第46話

「いいお湯でした」

「気持ちよかったね」

風呂から上がって、俺は愛菜之の髪の毛をタオルで拭く。

愛菜之は遠慮していたが、俺が押し切った。尽くしてもらってばかりっていうのもなんだか申し訳ないというか、居心地悪い。

髪の毛に触れる。濡れて、まるで布のようになっている綺麗な黒髪に。

ふわりと、シャンプーの香りがした。俺と同じシャンプーを使ったっていうのに、とてもいい匂いで、安心するような気がした。

「痛かったら言ってな」

「うん」

髪の毛を傷つけないように拭いていく。ドラマかなにかで見たが、女性の髪の毛は自分がやるみたいにガシャガシャ拭いちゃいけないらしい。優しく、包み込むように拭いていかないといけないらしい。

俺のために綺麗にしてくれている髪の毛を、俺が傷つけては元も子もないので慎重に拭いていく。愛菜之はそれを気持ちよさそうに受け入れる。

「……えへへ」

「どした?」

急に笑い出した愛菜之に俺がそう声をかけると、にへっと笑いながら彼女は続けた。

「髪の毛、拭いてもらうなんて想像してなかったから嬉しいの」

「ああ、そういうこと。……まぁ俺も、髪の毛拭くぐらいの関係になるとは思ってなかったな」

愛菜之と付き合ってから、八ヶ月の月日を経た。色んなことが、あったような気がする。

愛菜之尽くしの日々は、とても色鮮やかだった。幸せだった。ただ幸せってだけでもなかったけれど、今二人でいられるならそれさえも幸せとして感じれる。

「私は、こうなったらいいなってずっと思ってたよ」

「……そっか」

どこまでも俺を愛してくれる彼女を抱きしめたくなる。まぁ今は髪の毛を拭くことに集中だな。

「ずっとずっと思ってきたの。こんな日を、晴我くんと一緒に過ごせたらなって」

目を瞑り、俺にされるがままの彼女は嬉しそうに息を吐いた。

「思ってたことが叶って嬉しかった。でもね、これからも幸せな日が続くんだなぁって思うと、どんどん、もっともっと晴我くんと一緒にいたいって思いが強くなっちゃうの」

目をパチリ、と開けて、俺に聞いてくる。

「晴我くんは?」

「俺? 俺は……」

それはもちろん。

「俺も、愛菜之と一緒にいたいって思ってるよ」

まぁ、お母様の忠告があるから四六時中ベッタベター、なんてことはできないだろうけど。

「愛菜之と出会えてよかったと思ってる。愛菜之と一緒にいれてよかったと思ってる。幸せだよ」

幸せなんて言葉じゃ足りないけれど、幸せだって表現する以外にどうすればいいかわからなかった。

けれど愛菜之は、俺の思いをしっかり受け取ってくれる。

「幸せ、だね」

朗らかに笑う彼女の髪の毛は、まだ少し水気が残っていて。

それが何だか、嬉しく思えてしまった。




「誕生日プレゼントー!」

ドンドンパフパフという効果音がついてそうな勢いで愛菜之がそう言い出した。ていうか、誕生日プレゼントあったのか。てっきり、尽くしてもらうのが誕生日プレゼントかとばかり思っていた。

「今日一日尽くしてもらって、プレゼントももらうっていうのは申し訳ない気が……」

「そんなこと言ってたら来年はもっと尽くすよ?」

「わぁとっても嬉しい開けていい?」

うーん、この八ヶ月で逞しくなったなぁ。俺が毎度黙らされてる気がする。けどそれが幸せなんでね。

「うん、開けていいよ」

ラッピングを取り、紙袋を開けてみる。

中に入っていたのは、黒のシンプルなマフラーだった。

「うお、なにこの生地。すべすべで気持ちいいな」 

「カシミアだよ。その方がいいかなって」

「へぇー、これがカシミア……」

……待って、カシミアのマフラーって結構するのでは?

「あの、愛菜之さん。価格の方は?」

「プレゼントの値段聞くなんてダメだよ?」

「いや、でもさ……」

しょぼい、しょぼすぎる。これに比べて、俺の愛菜之の誕生日への祝い方がしょぼすぎる。

なんか申し訳なくなってきた。来年は絶対俺も良い感じのお祝いしてやる。

「これ、どこの?」

「手縫いだよ?」

んんんん?

カシミアを手縫い? んんんん?

うわ、俺への誕生日プレゼントの値段、高すぎ……?

なんて冗談言ってられないから。いや本当に。

「ちゃんとひと縫いひと縫いするたびに、愛の言葉を囁いたの」

にっこりと笑いながら、その時のことを思い出しているのか、視線を斜め上へやる。

「愛してるよ、好き、ずっと一緒、大好き……」

照れたようにえへへ、と笑って、俺を見つめる。

「私の愛、伝わるかな?」

「ええ、そりゃもう十分すぎるほど」

敬語が出るくらいすごい。なにがすごいか説明できないくらいもうすごい。

まぁ、もらった物はちゃんと使いましょうかね……。にしてもこのマフラー、ちょっとでかいんだよな。

「ちょっとおっきいんだけど、どうすればいいんだ?」

俺の身に付けかたが間違っているのか、そう聞くと愛菜之はあ、とどこか嬉しそうに隣に来た。

「あのね、こうやって……」

そう言いながら、俺にマフラーを少し巻きつけてから自分にも巻きつけた。

「ね? 二人用なの」

えへへ、と笑いながらどこか自慢げに見せてくるその姿はどうにも愛おしくてたまらない。

しかしそうか、二人用。そういうマフラーがあるっていうのは知っていたが手縫いでこれを……しかもカシミア。

尚更来年は気張らなきゃじゃねぇか。頑張れよ来年の自分。

「これで、繋がってられるでしょ?」

そう言って首を傾げる彼女は、手も繋いだ。

確かに、これなら繋がれる。アイディアの素晴らしいことで。

「クリスマスとか、初詣とか、これをつけて一緒に行こうね」

「……」

なんかムスッとしちゃう。あらやだ反抗期?

「ご、ごめんね? なにか嫌だった?」

「…………たかった」

「え、え?」

「俺から、誘いたかった」

我ながら子供っぽい。ほんと嫌になる。

けれど、自分から誘いたかった。愛菜之を喜ばせたかった。のになぁ……。

「あぅ、ご、ごめんなさい……」

「いや、謝ることじゃないんだって。俺が勝手に拗ねてるだけだし……なんかその、カッコつけたかっただけみたいな……」

「な、なんで?」

「え?」

「なんで、カッコつけたかったの?」

それは、まぁ……ねぇ?

「好きな子には、カッコつけたかった」

「……」

無言はやめて無言は。一番痛いからそれ。

彼女さんは無言のまま、俺に抱きつく。そのまま頬も擦り付ける。

「晴我くんは可愛いけど、十分かっこいいよ」

「いや、俺は別に……」

「カッコいいの! 晴我くんはもう十分カッコいいの!」

それに、と彼女は言葉を続けた。

「これ以上カッコよくなったら、こんなことできなくなっちゃう……」

そう言って、顔を俺の胸に埋めた。表情は分からないけれど、耳が真っ赤になっていて可愛い。

……なんか、俺も顔が熱くなってきた。エアコンの温度下げとこうかね……。




「シャコシャコシャコシャコー」

愛菜之が棒を持って楽しそうに手を上下させている。俺は気持ちよくされるがままになって……。


言い方が卑猥なのはわざとです。卑猥かどうかは知らんが。

ただの歯磨きなんだよね実は。実はってなんだ実はって。わかるでしょ普通。

愛菜之はなにかする時に動きの擬音を口に出すのが癖なのか。なんだそれ可愛いな。

で、俺は仰向けになって膝枕と歯磨きをしてもらっている。尽くすって言ってもこんなことまでしてくれるとは思ってなかった。

ていうか、気持ちいい。よくわかんないけど気持ちいいんだよなこれ。人に口の中いじられるっていうことがあんまりない。ちゃんと歯磨きしてるいい子なんでね、歯医者の経験がないんだ。

「シャコシャコ……シャコシャコー」

そして擬音を毎回言う愛菜之が可愛い。にやけそうになるけどにやけたら口閉じちゃうからにやけられない。

「えへへ……可愛い」

え? 自己紹介?

と、思ってたがどうやらその熱い視線によれば俺に言っているらしい。俺は可愛くないんだが……。

「気持ちいい人は、右手を挙げてください」

右手を挙げる。即答。当たり前だよね!

「えへへ、可愛い……晴我くん」

いや、別に可愛くない……もういいや、可愛いってことで。

愛菜之が黒と言えば白い物も黒になる。世界の理はそうなっているのだ……。

「んー……おしまい、かな」

「ふぁりふぁほ」

口の中の泡が邪魔で返事ができない。それをおかしそうにふふっ、と笑いながら愛菜之は首を傾げる。

「どういたしまして」

……この歯磨きはミント味のはずなのに、妙に甘く感じるんだよなぁ……。




「……」

俺のベッドに二人で隣り合って座る。

そういうことをする時は、どちらからともなくってことが多い。

回数的には、愛菜之から動き出すほうが多い。まぁ、俺はこういう時に一歩踏み出せないヘタレってわけで。

けれど散々尽くしてもらったわけだし、今日は自分から動き出したい。

「愛菜之……」

呟くように名前を呼び、彼女の肩に手をやる。

いつもより少し高い体温が、緊張を映し出していた。

見つめ合いながら、キスをする。しっかりと見える彼女の表情。

する時は、電気をつけている。そういうのは気にするかと思い、電気を消すか聞いたことがあったが。

「晴我くんの顔が見たいからやだ」

そんな可愛いことを言われて、電気を消さないのが普通になった。

明かりに照らされる彼女の白い肩。何度も何度も触れてきた、華奢で、柔らかな体。

「ん……」

唇はつけたままで、そのままベッドへ倒れる。俺が上で、愛菜之が下。

愛菜之はキスをする時、必ず下になることを望む。理由はわからない。いい機会だし、聞いてみることにした。

「なぁ、なんでキスする時下になりたがるんだ?」

唇を離してそう聞くと、少し考えてから愛菜之は、俺の腰に回していた手を自分の顔に隠すように当てた。

「晴我くんの唾液、飲みたくて……」

そう言って俺を見つめる。その瞳に吸い込まれるように、一心不乱に唇を重ねた。

「晴がく、ん……ぷあっ」

「……嫌か?」

一旦口を離して聞いてみると、彼女は笑いながら答えた。

「嫌なわけないよ。幸せ……」

蕩けるような声で彼女はそう言い、俺の両頬に手を添えた。

「もっと欲しい……ほしいよ」

待ちきれないとばかりに、自分から唇を重ねてきた。少し驚いたが、構わない。今はキスに応えないといけない。

キスの合間に、彼女は言葉を紡ぐ。

「すきぃ……すきぃ…………」

言葉なんて重ねるたびに軽くなるものだと思う。けれど彼女の言葉は、いつだって想いがこもっていて、安っぽくなんてならない。いつだって心を満たしてくれる。

暖かく、ぬめりとした舌が絡み合う。満たされている心のおかげか、気持ちよさが倍増している気がする。

このままずっとキスをするわけじゃない。繋がりたいのは口だけじゃない。


「ん……」

愛菜之の胸を包む下着のホックを外す。

実は、あまりホックを外したことがない。愛菜之は自分で下着を脱ぐし、ていうか脱ぎながら俺を食うし。

そういうわけで、慣れない手つきでどうにか外した。後ろに回ればいいんだが、愛菜之はこういうことをする時はいつだって俺の顔を見ていたいらしい。

「下着、綺麗だな」

黒の下着なのだが、派手すぎず、かといって地味すぎない程度に装飾がされている。

生地がどうとかはわからないけれど、とても綺麗だった。

「晴我くん、喜ぶかなって……」

「ああ……まぁ、その、綺麗だよ」

下着なんて正直なところあんまり見たことがなかった。いつも愛菜之の体に見惚れていて、あまり下着には目が行っていなかった。

「下着、いつも選ぶ時は、晴我くんが喜ぶかなって思いながら選んでて」

ホックの外れた下着を嬉しそうに眺めて、次に俺を見つめた。

「ちゃんと、見てもらえた」

ドクンと、鼓動の音が聞こえた。体の内から、熱苦しいぐらいの感情が湧き上がってくる。

「……今度からは、ちゃんと下着も見るよ」

「下着だけじゃなくて、私も見てね」

「いつも見てるよ」

見ているんじゃなくて、見惚れているんだけれど。

そんなこと言えるほど、余裕がない。

下の方も脱がして、彼女の裸体が露わになる。触れれば壊れてしまいそうなほど綺麗で、美しい。

彼女の言っていたことによれば、その綺麗な体は俺のためのもの、らしい。

今朝言われたことを、今思い出して、無性に嬉しくなる。

「晴我くん?」

首を傾げる彼女の長い髪に触れてみる。

絹のように滑らかで、触り心地がいい。この綺麗な黒髪も、俺のため。

匂いも嗅いでみる。なんか変態チックだけど、彼女はそれを嬉しそうに見ていた。

「匂い、好き?」

「……ホッとする」

好きな人の匂いは、安心する匂いらしい。

なにかのネット記事で見たことがある。遺伝子レベルで好きだとそうなるだとか。

愛菜之も、俺の匂いが好きだと言っていた。俺たち二人は、お互いのことが遺伝子レベルで好きらしい。

「私も晴我くんの匂い、すき。安心して、幸せ」

そう言って、俺の首の匂いを嗅ぐ。なんだかくすぐったいけれど、幸せだった。

「晴我くん。そろそろ、しよ? 時間、なくなっちゃうよ」

言われてみれば、明日は学校だった。

休みがあると明日も休みだと勘違いしてしまう。土日休みの感覚が刷り込まれているせいだろうな。

ふと、考える。将来働けば、土日休みじゃなくってしまうんだろうかと。

今とは変わってしまうのかもしれない。周りの環境も、人も。

けれど変わらないものがある。今日、確信できた。


目の前の彼女は、ずっと俺と一緒にいてくれることは変わらないのだと。

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