第47話
ジングルベールジングルベール。
この日はこの歌を歌いたくなる。まぁ俺みたい気持ち悪いのが歌うと気色悪いだけだけど。
「ジングルベール、ジングルベール」
そうそう、こういう可愛い声の子が歌うからいいんですね。
で、その可愛い声の子は俺の彼女である愛菜之っていう女の子なんですけど。
「晴我くんといっしょ、晴我くんといっしょ〜」
鼻歌まじりにそんなことを嬉しそうに呟く。ははは、全く困っちゃうなぁほんと抱きしめたくなるからやめてほしい。
公衆の面前でイチャつくのは恥ずかしいし、バカップルに見られそう。俺が馬鹿なのは仕方ないけど愛菜之は違うんで。
抱きしめはしないけど抱きしめられはしてるんだよなぁ……いつも通り、腕をぎゅっとね。
で。今、俺たちはデートをしている。全男が夢見るクリスマスデートってやつだ。夢見てるかは知らないけど。
誕生日にもらったマフラーを二人でつけて、街を歩く。このマフラーも随分体に馴染んできた。
このマフラー、実はつけるのはデートの時だけじゃない。学校に行く時帰る時も二人でつけていた。
その度に冷やかされるわチラチラ見られるわで俺のメンタルはもうゼロよだったが、愛菜之の幸せそうな顔が見られるなら別にいいかな、なんて思えた。
今日は二十四日のクリスマスイブ。大体の人がクリスマスイブに騒ぐけど、クリスマスイブはクリスマス前日なんだから、二十五日のクリスマスの時に騒げばいいのに、と毎回不思議に思う。クリスマスイブの次の日に外見るとみんな大人しいからなんか寂しくなっちゃうんだよな。
まぁ俺の隣には愛菜之がいつでもいてくれるから寂しくないんだけど!
クリスマスデートと言いつつ、実は朝から会っている。俺たちの学校は終業式が二十三日にあるので、クリスマスイブから休みになる。そういうわけで、愛菜之が朝から俺の家に来て、そのまま外でデートというわけだ。
来たっていうか、朝起きたら俺の布団に裸で潜り込んでた。びっくりするし風邪ひかないか心配するし興ふ……照れちゃうからやめてほしい。
けど、朝一番に天使のような笑顔でおはようなんて言われたら叱る気も失せちゃう。これがほんっとうに可愛いんだなぁ。
「晴我くん、なに食べたい?」
おや、朝に舞い降りてきたはずの天使が目の前に。
じゃなくて、今は今晩のご飯のための買い出しをしている。俺のリクエストしたご飯を作ってくれるらしいが、答えは決まっている。
「愛菜之」
「それはもう献立の中に入ってまーす」
おかしそうにクスッ、と笑ってそう言った。先手を取られていた、だと……。
「一応言っとくけど、私は食べ物じゃないからね?」
「食べたいぐらい可愛いんだからしょうがない」
そう言うと頬を朱に染めて、照れたように笑う。
うーん、なんか俺も恥ずかしい。こういうこと、つい言っちゃうんだよね。愛菜之が可愛いから仕方ない。
「もう……それで、なに食べたいの? 私はダメだよ?」
「うーん……」
愛菜之がダメなら……クリスマスの定番料理が食べたいな。せっかくのクリスマスだし、めいっぱい楽しみたい。
クリスマスの定番といえば……チキンとケーキか?
「チキンとケーキ、かな」
「そう言うと思って、先に作っちゃいました」
先回りってレベルじゃない。エスパー疑惑はもう確定でいいんじゃないか。
チキンとケーキがもうあるなら……少しミスマッチだけど、アレ飲みたいな。
「味噌汁、作って欲しい」
「え? え、えと、プロポーズじゃないよね?」
なんでプロポーズだと思ったんだ……。あれか、俺のために味噌汁作って欲しいってやつか。
そんな亭主関白プロポーズするわけないでしょ。する時はもうちょいロマンチックなプロポーズしますよ。
「プロポーズじゃないぞ」
「あ……そ、そうなんだ……」
そんな目に見えてシュンとしないで欲しい。ていうかもう結婚を誓い合ってるんだからシュンとする必要ないでしょうに。
「プロポーズする時は、ちゃんと分かるように言うからさ」
「ほんと?」
「ほんとだって」
なんなら今言いましょうか。まぁ言わないけど。
今言ったところで結婚できないからね。残念!
「ルールってなんであるんだろうね」
「急に哲学みたいなこと言い出すな。いやまぁ、法律なければ今すぐ結婚できるけどさ……」
そんなに結婚したいのか……俺にはよくわかんないな。結婚しても今とあまり変わんない気もするけど。まぁ結婚したくないわけじゃなくて、どっちかっていうとしたいけど、そんなに重要には思えない。
「なんでそんなに結婚したいんだよ?」
そう聞くと愛菜之はそんなこと聞かれると思ってなかったのか、少し驚いたように目を開いた。
「結婚すれば、簡単に離れられないでしょ?」
「まぁ、そう、なのか……?」
気が無くなってもそう簡単には離婚できないから、か。離婚手続きって面倒そうだしな。
そういうところを考えると、愛菜之母が言っていたみたいに結婚とは呪いみたいなものなのかもしれない。
「俺、愛菜之のこと好きって気持ちはずっと持ち続けるつもりだけどなぁ」
「私もだよ。だけど、結婚したらもっともっと一緒に居られるし、変な虫も寄ってこないし」
変な虫、ねぇ……。
それは愛菜之の方が心配なんですけど。こんな可愛い子、狙われるに決まってる。
「なるほどな……それなら今すぐにでも結婚したいな」
「ほ、ほんと!?」
愛菜之に悪い虫が寄らないようにするためにも、結婚は早めにするべきだな……。
「えへへ、えへ……晴我くんは私と結婚したいんだぁ……」
えへえへ言いながらくねっている愛菜之の隣で、俺は悩んでいた。虫除けが必要だと。早急に必要だと!
とはいえ、今はデートを楽しもう。
まあ今は俺が隣にいるんだし、虫を払うぐらいはできるだろう。
無事に材料も買えたし、飲み物も揃えた。
荷物を置くために、一度俺の家に帰ったのだが……。
「買い物、後でもよかったんじゃないか?」
わざわざ出かけてまた戻って、また出かけて。なんてことするよりは、後から買い物すれば良かったと思うんだよな。
「えっとね……その、帰るときに荷物持ってたら、大変でしょ?」
「まぁ……」
でも男手だってあるんだから、別にいいだろうに。
「それと、その……外では、私たちは恋人なの」
「はぁ……はい?」
外、では? 外でも中でもなにも、俺たちは付き合ってるし恋人なんだけども。
「それでね。晴我くんのお家では、私たちは夫婦なの」
「はぁ……」
うーん……? つまり、どういうこと?
外では恋人、家では夫婦。切り替えってことか?
「外では、めいっぱいイチャイチャして。お家では夫婦みたいに、愛を確かめ合うの」
……えーと。違いがよくわからないです。
まぁ外ではイチャイチャして、家でもイチャイチャすればいい、のか? 俺としては万々歳だけど。
「今日も楽しもうね。晴我くん」
そう言って笑う彼女。その笑みに隠れた、ほのかに暗い思いに、俺は気付けないでいた。
今日は腕に抱きつかないで、手を繋いで歩く。指の一本一本を絡めた、恋人繋ぎだ。
寒い冬に触れる彼女の手はとても暖かい。心までほかほかと暖かい気分になってくる。
けれど、いつも腕には愛菜之の体の感触が引っ付いていたので、心なしか寂しい。
「? なぁに?」
自分の左腕を見ていると、俺の視線に気づいた愛菜之が微笑みながら聞いてくる。
「ん。いや、愛菜之と一緒に歩くのも慣れたなって」
最初の頃は隣に女の子がいるっていうことだけで緊張してたからな。極力そんな素振りを見せないようにしてたし、そもそも愛菜之がそんな緊張吹き飛ぶぐらいにグイグイ来てたけど。
「……ドキドキしたり、嬉しくなったりしないってこと?」
「違う違う」
なんでそんなネガティブな捉え方するんだ。まぁ愛菜之は、俺が隣にいる時はドキドキするし嬉しくなったりするってことなんだろうけど。
「今はさ、愛菜之が隣にいてくれると安心するんだ」
それに、と言葉を続ける。
「もう愛菜之が隣にいてくれないと、落ち着かなくなっちゃったしな」
「ふへぇ」
気の抜けた声を漏らしてながら愛菜之は顔を赤くする。なんだその声。可愛いな。
「なんでそんな私が嬉しくなっちゃうことばかり言うのぉ……」
嬉しくて声が漏れたらしい。ははは、可愛いなおい抱きしめたろか。
「キスしていい?」
唐突に聞かれた言葉を少し間が空いてから飲み込む。ダメに決まってるでしょ。何回も言ってるでしょ。
「人前はダメだ」
「むぅ……」
そうやってむくれてもダメなもんはダメだよ。可愛い顔してるな全く。
やれやれと肩をすくめていると、愛菜之がフッと動いた。
「んむっ」
ダメって言ったのに口を塞いできた。
唇と唇を重ねるだけの軽いキスでまだ良かった。いやキスした時点でダメだけど。
「……ダメって言ったよな?」
「晴我くんがキスしたくなること言うからだよ」
ええ……。俺、そんな大層なこと言ってないんだけど。
あんまり好き勝手やられると俺の身が持たなそうだし、強めに言っとくか。
「じゃあもう喋らない」
「え!? や、やだ……もう勝手にキスしないから、お話しよ? ね?」
そんなに必死になることなの? いや、ちょっとした冗談のつもりだったんだけど……。縋るような瞳に、罪悪感がじわじわと昇ってきた。
「ああいや、冗談だから! そんなに必死にならなくても話すから!」
「ほんと? 私、晴我くんとお話できないのやだよ?」
「するから! 俺だって愛菜之の話せないの嫌だから!」
涙目の愛菜之に俺も必死で言い聞かせる。変な冗談言うんじゃなかったよ。冗談ってわけでもなかったんだけど。
「えへへ、大好き……」
そう言って俺の腕に抱きつき、頬擦りをする。
周りの視線が痛いぐらいに刺していたが、心を殺して愛菜之が満足するのを待っていた。
愛菜之が満足したのでデートの続き。満足するまで十分近くかかったことには目を瞑ろう。変な冗談言った俺が悪いからね。
基本、俺たちはデートの予定を立てることはない。立てた方がいいんだろうけど、俺たちがデートする目的は会うためみたいなもんだし。
「今日はどこ行こっか?」
腕を抱く愛菜之にそう聞かれる。俺は行きたいところはこれといって特にない。元々無趣味だしなぁ……。
だからといって、愛菜之に任せきりってわけにもいかないので多少考えてから提案してみた。
「ゲームセンター……とか?」
デートの定番と言ってもいいと思う。女の子と付き合った経験が愛菜之としかないから、定番かは知らんけど。まぁ漫画とかじゃよくカップルが行ってるらしいし。
ちなみに校則でゲームセンターに行くのは禁止されてる。なんで?
そんなもんを律儀に守る生徒なんていないので、週末のゲームセンターは学生で賑わっています。
「ゲームセンター……うん、行こっか」
愛菜之はそう言って、嬉しそうに俺の腕を抱きなおした。そうやって可愛いことするのやめていただけませんか。私に効きます。
アミューズメントパークのゲームセンターに来た。色んなゲームの大きな稼働音が入り混じって、耳が少し痛む。そのうち慣れてくるから大丈夫だろう。
クリスマスということもあってか、学生だけじゃなく、大人のカップルや家族で来ている人達もいた。
「なにしよっか」
「そうだなぁ……」
ゲームセンターは定番かなぁなんて思って来てみたが、なにをしようか迷うばかりだ。
とりあえず、クレーンゲームあたりを見てみるか。
「これ、可愛い……」
そう言って愛菜之が見つめていたのは、食パンダという直方体のパンダのぬいぐるみだった。
「……取ろうか?」
「いいの?」
目をキラキラさせて聞いてくる愛菜之。そんなに期待されると取れなかった時のことが怖いけど頑張らさせていただきましょうかね。
右端から転がして、左端まで移動させて落とすというタイプのクレーンゲーム。こういうのは大体一発では取れないので五百円玉を入れた。
一回目。……うわぁ、思った以上にアームの力が弱い。取れるか怪しいな……。
「頑張れー! 晴我くん!」
頑張って欲しいのは俺じゃなくてアームなんですよ……。でもまぁ、応援してくれる彼女さんのためにも取ってみせましょう!
「ごめん、愛菜之……」
「ううん」
結局取れませんでした。あるだけの小銭を突っ込んでも取れなかったし、両替しようとしたら愛菜之に止められた。最近のクレーンゲーム取らせる気絶対ないだろ……。
代わりと言ってはなんだが、チェーン店の抹茶フラペチーノを奢ってあげた。ちなみに俺も同じものを飲んでいる。飲み物も俺と同じものがいいらしい。可愛い。
そのフラペチーノを広場で飲んでいる。こうした一時が幸せだ。
「これも奢ってくれたし、それに晴我くんが取ってくれようとしたこと、すごく嬉しいよ」
そう言ってにっこり笑い、嬉しそうにちゅうちゅうとフラペチーノをストローで飲む愛菜之を抱きしめたい衝動に駆られる。忍耐力なさすぎでは?
彼氏らしいことを何一つできていない気がする。カッコつけたくてもそもそもカッコつけられるほどスペック高くないんだなぁ俺は。悲しいね!
「そういえば晴我くん、注文する時なにか言ってたけどなにをしてたの?」
「ん? ああ、ミルクを少しお高いのに変えた」
そう言いつつ、フラペチーノを飲む。うっまいな、これ。やっぱ五十円かけてミルクを変える価値ある。
オプションでミルクをブラベミルクというのに変えた。これがほんとに美味しい。ネット記事のを真似して飲んでみてから、この店ではこれを飲むと決めている。
「ちょっと飲むか?」
「いいの?」
頷いてから、愛菜之に俺のフラペチーノを手渡す。
嬉しそうにストローを咥え、ちゅうちゅうと飲む。そんなに嬉しそうにされると、なんだかこっちまで嬉しくなる。ブラベミルク美味しいもんな。
二口ほど飲むと、愛菜之は満足そうにストローから口を離し、俺にフラペチーノを手渡してきた。
「美味しかったよ」
「それならよかった」
そう言って、手渡されたフラペチーノもう一度飲む。
なんだか視線を感じる。愛菜之の方から。何回も感じてきた視線が。
「……どうかしたか?」
「間接キス」
そう言って、幸せそうに口元を綻ばせた。嬉しそうにしてた理由はフラペチーノが美味しいからなんて理由じゃなかったのか。
ていうか、間接キスなんて今まで何回もしてきたろうに。それ以上のことも。夏の時も似たようなことを思っていた気がする。
「そんなに嬉しいもんなのか?」
「うん。私と晴我くんが混ざり合うのが嬉しいの」
興味本位で聞いてみたら斜め上の返事がきた。まぁ確かに、間接キスはお互いの口の菌が混ざり合うだとか言うけどさ。
「私と晴我くんが結びついて、一つに溶けていくの……幸せでたまらないよ」
そう言って腕に絡みつき、体も一つにしようとしてくる。愛菜之に触れられて悪い気はしないけど、公共の場でそういうことしないって何度言ったら……。
「人前」
「腕に抱きついてるだけだよ? いつものことでしょ?」
そう言って周りからは見えないように、俺の太もも辺りをさする。くすぐったいような快感に襲われて、思わず身震いする。
「そういうことしたらほんとに怒るぞ」
「私と話せないの、嫌なのに怒っちゃうの?」
「え?」
俺が怒ると話せなくなる? いや、どうしてだ。
首を傾げる俺に、愛菜之は優しい声で教えてくれた。
「私が拗ねて、晴我くんと話さなくなっちゃうよ?」
なん、だと……!? いや、それだと愛菜之も俺と話せなくなると思うけど……。
しかしそうなると、怒る気が失せてしまう。いやでも、公衆の面前でこういうことするのやめてほんと。耐える身にもなって欲しい。中々辛いんだからさ。
「……控えて、ください」
「はぁーい」
元気の良い返事ですこと。ほんとに聞いてるのか怪しいがねぇ……。
「すーき、すーき」
俺の腕を自分の片腕を組んで、頭を肩に預けてくる。好き好きいいながら、時折りフラペチーノを飲んで、また俺に好き好きと愛を伝えていた。
何回も何回も好きだと伝えてくるものだから、二人のフラペチーノがなくなる頃には昼が近づいていた。
「はい、あーん」
昼下がり、近くの公園のベンチに二人並んで座る。
お昼ご飯の時間はどこかへ食べに行くというわけではなく、愛菜之の手作りのお弁当を食べる。
愛菜之はよく休みの日はお昼にサンドイッチを作ってくる。見た目も味も良いし、愛菜之が水筒に入れてきてくれた紅茶がよく合う。この時間があまりにも幸せすぎて脳細胞消し飛びそう。愛菜之はドラッグだな。俺はもう抜け出せません。
「うま……」
「よかった」
口から漏れるサンドイッチへの感想は決まってこれだ。うまい以外の語彙が死滅してる。
愛菜之は嬉しそうに笑って、俺に紅茶を手渡してくれる。気が利くいい子だよなぁ……見習いたい。
「今日はアボカドのサンドイッチにしてみたの。おいしいって言ってもらえて良かった」
「へー、アボカドねぇ……」
アボカドなんて初めて食べるな。そんなシャレオツ食材とは縁が遠いもんだと思っていたが、こうして愛菜之のおかげで色々と知れることができる。アボカドを知ってる愛菜之はオシャレベルが高いオシャレな可愛い女の子。そんでその可愛い子には感謝しかない。
「じゃあ俺からも」
「あーん」
俺がサンドイッチを愛菜之の口元に持っていくと、髪をかき上げ、口を開ける。パクリ、とサンドイッチにかぶりつき、嬉しそうにもぐもぐ咀嚼する。その姿がたまらなく愛らしい。
「うまいか?」
「おいしいよ」
愛菜之が作るものは、全部うまいに決まってる。うまいか? なんて聞く必要なんてないが、俺は聞く。
彼女は、決まってこう答える。それを聞きたくて、俺は聞く。
「晴我くんが食べさせてくれたから、すごくおいしいの」
その返事を聞いて、口角が上がっていくのを抑えられない。この言葉を聞きたくて必要ないことを聞くあたり、自分がかなり気持ち悪いけど聞きたいんだからしょうがない。
「晴我くんがあーんってしてくれるの、すっごく幸せ。大好き」
「それって、あーんってしてくれるのが好きってことか?」
「どっちも大好き」
百点満点の回答で俺もにっこり。にっこりっていうかニヤついてる。気持ち悪いね! 公園で遊んでた女の子たちから見られてるからね!
その女の子のうちの一人が、こっちに近づいてきている。え? もしかして通報されたりとか……。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、こいびと?」
目の前まで歩み寄ってきた女の子は、開口一番にそう聞いてきた。
急にそんなことを聞かれて、俺は少しどもってしまう。けれど愛菜之はそんなことはないのか、嬉しそうにその女の子に説明した。
「私たちはね。恋人だけど、夫婦なんだよ」
「こいびとと、ふうふはちがうよー?」
「へんだよー」
いつの間にやら他の子たちも来ていたらしい。
まぁ確かに、夫婦と恋人は違う。恋人は、恋の思いを寄せる相手のことを指す。今では恋仲の相手のことを指したりする。
夫婦は、契りを交わして夫と妻になった者たちのことだ。この二つは明確に違う。
「私たちはね。恋人の時と、夫婦の時があるの。まだ結婚できないから、恋人のままでいる時があるんだよ」
「よくわかんない」
そうだな、俺もよくわかんない。
小さな女の子に同意していると、愛菜之はおもむろに俺の手を取った。そして、繋いだ手を女の子たちに見せつけるように掲げる。
「こうやって、仲良くするのが恋人」
「でも、お父さんとお母さんもしてるよー?」
お父さんとお母さん、手繋ぐんだね……なんかほっこりする。
そうじゃなくて、やっぱり愛菜之の考えがよくわからない。こんなことは今女の子が言ったように、夫婦だってすることだ。
「まだ続きがあるの。夫婦の時はね……」
ふわりとした笑顔が、消えた。次に浮かんだ表情は、また笑顔。
けれどその笑顔は、ふわりとした笑顔とは全く別物だった。愛するものだけに向ける、魅力的で、綺麗な笑顔。
愛するものを誘いこみ、捕食するような、蠱惑的で魅惑的な笑顔だった。
俺だけじゃない、周りにいた女の子たちも愛菜之の笑顔に目を奪われた。
見惚れたというより、視線を奪われるという方が正しいかもしれない。愛菜之の方を見ざるをえないような、不思議な笑顔だった。
愛菜之はその笑顔を浮かべたまま、俺に向き直る。
「愛してる」
愛の言葉を囁き、引き込むような瞳で俺を見つめた。
ほんの少しの間を置いて、パッと女の子たちの方を見て愛菜之は普通の笑顔を浮かべた。
「ね? 夫婦の時は、こうやって愛し合うんだよ」
さっきまでの妖艶な雰囲気が嘘のように、無邪気に愛菜之は子供達に話しかける。
子供達はというと、手品を見せられた赤子のように目をぱちくりしていた。
「……よくわかんない」
「分かる時が来るよ。好きな人ができたら、こうやって愛したくなるから」
愛菜之は当たり前のように言い、女の子たちはやっぱり首を傾げた。まだ彼女達は、恋というものを知らないのだろう。
俺も、知らなかった。高校一年でようやく知った感情。美しさや見苦しさ、儚さや残酷さを含んだ、色鮮やかな感情。
いずれは彼女たちも知ることになるかもしれないが、まだその時は来ていないようだ。
ふと向こうを見ると、少し離れたところから女の子たちのお母さんらしき人達が、女の子たちを呼んでいた。
「お母さんたち、呼んでるぞ」
俺がそう言うと、女の子たちは弾かれたように後ろを振り向き、そっちへと駆け出していった。
ただ一人を除いては。
「どうしたの?」
一人残った子に、愛菜之が声をかける。その子は少し迷ったように目をあちこち動かしていたが、意を決したように愛菜之に聞いた。
「どうすれば、おねえちゃんみたいになれるの?」
「え?」
ぽかんとする愛菜之とは対照的に、その女の子は真剣な表情をしていた。
それに気づいた愛菜之も、真剣に考える仕草をする。
嫌な予感がする。そもそも、愛菜之みたいになりたいというのはどこまでの意味なのだろうか。子供にそこを説明しろと言っても難しいだろうし、今俺が会話に入ってはいけないような気がする。
愛菜之は少しうんうん考えた後、にっこり笑ってその女の子に言いかけた。
「好きな人、いるんだ?」
そう言われた女の子は恥ずかしそうにポンッ、と顔を赤くし、視線を泳がせた。けれど逃げたりはせず、こくりと小さくうなずく。
この子の意思はかなり固いらしい。愛菜之もそれを分かったのか、フッと表情を変えた。
「好きな人のこと、全部知り尽くすの」
女の子は、急に雰囲気の変わった愛菜之を唖然とした様子で見ていた。
さっきも雰囲気が変わっていたが、ころころ変わるのでそのたびに驚くのだろう。現に俺も少し驚いている。
「好きって気持ちがあればなんでもできるよ。なんでもするの。その人と一緒にいるためなら、なんでもするんだよ」
嫌な予感は、きっとこのことを予感していたのかもしれない。
愛菜之の愛し方は異常だ。それを受け入れている俺が言うのもなんだが。
無垢な女の子に、その異常を教えてはいけないだろう。まだどんな失敗をしても許される年頃だろうが、幼少期の出来事は強い影響を残す。愛菜之も、俺もそうなのだから。
「そうすれば、おねえちゃんたちみたいにいっしょになれる?」
「うん。きっとなれるよ」
優しい笑顔を浮かべるのは、きっと本当に心の底からそう思っているからなのだろう。
違う、たまたま俺も愛菜之も異常だっただけなんだ。それを伝えたかった。けれど言葉がうまくまとまらない。
必死に頭を働かせていたが、その女の子は霧が晴れたような笑顔で元気いっぱいにこう言った。
「ありがと! ばいばい! おねえちゃん、おにいちゃん!」
「ばいばーい」
愛菜之はにこやかに手を振り、俺も同じように手を振っていた。
結局、言葉はまとまらないままだった。せめて女の子の思いが報われて欲しいと願うことしかできなかった。
「あの子、きっと幸せになれるよ」
「……どうして、そう思うんだ?」
断定的な言い方をする愛菜之に、少し不思議に思いながら聞いてみる。彼女は、駆けていく女の子の背中を微笑ましそうに見つめながら説明してくれた。
「私たちみたいになれば、絶対に幸せになれるから」
俺はその言葉を否定できない。
だって、こんなにも幸せなのだから。愛菜之といれることが、幸せで幸せでたまらないのだから。
「……幸せに、なれるといいな」
ぽろりと漏れる言葉は、本心からのものであり、そしてあの子たちの恋路がめちゃくちゃにならないことを祈る言葉でもあった。
俺たちは確かに異常で、俺たちはそれを受け入れている。愛菜之母に異常だと言われ、それでも構わないと覚悟を決めた。
俺たちが異常であることは構わない。けれど周りにその狂気を振り撒くのは、違う。
「愛菜之、あんまりそういうことを教えるのは……」
やんわりと注意しようと思ったが、彼女は笑顔で俺を見つめる。
その顔をやめてほしい。俺は愛菜之に何もかも弱いんだから。
「……なんでもないよ」
なにも言わない、言えないまま、またサンドイッチを食べる。
もしかしたら、愛菜之母は周りも狂わせることに危険を感じていたのだろうか。
あの人は直接聞いても答えてはくれなさそうだな、なんて考えながら、アボカドがどろりと口の中で溶けていった。
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