第45話

「……それはそうと、お母さん」

話がひと段落付き、新しく入れてもらったお茶を飲んで一息ついていると愛菜之が話し出した。

「あそこまでやる必要なかったよね?」

「えー? なんのことかさっぱり」

あそこまでやる必要? 俺もさっぱりなんだが。

「どういうことだ?」

こういう時は人に聞くのが一番。変に意地張って人に聞かないで恥晒すやつを俺は見たことあるんでね。

そいつの名前は宇和神晴我。覚えときな。

「私と晴我くんの二人の時間を奪う条件に、私と晴我くんが離れられなくなる鎖をくれるって言ってたの。そのために、誘導するって言ってたんだけど……」

お茶を啜る愛菜之母をキッと睨み、愛菜之は忌々しく声を出す。

「私の晴我くんに、ケーキを食べさせて……目の前で、目の前で……」

手錠で繋がっている手をガチッと握り、離さないという意思表示のように力を込めていく。

細長いこの手のどこにこんなに力があるんだろう。結構痛いんだけど。

「手錠も用意してくれたのはありがたいかったけど……晴我くんに手、出すのは違うでしょ?」

「いやねー、私も青春を思い出したかったわけよー」

ひらひらと手を振って意に介さない愛菜之母を冷ややかな目で睨み続ける愛菜之。この人たちは何かにつけてバトルの雰囲気醸し出さないと気が済まないのか。

「浮気だよ、それ」

「浮気じゃないよー。……晴我くんに重ねてたのさ」

俺に、重ねてた。

それはきっと、もう会うことはできない愛菜之母の想い人。

その人と、俺を重ねていたのかもしれない。

それを聞いた愛菜之は、怒っているような、悲しんでいるような顔で母を見つめる。

「晴我くんと、あの人は違うでしょ?」

「……」

「今、目の前にいるのは私の恋人の晴我くんなの」

「……わかっているよ」

「わかってて、重ねたの? 失礼だと思わないの? 晴我くんは晴我くんなの」

苦しむように応える母と、怒りの感情が大きくなっていく愛菜之。

俺を通して、愛菜之母は空の向こうの人間を見ていた。俺は、愛菜之母が愛した、愛菜之が懐いていたその人に、似ているのだろうか。

そうだと、少し嬉しいかもしれない。

「俺は失礼だと思わないから大丈夫だよ。愛菜之」

「晴我くん……」

俺がそう言うと、愛菜之は少し不服そうに居住まいを正す。

ずずっ、とお茶を啜る音が響く。誰も一言も話さないまま、数分が経っていく。

「……そろそろ、行こう」

愛菜之が湯呑みを置いて、立ち上がる。

そういえば俺の家でご飯を作ってくれる、とか言ってたな。

それにこの気まずい雰囲気はちょっと辛かったからありがたい。

「……愛菜之、二階の奥の部屋に道具置いておいたから」

「……ありがとう」

待って、道具ってなに?

想像したくないけど想像してみる。いややっぱ想像したくない。

そういえばこの手錠も用意してもらったって言ってたな……。前に、俺に監禁紛いのことをした時の手錠も用意してもらったものかもしれない。

道具……今まで出てきた道具って言えば、手錠、睡眠薬、痺れ薬。

やばいのしかないじゃないか。

「晴我くん。私、道具取ってくるから少し待っててね」

「あ、ああ」

取らなくていいです、なんて言えない。

なにされるかわかったもんじゃないんだが。まぁ愛菜之にされることなら何でも良いけどさ。

手錠を外し、トテトテと走っていった愛菜之の後ろ姿を見送る。愛菜之が二階に上がっていく足音を聞きながら、視線を愛菜之母に戻した。

「……おっかしいなぁ」

「え?」

俺を見る愛菜之母は、笑っていた。異常なものでも見るように。

「君さ、愛菜之が道具を取るって言ってなにをされるか想像したでしょ?」

「え、その」

「で、それを喜んでるでしょ」

俺の反応なんて気にせず言葉を続けて、俺の心情をいとも簡単に言い当てる。

この親子は俺の身心を掌握するのが得意っていうか。俺が分かりやすいだけかもしれないけど。

「はは、君も随分壊れてんのねー」

面白そうに笑って、すぐにその笑みを消した。

「ダメだよ。そんなんじゃ」

「……え?」

表情と一緒に変わった声のトーン。それが、本当に一瞬で、怖かった。

「愛菜之がいる手前言わなかったけど、依存しすぎはダメだよ。そんなんじゃ愛菜之を守れないから」

「……守れない」

「そうだよ。いざ守るってなったらさ、守る守らない以前に、それが無くなることが怖くて動けなくなるから」

言ってることは真っ当で、正論で、俺の心を抉る。

「忠告しておく。依存しすぎはダメ。まぁ君がどんな道進もうが見届けてあげる。けど、私の言ったことは、そうだな……心の片隅にでも置いておいてよ」

サッと言い切り、この話は終わりだとお茶を啜った。

……この母親が考えていることが、分からない。けれど、愛菜之を護りたいということだけは伝わった。

それに応えないといけない。愛菜之に浸かるのを、やめないといけない。

……そう難しいことじゃないんだ。大丈夫なはずだ。愛菜之のためならなんだってしないといけないんだ。

「うん、良い目してる」

「……ふぇ?」

いつのまにか、目の前に整った顔があった。

「うぉうわ!?」

「あっはは。そんなに驚かれると傷ついちゃうよ」

「いや驚きますって……」

おかしそうにケラケラ笑って、ふぅ、と息を吐いた。

「……似てるなぁ」

ぽつりと漏れたその一言。俺と、愛菜之の父が似ているということだろう。

聞いてみたかった。その人がどんな人か。

「……その、どんな人、だったんですか」

「どんな人、かぁ」

腕を組んで思い出すように視線を斜め上へ上げる。

愛菜之が来るまでに色々と聞いてみたい。人柄とか、そういうものを。

「私がいつもなにかしてたなぁ……無理やりキスしたり、ハグしたり、口移し、キスマークホテル直行」

「ああえと大丈夫ですはい」

彼女の両親のそんな生々しい話聞きとうないわい。

話を止められたことをぶーぶー言って抗議してる。いや、聞きたくないの本当に。

「……私が何かするたびに困ったように、嬉しそうに笑ってくれた」

「……」

その人を語る愛菜之母の笑顔が、とても綺麗で、言葉が出ない。

それと同時に、その笑顔はとてもその人のことを愛していたんだと理解できるほどに温かで、優しかった。

「……その人に似てるのはなんていうか、光栄です」

しんみりした空気はあまり好きじゃない。少しおちゃらけて、空気を変えてみる。

「え? 自惚れないで? 私の大好きな人と一から百まで似てるわけじゃないからね? 自惚れないで?」

「え、すいません……」

ひええ……目が、目が怖いよぉ……。自惚れないでって二回も言われたよぉ……すごい大事なことなんだろうなぁきっとなぁ……。

この人もヤバいタイプの人だってことをすっかり忘れてた。命の危機を感じるとは思わなかったよ……。

「今度似てるとか言い出したら殺すよ? 気をつけてね」

「しゅいましぇん……」

舌が回らないよぉ……。なんで俺彼女の母親に殺害予告されてんだよ……似てるって言い出したのそっちだよぉ……。

「晴我くんに手を出したら許さないよ」

「ふぉあ!?」

いつのまにか俺の後ろに愛菜之がいた。背後にフッと立つのやめてほしいんだけど。いやマジで怖いから。

「お帰りー、道具どうだった?」

平然とお帰りって言ってのけるんですね。もう怖い通り越して感心だよ。

「許してあげられるぐらいの揃い方だったよ。でも晴我くんに手を出したら殺すからね」

「はは、出さない出さない」

この人の考えてることがイマイチわからない。なんというか、ふわふわしてて掴みどころがないんだよな……。

「それじゃあ晴我くん。行こっか」

忠告を終えて、俺の手と自分の手に手錠をガチャリとかけて一緒にお暇することになった。

手錠、いる?




「帰ってきたぁ……」

どっと疲れた。彼女の母親に挨拶するだけのはずが、なんか色々あった気がする。

買い物袋の物を冷蔵庫に入れて、ソファでくつろぐ。うお……眠気が。

ちなみに手錠だが、玄関前あたりで愛菜之が外してくれた。家に帰るまでに色んな人に見られたと思うが、今考えても仕方ない。ていうか考えたくない。

「晴我くん、眠い?」

「ん、少しだけな」

俺の眠そうな顔を見て疲れを察してくれたのか、そう聞いてきてくれた。察しのいい彼女さんは好きだよ。

「ご飯、出来たら起こしてあげるから寝てていいよ」

「んん……でも愛菜之と一緒に作りたいし」

そう。誕生日だからって甘えてばかりっていうのも寂しいし、一緒に作ってみたかった。

「……そんなに可愛いこと言ったら、襲いたくなっちゃう」

「今日の夜、そういうことするんだろ?」

「でも、今すぐしたくなっちゃうの」

「せめて夜まで待ってください」

一回スイッチが入ると愛菜之は朝までコースだからなぁ……。思い出したら血流良くなってきちゃった。

大きくなってしまう。具体的には言わないけど。

「今日の夜、いっぱいシようね」

「お手柔らかに……」

絡みつくように抱きついてくる彼女を抱きとめながら、俺は苦笑いを浮かべた。




「今日は愛情たっぷり二人の共同作業肉じゃがを作ります」

いつだかに聞いたハンバーグの献立よりパワーアップしてる気がするけど気にしないでおきましょうね。

「はい、肉じゃがですね」

「愛情たっぷり共同作業肉じゃが」

「愛情たっぷり共同作業肉じゃがですね」

訂正を求められてしまった。そんなに大事なことなのか……?

「まずは、人参などの野菜を切っていきましょう」

「いきましょう」

脳内でよくあるクッキングBGMが流れる。赤ちゃんの人形が踊ってる姿が脳内に……。

「まずは人参を乱切りにしていきます」

トントン、とまな板と包丁のぶつかる音がする。うーん、この手際の良さ。いいお嫁さんになれるルート確定だな。

「愛菜之って料理得意ですごいよな」

「そ、そんなことないよ。えへへ……」

包丁とまな板が奏でるリズムが速くなる。トントントントントントントン!!

恐ろしく速い乱切り。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

愛菜之が全部切ってしまったので俺の出る幕がなくなった。まぁ次に行こう。


「次はじゃがいもです」

「了解です」

シュルシュルと連なり落ちていくじゃがいもの皮。こんなに綺麗に剥ける物なのかと感心する。

まるでそう、愛菜之の手の上でじゃがいもが踊っているよう……実況できそうだな。

「愛菜之って手も綺麗だよな」

「手、手も? えへ、えへへ……」

恐ろしく速い皮むきと乱切り。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

今回も俺の出る幕は無くなったので次にいきましょうか。


「つ、次はちゃんと晴我くんにも手伝ってもらうからね」

「手伝う気はあるんだけど……」

「じゃ、じゃあ次はタマネギとお肉です」

俺の言葉を遮ってはい、という風にタマネギと牛肉を出す。

よかった、肉も普通のやつだった。

「お肉は一口サイズに、タマネギはくし切りにしていきましょう」

「ラジャー」

まな板にタマネギを出し、サクサク切っていく。ほおー、と感心してしまう。愛菜之は目に染みるそぶりを一切見せなかった。

「目に染みないのか?」

「コツがあってね、飛沫が飛ばないようにしてるの」

「へぇー」

愛菜之を泣かしたら料理してくれようと思ってたが、愛菜之に料理されてるタマネギくんよ。美味しくいただいてあげるからね。

しかし、あいも変わらず手際が良い。この人が俺のお嫁さんになってくれるんだなぁと思うと、幸せで満ち満ち足りてしまう。

「俺、愛菜之と付き合えてよかったよ」

「う、嬉しいけど、なんで急に?」

「いや、なんかこんなに綺麗な子がお嫁さんになってくれると思うと幸せすぎて」

「き、綺麗な子!? お嫁さん!?」

俺の言葉をオウム返ししてあたふたしだす。それでも手元はトントンと動いてて、怪我するような様子もない。これが達人ってやつですか。

あっという間に牛肉も玉ねぎも切ると流れるようにあれこれジャージャーと炒めて、はい完成。

最初から最後まで俺の出る幕は無かった。

「……ごめんなさい」

「いや、さすがの手際だなって思ったよ」

「でも、晴我くんが手伝ってくれるって言ってたのに……」

俺になにも手伝わせてあげられなかったことを悔やんでいるのか、俯きながらそう言う。

別に愛菜之が悪いわけじゃないのだが、愛菜之は悪くないと言っても愛菜之からは申し訳ないという気持ちは消えなさそうだ。

だからわざとらしく、おちゃらけながら愛菜之の肩にポンと手を置いてこう言った。

「美味しいおにぎりを一緒に作りましょう。先生」




「アッツァ!」

「大丈夫!?」

イタリア語みたいな悲鳴をあげたのが俺です。ラップにご飯を乗っけて握ろうとしたらあまりにも熱かった。燃えてるんだろうかってぐらい熱かった。

「火傷してない? 冷ます?」

「や、ギリギリ火傷してない。つかこんなに熱いもんなのかよ……」

思い返してみれば、おにぎりを作るのなんて初めてかもしれない。弁当に入れることもなかったし、ラップを使わなくても皿出して乗っければいいだけのことだった。皿洗いが面倒だけど、ラップを使いすぎるのも困るし。

「怪我、しないでね? 晴我くんが怪我したらやだよ」

「あいよ」

まぁ慣れりゃ大丈夫だろう。人間は慣れる生き物だし。

ご飯が床に不時着しなかったことが幸いだった。食べ物は大切にしなきゃな。

「……うまく三角にならない」

よくドラマや漫画に出てくるような丸みを帯びた三角になってくれない。どうしても二等辺三角形になってしまう。

愛菜之の作ったおにぎりを見てみると、綺麗な綺麗なおにぎりが三つ並んでいた。いつの間に三個も作ったんだ。

「えっとね、握る時は回しながら握ってくの」

「はいはい」

アドバイス通り握っては回し、握っては回してみる。やっぱり不格好だが、それでもさっきのよりは綺麗な形になっていた。

「上手にできたね、晴我くん」

愛菜之によしよしと頭を撫でられた。なんとも言えない多幸感が体に渡る。もっと撫でてほしいと思う反面、恥ずかしさや照れが邪魔をして言い出せない。けれどやっぱり幸せで、なんだかくすぐったかった。

「ご飯作るの手伝ってくれてありがとう。すごく嬉しいよ」

「いや、俺が言い出したことだし、いつも作ってもらってるからこれぐらいは当たり前だよ」

「それでも嬉しいよ。ありがとう」

純粋な感謝を伝えられて、照れ臭くなってしまう。

手の平が熱いはずなのに、なぜだか頬がいやに暑かった。




「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

あーんをして、時々あーんをし返して。いつも通りの食事風景。幸せでたまらない。

作ってもらった肉じゃがや一緒に作ったおにぎりも美味しかった。塩加減や味付けも俺好みでソーグッド。

「皿洗いぐらいはやらせてくれよ」

「ダメだよ。今日一日は晴我くんの日なんだから」

俺以外にも今日が誕生日の人はいると思うんだが……。

やっぱり皿洗いぐらいはやらせてもらいたい。甘えっぱなしだとなんだか悪いし。

「じゃあ、俺が洗うから愛菜之が拭いてくれないか?」

「でも……」

「好きな人と共同作業したいなぁ」

渋る愛菜之にそうわざとらしく言うと、困ったように俺を見つめた。

「もう、ずるいよ……大好き」

「知ってる。俺も好き」

「ふふっ」

嬉しそうに笑い、俺に抱きつく愛菜之を受け止める。

俺を上目遣いで見つめながら、愛菜之は言う。

「でも、まだお皿は洗わなくていいよ」

「え? なんで?」

そう聞くと愛菜之は、得意げな顔で冷蔵庫からあるものを取り出して持ってきた。

「じゃーん」

「……まさか、これって」

やばい、泣きそう。

めちゃくちゃ幸せなんだが。幸せ泣きとか今までしたことなかったのにしそうなんだが。

「ケーキ食べたら、お皿一緒に洗おっか」

「……ああ」

この彼女さんは、本当に俺を喜ばせるのがうまいんだよなぁ。




「はい、あーん」

口を開けて愛菜之お手製のケーキをあーんで食べさせてもらう。

食後のことを考えて甘さ控えめにしてくれたらしい。けれどなんだかめちゃくちゃに甘く感じて、美味しい。

「美味しい?」

「おいひい……」

口の中のものは飲み込んでから話したかったが、すぐにでも感想を言いたかった。それぐらい幸せに覆われている。

「お母さんにあーんしてもらったのよりも?」

「そりゃもちろん」

あれは確かに限定品のやつで一流の人が作っているけれど、やっぱり愛菜之が作ってくれたものは俺好みで、すごく美味しい。

「ねぇ。私のあーんと、お母さんのあーん、どっちが嬉しい?」

「愛菜之」

当たり前のように即答する。だって答えは決まっているのだから。

「ほんと?」

「世界一好きな人のあーんが世界一嬉しくないと思うか?」

「せ、世界一? えへへ」

世辞でもなく嘘でもない、本心。

世界一じゃまだまだ薄い。宇宙一ぐらいには嬉しい。

「愛菜之も食べようや」

「晴我くんのために焼いたケーキだし、晴我くんが全部食べていいよ」

「そりゃめちゃくちゃ嬉しいんだけど、愛菜之と一緒に食べたいなって」

さっきと同じように言うと、愛菜之はふふっ、と笑ってフォークを渡してきた。

そして髪をかき上げ、口を開けて受け入れ態勢に入った。

一口サイズに分けたケーキをフォークで口へと運ぶ。ぱくっ、と食べる愛菜之に抱きしめたい欲をまた煽られる。

「んー……おいしい」

幸せそうに頬に手を当てて首をふるふると振る愛菜之がどうにも可愛い。

そんでもって口の端にクリームがついている。ドジっ子愛菜之ちゃんは可愛いね! まぁ俺が狙いを外してしまっただけだけど。

「愛菜之、クリームついてる」

「え? ど、どこ?」

どこについているか聞いてくる愛菜之を無視して口の端についているクリームを指で救いとる。そしてその指をパクリと咥えた。

「あっ……」

俺の一連の行動に恥ずかしそうに顔を赤くする愛菜之にまた可愛いという感想が浮かぶ。どこまで可愛いんだ。可愛いの築地市場か?

「照れてる?」

「だ、だってそんなこと……。うぅ、私がしようと思ってたのに……」

俺がされる予定だったらしい。まさかのミステイク。俺もされたかったのに。

まぁ恥ずかしがってる愛菜之が見れたんでオッケーです。

「ごめんごめん。じゃあ、ケーキまたあーんしてくれないか?」

そうすれば俺の口の端にもクリームがついてくれるだろうし。

「……わかった」

そう言うと愛菜之はフォークいっぱいにクリームをすくった。

クリームつけたいのは分かるよ? けどそんな山盛りでどうするんですか。

「あの、愛菜之さん?」

敬語で聞いてみると、フォークを無言で突きつけてきた。普通に危ないからね?

「んむ」

唇に思いっきりクリームつけられた。いや、ちょっとでいいだろ。

それになんで唇に? 口の端でよかったろうに。

クリームをつけられた口をどうするか迷っていると、愛菜之がずいっ、と顔を近づけてきた。

「いっぱいついちゃったね」

いや、愛菜之がつけたんだけどね?

目を爛々と輝かせて、綺麗な顔をもっと近づけてくる。

あ、もう察した。

「んー……」

さっきと同じように髪をかき上げ、俺と唇を舌先でチロチロと舐めていく。

唇のくすぐったさが背中にかけていく。背徳感と快感が一重になって襲いかかってくる。

唇の先のクリームを舐め終わると、今度はキスをしてきた。

クリームのせいで唇が隙間なく重なる。クリームだけじゃない、愛菜之の甘い匂い。

そっと、唇を離す。

少し驚いた。愛菜之のことだから、きっと舌も入れてくるだろうと思っていた。

「……物足りない?」

実を言うと、その通りで、物足りなく感じていた。

まぁキスをする時に必ず舌を入れるっていうのもおかしいけど……。

けれど舌を入れるのが当たり前になってしまって、物足りない。

俺が答えずにいると、愛菜之は肯定と受け取ったのか嬉しそうに笑った。

「夜に、でしょ?」

確かに夜にそういうことをしようと言ったのは俺だった。

けど、こんなお預けみたいなのを食うとは思わなかった。一本取られたな……愛菜之には二本も三本も取られてきたけど。

「ほら、ケーキもまだたくさんあるよ」

「あ、ああ……」

きっと俺は、愛菜之より上手に行くことはできないんだろう。でもそれが幸せなんだよなぁ……。




「気持ちいい? 晴我くん」

体をゴシゴシとタオルで洗ってもらう。くすぐったいけれど気持ちいい。

今は二人で風呂に入っている。これももう当たり前になっていた。確認ぐらいは取るけど、確認を取るたびに愛菜之は「なんでそんなことを聞くの?」とばかりに首を傾げる。うん、可愛い。

ちなみに頭も洗ってもらった。ちょうどいい指圧と優しい手つきが気持ち良かった。

「気持ちいいよ。俺も愛菜之の背中流そうか?」

「ほんと? じゃあ、もっとがんばっちゃおっかな」

そう言って俺に抱きついた。風呂だから裸で、おっきいアレが押しつけられるわけで。

「んしょ、んしょ」

「いや、あの、愛菜之?」

俺の言葉を気にもかけず、胸を押し当てて上下に動かす。

「んっ、あっ……」

最初こそ普通の声だったが、だんだんと声が艶っぽくなっていった。押しつけられている柔らかい胸の感触。のはずが、たまに固いものが擦られる。

心臓がバクバクと鳴り、顔にも下腹部にも血が集まっていく。このままじゃのぼせかねない。

「気持ち、いい? んっ、晴我くん……」

「気持ちいいよ、気持ちいいけどその……」

愛菜之の荒い息が首や耳にかかるたびにゾクリとする。

このままじゃ耐えきれない。今すぐにでも襲ってしまいそうだ。

「我慢できない?」

「なんでわかるかなぁ……」

エスパー疑惑が順調に高まっていってるんだが。まぁ愛菜之は俺の考えてることは大体分かるらしいし。

「だって、このままじゃ私も我慢できなくなっちゃうから」

「……そういうこと」

自分だけが悶々としてるわけじゃなかったらしい。愛菜之も、我慢できそうにない。つまりは、俺が欲しくて我慢ができない、てことでいいのか。

ああ、どうしようもなく嬉しい。彼女に求められることが幸せすぎる。

「……体、冷えちゃうね」

あはは、となにかを濁すように笑い、タオルで体を洗ってくれる。

そのあと二人とも黙ったまま、背中を流し合って浴槽に入った。

息を吐いて湯に沈む。俺の足の間に愛菜之はいつものように座る。

「……今日さ、思ったんだ」

彼女が俺の言葉に振り返る。つぶらな瞳が俺を見つめる。

「こうやって誰かと風呂に入ることも、ご飯食うことも、誰かと一緒に誕生日を祝われることもないだろうなって思ってたんだ」

単身赴任で家にいない父。仕事人間で家を空けっ放しの母。色んな場所へ渡り歩く姉。

別に責めているわけじゃない。誇りに思っている。その誇りを汚さないためにも、俺はこれからも一人でいると思っていた。

けれど愛菜之は、俺を一人じゃなくしてくれた。

「けどさ、愛菜之のおかげで一人じゃない誕生日を迎えられた。祝ってくれた。ご飯を一緒に食べてくれた。風呂にも一緒に入ってくれて、今から寝る時だって二人で一緒に寝てくれる」

俺の言葉を聞いてくれる。優しい瞳を細めて、こくりこくりとゆっくり頷いて。

「こう思ったんだ。生まれてよかったって」

生まれてよかった。そう思えた。

愛菜之がそう思わせてくれたんだ。

彼女の柔らかな体を抱きしめる。彼女はそれを嬉しそうに受け入れる。

温かいのは、きっと風呂に浸かっているからなんて理由だけじゃない。

彼女のおかげで温もりを、暖かさを感じているんだ。

彼女を思う度に、暖かくなれる。彼女は俺に暖かさをくれる。

「ありがとう、愛菜之」

礼を言うと、彼女は俺の腕をぎゅっと抱え込んで顎を乗せた。

「これからも愛してるよ。晴我くん」


すいません、愛菜之のお母さん。

俺、どうしようもないぐらい愛菜之のことが好きです。

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