第21話
……というわけで。
撫でられ癖はこの三日で撫でられることに幸せを見出してしまったから、というのと、俺が安易に毎日でもするとか、あと俺自身、歯止めが効かないということだったり。
原因は色々あるが、どうにかしないといけない。
あまりずぼずぼ浸かっていってしまうのは良くないだろうし。
そしてもう一つ、取り止めたいこと。
周りの人達を前にして行うイチャイチャ行為だ。別に嫌というわけではないが時と場合っていうものがあるのでね。
だが、これをやめさせる方法というのが中々ない。
受け止めると言った手前断ることができないのだ。後先考えず発言した結果がこれである。
俺が多少恥ずかしさとか照れとかの感情を我慢すれば済む話だが、愛菜之が俺に依存しすぎるのも問題だろう。
依存。
他のものによりかかり、それによってなりたつこと。
それがなければ、なりたたない。
よりかかるものがなくなればそれは倒れてしまう。
もしも俺がいなくなってしまったら。それで愛菜之になにかあったら。
……だから、あまり俺に依存するのはやめてほしかった。一度、リセットしなければならない。
そのためには、距離を置く必要があるんだろうが……。
愛菜之のためにも、強引にでも距離を置かなければいけないと思った。それをどのタイミングで言うべきか悩みどころだ。
「晴我くん?」
「……ん?」
唐突に名前を呼ばれ、思考が現実へ引き戻される。
今は、昼休み。公開キスの一件から、俺たちはもう例の教室ではなく、自分たちの教室では昼食を取っていた。
愛菜之は、もう周りを気にせずイチャつけると思ったのだろう。
「なに、考えてたの?」
笑顔の愛菜之にそう聞かれる。
いつもなら、愛菜之を暴走さしかねない言葉は言わない。だがこの時だけは、あまりに考えに没頭してしまっていた。
「愛菜之と距離を置こうかなって……」
ポロリと、漏れ出た一言。
最後の方は尻すぼみになって、周りの生徒の声もあって聞こえづらいはずだろうに、愛菜之はしっかりと聞き取り、ピクリと反応した。
「…………なに、考えてるの?」
「……え? あっ、いや、今のは……」
これはどうやら誤魔化しなんて効かないらしい。それを言葉ではなく、視線だけで伝えてくる。そんな愛菜之の目が怖い。
「……私は、晴我くんがいないと生きていけないんだよ? どうして、そんなこと言うの?」
「いや、その……」
俺がしどろもどろになり、答えに詰まっていると、俺が聞いたこともないような低い声で、
「今日、私の家に来てね」
にっこりと笑いながら、そう一言だけ短く言った。
「はい、あーん」
そして、何事もなかったかのように弁当を食べさせてくる。この話はこれでおしまいだと伝えるかのように。
「あ、あーん」
嫌な汗が止まらない。まだ夏は遠いというのに、背中にシャツが張り付くほどに汗をかいていた。
「おいしい?」
「お、おいしいよ……」
不安で、いつもなら美味しいと感じる弁当の味もわからない。
一体、俺はなにをされるんだ……。
それだけが気がかりで、そのあとの授業も、愛菜之との会話も上の空だった。
放課後、愛菜之の家に約束通り行った。
約束なんてしたつもりはないが、断れない。なぜかはわからないが、断ったら危険な気がした。
行った、というより連れて行かれた、という方が正しいのかもしれない。
「入って入って」
楽しそうに言う愛菜之だが、嫌な予感は消えない。愛菜之が俺の背中を押すが、その感触にまるで喉に刃物を突きつけられたような感覚を覚えてしまった。
「お邪魔します……」
警戒心を強め、家に上がる。
リビングへ入ると、ソファへの着席を促された。そのまま、促されるまま従う。
「晴我くん、コーヒーでいい?」
「え? あ、ああ……」
俺の上の空の返事に、なぜかはわからないが上機嫌の愛菜はふんふーん、と鼻歌を歌いながらお湯を沸かし始めた。
「はい」
愛菜之が、カップをテーブルに置いた。真っ暗かと思われたコップの中は、茶色だった。
俺が甘党だということを考え、砂糖とミルクをあらかじめ入れておいたのだろうか。
「あ、ありがとう……」
「一緒に飲も?」
そう言って俺の隣に座り、自分用に用意したであろうココアを美味しそうに飲んでいる。
「い、いただきます」
そう言い、一口飲む。
それは、ミルクも砂糖も俺好みで、とても美味しかった。
本当に、俺のことを知り尽くしているんだと感じた。
「ねぇ、晴我くん」
「……な、なんでしょうか」
思わず敬語になる。
ふふっと愛菜之が笑い、敬語になってるよ、と楽しそうに言いながら、とん、と頭を俺の肩に預けてきた。
「なんで、お昼にあんなこといったのかなぁ?」
そう言って俺の太ももに手を置いた。
「っ!? ま、愛菜之……?」
突然のことに、ビクリと肩を跳ねさせてしまう。太ももから伝わる愛菜之の手の感触。
太ももを右手で撫でながら、顔をどんどん近づけてくる。
耳元に口を近づけ、囁く。吐息が耳を撫でた。
「私は、晴我くんがいないと、ダメなんだよ?」
耳に愛菜之の声が触れる。愛菜之の息の音も拾ってしまうほどに距離が近い。
一言一句をゆっくりと大切に話す。まるで小さな子供に言い聞かせるように。
これを、幸せに感じてしまう。ダメだ、と頭が警鐘を鳴らす。このままでは、おかしくなってしまうと。
「どうしてあんなこと言ったのかなぁ?」
「……溺れちゃ、依存しちゃ駄目だ。俺になにかあったらどうする。それに愛菜之は俺がいなくてもやっていける。一度距離を調整しようと思ってるだけだ。別れたいわけじゃない」
「……ふーん」
俺の返答を聞き、真顔になりながら顔を離す。
やっと解放されたのだろうか。内心ほっとしていると
「晴我くん、膝枕してあげるね」
そう言って自分の膝をポンポンと叩いた。唐突なその申し出に、拒否するか迷っていると、愛菜之は畳み掛けるように言葉を放つ。
「どうぞ」
笑顔でそう言い、俺が頭を預けようとするのを待っている。
ここは、大人しく従ったほうがいいのだろうか。いや、従わないといけない気がする。
あげる、とは言っているがそれはただの体で、本当はさせろ、というような意味なんだろう。
雰囲気と、愛菜之の笑みの圧力からそう感じた。
「お言葉に、甘えて……」
ゆっくりと頭を預ける。柔らかくて、暖かい彼女の膝。ふわりと、彼女の甘い香りが広がる。頭の奥深くまで、彼女に染まりそうだ。
「晴我くん……晴我くん…………」
俺の名前を愛おしそうに何度も呼ぶ。なぜだろう、眠くなってきてしまった。そんなに愛菜之の膝枕が心地良かったのだろうか。
……まさかとは思うが、薬を入れたり、なんて。
それは、ありえ、ない、か? ……わから、ない。
頭が働かない。睡魔に襲われて、このままじゃ眠ってしまう。なぜだかわからないが、抗いたくても抗えなかった。
最後に、甘くて優しい、愛菜之の声が聞こえてきた。
「おやすみ……晴我くん……」
……ん…………?
目が覚めた、のか?
目を開くが視界は暗いままだ。これじゃあ、目を開いているのかいないのかさえわからない。
「起きた? 晴我くん」
愛菜之の声がする。しかも耳元で。
目隠しをされているのだろうか。そしてどうやら俺は椅子に座らさせられているみたいだった。
立ち上がろうとするが、手首になにかが食い込む感触があった。
ジャラジャラと音を立てるものは、たぶん手錠だろうか。
その手錠で、椅子と俺の手が繋がっており、立ち上がれなかった。
「ダメだよ、逃げようとしちゃ」
「逃げるつもりじゃなかったんだが……」
思わず反射的に口を開いたが、喋れた。つまり口を塞がれたりはしていないらしい。
「それで、なにをするつもりなんだ?」
俺が聞くとふふっ、と楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「今から晴我くんには、私たちは離れちゃダメってことを教えてあげるね」
離れちゃいけないことを教える……?
この状態でどうやって教えるのか考えていると、耳にふわりと吐息がかかった。
さっき感じた感触。産毛が撫でられて、逆立っていくのを感じた。
「…………大好き」
耳元で愛の言葉を囁かれる。
吐息と、発せられる声が耳に触れるたびにビクリッと体が反応してしまう。
「大好き、愛してる、好き、好き、愛してるよ、大好き、好き、愛してる、愛してる愛してる愛してる」
その音色に、幸せを感じてしまう。幸福を、悦びを感じてしまう。
たまらない幸せを、止めどなく溢れる感情を感じる。
「……どう? 囁かれただけですごく幸せな気分になってない?」
たしかにその通りだった。幸せで、今にも体の内から何かが溢れそうだった。
「愛菜之」
「なぁに? 晴我くん」
甘ったるいその声は、名前を呼ばれたことを心のからの幸せだと表しているようだった。
「手錠を外してくれないか」
「…………ダメだよ、逃げるつもりでしょ?」
「逃げたりしない。もし、逃げたら一生俺を好きなようにしていい」
殺してもいい、と付け加える。
とにかく一刻も早くこれを外して欲しくて、そんなことまで口走ってしまう。
「……私は、晴我くんを殺したりなんてしないよ?」
殺す、の部分で、愛菜之の声のトーンが少しだけ落ちた。気がした。
「逃げないって、本当にほんと?」
「ほんとだよ、だから早く外してくれ」
「……うん、晴我くんのお願いなら。晴我くんを信じてるから」
愛菜之がそう言うと、後ろの方でカチャリカチャリと金属と金属が擦れる音がした。
手からなにかが離れていく感覚を感じた。
「逃げちゃダメだよ? 逃げてもいいけど、逃げたら……」
その言葉を遮り、俺は立ち上がる。目隠しはしたままだったが、そんなものどうでもいい。
言葉を遮られたことに少し驚きながら、俺の胸に手を置く。
「逃げないんだもんね? じゃあ、目隠しも外してあげ……」
俺はもう一度愛菜之の言葉を遮る。
愛菜之を力一杯抱きしめることで。
「……愛菜之」
「……晴我、くん……」
俺に抱きしめられ、彼女の声が蕩けたものに変わっていく。甘えるような、誘うような声。
それがより一層、俺の感情を煽り立てる。
「愛菜之……好きだ」
「はれが、くん……」
恍惚とした声で、途切れ途切れに俺の名前を呼ぶ。
「俺は、愛菜之が依存しちゃ駄目だと思ったから離れようって言ったよな」
「……晴我くん?」
甘い声は不安そうな声に変わっていく。俺からなにが語られるかを考えているのかもしれない。
「けど違うんだ。違ったんだ。怖かったんだ。愛菜之に溺れることが、依存することが、もっと好きになることが。だから距離をおこうと思ったんだ」
俺の言葉を聞き、愛菜之が俺の背中に回している手にギュウッと力を強めている。
結局俺は、愛菜之のためだなんて御為倒を言っていたんだ。
本当はこんなにも怖がって、進めていない自分が悪い話だった。
「でも、離れるのは嫌なんだ」
認めてしまえば楽になる。だが認めてしまえば完全に溺れる。
だがこう思ってしまった。
溺れても構わない、と。
「愛菜之と離れたくない」
認めた、認めてしまった。もう戻れない。
───戻る気なんて、もうない。
「今まで、我慢してきた。けどもう、無理だ」
抱きしめる力を緩め、愛菜之を解放する。
ふっ、と愛菜之が息を吸う音が聞こえる。力一杯に抱きしめてしまい、彼女は苦しかったのだろう。
「俺はもっと、愛菜之と触れ合いたい」
言ってしまった。言えばお互いタガが外れてしまうと思ってブレーキをかけてきた。
だけど、もう抑えられなかった。
「……晴我くん」
俺の名前を呼ぶ。幸せそうに、慈しむように。
「晴我くん…………晴我くん晴我くん晴我くん晴我くん晴我くん!」
俺の名前を何度も呼ぶその姿がとても愛おしくて、無意識に俺はもう一度抱きしめていた。
体の内から不自然なほど溢れる、愛菜之を思う気持ちのままに。
晴我くんから求めてくれるなんて、なんて幸せなんだろう。
前にも晴我くんは私を求めてくれたけど、今はその比じゃないぐらい、嬉しい。
これも、薬のおかげなのかな…………。
睡眠薬と一緒に、少しだけ元気になる薬も入れておいた。
その薬のおかげなのか、晴我くんはとても情熱的に私を求めてきてくれた。
これで、また晴我くんは私を離さないでいてくれる。
嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい……。
抱きしめられながら、私は彼の大きな背中に回していた手に力を入れた。
離さないって思いが伝わればいいな。伝わったら、そしたら、晴我くんはまた喜んでくれるかな。
こうやって、お互いにお互いが溺れていく。息ができないくらい、お互いに満たされていく。
堕ち続けよう。溺れ続けよう。
誰の目にも留まらないほどに、深く深く。
世界には、私たち二人だけ。
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