第54話

家に帰ってきた。さっきまでのことは忘れたい。

愛菜之にあんなところを見せて、愛菜之を拒絶するような素振りをして。

自己嫌悪に苛まれ、後悔の念が背中を駆け巡る。所詮自分はこんなもんか。

迷った挙句に愛菜之に縋る。愛菜之に縋りついて、ようやく立てている。

俺は、愛菜之の重荷になんてなりたくない。

ならないように、なれるだろうか。


「おかえり」

母さんの声を受けながら、リビングに入る。買ってきたものをテーブルに置いて、ふぅ、と息を吐いた。

「寒かったでしょ。大丈夫?」

「大丈夫です」

俺の代わりに答えてくれた愛菜之に感謝する。今、普通に会話するのもできるか怪しい。

口を開けば罵詈雑言が飛び出てしまいそうだ。余計なことをするな、関わるな、と。

「今日はどうする? 帰りたかったから車出すけど」

それとも、とニマニマした顔で俺と愛菜之を見てから、からかうような口調で言う。

「晴我と離れたくないなら、泊まってく?」

「ぜ、ぜひ!」

からからつもりだったろうけど残念だったな、愛菜之はこういう子だ。

その返答を聞くと、母さんは分かっていたかのようにうんうんと首を縦に振った。

「やっぱり仲良しだねぇ。ま、今日はあんまりいかがわしいことしちゃダメだよ」

「いかがわしいことって……」

そんなことするわけないだろ、とばかりに鼻で笑ってやる。

だが、母さんはニマニマした顔をやめない。愛菜之はどこかよそよそしい。

なにかおかしいと思い、愛菜之に耳打ちで聞いてみる。

「……母さんになにか言った?」

電話は後半から聞いていなかった。これ以上は聞きたくないと感情に任せて切ってしまったから。

愛菜之は困ったように目を泳がせると、目を逸らしたまま俺に言った。

「えと、私と晴我くんがどこまで進んでるか言っちゃった……」

「…………」

どうして。どうして……。

ということはつまり、俺と愛菜之が体の関係を持っていて、その上結婚まで誓い合っているということを母さんは知っている、わけで……。

いかがわしいことは全くしてませんよ、みたいな面してた俺赤っ恥ですが。道理でニマニマ笑いもやめないわけだよ……。

「ダメだった……?」

「いや、いい。いいんだ……」

あれだろう、きっと愛菜之にも考えがあって言ったんだろうそうだろう……。

「正直に言うべきかなって。そういえば、電話聞いてなかったの?」

「ああいや、ちょっと諸事情で……」

嫌になって途中で切ったなんて言えない。でもまぁ、切ってて良かったかもな……。きっと外で恥ずかしさにのたうち回ってたろう。そんなの変人でしかない。

「一応聞いときたいんだけど、どこまでのことを言ったんだ?」

「えと、け、結婚を誓い合ったってとこまで……」

なんで少し照れてるんだよ。あーもう可愛いな。

俺と愛菜之がどこまで進んだかはもう丸わかりってわけか。その上で、泊まることを許可するってわけね。

「内緒話してないで、お風呂入ってきたら? 愛菜之ちゃんと晴我、どっちか先に入っちゃって」

「じゃあ愛菜……」

「晴我くん、先にいいよ」

ん? いや、女の子が先に入るべきでしょ。俺の残り湯とかも嫌……愛菜之の場合は嬉しいんだっけか。

とにかく、俺のせいで外に出て体が冷えちゃったんだから愛菜之から先に入らせなきゃ。

「愛菜之から入りなって。体、冷えてるだろ?」

「それを言うなら晴我くんのほうが外に出てる時間が多かったんだから、晴我くんから先に入らなきゃダメだよ」

いや、でもさぁ……。

母さんの目もあるし、俺から先に入るとなんか言われそうだし……。そもそも母さんがいなければ俺と愛菜之で入れたんだよな。ていうか入りたかった。

あったかいところでイチャつけて、しかもお湯のおかげで肌が隙間なく密着するからいつもより幸せを感じられる。愛菜之に背中を流してもらうのだって、俺が愛菜之の背中を流すのだってしたかったのに。

「晴我くん?」

「……一緒に入りたい」

ボソリ、と本音が漏れてしまう。母さんには聞こえなかったようだが、言われた当の愛菜之は少し困っていた。

「お母様が許してくれるかな……」

母さんが許してくれるかなんて、どうでもいいだろ。

そう言って無理やりでも風呂場に連れて行こうか、なんて考えてしまう。そんなことしたって、母さんに叱られて、愛菜之を困らせてしまうだけなのに。

「今度、今度また一緒に入ろ?」

優しい声で俺を宥める。まるで、子供にするように。

子供じゃない、なんて言えばより子供っぽさが増すだろうか。

じゃあ、なんて言えばいいんだ。

俺は、愛菜之と対等な立場で居たいんだ。

そんな思いとは裏腹に、俺は愛菜之を求めてしまう。求めれば求めるほど、堕ちて、隣になんていられないのに。

「……いいよ」

「う、うん。今度……明日の朝にでも、一緒にシャワー浴びよっか」

気を遣わせた。その事実がまたジクジクと胸を炙る。

「決まった? せっせと入らなきゃさ。時間も時間だし、愛菜之ちゃんのお母さんにご連絡しなきゃいけないしね」

そう言ってポチポチスマホをいじり出し、自室へ入っていった。中からは話し声が聞こえる。他所用の声が。

「……ごめん」

息を漏らすように、声を漏らした。

聞こえなかっただろう。聞こえないでほしい。

「? お風呂のこと? 私は平気だから大丈夫だよ」

どんなに小さな声だろうと愛菜之は聞き逃さない。そんなところに安心しながら、安心する自分に気持ち悪さを感じながら、風呂場に行った。




晴我くん、辛そうな顔、してた。

私とお風呂に入れなかったからかな? それとも、まだ対等な立場がって話を気にしてるのかな。

そんなこと、気にしなくていいのに。

私と晴我くんは常に対等で、好き同士で、恋人で、夫婦で。

晴我くんは、自分に自信がない。

だから、私と対等な立場にいられると思えていない。

あの頃、晴我くんは自分を嫌ってた。私は、晴我くんが晴我くんを好きになれるようにしようとした。

晴我くんは、私に甘えることを拒んでる。

私は晴我くんに、甘えてもらえないのかな。

甘えてくれるほど、頼ってくれるほど、私のことを信頼してくれてないのかな。


…………何を、考えているんだろう。

私が晴我くんを信頼してくれてないのかなんて、考えるなんて、そんなの。

私が晴我くんを信じないでどうする。

こんなことを考えるなんて、そんな自分は要らない。そんな自分は気持ち悪い。そんな自分は死んでしまえばいい。そんな自分は晴我くんに相応しくない。

要らない、気持ち悪い、いらないいらないいらない。

晴我くんを信頼できないなんて、そんな自分は、そんな自分は。


殺してしまいたい。

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