第26話

起きた頃、時刻は朝十時ほどだった。

そして、出かけるとばかり思っていたが、結局ホテルでゆっくりすることになった。

それを提案したのは愛菜之だった。

「昨日は、嬉しくて……嬉しすぎて、いっぱい晴我くんに頑張らせちゃったから、今日はいっぱい休も?」

ベッドの上で向かい合わせに座った愛菜之が、そう言って俺の頭を撫でる。

確かに、昨日はすごかった。

何回戦やったんだったか……たぶん、指が足りないぐらいにはしたと思う。

いやほんと、腰砕けって言葉を体感するとは思わなかったよ……。

「いっぱい、甘えていいんだよ」

俺の顔を愛おしそうに見つめて、腕を広げる。いつもなら腕を広げるのは俺だ。けど今は、愛菜之が広げる側になっている。なんだかそれが新鮮だった。


…………甘える、か。

正直、俺はあまり甘えるっていうのがわからない。

昔から父親は単身赴任で家に居らず、母親は仕事で夜遅くに帰ってくることがしばしばあった。姉は、単身赴任の父親の方で過ごしていた。

父さんも母さんも仕事に一生懸命打ち込んでいて、それをかっこいいと思っていたし、邪魔をしたくなかった。だから、とてもわがままなんて言えなかった。

家事だって、学校でのあれやこれも、一人でできることはほとんど一人でやってきた。

甘え方なんて、知らなかった。

「えっと……どんなふうにすればいいんだ?」

愛菜之にそう聞くと、そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、きょとん、としていた。

けれどすぐに優しく笑うと、俺に優しい笑顔のまま、優しい声で語りかける。

「なんでも、したいことを言ってくれればいいの。晴我くんはいつも私のしたいこと、させてくれてるから、今日ぐらいは私にしたいこと、させたいこと、なんでもお願いしてもいいんだよ? たーっくさん、甘えていいんだよ?」

今日だけじゃなくてもいいんだけど、と少し照れたように笑ってそう言った。

「したい、こと……」

愛菜之としたいことは、たくさんあった。されたいこともたくさんある。

……この場合は、ちょっとセンシティブなことを頼んでもいいのか? 彼女がなんでも言っていいって言ってるし……。いや、もうそういうことする気力は今ないけどさ。

「えっと……それじゃ」

「なになに? なんでも言って」

俺の頼みを、嬉しそうに聞いている。そんな健気な姿がとても愛おしい。

「……抱きしめてほしい」

顔が熱くなっているのがわかる。こんなこと、俺から頼んだことは今まであっただろうか。

「抱きしめて、頭を撫でて、耳元で、好きって言ってほしい」

こんなことを頼んで大丈夫か? 幻滅されたり引いたりされない……よな?

愛菜之から、顔を逸らして返答を待つ。不安と恥ずかしさで顔を見れない。

「……嬉しいな」

「え?」

愛菜之から出た言葉は、意外な言葉だった。

嬉しい、と。その言葉に逸らしていた顔を正面に向け直す。

「晴我くんは私にそういうこと、されたいんだよね。私のこと、すごく好きなんだね。好きでいてくれてるんだね」

慈しむような、赤ん坊を見る母親のような目で俺を見つめる。

窓から入る日の光に照らされて、まるで聖母のようにも見えた。

「晴我くんが、甘えてくれるとね。信頼されてるんだなって、好きでいてくれてるんだなって、私のほうが安心しちゃうんだ」

えへへ、と照れたように笑って頬を搔く。

頬が少し朱に染まっていて、愛菜之もこんな風に照れることがあるんだな、と当たり前のことを意外のように感じてしまった。

「じゃあ抱きしめて、頭を撫でて、耳元で、好きって言ってあげるね」

照れ隠しのように俺の注文を繰り返して、愛菜之が俺を抱きしめる。

俺の頭を右手で、優しく撫でて、耳につきそうなほど口を近づけて、好きと囁く。

「好き、晴我くん。好きだよ。好き。愛してる。好き」

言葉を紡ぎながら、撫でる手は止めない。抱きしめる力は優しくて、変わらない。

「満足するまで、こうしててあげるね」

なんだか、とても安心する。体が溶けているんじゃないかと思うぐらい、体の力が抜けていく。

「私のこと、これからも頼って、甘えてね」

私は晴我くんの彼女だから、と、優しい声で言ってくれた。

彼女の柔らかい抱擁は、天国の二文字が合うぐらい幸せだった。

「ふふっ。晴我くん、ふにゃ〜ってしてる」

「いや、安心するからさ……」

安心した。それに、なんだか気持ちよかった。幸せで、幸せで、不安になりそうなくらいに幸せだった。




「……晴我くん、満足したの?」

俺が愛菜之から離れると、少し寂しそうにそう聞いてきた。

犬耳が付いてたらしゅん……って、下がってそうだな……。

けど十分だ。これ以上甘えてなんてられない。

「ああ、元気でた」

「……本当にそうならいいけど、まだ甘えたりてなかったりしない?」

……実を言うと、まだまだ甘えてみたかった。

愛菜之に抱きしめられている間、心地良くて、本当に死んでもいいと思えるぐらいに幸せだった。

まだまだ甘えてみたいが、ダメになりそうな自分がいて怖い。ダメになったとしても、愛菜之が俺を世話してくれそうで、それも怖い。好きな人に迷惑なんてかけられるかって話だ。愛菜之は迷惑じゃないよって言いそうだけど。

「……まだ、甘えたりないよね?」

俺の心を読み取ったかのように、そう聞いてきた。

俺は嘘をつくのは下手だが、さっきのは結構うまくつけてたと思うんだけどなぁ……。

「愛菜之は俺の心が読めるのか?」

俺が冗談っぽく聞くと、愛菜之は人差し指を唇に当てた。

「ひみつ」

「……え?」

待って、本気で読めるのか?

それだったらヤバイ。今まで俺が愛菜之に何々したい、とか、可愛いな、って思う度に、それを読まれてたりしたってことだよな?

考えてたことの内容だが……一緒にお風呂入りたいとか、ずっと抱きしめ合ってたいとか、……エロいことしたいとか、考えていて……。

今更思い出したが、結構気持ち悪いこと考えてたな……。やばいぞ……どうしようどうしようどうしよう……!

「じょ、冗談ですよね……?」

「ふふっ、冗談だよ」

俺が嫌な汗をかきながら、恐る恐る聞いてみると冗談だと言ってくれた。

あぁ……良かった……。

昨日のようにそういうことをしたわけでもないのに、そういうことをした時並みに汗をかいた。寿命が五秒は縮んだ……。

「それと、晴我くんは顔に出過ぎだよ」

そう言って悪戯っぽく笑いながら、俺の両頬に手を添える。すりすりと俺の頬に手を擦り付ける。

されるがままで、俺の顔はたぶんフグみたいになってると思う。

「バレバレだよ? 私に甘えたいの」

からかうように笑って、俺の頬から手を離し、今度は俺の手を取る。すべすべの彼女の手に、俺の手が絡む。

「いっぱい甘えて? そしたら、私も嬉しいから。Win-Winの関係っていうやつだよ」

「……愛菜之が嬉しいなら、お願いするよ」

うんうん! と、嬉しそうに頷いて、また俺は彼女に甘えていくのだった。




「じゃあ、するね」

「お願いします……」

俺は、愛菜之に押し倒された形になっている。

お願いしたことの内容に、この体勢がいいという注文が入っている。

……恥ずかしいけど、これが俺のされたいことなんだよ。

「ん……」

愛菜之が髪をかきあげ、俺の唇に自分の唇を重ねる。

「好き……」

唇を離して、一文字一文字をゆっくりと吐き出し、もう一度唇を重ねた。

「ん……」

なんでこんなことになっているかだが、俺がお願いしたことはこれだ。

お願いしたことは、キス。愛の言葉を囁かれながらのキスだ。

それも一度じゃない。なんども、なんどもしてほしいと頼んだ。愛菜之はそれをしっかりと実行しようとしてくれている。

「好き、大好きだよ……。ん……」

唇が重なって、離れて、好きだと言ってもらえて、また唇が重なって……。

満たされる。体も心も愛菜之に満たされていく。胸にじんわりとあたたかいものが広がって、キスの合間にほぅ、と息が出た。

「好き……好きだよ、晴我くん……」

愛菜之の言葉とキスに、何もかもがどうでもよくなって、今この時のことしか頭にないほど、幸せを感じた。




「どう、だった?」

顔を火照らせ、少し恥ずかしそうに聞いてきた。

「幸せだった……」

幸せ、その言葉に尽きる。食料なしでもあと三日は生きていけそうなぐらい元気になった。

愛菜之パワーはすごい。次世代には愛菜之パワーを推薦するぐらいすごい。

「そ、それなら良かった……。私も、幸せだったよ……?」

もじもじと指を組んで、恥ずかしそうにしている姿が可愛い。昨日あんなことしたのに、こういうことは恥ずかしがるのか、とぼんやり考えていた。

「やっぱり、好きな人とのキスは幸せだね……」

「ああ、そうだな……」

余韻に浸りまくる俺に、愛菜之がもじもじしながらツンツン、と、俺の肩をつついた。

「その、晴我くん……」

「ん? どうした?」

恥ずかしそうにしながら、耐えきれないように俺にぼそり、と言ってきた。

「したくなってきちゃった……」

「…………今、お昼です」

ちょうど正午になった頃だろうか。場所は別にいい。そういうことをするための場所だし……。未だに、俺たちみたいな高校生が入っていいような場所か? と思ってしまう。いやでも、普通に過ごしやすいんだよな、ここ。

「お、お昼からでも、する人はするし……」

「今日一日、俺を甘やかす日じゃ……」

「明日も甘やかす日にするから、ね?」

……なんで反応しているんだ俺のサンは。愛菜之はまだそれに気付いてないからいいものの、気付かれたら捕食ルートまっしぐらだぞ。聞いてんのか息子よ! はやく鎮まりなさい! 昨日、散々愛菜之にファイヤーさせられただろうに……。

「……せめて夜まで待ってくれないか?」

それまでには回復するだろう。そう思いながら愛菜之に聞くと、とても耐えきれないように俺を見ていた。

「よ、夜まで……? うう……」

どうしたものかと考えていると、愛菜之がなにやらごそごそと鞄をいじっていた。そしてなにかを口に含み、

「……ごめんね、晴我くん」

そう謝ってきた。

突然の謝罪に眉を寄せる。なにについて謝られているのか考えていると、目の前に彼女の整っている顔が急接近してきた。

「んむっ!?」

一瞬の内に、口を塞がれた。さっきのような、甘やかす時のような軽いものじゃない。深く、深くキスをしてきた。

舌を入れられて、そして口の中になにかを入れられている感覚があった。

勢いのせいで、それが何かも知らずに飲み込んでしまう。そしてまた勢いのせいで、ベッドに押し倒されてしまった。

「んぐっ……!? げほっ、ごほっ……なにを飲ませたんだ……?」

「すこーしだけ元気になるお薬だよ」

愛菜之の目が完全にやばい目をしていた。昨日の、俺を見ていた目とは段違いにオーラを放っている。

食われる。

そう確信した。

「ね? したくなってこない? これ、即効性があるんだって」

「マジかよ……」

言われてみれば体の芯が熱くなってきた、ような気がする。

けどダメだ。ここで流されたら、きっとこの先も同じように搾り取られてしまう。

今ここで、ちゃんとブレーキをかけておかないと大変なことになる。

「……いや、したくない。まだしたくない」

「……ふぅーん」

少し不満そうに口を尖らし、俺に馬乗りの状態で腰のあたりを触る。その手つきは手慣れていて、俺の体を俺以上に知っているんじゃないのかと思ってしまうほどだった。

「これでも?」

「……な、ならない」

「ふぅーん……」

さっきと同じように不満そうに口を尖らして、腰のあたりを触り続ける。ビクリと反応してしまうのがバレないように、細心の注意を払う。気を張っていないと、腰が浮いてしまいそうだ。

どうにかギリギリ耐えていると、彼女はどこから出したか、自分のスマホを俺に見せてきた。

「ねぇ。これ、見て」

「……?」

困惑しながらスマホを見る。画面は真っ暗で、なにも映っていない。

だが数秒後。

「……!? これって……」

画面に映ったものに、目を見張る。

映っていたのは、愛菜之の後ろ姿。それも、下着姿の。

そして、下着姿の俺。

「気付いた? これ、昨日の、私たちの初めての夜の動画だよ」

ぎこちなく彼女に手を伸ばす俺と、それを幸せそうに受け入れる彼女が、画面に映っている。

「昨日は、いっぱいしたよね。愛を確かめ合って、お互いを受け入れあって」

スマホを俺に見せながら、彼女の手つきは休まることはない。

「優しく私のことを愛してくれたよね。すごく嬉しかったよ」

スマホをちょいちょいと操作して、愛菜之はまた俺に見せてきた。

そこには、激しく俺を求める彼女が映っていた。髪が乱れて、上気した彼女の肌。汗が混じり合って、ゼロ距離で密着し合う肌が奏でる音。

ごくりと、唾を飲み込む。段々と息が荒くなっていく。

スマホのスピーカーから流れる卑猥な音と、彼女の声。

スマホから目線を外して、彼女を見る。妖艶な笑みを浮かべる彼女は、俺の下腹部のど真ん中を触っていた。手の内の感触に、彼女は嬉しそうに唇をちらりと舐める。

「したくなってきたでしょ?」

「っ……」

スマホを隣の机に置く。けれど電源はつけたままで、音は相変わらず聞こえていた。

彼女は満足そうに、俺のズボンに手をかけた。

「じゃあ……つながろっか」




「しゅ、しゅごい……」

そう言ってビクッ、ビクッと体を震わせる俺。

そう、俺だ。

こういうのって女の子のほうがなるもんじゃないのか。知らないけど。知らないけどっ!

「えへへ、かわいい……」

愛菜之の方はというと、艶々としていた。過去一番に元気そうだ。

「そんなえっちな顔しちゃダメだよ晴我くん。また、食べたくなっちゃうよ……」

「も、もう無理だって……」

「ダーメ。晴我くんの出せる量は、昨日のうちに把握したんだから」

まだまだ晴我くんは出せるよ、と言ってきた。

一夜にして俺の射出量を把握されて、管理されている……。

正直、悪くないとか考えてしまっている自分がいる。愛菜之に管理されるなら万々歳だ。

「あと、晴我くんにお知らせがあります」

嬉しそうに、さっきと同じ馬乗りになりながら言ってくる。さすがにもう反応しないかと思っていたら、俺の体はしっかりと反応を示す。これ、もう条件反射の域なんじゃないか……?

それと、お知らせ……? 一体どんなお知らせだろう。いいお知らせだと良いんだけど……。

「私が飲ませた元気が出るお薬、あれはただのビタミン剤です」

その言葉に、俺は思わず思考がショートする。

あーと……えと、つまり……?

「晴我くんは、お薬のせいだと思ってたんだろうけど……ぜーんぶ晴我くん自身が求めたんだよ?」

……どうやら俺は、思った以上に体力があるらしい。そして、欲も。

……でも、あれは薬……ビタミン剤だけのせいじゃないと思うんだが。愛菜之が一番の精力剤になったというか……。

「晴我くんは、私に誘われたら正直に体が反応しちゃって……私を求めちゃうんだよ」

もう私からの誘い、断れないね。と、クスリと笑う。

引き摺り込むような笑みを浮かべ、愛菜之は続ける。

「私に誘われたら断れない……私に誘われたら、いやでもえっちな気分になっちゃうの」

愛菜之が、俺の耳元に口を近づける。漏れ出る吐息が耳にかかって、背中がゾクゾクと震える。

「晴我くんの、すけべ」

ぽそっ、と息を吐くように、囁くように彼女はそう言った。

それだけで俺の体は、もう若干の反応を示していた。

「でも、そんな晴我くんのことも好きだよ。晴我くんが、すぐ私に欲情しちゃう、えっちな男の子でも……大好き」

……このままじゃ本当にダメだ。さっきみたいにまた流されたら、主導権を握られっぱなしで、きっと大変なことになってしまう。

だから俺は、反論した。

「俺は愛菜之がえっちな女の子だと思う」

「ふぇっ!?」

カウンターを放たれるとは思ってなかったのか、それとも言われたことがあまりにも予想外だったのか、愛菜之はとても驚いていた。

「こんな昼間から誘ってきて、あげく俺の量まで把握して……どんだけえっちな女の子なんだ、愛菜之は」

「う、うぅ……あぅ……」

俺に言われたことに言葉が出ないのか、愛菜之は顔を赤くしたまま唸っている。

「でも好きだ」

「……ふえ?」

理解が追いついていないのか、愛菜之がよくわからない表情をする。

このまま押し切って、どうにかバランスを保つんだ。

「可愛いし、えっちだし、いい子だし、家事全般は出来て、その上可愛い」

まだまだ言い足りないが、これぐらいにしておこう。じゃないと、愛菜之が熱暴走を起こす。

「な、なんで可愛いって二回言ったのぉ……」

「大事なことだからな」

これは譲れない。だって可愛いんだもの。はれが。

どこぞの詩人ぽく言って、重要性高めてみる。

「これ以上愛菜之を好きになるのをやめなきゃ、暴走しそうだ」

「暴走してよ……」

「もうそんな元気がない」

「あぅ……、ご、ごめんなさい……」

申し訳なさそうに俯く彼女に苦笑しながら、だから、と俺は続ける。

「夜には暴走させてもらう」

「よ、夜……? ……今日の?」

「今日しかないだろ?」

これは予想だが、愛菜之は二日分、部屋をとっているんだろう。

はずれてたら恥かいて終わりだけどな……。

「な、なんで二日分部屋をとってること、知ってるの?」

おっ、当たってた。

……俺は得意気だけど、これ、当てられる側はたまったもんじゃないだろうな。経験者なんでね。

「家族への連絡について聞いた時、愛菜之は俺の親が二日、家にいないことを知ってた。愛菜之ならその二日分、部屋をとるかなって思ってな」

ただの憶測だけど、まさか当たるとは思ってなかった。

引かれるかと思っていたが、愛菜之は目を見張り、そして目を細めた。

「……晴我くん。私のこと、理解してくれてるんだね」

「当たり前だ、大好きな彼女のことは理解したいんだ」

調子に乗った俺はこんなことまで言う。悪い癖だな。一体いくつ悪い癖を持てば気が済むんだろう。欲張りさんか?

「ま、またそんなこと言って」

「本当のことを言ったまでだ」

「……もう一回、したくなってきちゃった……」

「ちょ、お願いだから休ませてください」

これ以上はさすがに勘弁。もうマジで限界だ……。




結果的にいうと、もう一回した。

据え膳食わぬはなんとやら、だ。ああ、つがれだ……。

でもやっぱり、好きな人とあんなに密接に触れ合えるなら何度でもしたいと思ってしまう。人間は、欲には勝てない生き物なんだと感じた。

愛菜之に、風呂に一緒に入るか聞かれたが、一緒に入ったらまた愛菜之に誘われそうだから断っておいた。

なんで愛菜之は疲れてる様子がないんだろう。体力をつけることを、昨日よりも心の底から誓った。




断ったはずですが、一緒に入っているのはどういうことでしょうか。

「ごしごしー、ごしごしー」

ふんふんと楽しそうに鼻歌を歌いながら、俺の体を素手で洗う。タオルはやっぱりないらしい。手で体をあちこち触られるこの感覚には慣れないが、体で洗うとか言ってこないのはまだ救いだった。

「別に洗わなくていいって……」

「晴我くんに触れたいんだもん。それに、晴我くんを触ってると幸せだし……」

そう言われると、断りづらいから困る。これをわかってて言ってそうで、ちょっと恐ろしさを感じる。

風呂に一緒に入るのを一度断ったが、すると笑顔で、入るよね? と再度聞いてきた。

人間の表情の中で一番怖いのって笑顔だと思う。

「うおっほい!?」

素っ頓狂な声をあげてしまったのは愛菜之が手ではなく、胸で俺の背中を洗ってきたからだ。

救いはなくなりましたとさ。はは。

むにゅ、むにゅっと背中に押しつけられる感触がくすぐったさにも似た快感を伝えてくる。風呂に入っているのに、鳥肌が立ってしまった。

「私と一緒にいるんだから、私のことだけ考えて?」

「わかっ、わかったから胸で洗うのやめて!」

ていうか、愛菜之の事以外考えてないんだが!?




「疲れた……」

まだ時刻は午後三時頃だ。夜には暴走するなんて言っていたが、正直無理な気がしてきた。

「よし、よし……大好き、大好き……」

愛菜之の膝枕が最高に気持ちいい。好きという感情に満ち満ちている瞳で俺を見つめながら、俺の頭を撫でて言葉を紡ぐ。

「ごめんね。張り切りすぎちゃって……」

「いや、いいよ……幸せだし……」

「ほ、ほんと? ……私も幸せだよ」

目を開ければ、目の前には俺を見下ろす愛菜之の顔がある。疲れが取れるまで、いや、ずっとこうしていたい。

「愛菜之」

「なーに? 晴我くん」

「しばらく、こうしてていいか?」

「うん、もちろんだよ」

俺にお願いされたことに、さっきよりも一層幸せそうな顔で了承する。

「晴我くんも、甘え方がわかってきた?」

すりすりと手の甲を俺の頬に擦り付けながら、にっこりと笑って話しかけてくる。

されるがままになりながら、気の抜けた声で俺は応える。

「ああ……。甘えるって幸せなことなんだな……」

「でしょ? だからこれからは、もっと私に甘えてね」

「そうさせてもらうよ……」

疲れが取れたら、今度は愛菜之のお願いを聞いてあげたい。

そう思いながら、俺の目蓋は閉じていった。

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