛菜之が迎えに来る時間までには準備を済ませなくちゃいけない。重い体に鞭打って、どうにか布団を跳ね除けて起き上がった。
リビングに向かうと、いい匂いが鼻をかすめた。母さんが帰ってきていたのだろうか? 帰ってくるなんて連絡はなかったが……。
「あ、おはよう。晴我くん」
「…………夢?」
エプロン姿の、愛菜之がいた。
いやいや、おかしいだろ。確かに冬休みのときは毎朝、俺の布団に潜り込んでいたり、毎朝ご飯を作ってくれていたり……。
ただ、平日は愛菜之に迷惑がかからないように、来なくていいと伝えていた。もちろん愛菜之は断固拒否していた。「晴我くんに朝ごはん作りたい!」 と言っていたが、さすがに申し訳ないんでこっちも断固拒否した。
家の前に迎えに来るのを良いと言った覚えもないが、いつの間にか、そういう決まりになっていた。ほんとは俺が迎えに行きたいが、愛菜之がなぜか俺の行動の全てに先回りをしてくる。正直、こわい。
「夢じゃないよ? 触る?」
「ん……」
朝に弱い体を言い訳にして、愛菜之にダイレクトハグをした。ハグっていうより、ほぼもたれかかる感じだが。
「……なんでいるの?」
「い、嫌だった?」
「嬉しいけど……」
嬉しいけど、来ちゃダメっていう約束を破ったことに変わりはない。そこはちゃんと注意しておかないといけない。
「ダメって言ったろ、平日は」
あまり要領を得ない言葉でも、愛菜之は約束のことを思い出したらしい。申し訳なさそうな声で、釈明をした。
「今日は特別な日でしょ? 今日は、朝から晴我くんと一緒にいたかったの」
そんな言い方されると怒るに怒れない。というか、怒り二割、嬉しさ八割で怒る気力がほとんどない。
まぁ、今日くらいならいいか。我ながら甘いとは思うものの、朝から一緒にいれるのは嬉しい。
「朝ごはん、作ってくれたのか?」
「うん。パンケーキ作ったよ」
「ありがとうな」
だいぶ目も覚めて意識もはっきりしてきたが、もう少し愛菜之を堪能しておいた。きっと重いだろうに、愛菜之は文句の一つも言わずに俺の背中を優しく撫でていた。
皿の上にのって運ばれてきたパンケーキ。
別になんの変哲もないパンケーキだ。……チョコソースで描かれている大きなハート以外は。
これを食べないといけないのか? こんなに愛情のこもったパンケーキを、俺なんぞの腹の中にぶち込まないといけないのか。
もったいなさすぎる……せめて写真を撮っておこう。
「はい、あったかいココア」
愛菜之が何度か息を吹きかけたココアを手渡された。
ちょうどいい温度。一口飲むと止まらなくて、一息で半分ほど飲んでしまった。
「えへへ」
そして、そんな俺を愛菜之は嬉しそうに見ていた。
口に髭でも作ってしまっただろうか。ティッシュでぐいぐい拭ったが、それでも愛菜之はニコニコ笑っていた。
「どした?」
「私の唾液、飲んでくれて嬉しくて」
急にぶっ込んでくるじゃん。唾液が入ってるってことか? 別にいいけど、ていうか嬉しいけどさ。
パンケーキにも唾液入ってるのか。……もしや、血とか入れてないよな?
「パンケーキの方は?」
「血を入れたよ」
予想的中だぁ! 血が入ってようがなんだろうが構わないけど、愛菜之がケガするのは気が引ける。
心配そうな目で見つめていると、愛菜之はくすくす笑いだした。
えへえへ笑ったりくすくす笑ったり、可愛いったりゃありゃしない。
「冗談だよ。血を入れたら晴我くんが病気になるかもしれないでしょ?」
「それよりも、愛菜之がケガをすることが嫌なんだよ」
「注射器で抜くなら傷はあまりつかないよ?」
「……何にしても、血はダメ」
血は怖いからね、見るのも流すのもね。
愛菜之がパンケーキを一口サイズに切って、俺の口に入れようとした。
「髪の毛なら良い?」
「ダメ」
短く否定して、向けられたパンケーキを食べる。
どろりとも、ザラザラともしてなくて安心した。
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