第64話
腹ごしらえも終えて、ようやく観光へ向かう。
電車に乗って数分。最初に向かった場所は海だった。
広くて綺麗な海が有名で、海だけで一つの観光スポットとして成り立っている程らしい。
あまり海は見たことがない。そもそも俺はインドア派だ。インドアの方が遠慮なくイチャつけるし、外に出るのがなんでか億劫に感じる。
ようやく海に着いた。冬の海はやっぱり寒い。
はずなんだが、左腕だけはやたらと暖かい。まぁ、理由はお察し。
「どうしたの?」
小首を傾げて、笑顔を俺に向けてくる愛菜之。可愛い可愛い彼女さんはいつも通り、俺の腕を抱きしめている。
「寒くないかなって思ってさ。大丈夫か?」
「うん。マフラーもしてるし、晴我くんの腕もあったかいから大丈夫」
そう言って腕を抱きしめる力を強めながら、ぬくぬくとマフラーに口元を埋めた。
愛菜之からもらった二人用マフラーは、もらって以来ずっと仕事をしてくれている。寒さから守ってくれる役割と、二人を繋ぐ役割を。
「晴我くんは寒くない?」
「愛菜之と愛菜之がくれたマフラーのおかげで、あったかいくらいだよ」
そう言って笑って見せると、愛菜之も嬉しそうに笑った。
人が思ったよりも多い。あまり人混みは好きじゃないが、今はありがたいと感じる。引っ付ける理由になるから。
日の光を反射する海は、まるで大きな鏡のようだった。
そんな海を眺めながら、ふと考える。
左腕を抱きしめるこの子と、どこで出会ったのだろうと。
愛菜之が言うには、三年前……つまり、俺たちは中学生の頃に会っているらしい。
中学生の頃はどんな風に過ごしていただろうか。思い出そうとしても、うまく思い出せない。この一年間に色々ありすぎた。
理由はそれだけじゃないと思う。中学生の頃の記憶の大半は、後輩のことで占められている。単的に言えば、めちゃくちゃうるさいヤツだった。俺が通ってる高校に行くとかなんとか行ってたけど、本気かね……。
そんな感じの、ある意味では充実した中学生生活をしていたわけで。そして高校生になってからの生活も充実している。
忘れるのも無理はない……なんて言いたくはない。
愛菜之のことを忘れるなんて、愛菜之の恋人失格だ。目の前の海に身を投げてやろうか、なんて思うくらいだ。
「晴我くん?」
そんな風に考え事をしていると、愛菜之に呼ばれた。
現実に引き戻されて、改めて頬に潮風の冷たさが突き刺さる。左腕には、相変わらず暖かさを感じる。
「ん? どした?」
「なにか考えてそうだったから……どうしたの?」
「今日の晩御飯のこと考えてた」
適当な嘘をついて、考えていたことを頭から消した。
思い出せないものはどうやっても思い出せない。仕方ない、なんて諦めはしたくなかったが、手段がないならどうにもならない。
「……うそつき」
「晩御飯も魚系だったら嬉しいけどな」
愛菜之が言っていることは聞こえないフリをした。
本当のことを言えば、愛菜之はきっとどこで出会って、どんなことを話していたかも教えてくれるだろう。けれど、俺は自分で思い出したい。
自分で思い出さなきゃ、愛菜之の恋人として面子が立たないだろう。
結局は、ただの意地だ。
海でひとしきり写真を撮ってはしゃいで楽しんだ。
愛菜之単体の写真を撮ろうとしたら、また頬を膨らませていた。なんでそんなに嫌がるんだ……。
「愛菜之は一人の写真、撮られるの嫌なのか?」
今まで聞いたことがなかったから、次の観光地に向かうまでの間に聞いてみた。
「嫌じゃないけど……晴我くんに撮った写真を見られるって考えたら、色んな準備しないといけないから……」
「準備?」
準備……心の準備的な? いついかなる時も可愛いからいらないと思うんですけど。
「心の準備したり、良い表情をしたり、あとはお洋服とか……」
「顔も服も可愛いし似合ってるぞ?」
「そ、そういうことじゃなくて……」
愛菜之は頬を赤くしながら、少し頬を綻ばせる。そういうところが可愛いんだって。
「晴我くんはその写真を、また後で見返すでしょ?」
「まぁ、そりゃね」
見返すっていうか、舐め回すように見るぞ。しかもスマホのホーム画面とかにもしちゃうぞ。
写真のフォルダなんて愛菜之が八割を占めているくらいだ。
「だからね、その写真を良いものにしたいの。映りが悪かったら申し訳ないし、もしかしたら変な表情してたり、服にシミがついてたりするかもしれないから」
「なるほど」
まぁ確かに、半目とかの写真撮られたら恥ずいよな。どんな美人でもブサイクな瞬間はあるらしいし。
愛菜之は全てにおいて可愛いし美人だし綺麗だけどな!
「それに、写真を見返してその時のことを思い出すでしょ? あの時はこんなことをしたなって、あんなことがあったなって」
「確か、に……」
……そういえば、中学生の頃の写真が残ってたかもしれない。帰ったら探してみるか。もしかしたら、写真を見て思い出すかもしれない。
「ね? だから、急に撮ったらやだよ?」
「うーん……」
だってなぁ……。ふとした瞬間が可愛いんだもん、あなた。
あーんをされて、嬉しそうにしてるところとか、キスをした後のデレデレな顔とかな。
「ダメだよ?」
「うーん…………」
「ダ、メ」
「ううううーん……」
俺がそうやって渋ると、愛菜之もむぅむぅ言い出した。
ほら、そうやって可愛いことするから写真撮りたくなるんだよ。もう動画の方がいいか、これ。
ていうか、愛菜之だって俺の寝顔取ってたじゃん。スマホのホーム画面が俺の寝顔なの、前々から気になってたんだよ。
「愛菜之も俺の寝顔、撮ってたじゃん」
「……むぅ〜」
「むぅ〜じゃないよ」
この可愛い子ちゃんめ。誤魔化そうとしてるな?
別に寝顔撮るくらいならいいけど、壁紙にまでされるとさすがに恥ずかしいんだよ。
「俺だって愛菜之の寝顔の写真が欲しい」
「ダメ」
「愛菜之は俺の寝顔の写真持ってるのに?」
「だって、晴我くんの寝顔可愛いだもん」
どこがやねん。加工もしてないからマジのガチの無防備な寝顔写真だし、どこが可愛いんだ。
「愛菜之の寝顔だって可愛いよ。壁紙にしたいくらい」
愛菜之の寝顔、一回した見たことないけどな。
確か、体育祭の時の愛菜之が倒れた時だったかな。本当に、その時くらいにしか見たことがない。
しかも、その時は焦っていて寝顔を見てなんていられなかった。ただただ無事を祈っているのに必死だった。
ということで、俺も愛菜之の寝顔を撮りたい! おなしゃす!
「今日の夜に寝顔十枚……三枚だけでも撮らせてくれ」
「……私のお願いも、聞いてくれるなら」
「わかった。なんでも聞くよ」
気軽になんでも聞く、なんて言っちゃいけないらしいが、愛菜之にされることはなんでも嬉しいから気軽に言ってしまう。それに、愛菜之は俺が嫌がることはしないしな。
そしてまた、電車に揺られること数十分。
次に着いたのは、とある神社だった。
「んで、ここの神社って有名なとこなのか?」
ここに来たいと言い出したのは愛菜之だった。
観光スポットを各々、スマホで調べていた。その時、愛菜之が目を輝かせて喜んでいたのを横目に見た。
まさか、ここのことだとは思わなかった。てっきり、何かパンケーキとかスイーツの類かと思っていた。
「うん。縁結びの神社でね、ここに参拝しに来た恋人は絶対に、どんなことがあっても別れなくなるんだって」
「へぇ……」
なるほど……。まぁ、別れるつもりもないし離れるつもりもないけど。
それでも、二人の関係が強固なものになるのなら嬉しい。それに、愛菜之がもっと束縛しようとしてくれることが幸せすぎてノリ気ですらある。
「じゃあ、御守りも買わないか? 記念にもなるし……」
本当は俺が欲しいだけだが、素直に言えない。
愛菜之と離れたくないから、御守りが欲しい。なんてことを言う弱い自分を見せたくない。そんな、面倒くさい意地を張りたくなるお年頃なのだ。愛菜之の前では、もう意地も何もないようなものなのに。
「うん。そしたら、もっともっと離れられなくなるもんね」
愛菜之としては、俺がお守りを買いたいと言い出したのはとても嬉しかったようで、ニコニコと微笑んでいる。
口ぶりからもきっと、俺の本心に気付いているのだろう。けれどそれを言わないあたりが愛菜之の優しさで、好きなところだ。
「学校の鞄につけちゃおっと。えへへ」
今から御守りを買いに行くのに、もう買った後のことを考えている。でもそうか、鞄につけても不自然じゃないな……。俺もつけようかな。またなんか周りに冷やかされそうだけど。
日頃の感謝とか、旅館のチケットのお礼的な意味で御守り代を二人分出した。やっぱり愛菜之は、申し訳なさそうに謝ってくる。そこはありがとうって、言ってもらいたいとこなんだけどな……。
「晴我くんが稼いだお金なのに、私のために使っちゃもったいないよ」
「愛菜之が喜んでくれるんならもったいなくなんてないぞ」
愛菜之も愛菜之でまぁまぁ自分を下げるようなこと言うな……。
俺にとっちゃ愛菜之が全てで、愛菜之が喜んでくれるならなんでもいい。愛菜之のためならバイト代も全部出せる、つもりでいる。
「私、お金はいっぱいあるから大丈夫だよ?」
「でもまぁ、日頃のお礼ってこのくらいしかできないし……」
俺が何かしようと思っても、愛菜之は大体のことを俺以上に上手くやれる。だから俺の出る幕なんてなく、
何かしようとしても迷惑になるだろう。
ていうか、なんで愛菜之はそんなにお金があるんだ? 愛菜之母がお嬢様とか言ってたけど、それが関係するのだろうか。
「晴我くんは私の隣にいてくれるだけでいいの。私の隣にずっといてくれるなら、何しなくていいんだよ? 将来、働かなくても私が養うよ?」
「いやいやいやいや」
流石にそこまでは……。
でも、愛菜之に甘やかされまくる生活か……。やばい、想像したらめちゃくちゃ良いとか思ってしまった。愛菜之に甘えん坊ってよく言われるけど、否定出来なくなっちゃう。
「さすがにそこまでは申し訳ないっていうか、メンツが立たないしさ……」
「周りなんてどうでもいいでしょ? 私たちの世界には私たちしかいないんだよ」
私たちの世界……? いや、世界には人が億の単位でいますって。
でも、世界に俺たち二人だけになったらどんなに幸せだろう。愛菜之を誰かに取られる不安もないし、周りの目なんて気にしなくても良いし、どこでも好きなだけイチャイチャできる。
「だから、晴我くんは周りなんて気にしないで良いんだよ。お金を私のために使わなくてもいいし、私に養われて、甘やかされていいんだよ」
「養われること決定してんの……?」
正直、養われたい。けど養われたくない。
周りを気にしなくていいと言うが、養われるまで行くと流石にダメだと思います。
「……ほんとに辛くなったら、愛菜之に甘えて養ってもらうよ」
「うんっ。でも、辛くなっちゃう前に言ってね? いっぱい癒してあげるからね」
今でさえ癒されてるのに、そんな贅沢いいんだろうか。まぁ、辛くても愛菜之がいてくれるなら頑張れるだろうし、養われることはない……と、思う。
「ま、お金は出させてもらうけどな」
「いいって言ってるのに……」
このくらいでしか、俺は愛菜之に恩を返せないんだ。他の方法があるならそっちでも返すけど、今のところそんな方法は見当たらない。
この後、一緒に引いた恋みくじを愛菜之の分まで払ってあげた。
「いらっしゃいませー」
店内に声が響き渡る。それに追随する形で色んな方向から、いらっしゃいませの声が聞こえてきた。
高級な雰囲気を醸し出す店内の音楽、色とりどりの鮮やかな陶器。
俺たちは、陶器を見にきていた。
というのも、ここは陶器の有名な産地らしい。ここもやっぱり値段は張るが、良いものって感じがする品々が並んでいる。
「ねぇねぇ晴我くん。夫婦湯呑み、あるよ」
商品を指さす愛菜之に言われて見てみると、青でシンプルなデザインが施されている湯呑みと、赤でシンプルなデザインが施されている湯呑みがあった。
値段は……ギリギリ手が出せそうな値段。やばい、欲しくなってしまう。
いや、でもなぁ……。この前ペアマグカップを買ったばかりだしなぁ……。
「これください」
「愛菜之さん!?」
いつの間にやら店員さんを引きつれ、夫婦湯呑みを買おうとしていた。
「待って待って待って。お金は?」
「あるよ?」
あるの!? なんでだ!!
いくらお金があるからって、そんなにポイポイ使ってたらダメだって言ってるでしょうに!
「晴我くんは、夫婦湯呑み欲しくないの?」
「欲しいけど……」
正直めちゃくちゃ欲しいけど! 欲しいけども!
ああもう、しょうがない。愛菜之はもう買う意思を変えようとしないだろうし、せめて割り勘で。
そんな感じでちょっと焦りはしたが、無事夫婦湯呑みを買えた。店員さんになんか言われるかと思ったけど、何にも言われなかった。売上に繋がるならなんでもいいのかね。
愛菜之が嬉しそうに湯呑みが入った袋を持っている。まるでおもちゃを買ってもらった子供みたいで微笑ましい。
愛菜之はその笑顔を俺に向けた。
「夫婦の証だね」
「別に湯飲みがあろうとなかろうと夫婦だぞ?」
「そうだけど、こういうのがあると嬉しいでしょ?」
確かにねぇ。俺たちはまだ結婚できない年齢だから、こういうのがあると余計に嬉しくなっちゃうんだよな。
「私たちは夫婦、私たちは夫婦。えへへ」
鼻歌を歌う愛菜之は、スキップするような足取りだ。本当に嬉しいんだろうな。
そんな愛菜之が、直視できなくて困っちゃうくらいには可愛かった。
「お手ができるのか? 賢いなぁいい子いい子」
「むぅ……」
で、次に来た場所だが。
俺が来たかった場所はドッグカフェだ。俺たちが住んでる場所の近くには、生憎ドッグカフェなんて素晴らしいものはなかったので、行ってみたいとずっと思っていた。
ほぼ一人暮らしで犬なんて飼えないし、最近のペットショップは犬と触れ合えないからめちゃくちゃ嬉しい。やっぱり動物は犬に限ります。
「んわぁお腹見せてこのっ、可愛いなお前」
死ぬほど気持ち悪い声上げちゃったけど、わかってほしい。犬を前にするともう可愛くて可愛くて仕方がなくて、声が上擦っちゃうんだよ。
「ちょ、顔舐めなさんな。わ、くすぐったいって!」
「むぅぅぅ…………」
さっきから背中に痛いくらい視線が突き刺さってるけど、犬を愛でるのに忙しい俺は気付けていなかった。いやほんと滅多に触れ合えないからね、しょうがないといいますか。
「ほら、お手。お手は?」
お座りをしている柴犬に手を差し出す。しかし俺の手に乗っかったのは、白く透き通るような綺麗な人の手だった。
「……ずるい」
「え?」
その手の主は、頬をぷっくり膨らましていた。
柴犬がご飯に呼ばれて駆けていく中、俺はただ困惑していた。
「私だって、晴我くんによしよしされたいもん……」
「あ、あー……よしよし?」
困惑しながらも愛菜之の頭を撫でる。犬にまで嫉妬するのか? 嬉しいけど、何もそこまで……。
「晴我くん、ワンちゃん好きだよね?」
「え? うん、好きだけど……」
「じゃあ、これも喜んでくれるよね?」
そう言って愛菜之は、タートルネックの襟元を指で下げた。
そこには、昼間に見た赤色の首輪があった。
「ご主人さまは私のこと、よしよししてくれないの?」
「や、する。するから一回それ隠して……」
「よしよしと、ぎゅーと、チューしてくれないの?」
「するって。するから隠しなさいなそれを」
「チューして?」
「するから!」
ええい、聞かん坊の甘えん坊だなこのワンコは。可愛いったらありゃしない。
半ばヤケクソ気味にキスをする。幸い、ちょうど店員さんは犬にご飯をあげていて、こっちを見ていない。他の客は犬と戯れることに必死だ。
「……ご主人さまにしてほしいこともあるけど、したいこともあるの」
これ以上に何かまだあるっていうんですか。さすがに勘弁してほしい。
「もちろん旅館に帰ってからだから、お願いですわん。ご主人さま」
「わかったよ……」
「じゃあ、帰ったらご主人さまの体ぺろぺろさせてね」
軽率にわかったとか言うんじゃなかった! 俺のせいです! あーあー!
そこにちょうどよく現れたさっきの柴犬が、まるで慰めのように俺の顔をぺろぺろしてきた。俺の顔、そんなに美味しいか?
愛菜之がまた、むぅむぅし始めたのは言うまでもない。
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