第68話

夜ご飯はとても豪華だった。まさか鯛の生け作りを生で見ることになるとは思わなかった。洗練された料理は、ある種の芸術作品なんだと聞いたことがあるが、まさにその通りだと思った。

高校生の身分でこんなにもいい思いをしてしまっていいのかと、どこか申し訳ない気持ちが湧いてくる。それほどに、この旅館での暮らしは豪華だ。


俺のお願いの通り、愛菜之は口移しでご飯を食べさせてくれた。愛菜之の唾液が、愛菜之の成分が、俺の血となり肉となることが、嬉しくてたまらない。氷を手の熱で溶かすように、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて、ご飯は減っていった。


「これはまずいって……」

風呂の煙に視界がぼやける。そんな中でも、愛菜之の白い肌は月光に照らされているように見える。

「何がまずい、の? んんっ……」

声を漏らす愛菜之に、俺は視線を向けることができない。霰もない姿、そして俺の体を肌で洗う愛菜之。

しかも肌で洗うといっても、いつもみたいに胸を押し付けて洗うのでもない。愛菜之の太ももに挟まれた腕。柔らかくて、もちもちの太もも。

愛菜之は体を前後に揺らして、腕を太ももで擦り洗う。

「刺激が強すぎるって……」

「ほんと? それなら、んっ……良かった」

「良くない……」

愛菜之の大事な部分に、俺の腕がふれそうになっている。触れないようにできる限り腕に力を入れるが、それがかえって腕を震わす。

「力抜いて? 当たっても、ふぁっ……えへへ。大丈夫、だよ?」

そう言われて尚更腕に力が入る。太ももに腕が触れているだけでそんなに甘い声を出しているのに、当たっちゃダメに決まってるだろ。

手錠が外されたから何事かと思ったが……こんなことをされるとは。

「気持ちいい?」

「気持ちいいけど、普通に洗ってくれ」

「胸の方が好きだった?」

「胸も脚も好きだけど普通に洗ってほしいの」

もう言い訳もせずに性癖を暴露する。愛菜之の前じゃ隠すだけ無駄だし。

お願いを聞いてくれたのか、愛菜之は洗う用のタオルで背中をゴシゴシと擦ってくれた。やっぱり普通が一番だよね!

「晴我くんに触りたい……」

「たまには我慢」

布一枚の隔たりくらいは我慢していただきたい。俺だって愛菜之に触れたくてしょうがない。けれど触ったら、絶対に我慢できなくなる。

毎日してたから多少なり、体力はついている。けれど最近の激しい交じり合いのおかげで、体力は底をつきかけている。そんな中でも理性はなくなりかけてるし、愛菜之に欲をぶつけたくてしょうがない。これ以上、愛菜之と交じり合えば体力は保たないだろうに。

「ひょおっ!?」

耳に息を吹きかけられて、情けない悲鳴をあげてしまった。咎めるように後ろを振り返ると、ちょうど目の前に愛菜之の顔があった。

水が綺麗な頬を伝う。しっとりと濡れてカーテンのようになっている黒髪が美しい。

小首を傾げ、愛菜之はからかうような瞳で見つめてくる。

「キスしてくれるの?」

「しない」

ジト目を送りつけながらそう言い返す。こんなに近いと愛菜之の肌の熱を感じてしまい、胸が不規則に弾んでしまう。

逃げるように顔を前に戻す。冷水でも浴びて頭を冷やしたい気分だ。

「しようよー」

「ダメ」

キスなんてしたら本当の本当に我慢が効かなくなる。そもそも体を洗われてるだけでも、理性は悲鳴をあげてるんだ。

「ひょっ!?」

今度は何があったかと言うと、胸で体を洗ってきました。ダメだと言ったろうに!

「ちょ、ダメだって言って……!」

「キスしてくれないからです」

「後で好きなだけしていいから! 口でも首でも鎖骨でもどこでも!」

勢いに任せて言い切ると、愛菜之は 「やった!」 と、嬉しそうに体を離して、タオルで擦るのを再開してくれる。やっぱり普通が一番だな……。




危うくのぼせそうになった。ちゃんとビシッと言わなきゃ、いずれのぼせて倒れそうだなぁ……。

「んーってして。んー」

「んー」

ピチャピチャと水音が鳴る。俺の頬を愛菜之が手のひらで包み込む。

今、何をしてもらってるか。別に大したことじゃなく、化粧水を塗ってもらっているだけだ。

しかし、化粧水を塗ってもらっているだけだと言うのに、なんだか変な気分になってくる。こんな至近距離で、顔を手でペタペタ触られる。親しい人だけしか入れない領域というものが人にはあるが、そこに入った上に、顔という大切な部分に触れる。

ドキドキして、恥ずかしくて、けれどあたたかい。

「くすぐったい」

「ちょっとだけ我慢して? お肌は大切にしないと、乾燥したら痛いよ?」

「それはやだな」

お肌がガサガサだと、愛菜之に頬擦りができなくなってしまう。それに、愛菜之にこうして触れられるのは幸せだし、気持ちいい。

目を瞑って愛菜之にされるがままになっていると、ほっぺたをぷにぷにされた。化粧水を塗ってるんじゃ……。

「モチモチだね。可愛い、すきだよ」

「ほっぺたが? 俺が?」

「どっちも大好き」

そう言って、愛菜之はほっぺたをぷにぷにするのをやめない。痛くもないし、気持ちいいまであるんが、恥ずかしさがどうしても拭いきれない。

「大好き、大好き大好き。晴我くんは私にとって大切な人だよ。ずーっと大好き」

「…………照れる」

ほっぺたぷにぷにをされる距離───ちょっと顔を前に出すだけでキスができる至近距離で、こんなに愛を紡がれるのは刺激が強すぎる。恋する乙女になってしまう。

「ほんと? もっと照れて? 私、晴我くんが照れてるところも大好きだよ」

そう言って、鼻先を俺の鼻先に合わせた。スリスリと頬擦りならぬ鼻先擦りをしてくる。その間も、ほっぺたのぷにぷにが止まることはなかった。

「ずっとこうしてたいなぁ。いつでもキスできるくらい近くて、晴我くんの存在とか、あたたかさを感じられて、私にとっての天国だよ」

「俺に取ってはツラいのよ」

「私と鼻先触れるの、やだ?」

「そういうことじゃなくて、恥ずか死ぬんだって」

わかって言ってるだろ。質悪いなぁ……可愛いなぁ……。

「恥ずかしがってるところも好き。もう全部全部好き!」

顔から手を離して、今度は力いっぱい抱きしめてくる。別にそんなに痛くもないし、ていうか柔らかくて、いい匂いして幸せだけど、散々好き好き言われて抱きしめられると恥ずかしい。

「ね、シよ? 繋がりながら、一緒に年を越したいな」

「つけないで?」

「うん!」

そんなに元気よくお返事されても困る。……でも、つけないでするって約束したしなぁ。子どもの名前を今からでも考えとくかね。

「その、なんで今日と明日はつけないでシたいんだ?」

愛菜之につけないでシたいと言われた時から、理由を聞きたかった。確かにこれまでも、つけないでシたことはある。その時の愛菜之は、子どもが欲しいから、という理由があった。

けれど今、子どもが出来ないようにできる限りの配慮をしている。単純につけないでシたかったと言われればそれまでだが……。

「……そ、その、姫おさめと姫はじめって知ってる?」

抱きしめるのをやめて、顔を真っ赤にしながら愛菜之はそう聞いてくる。姫おさめと姫はじめ? 聞いたことがない。

首を傾げると、愛菜之はもじもじしながら答えてくれた。

「その、年の終わりと始まりをシながら迎えるの」

「ほえー……。なんか、縁起がいいとかあるのか?」

「な、ない……」

ないのか……。別に縁起が良かろうが悪かろうが、愛菜之と繋がれるならなんでもいいが。

「で、でもね? そういう縁起とか関係なくても、私は年を越えるのも迎えるのも、晴我くんの一番近くがいいなって思ったの」

うわー、すぐ嬉しいこと言う。なんでそうやってすぐにキュンキュンさせてくるんだよ。

嬉しくなって思わず愛菜之を抱きしめる。手錠をかけられていたから、久しぶりに抱きしめられたように感じる。たったの数時間なのに、と自分を笑ってしまう。

「は、晴我くん?」

「俺も、愛菜之と繋がりながら年を越えて、迎えたい」

「ほ、ほんと?」

「ていうか、絶対にシたくなった」

彼女にシたいと言われてシない男などバナナ無しである! 愛菜之の寂しそうな顔なんて見たくないし、拒むことなんてしたくない。

それに、俺自身も愛菜之と繋がりながら大事な日を迎えたい。

自分の思い出を、愛菜之の思い出を作りたい。

「ぜ、絶対? そんなに私と繋がりたいの?」

「絶対。愛菜之が嫌じゃないなら今か……」

「今からがいい!」

前のめりになりながら、愛菜之は俺の手を取る。合わせて、組んで、握って。

その手の温かさが好きだ。目の前にある綺麗で、可愛い顔も好きだ。大きくて少し潤んだ瞳、仄かにピンク色に染まった頬、何度も重ねてきた唇。

全部、全部好きだ。

「今からシたいの。いっぱいして、疲れたら二人で繋がったまま寝ちゃって、起きたら一緒にお風呂に入って、一緒にご飯を食べて、それで、それで……」

愛菜之に笑顔を向けたまま、俺は言葉を待つ。頭を撫でてあげると、嬉しそうに、安心したように微笑んだ。

「……それで、それで」

撫でる場所を頭から頬に変える。くすぐったそうにしながら、頬を手に擦り付けてくる。

不意に俺の手を取り、自分の胸に当てた。安らかな鼓動を、手のひらに感じる。

「二人で、幸せになりたい」

手のひらの鼓動は、相変わらず安らかだ。けれど俺の心臓はそれとは反対に、ドクンドクンとうるさく音を立てる。

また、今日も愛菜之に恋をした。


布団の上で、口を重ね、肌を重ねる。混じり合う唾液や、触れる髪の毛のくすぐったさ、熱い吐息も、全部全部愛おしい。

時計の針が十二を指す。針は変わらず進み続ける。

流れる時間も、何もかもを忘れていた。


俺たちは、幸せをひたすらに感じあっていた。

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