第66話

サンドイッチは美味しかった。魚フライが挟んであるサンドイッチだったり、お馴染み卵サンドやハムチーズレタスサンドも上品な味わいだった。

「愛菜之、お茶飲ませて」

「はーい」

青色のデザインの湯呑みに入ったお茶を口に含み、俺にキスをする。

ちょうどいい温度の、少し渋めのお茶と愛菜之の唾液。

愛菜之の匂いに脳が侵され、視界も愛菜之の顔に埋め尽くされる。

舌を入れる必要もないのに、舌を入れて執拗に絡めてくる。

今日一日、ずっとこんな感じなのだろうか。

それでもいいと思ってしまえるあたり、やっぱり俺は愛菜之に溺れている。

口を離した愛菜之は、俺の口の端に走る雫を舌先で舐め取った。

愛菜之が離れることが、とてつもなく残念に感じる。手錠をかけられ、愛菜之がいないと本格的に何もできない体になってしまった。

だからか、少し子供じみた、甘えたお願いをしてみたりしてしまう。

「……抱きしめてよ」

「っ! うん!」

ぎゅうぅぅっという擬音が似合いそうなくらい、力強く抱きしめてくれた。

大きな胸に顔が埋まる。愛菜之の甘い体の匂い。手が使えない今、体や顔でしか愛菜之が感じられなくて、もどかしく、なんだか物足りない。

もっと愛菜之を感じたくて、顔を擦り付けてみる。

「ンッ……えへへ、恥ずかしいよ」

恥ずかしいとは言いつつも嬉しそうな声色だった。俺の頭を撫でながら、愛菜之はあやすように「大丈夫」 と言ってくれた。

愛菜之の温かい抱擁に、身体も心も溶けていく。愛菜之は、俺の自由を奪っている張本人なのに。

「あのさ、なんで急に手錠つけてきたの?」

「晴我くんのこといっぱい愛したかったからだよー」

少し間延びした口調で、起きたばかりに聞いた理由と同じ理由を話す愛菜之。

でも、それなら手錠なんていらないはずだ。いつも通りに愛してくれればいいんだから。

「愛してくれるんなら、手錠は別に必要ないんじゃ……」

「私にとっては、手錠が愛の形なんだよ」

そう言われれば、それまでなんだが……。

もしかして、愛菜之って俺のことを束縛するのが愛しているつもりなんだろうか。

実際、俺はそれで愛を感じているから正解なんだろうが……。

「愛菜之ってさ、もしも俺が他の女の子のとこに行こうとしたらどうする?」

「え?」

俺がそんなことを聞くのが以外だったのか、目をまん丸にして驚いていた。

けれどすぐに表情は無くなり、抑揚のない声で愛菜之は聞いてきた。

「私以外の女のところに行こうとしてる、の?」

「行くわけない。俺は愛菜之一筋」

「えへへ」

慌ててそう言うと、愛菜之はにへーっ、と笑って喜んでいる。

可愛いなぁなんて思いつつ、愛菜之の見せた黒い表情に胸を焼かれていた。

愛菜之の見せる嫉妬の表情。その奥には、殺意が蝋燭の火のようにゆらゆらと燃えている。

人を殺めてしまいそうになるほど、俺のことを好きでいてくれている。これを幸せと呼ばないでなんと呼ぶんだ。

「もしもの話だよ」

「……うーん」

可愛く首を傾げ、考えたあとで微笑みながら答える。

「晴我くんのこと、もっともーっと縛ってあげたくなっちゃうな。それこそ、私がいないと何もできないくらい」

「……俺の腕、切り落としたりとか?」

なにかの小説で読んだことがある。好きすぎるあまり、恋人の腕を切り落とし、自分の支配下に置く。

怖すぎだろ、なんて思っていたが、今は愛菜之にならされてもいいなんて考えている自分がいる。

……いやまぁ、流石にそんなことしないと思うけど。愛菜之は優しいからそんなことしないと思うけど。

愛菜之が手錠で縛りつけてくるのは、もしかしたら俺の腕がなくなったときの予行演習なんじゃないのか。なんて考えをしてしまった。

「そんなひどいことしないよ?」

愛菜之はあっさりと否定する。……良かった、冗談抜きで良かった。

ホッとした弾みに、体の力が抜けていく。愛菜之の胸に更に顔が沈んでいった。

「手が使えなくなるのは困るから、良かったよ」

「どうして?」

「え? 抱きしめられないから」

さも当たり前のように答えると、愛菜之は俺のことを激しく抱きしめた。

「私のこと抱きしめたいんだ……可愛い、大好きだよ、大好き……」

「むぐ……」

愛菜之の胸にまた、顔を埋めさせられる。

可愛くないっての……。そう抗議するように、口をむぐむぐする。けれど愛菜之は好き好き言いながら、俺のことを抱きしめたままだ。

たぶん、何を言っても聞いてくれなさそうだ。ここは割り切ろう。

俺も深呼吸をして、愛菜之の匂いを嗅ぐ。温かく、すべすべの肌。匂いを嗅がれるなんて普通なら嫌がるだろうに、愛菜之は嬉しそうに声を漏らすだけだった。

「私の匂い、好きなんだ? えへへ、もっと私で満たされて?」

まるで風呂に入っているみたいに、暖かくて、ホッとする。

愛菜之にもっと触れたいのに、愛菜之をもっと感じたいのに。腕が使えない今、俺は体のありとあらゆる部分で愛菜之を感じようとしていた。

「私から離れられないように、私で満たし続けてあげるね」

すりすりと体を擦り付けてきて、愛菜之の体の柔らかさが身に染みる。

愛菜之のことしか考えられない。もう愛菜之の事以外考えたくない。

「愛菜之」

「うん」

「……シてほしい」

こんなこと、俺から頼むことはあっただろうか。今まで、愛菜之がしてくれること受け入れているだけだった。だから、改めてこんなお願いをするのは恥ずかしくてたまらなかった。

「……晴我くんから、シてほしいってお願いされた」

愛菜之は真顔でポツリと言う。気持ち悪かっただろうか。やっぱり、こんなお願いをするのは……。

「私にシてほしいって、お願いしてくれた……」

「嫌ならいいんだ。ごめ───」

愛菜之は俺の口をふさぐ。自分の口を重ねることで。

これはきっと、オーケーのサインなんだろう。

口を離した愛菜之は、よしよしと頭を撫でてくれた。

「謝らないで? 私ね、晴我くんに求められるの、すごく嬉しい」

上着を脱いだ愛菜之は、下着と、白く透き通る肌を露にする。

「晴我くん。今日は、その……」

「どした?」

顔を赤らめる愛菜之は、少し迷った様子でいた。

愛菜之には、遠慮をしてほしくない。だから俺は、背中を押すようにキスをした。

「俺、愛菜之にされることならなんでも嬉しいよ」

「……うん」

柔らかく笑って、愛菜之は意を決したように話す。

「今日はその、つけないでシよ?」

「……それはダメ」

つけないっていうのは、たぶんゴムをつけないでシたいってことなんだろう。

俺たちは今まで一回もつけないでしたことはない。一回だけ……愛菜之の誕生日の時だけ、つけないでしたことがある。けれど、その時だけだ。

「今日のために調整してきたの。シた後もお薬飲むから、何もつけないでシよ?」

どことなく不安そうな顔で、愛菜之は俺から少し距離を取る。

「もしも、もしも赤ちゃんができたらその時は……」

「一緒に育てよう」

その先は言わせたくなかった。表情と声色からするに、きっと良くないことを言いそうだったから。

「俺だけの、俺のことだけを見てくれる愛菜之でいてほしいって言うのも本当なんだけどさ。でも、愛菜之と二人の子供を育てるっていうのも、絶対幸せなんだろうなって思うんだ」

愛菜之と二人で子供を育てる未来を想像する。二人の、可愛くて愛らしい子供。

まだ俺は十六という歳だが、自分の責任は自分で取りたい。愛菜之との間に起こる責任は、全部譲れない。

周りは反対するだろうか。愛菜兎なんかが聞いたら、今度こそ俺のことを本気で殺してきそうだ。

そうだ、猿寺に写真を撮ってもらおう。姉さんは、妹ができたことに喜んでくれるだろうか。

「だから、子供ができたら二人で育てよう。子供と、俺と愛菜之と、みんなで生きていこう」

「……うん、うんっ!」

涙ぐむ愛菜之を撫でて安心させてあげたい。けれど今は、手錠が邪魔をしてできないんだった。

少しでも安心してもらえるように、愛菜之に身を寄せた。

「でも、つけないでするのは今日だけだぞ。愛菜之の体に負担かけたくないんだ」

「……今日と、明日だけ」

「今日と明日だけ、な」

なんで今日と明日に拘るのかはわからないが、愛菜之の言う通りにさせてあげたい。

なんてのは半分言い訳で、本当は俺も愛菜之とゼロの距離で繋がりたかった。

つくづく甘いと思うが、責任は取るつもりだし、愛菜之となら何があっても幸せに生きていける。そんな気がする。

「じゃあ、シよっか。全部、私に任せて」

「お願いします」

「敬語になってるよ?」

愛菜之は俺に、ふふっ、と笑う。


彼女の優しい笑顔と、暖かく柔らかい身体に包まれる。

ひたすらに幸せを感じながら、時間は過ぎていった。

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