第28話

「晴我くんはここが弱いんだね」

「声出てるよ、可愛い」

「気持ちいい? えへへ、嬉しい。もっと頑張るね」

愛菜之に囁かれた言葉。昨日の夜に、また散々体を重ねあった。

献身的だが、主導権は握ったままの愛菜之にあれこれされて、腹上死するんじゃないかと思うほどだった。

それはそれでいいと思ってしまった自分は、完全に愛菜之に溺れている。

そのことが幸せで、たまらなかった。




そんなふうに過ごして、迎えた朝。

いやに暑さ感じて、そんでもって腹のあたりにもなにか違和感を感じた。

重いまぶたを開けて、自分の腹のあたりを確認してみる。

「あ、起きた?」

「……なんで俺の上に乗ってんの?」

腹の上には、愛菜之が乗っていた。胸がすごくむにゅ〜ってね、押しつけられてね……。つかなんで下着つけてないんだ。おかげで柔らかさがダイレクトアタックしてくる。私のライフはもうゼロよ!

「晴我くんの抱き枕兼、お布団の愛菜之です」

可愛いかよ。いや、可愛いかよ。

あまりの可愛さに俳句でも詠んでやろうかと思ったが、寝起きの頭ではイマイチな句しか出なかったのでやめといた。

ふむ。愛菜之は俺の布団、そんでもって抱き枕らしい。

「寒かったら、私を抱きしめていいんだよ? 昨日みたいに」

「昨日?」

言われて昨日を思い返す。微睡のなかで、寒かったから愛菜之を抱きしめて寝たことを思い出した。

「ごめん、寝ぼけてたから……」

「ううん! そんな、謝らなくていいんだよ! 私は幸せだから!」

俺に気を遣ってか、本音で言っているのか愛菜之がそう言ってきた。

たぶん後者のほうだろう。

「あ、ああ……そっか、ありがとな。あと、退いていただけませんか」

朝っぱらから刺激が強いです。幸せなことこの上なしだけど、幸せで胃もたれ起こしそうなんでね。

「退きたいんだけど……晴我くんのがその、すごい元気で、彼女としてほっとけなくて……」

……うん?

俺のがすごい元気?

そう言われて自分のアレがそびえ立っているのを感じ取る。やだ、恥ずかしい! とか言ってる場合じゃない。ほんとに恥ずかしいんだが。

が、これは生理現象。邪なことは一切考えてない。

「……私に興奮した?」

正直、それもありそうだからこれは生理現象だと言い切れない。そんな自分が少し情けない。

生理現象だと言うべきか、はい興奮しましたと言うべきか迷っていると、

「……なにしてんの?」

愛菜之が俺の下半身あたりでごそごそしだした。

「つらそうだなって思って、私が原因なんでしょ?」

布団から顔だけ出して、首を傾げながらそう言ってきた。わぁ、可愛い。

愛菜之のせいかはわからないので、どうとも言えない。黙っているとそれを肯定と受け取ったのか、愛菜之はなにやらやる気に満ちた顔でごそごそを再開しだした。

「責任持って落ち着かせるね!」

「時間が経てば落ち着くから大丈夫だよ。ズボン下ろそうとしないで? ちょっと? その手を離、離しなさい!」




結局、しました。

好きな女の子がしてくれるって言ってるのに、断りきれるやつがいるかという話だ。

俺の忍耐力がないわけじゃない……はずだ。そうであって欲しい。

「はい、あーん」

コンビニで適当に買ってきておいたものを食べる、というか食べさせられている。もうこれが当たり前になっている。

「ん……」

「どうかした?」

俺の口にサンドウィッチを運ぶのを中断して、愛菜之が聞く。

「いや、愛菜之の作ったサンドウィッチのほうがおいしいと思って」

「……嬉しい。また作ってあげるね」

「マジか。楽しみにしてる」

二人して、幸せそうに笑う。他愛無い話をして、二人で笑って、そんな風に時間が過ぎていった。




ホテルを出た時には、時間は午後三時あたりだっただろうか。

というか、出る時になにも言われなかったのに驚いたんだが……。緩すぎやしないか。面倒ごとは避けたいんだろうな。

そして今、俺たちはショッピングモールに来ている。

夏祭りに行くのに手荷物が邪魔なので、コインロッカーに入れてから、浴衣貸出をしている服飾店へと向かった。ちなみに、浴衣を借りようと言い出したのは俺。

そして、浴衣のことをホテルに居る時に伝えたのだが。

「浴衣、着てみないか? せっかくだし、記念的な……どう、ですかね?」

「……本当は?」

「え?」

「本当の理由は?」

あーだこーだと理由を並べているが、本当は俺が愛菜之の浴衣姿を見たいだけだ。けれど、そのことを正直に伝える勇気がない。もう既に、言い訳並べてるんだから。

「理由言わないと、着てあげないよ?」

「え!?」

そのルートはこの世の終わりだ! くっそ……言うしかないのかぁ!?

ほんの一言、浴衣姿が見たいって言うだけなんだけでなに大げさぶってんだ。愛菜之がいつまで待ってくれているかも分からないんだからさっさと言うぞ。

「愛菜之の、浴衣姿が見たい……」

「え?」

え? じゃないよ。

聞こえなかったからもう一回言ってってか? じゃあ言ってやらぁ!

「愛菜之の可愛い浴衣姿が見たぁぁい!!」

「わ、わわ! 聞こえてる! 聞こえてるからぁ……!」

大声で叫ぶ俺を、赤面しながら大慌てで止める愛菜之。

ていうか、聞こえてなかったわけじゃないっぽいな。早とちりはよろしくない。おかげで恥かいた。

今思い出しても恥ずかしい……。

「そ、そっかぁ……私の浴衣姿がそんなに見たいんだぁ……。えへへ……」

嬉しそうに笑って、照れているのか頬をかいて。可愛いの全部乗せかよ。




てなわけで、今は店で愛菜之が試着をしている。

どうやら愛菜之は一人で着付けができるらしい。ほんと、彼女さんはなんでもできるな……。

シュルシュルと、衣擦れの音が試着室から聞こえてくる。待っている間、ザッと周りを見てみると、カップルが多く見られた。

あるカップルは、彼氏が彼女の浴衣姿を褒めていた。あるカップルは、彼氏が彼女の浴衣姿を直視できなくて困っていたりした。

俺も愛菜之になんて言うべきなんだろう。可愛い……なんて言葉だけじゃ足りない気がする。愛しい、愛してる、好き……うーん、表現力がない。愛菜之は俺から好きっていう二文字だけで心の底から喜んでくれるんだろうけど、俺はそれじゃ満足しない。もっと的確に、思いを伝えたい。

うーむうーむと悩んでいると、試着室のカーテンが開かれた。そこには、水色のシンプルな浴衣を着た愛菜之がいた。

長い髪も、ヘアゴムで後ろにまとめられている。その姿はいつもの姿とは違い、華やかで、綺麗で、まるで一つの芸術作品かのようだった。

「ど、どうかな……?」

少し恥ずかしそうにこちらを見ている。

まず最初に、可愛いと思った。

次に可愛いと思った。

その次に、可愛いと思った。

つまりなにが言いたいかというと可愛い。可愛すぎる。可愛いが、すぎる。可愛いの大盤振る舞いか?

「……晴我くん?」

俺がなにも言わずにいると、愛菜之が不安そうに俺を呼んだ。その声に、俺は我に返る。

「え? あ、ああ。ごめん、見惚れてた」

「見惚れ……!? そ、そんなこと言われたら、その……嬉しいけど、恥ずかしぃ……」

そう言って、真っ赤になっている顔を左腕で隠した。右手は浴衣の裾を掴んで、恥ずかしさに耐えている。

「可愛い……写真撮っていいか?」

「だ、だめだよ! 恥ずかしいもん……」

「撮るわ」

「だ、だめだってばぁ!」

スマホを構える俺を、愛菜之は大慌てで止める。そんなことをしていると、女店員さんが一人こっちに来た。

「わー、お似合いですよ彼女さん。あと、彼氏さん、ひとついいですか?」

「? はい」

そう言って、たくさんの髪飾りが並ぶガラスケースの前に連れてこられた。

「この中からひとつ、お好きなものをお選びください。浴衣を借りるお客様に、こちらも無料で貸し出ししているんです」

「へぇ……」

紫や赤やら色んな色の、色んな形の髪飾りがあった。ガラスケースの上には試着用のものがいくつか置いてある。

「こういうものは、彼氏さんがお選びしたほうが彼女さんも喜びますので」

「そうなんですか」

「そうなんですよ」

そうらしいです。うーん、俺が選んだところでって話だが……女店員さんの話を信じてみるか。

当の女店員さんは、ではお決まりになりましたらお呼びください、と言って別の客のほうへ行ってしまった。他のカップルにも髪飾りの説明をしている。これが仕事人かぁ……。

しかし、髪飾り、か。

どれが一番、愛菜之に似合うだろうか。愛菜之ならどれでも似合うだろうな……。どれも似合うせいで余計に迷うな……。

「……晴我くん」

悩んでいると、浴衣姿の愛菜之が俺の隣に来ていた。

「私以外の女について行って、なにしてるの?」

怒ってらっしゃる。ついて行くったって数歩だぞ? そんなに怒ることかね……。

「ん、愛菜之。今、髪飾り選んでんだけど……」

「……私に?」

「そ。しかし、どれがいいかねぇ……」

俺が顎に手を当てて、真剣な様子で悩んでいると、愛菜之がふふっ、と笑った。

「私に選んでくれてるんだ。えへへ……」

愛菜之がにへらと嬉しそうに笑う。可愛い笑顔だ。いつまでも見ていたい。

さっきの怒りは飛んでいるようで安心安心。俺を殺すか女店員さんが殺される未来にならなくて良かった。いやほんとマジで。

「これ、一回つけてみて」

そう言って、試着用の水色の花がついた髪飾りを渡す。愛菜之には水色が似合うと思う。他の色も似合うだろうけど、浴衣と同じ色に揃えるべきかな、と思った。

愛菜之が髪飾りをつけ、少し恥ずかしそうに目を伏せながら聞いてきた。

「どう、かな?」

どうもなにも、可愛い。シンプルな飾りつけだが、いやシンプルな飾りつけだからこそ、愛菜之の可愛さを引き立てていて可愛い。天女か? いや天女だな。

「写真」

「だめ」

「はい……」

写真を拒否されてしまい、少し悲しい。くぅ、撮りたい……。収めたい……。心なしか、手の内のスマホも涙を流しているように見える。泣かないで、我が子よ。

「後で、二人で撮ろ?」

そう言ってにっこり笑う愛菜之。こんなに優しくて可愛い彼女をもって、俺は幸せ者だと改めて思う。

「絶対撮る。じゃ、店員さん呼んでくるよ」

近くの店員さんに言って、水色の花の髪飾りを貸し出しさせてもらった。


「その……私も晴我くんの浴衣姿、見たいなぁ……?」

そう言ってちらり、と俺を見上げる姿が可愛い。可愛いけど、ダメです。

「いや、俺は……」

俺は着ない、と言おうとすると、さっきの女店員さんがすかさずセールスチャンスをものにしようとしてきた。

「カップルで借りると、通常の値段で二人分借りるよりお安くなりますよ」

「だって。晴我くん」

ニコニコと俺にそう言って、黒色の男性用の浴衣を渡してきた。甚兵衛ってやつだ。いつの間に選んでたんだ……。

女店員さんと愛菜之の二人に逃げ場を取られた俺は、大人しく着ることになりましたとさ。


「着ましたよっと」

試着室のカーテンを開けて、愛菜之に浴衣姿を見せる。

「……わぁ、かっこいい……」

「そうかぁ……?」

きっと補正がかかってるんだろう。かっこよければ中学時代、モテてたはずだし。

自分の姿を試着室の壁鏡で見てみるが、やっぱりかっこいいとは思えない。合っているとは思うが。

ていうか、俺に合う浴衣をちゃんと選ぶ愛菜之に感心する。

「かっこいい……好き」

愛菜之の目にハートが浮かんでいるようにみえる。そんなにずっと見られていると、なんだかくすぐったい。

「じゃ、じゃあほら。お金払ってさっさと行こうぜ」

「そうだね」

俺が照れているのを見透かしているのか、俺がさっさと行こうとしていることに、なにも言わず、ただ幸せそうに笑っていた。




「人、いっぱいだね」

時刻は午後五時ごろ。

まだ始まったばかりだというのにかなりの人が来ていた。屋台にも、行列ができている。

「離れないようにしとくか」

そう言って愛菜之の手を取って、手と手を絡めた。

「わ……」

愛菜之が少し驚いたように声を漏らし、赤面している。

「ん? ……あ。ご、ごめん」

俺が当たり前のように、それも恋人繋ぎで手を繋ぎだしたことに驚いたのだろう。

ていうか、最近は手を繋いでいないことのほうが珍しい。夏休みの前は、学校へ行く時も帰る時も手を繋いで、昨日だって寝る時には手を繋いで寝ていた。それのせいか、当たり前のように手を取ってしまった。

慌てて離そうとすると、今度は愛菜之が自分から手を絡めてきた。手と手が密着して、思わず心臓が跳ねる。

「そ、その! ちょっとびっくりしちゃったけど……晴我くんが、晴我くんから、手を繋いでくれて、すごく嬉しい」

ドクンと心臓が鼓動を打つ。手を繋ぐ以上のことをほぼ毎日しているのに、というか一線を超えたというのに、今更こんなことで恥ずかしがってしまう、照れてしまう。

「そりゃ……ありがたい話だ」

緊張して、つまらない返しをしてしまった。向かい合わせで手を繋いだまま、ほんの少しの沈黙が流れる。

「い、行こっか」

「あ、ああ」

二人ともぎこちなく歩きだす。お互い顔を見れない。恥ずかしさとか、照れとか、そういう感情が胸に渦巻く。

けれど、どんな感情よりも、一段と大きかった感情は幸福だった。


「あ、かき氷」

「食べるか?」

愛菜之が、かき氷の屋台を見つけて嬉しそうにしている。

「うん、晴我くんは?」

「俺も食おうかな」

行列の最後尾に並んで、話しながら自分たちの番が来るのを待った。

順番が来るまでの間、暑さのせいか、繋がれた手と手には汗が溜まっていて、それでも繋いだままだった。


「うい、お待たせ!」

威勢の良いおっさんがブルーハワイ味のかき氷といちご味のかき氷を台の上に置いた。

「お代は千円ね!」

「んじゃ、これで」

千円を渡してかき氷を受け取る。前もって財布から出してポケットに入れておいた。カッコつけるならスマートにやるべきだろう。

「あ、私の分まで……」

「お! 兄ちゃん、彼女の分も払うなんてやるねぇ!」

おっさんのおちゃらけに笑って、屋台を離れる。適当な場所で立ち止まって、かき氷を食べはじめた。何年かぶりに食べたかき氷は懐かしい味がした。

「お金、返すよ」

申し訳なさそうにかき氷を持っている愛菜之を慌てて止める。

「いや、いいって。これぐらいしか日頃のお返しできないしな」

「晴我くんからは、いっぱいお返しもらってるよ」

「俺は返せてないと思ってるしさ。あと男ってのは、好きな女の子にはカッコつけたいんだよ」

「す、好きな女の子……うん、嬉しいよ。ありがとう、晴我くん」

申し訳なさそうな表情が明るい笑顔へと変わった。彼女はピンク色のシロップのかかったかき氷をストローのスプーンですくい、口に運ぶ。

「冷たくておいしいよ。本当にありがとうね。晴我くん」

心底楽しそうにしていて、愛菜之をいつまでも見ていたいぐらいだ。ていうかもう見つめてる。

パクパク食べては氷の冷たさと頭の痛さに悶えている愛菜之。黙ったままの俺に気づいたのか、俺に首を傾げて聞いてきた。

「食べる?」

ストローいっぱいにかき氷をすくって、俺の方に向けた。

食べたいわけではなかったが、せっかくだしもらっておこう。

「あむ」

口に入れて数回咀嚼する。ザクリザクリと口の中で氷が砕ける音がした。溶けていった氷はサッと胃の中へと入っていってひんやりと体を冷やしていく。

「……」

愛菜之がかき氷を食っている俺をジッと見つめている。そんなに見られると恥ずかしいんだけど……。

祭りの時って顔が照っちゃうからあんまり見ないで欲しい。汗とか屋台の油でツヤツヤになってる顔とかばっちいし。

「……なにかおかしかったか?」

「え?」

心配になってそう聞くと、愛菜之が慌てて首を横に振った。

「ち、違うの! その、間接キス……」

「え?」

顔がテかってることじゃないらしい。にしても、間接キス?

普通にキスまでしてるのだから、別に恥ずかしがることなんてないと思うが……。

「間接キス、嬉しいなって、思って……。そ、その、ごめんね? 気持ち悪いよね?」


「可愛いぞ」

「かわ、ええ!?」

「そんな可愛いこと言ってると、間接じゃなくて普通のキスがしたくなってくる」

俺がそう言うと愛菜之が嬉しそうな、照れたような、複雑な表情をした。

祭りの雰囲気に当てられて、気持ち悪いことを言ってしまった。引かれたのかもしれない。

ああやだやだ、雰囲気に流されるような芯のないやつは嫌だね。

けれど愛菜之は、気持ち悪いとは微塵も思ってないらしい。

「可愛い、キスしたい……そんなこと思ってくれるなんて、えへへ……」

にへ、っと笑って照れ隠しのようにかき氷をザクザクとストローでつつく。氷の破片があちこちに飛び散る。

そんなに喜ばれると悪い気はしないが、なんか恥ずかしくなってきた。

「あー……あ。んじゃ、お返し」

思いついたように言って、青色のシロップがかかったかき氷をスプーンいっぱいにすくって愛菜之の方に向ける。

「い、いいの?」

「いいからいいから。ほら、はやく食べてくれないと落ちちゃうぞー」

「わ、わわ」

パクッと急いでストローを口に入れる。その姿も可愛くてたまらない。俺と同じように数回咀嚼して、飲み込む。

いつの時だったか。水族館デートの時もこんな感じだったな。

懐かしい、なんてほど昔じゃないけど、俺と愛菜之は出会って、付き合って、三ヶ月が経った。

三ヶ月で体の関係まで持つ……ん? あれ、早すぎやしないか?

初めての彼女だから、そういうことをするまでの期間とかがわからない。でもまぁ、幸せだから別にいいか。

「おいしい……それに、また、間接キス……」

嬉しそうに、愛おしそうに自分の唇に手を添え、俺の唇をみる。

そんなことをされると、さっきの言葉通り、本気でキスしたくなってしまう。

昂る気持ちを抑えるために、何かないかとスマホを取り出してみる。思いついたようにカメラのアプリを起動して愛菜之の写真を撮ってみた。

「愛菜之」

「なぁに? 晴我くん」

愛菜之が、かき氷から俺に視線を移す。パシャッとスマホからシャッターの音がなった。

「あ!」

気づいた時にはもう遅い。しっかりと保存してある。鍵までかけて厳重に保管。

「も、もう! ダメって言ったのに! 恥ずかしいよ! それに、撮るなら一緒に撮ろうよ!」

少し怒り気味に頬を膨らます愛菜之にそう言われ、

「そうだな、んじゃ」

愛菜之と肩が触れ合うほど近くに隣り合い、内側のカメラで写真を撮る。

「は、晴我く!? わ、わわ……えへ……」

ふにゃ〜と幸せそうな表情をしている愛菜之と、楽しそうに笑う俺が並んでいる写真が撮れた。

「ブレてないっ、と」

メッセージアプリで愛菜之に送信してスマホをしまう。

送信されてきた写真を見た愛菜之が、スマホから顔を上げ、また幸せそうに笑いながら言った。

「今までで一番、楽しい夏祭りだよ」




かき氷のカップとストローのスプーンのゴミを捨てて、並ぶ屋台を見て歩く。隣に愛菜之がいるというだけでこんなにも楽しいものなのか。

愛菜之も、そう感じてくれているといいが。

「? どうしたの?」

俺の視線に気づいた愛菜之が、微笑みながら俺を見上げる。

「いや、幸せだなって」

「えへへ、私も幸せ」

「理由は?」

なんとなく聞いてみる。なんとなく、というよりは、俺と同じ理由だったら嬉しいな、という思いから聞いた。

「晴我くんがいるからだよ」

そうだといいな。その思いは、成就していた。目を見張って、愛菜之を見つめる。不思議そうに、幸せそうに俺を見つめ返して、ふふっと笑った。

「……俺も、愛菜之がいるからだよ」

驚きのあまり、言葉を返すのが遅くなった。けれど愛菜之は、その言葉に幸せそうに頷いて、手を握る力を強めた。


「その、昨日と一昨日はごめんね」

「え? なにが?」

唐突な謝罪に驚いて聞き返す。なにか俺が困るようなことがあっただろうか?

昨日と一昨日を思い返してみるが、これといって困ることなんてなにもなかった。

俺が何があったかと悩んでいると、愛菜之が申し訳なさそうに口を開いた。

「私、何回も何回も、晴我くんとしちゃったでしょ?」

確かに、何度も何度も愛菜之に限界まで搾り取られた。けどそれで困ったことは何もない。正直、幸せしか感じていない。

「正直に言うと、幸せでしかなかった」

「ほ、ほんと? ……その、なんで幸せだったか聞いてもいいかな?」

愛菜之が遠慮がちにそう言ってきた。正直、言いたくない。理由の内容が恥ずかしいんで、口に出したくないんだよな……。

けどまぁ、愛菜之は自分が悪いことをしたと思ってるらしいし、その思いを払拭するためにもいうべきか。

「好きな子と繋がれて、その好きな子が献身的にあんなことや、こんなことしてくれるんだから、嬉しいに決まってる。まぁ、限界までっていうのは少しキツかったけど……」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、謝んなくていいって。確かにちょっとだけ疲れたけどさ。俺は嬉しかったし、それに幸せだった」

「……ほんと?」

「ああ。それと、これからは俺も頑張るよ。体力的な部分とか」

「ほんと!? えへへ、えへへへへへへへへへへ……」

俺の一言で、すごい幸せそうな表情で自分の世界に入り込んでいる。またなにかされるんだろうか……。安易に頑張るなんて言うもんじゃないな。愛菜之のためならいくらでも頑張るけど。




「ここ、穴場なんだ」

そう言われて来た場所は人が全くいないところだった。周りには木々が並んでいる。だけどここは広場のように木々が無く、空がはっきり見える。

「花火がよく見えるの。しかも知られてないから、人が来ることはないよ」

「へぇ……よく知ってるな」

「晴我くんとの夏祭りだもん。いっぱい調べたよ」

可愛いことを言ってくれる。嬉しさを噛みしめながら、適当にシートを敷いて二人で座る。さっき屋台で買った袋に入っている金平糖を数粒口に入れた。

「あ、金平糖」

「食べるか?」

「うん」

愛菜之に袋を渡そうとすると、愛菜之が俺の頰に手を添え、キスをしてきた。

驚く暇もないほど自然に、口と口を重ねる。

舌を入れて口の中の金平糖を一つずつ、優しい舌づかいで取っていく。

否応なしに絡む舌と舌、頭に響く淫靡な音。愛菜之の大きく、綺麗な瞳。押しつけられる大きな胸。密着する体。甘い、愛菜之の匂い。

その一つ一つが、欲を掻き立てる。体が反応してしまう。

「……ぷはぁ」

二人見つめ合い、はぁはぁと肩で息をする。そんなに長い時間キスをしているわけでもないのに、あまりの激しさに息をする暇もなければ、息をするのも忘れてしまう。

「甘くて、おいしくて、晴我くんの味がする」

そう言ってうっとりとした表情で、俺の頬へ手を添える。愛菜之の頰は赤く上気していて、とても艶かしい。

「そうだ」

思いついたように、袋から金平糖を数粒取り出した。

「私の味、覚えて欲しいな」

そう言って金平糖を口に放り、俺の首の後ろに腕を回して、キスをしてきた。

さっきよりも、絡みつくように、ねっとりとしていて、甘い味が口に広がるキス。

堰が切れたような、激しいキスだった。激しいとは言っても、さっきよりかはゆっくりだが。

俺の頭の後ろに両腕を回し、抱きしめるようにして、口が離れないようにしている。まるで、捕食されているようだ。

そうして、数秒が経った。愛菜之が力を緩め、少しだけ口を離した。

「ぷはっ……。もっと、私を味わって……? 窒息するぐらい、もっと、もっと……私だけを覚えて……」

そう言って、再び唇を重ねる。本当に窒息してしまいそうだ。心なしか、頭が朦朧としてきている。

このままずっとここで、倒れるまで、キスをしていようか。

突然、空に光が輝いた。遅れて聞こえる轟音。花火が始まった。

我に帰った俺が、愛菜之の拘束から逃げる。

「ぷは……。なんで、逃げるの?」

「ハァ、ハァ……。このままだと、理性が飛ぶ」

ぜぇはぁと息を切らしながら、必要なことだけ言って答える。必死に空気を求めて、肺が痛い。体が苦しい。

苦しい理由は、それだけじゃなかった。

体が、頭が、尋常じゃないぐらいに愛菜之を欲していた。

けれどその激情を必死に抑える。ここは耐えろ。理性がそう語りかける。

「まだ、我慢してるんだ……。私の前では理性なんて、無くしていいんだよ……? 獣みたいに、私を求め欲しい。私を、犯して欲しい」

犯す、という直球な言葉に、体が反応してしまう。

生々しいその単語が、体にぎしぎしと響く。

「い、今は……花火を楽しもう?な?」

逃げの一手を打つしかない。愛菜之の攻めからも、体の内から湧くこの欲からも。

「ふふ、正直になっていいのに。全部受け止めるのに……」

俺の体が愛菜之を求めていることがわかっているのか、愛菜之は可笑しそうに笑う。妖しい彼女の笑みに、唾を飲む。

「そうだね。花火、一緒に見よっか」

逃げきれた。

そう思っていた。




「愛菜之……ほんとに、待って……」

花火が、夜空に光り輝く。

その花火を二人で並んで見ながら、愛菜之はずっと俺の太ももあたりを撫でていた。

時には、人差し指でなぞったり。時には、俺のモノに触れてしまうんじゃないかというぐらいに近くまで手を滑らせたり。

くすぐったさにも似た快感が、太ももから全身に駆けて走る。

「晴我くん。花火、綺麗だね」

そう言ってすっとぼける。だが、手は変わらず動き続ける。

花火が終わるまで、こんな状態なのだろうか。こんなの生き地獄だ。

「まな、の……」

「辛い? 晴我くん」

辛いに決まってる。ずっと下腹部あたりに血が集まっているのが感じられる。

正直、もう耐えられない。今すぐにでも、目の前の女を、愛菜之を、襲ってしまいたい。

自分のありったけの思いを、欲を、ぶつけてしまいたい。

「本当に、限界だから、やめて」

「そっか。じゃあ」

やめてくれる。そうだ、愛菜之は優しい子だ。こんなことはもう終わりにしてくれるはずだ。

そう思っていたのに。

「すっきりしよっか」

彼女は、トドメの、悪魔の囁きをした。ある意味、救いの囁きだったのかもしれない。

「きっと、とっーても気持ちいいよ?」

妖艶な笑みを浮かべ、誘うような声でそう言って、人差し指でつー、と太ももをなぞる。

トン、と背中を押されるような感覚。最後の一押し、というやつがそれだった。

もう、耐えられなかった。限界だった。

「愛菜之……愛菜之っ」

「慌てないで? 私はずっと晴我くんのそばにいるよ」

そう言って荒ぶる俺を包み込むように抱きしめ、浴衣の胸元をはだけさせた。

「外でするなんてドキドキするね。晴我くんが満足するまで、いっぱいしてあげる……」




やってしまった。

本当に、今回はやってしまった。

完全に、愛菜之のペースに飲み込まれて流されてしまった。

「気持ちよかった?」

言ってしまおう。それはもう気持ちよかった。背徳感、罪悪感、いろんな感情が駆け巡る中で快感まで駆け巡る。

高校生にはまだ早い感覚だと思った。ていうかこんな感覚をもう味わいたくない。

「気持ちよかったよ、うん……」

「それならよかった」

嬉しそうに笑ってそう言うが、こっちとしちゃ全く良くない。

今度からは、愛菜之のペースに飲み込まれないようにしないと……。

「さっきも言ったけど、いつでも私を襲ってもいいからね?」

「それはダメだって」

口ではダメだと言っているが、体の、本能の反応は正直だ。こんなんじゃ先がおもいやられる。俺はこんなに忍耐力なかったのかと情けなくなった。




夏祭りも終わり、浴衣も無事……無事かは分からないが、返せた。絶対怒られるだろうと思っていたが、愛菜之が任せてと言ったので任せると、無事に返せた。一体なにをしたんだよ……。

というわけで、あとは帰るだけだ。まるで長い間外に出ていたように感じるが、実際はたったの三日。

色々ありすぎて、長い時間が経ったように感じたのかもしれない。まぁ、そう感じても仕方ないぐらい色々あったわけだし。


行きは電車。ということは帰りも電車。なのだが……。

「人が多いな」

「そうだね」

ぎゅうぎゅうの満員電車だった。普段は座れはしないがスペースは十分ある、というぐらいなのに、今日に限ってはスペースが全くなかった。たぶん、夏祭りの影響だろう。

そのせいで俺たちは今、壁に追いやられていた。俺と壁で、愛菜之を挟む形になっている。

愛菜之とほぼ密着している。大きなお胸が当たってるんですよね……。

今までこのぐらいの距離まで密着することなんて度々あったが、さっきのことのせいで顔が見れない。視線を愛菜之から逸らしていると、愛菜之がふふっ、と笑った。

……嫌な予感がする。逃げねば。頭の奥で警鐘が鳴っているが、逃げ場のないこの場所では無意味だった。

「晴我くん。耳、貸して」

「え? 耳?」

何か話したいことがあって、電車の中は声が聞こえづらいから耳を貸してほしいとかか?

警鐘は誤報だったらしい。耳を貸すぐらいでなにも危険はないだろうし。


そう思っていた自分を殴りたい。

「っ!?」

耳の端を、はむっと可愛く咥えられた。

「お、おい!? 愛菜之!?」

俺が精一杯のボリュームの小声で愛菜之を呼ぶが、やめる気配はない。

少ししてから口を一旦離した愛菜之が、耳元で囁く。

「人がいるのに、こんなことしちゃってるね。ふふ……」

今度は舌で耳を舐める。ぺちゃ、くちゅ、と、淫靡な音が耳元で響く。

「ちょ……! ダメだって……うあっ」

「んっ……。だめだよ、声出しちゃ」

耳に走る感覚に思わず声を漏らすと、近くにいた人が怪訝な顔でこちらをチラリと見た。

ギリギリバレていないから良いものの、このまま続ければバレるのも時間の問題だろう。

「バレないように、声、出さないで……」

そんな無理難題を押しつけられた俺は、電車の中でずっと悶々としながら、耳を弄ばれ続けた。




「今日は楽しかったね」

電車を降りて、愛菜之を家まで送り届ける。今は愛菜之宅の前にいる。

「それならよかったよ……」

俺はかなり疲れましたけどね。愛菜之が楽しかったならいいけど。

苦笑いの俺を見て、愛菜之が俺の手を握って首を傾げた。

「またいろんなことしよ、ね?」

表情は笑顔。けれどその目は、獲物を見る目。ぼかしてはいるが、またいつか、今日みたいなことを仕掛けるという意思を表していた。

このままでは今日のように、いろいろなことを所構わずされてしまうんじゃないかと焦燥する。

危険は回避するべきだ。その回避方法。

だったら、愛菜之をこっちのペースに飲み込んでやればいい。愛菜之も同じ目に合わせればいい。目には目を、だ。

「晴我くん? ……んっ!?」

なんの断りもなく、予兆もなく、唐突にキスをした。

「ん……ぷはっ、晴我く、んむ!?」

口が離れるが間髪入れずにもう一度唇を重ねる。

舌をねじ込み、愛菜之の舌に執拗に絡める。

愛菜之の目がとろける。頰を赤らめて、幸せそうな表情で俺の舌を受け入れ、されるがままになっていた。

そしてそこで俺は、キスをやめた。

「ぷはっ……な、なんで? なんでやめちゃうの?」

息を切らしながらそうたずねる愛菜之に、同じように息を切らす俺は答える。

「今日の、お返しだ」

その答えに困ったような顔をして、俺の服の袖を掴んだ。

「も、もっとして欲しい。晴我くん……」

物をねだる子供のような顔。一瞬、もう一度キスをしようとする体をぐっ、と抑える。

「今日のことを反省したら続きをする、以上」

「は、反省する。反省するからぁ……」

して……? と、誘う声音で言ってきた。また流されそうになるが、心を鬼にしてその誘いも蹴る。愛菜之のためを思ってなんだ。わかってくれ。

「今日はここまでです。じゃあ、またな」

「そ、そんなー!」

愛菜之の悲痛な叫びを背に、俺は家に帰る。

ついでに言うと、俺は夏休みバイトでしばらく会えない。会おうと思えば会えるが、会えるとしても、時間的にそういうことをすることはできないだろう。

これで少しは反省してくれればいいんだが……。

ちなみに俺もこの後、この日のことを度々思い出して悶々としながら過ごすこととなった。

どうにも、うまくいかないものである。

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