第18話

「なんで来たんですか、先輩」

険の含んだ声で猿寺は部室に入ってきた男子生徒を迎えた。

「なんで来た、と言われても……僕は一応、この部活の部長だし……」

「でも先輩、来ることなんて滅多にないですよね?」

めんどくさそうに答える男子生徒、変わらず声に険を含めている猿寺。

この先輩がいざこざの原因みたいなものだろうか。

「滅多に、ってわけでもないけど……君が来ない時は来てるよ」

「私はほぼ毎日来てるわけですからそれだと先輩ほとんど来てないってことになりますよ」

「昼休みは君は部室には来ないだろ、僕は昼休みに来てるんだ」

「……そういうことですか」

少し不服そうにつぶやく猿寺に、どこか悲しそうな顔を向ける先輩はすぐに表情を真顔に戻し、俺たちを見た。

「それで、この人たちは……」

「あ、えっと、俺は宇和神晴我です。こっちの腕にしがみついてるのは重士愛菜之」

「はぁ、どうも。僕は高尾下兼久たかおかかねひさ。よろしく……」

高尾下先輩は、なんだかやる気がなさそうに見える。めんどくさそうに、猫背でため息を多く吐いている。

「……じゃあ、僕は帰るよ」

「え?もう帰るんですか?」

俺が驚き、聴くと猿寺が代わりに答えた。

「先輩は私がいると帰るんですよ。前はこんなことなかったのに……」

「ええ……」

俺が困惑している間に、先輩は帰る準備を整えたようだった。まぁ整えるもなにも置いていた鞄を手に取っただけだが。

「じゃ、ごゆっくり」

さっさと帰ろうとしているが、部活はしないやうだ。

どう声をかけるか迷っているうちに先輩は足早に帰っていった。

「……あれが、いざこざの原因です」

「まぁ、そんな予感はしてた」

逆にそれ以外だとそれはそれで驚く。

「あんな感じなんですよ、先輩。部員は私と先輩の二人しかいないのに、ああやって私がいると帰るんです」

「待った、部員二人しかいないのか?」

「そうですよ? 言ってませんでした?」

初耳なんだが。ていうかこの学校は部員が二人でも部活と認めるのか。部員二人でも部室くれるのかよ。

「そんなことはいいです。それでなんであの先輩は私がいると帰るんですよ。しかもですよ!?」

「お、おお……」

急に感情的だな。あと顔近づけるのはやめて。愛菜之が怒る。

「あの先輩は! あろうことか! 風景しか撮らんのです!」

…………え?

「風景だけ、撮るのか?」

「そうです!」

「……別に良くないか?」

俺がそう言うと更にむっふー、と怒り、ブンブン首を横に振った。髪の毛がビチビチ当たって痛い。

「人が写った写真は全て削除! そして駄作と呼び! 人類滅べと言いおる!」

「最後のはやばいな」

「駄作って呼ぶのと人類滅べって言ってたのは嘘です」

「うそかよ!」

なんだよ。紛らわしいことしないでほしい。

あの先輩なら言いそうだな……って思っちゃったよ。

「それで! 私は何度も説いてるんです! 人を写すことの素晴らしさ! 尊さを!」

……なんていうか、押し付けになってそうだが。逆効果だと思うがなぁ……。

「そしたらですよ!? なんて言ったと思います!?」

「え? さ、さぁ……」

顔近づけるのやめてくれって。テンション上がるとズームするの癖なのか? テレビカメラかなにかか?

「人なんて写してなんになるの? 人なんて見せかけばかりなのに、とかほざきおったんですよ!」

「そりゃまた……個性的な言い方を……」

捻くれてるって言いかけた。危ない危ない。

「許しちゃおけません!処す!」

「やめい!」

危ないのは猿寺の頭と先輩の命だったわ。


「落ち着いたか?」

「落ち着きません」

「いや落ち着けよ」

十分ほどイスに座って大人しくしてもらったが興奮冷めやらぬ様子だった。しゅふー、しゅふーと熱暴走したロボットみたいな息の吐き方をしている。

「晴我くん、そろそろ……」

自分の世界から帰ってきた愛菜之がちょんちょんと俺の肩を指で押して壁にかかっている時計を指す。

「うん、時間がな……」

もうすぐで日が沈みそうになっている。外は夕焼けでオレンジに染まって、部活生の元気な声もあまり届いてこない。

「……すいません」

猿寺は苦しそうにそう言い、頭を下げた。思わず、愛菜之と顔を見合わせる。

「時間はないのに……こんな、迷惑までかけてるのに……」

拳をぎゅっと握り、言葉を絞り出すその姿に、俺は首を振る。

「迷惑じゃない」

迷惑だなんて、これぽっちも思っていない。

「今日ダメなら明日だ。まだ二日はある」

「……ありがとうございます」

礼を言われたが、どこか他人行儀に思えて少し不安なる。

「礼は全部終わった時に言ってくれ。それまでは協力してどうにかすることに専念しようぜ」

「……そうですね」

猿寺の浮かない表情が心残りだったが、その日は時間も時間なのでそのまま解散となった。


「晴我くん。その、あのね……」

帰り道、愛菜之が遠慮がちになにかを言おうとしていた。

毎度のことだが、帰るときは腕を組んで歩いている。組んで、というより俺の腕に愛菜之が抱きついている感じだが。

「ん?どした?」

「う、ううん。やっぱり、なんでもない」

困ったように笑い、ぎゅっと抱きしめる力を強くする。

……あまり遠慮されると、ちょいと寂しい。

「遠慮なく言えって。俺の出来る限りならなんでもするから」

そういうとまた力を強めて、頬を腕に擦り付ける。

「は、晴我くん。あんまりそんな簡単に、なんでもするとか言っちゃだめだよ……」

おそっちゃうよ……? と最後の方で小さい声で言っていたのはスルーしておこう。

「いいからいいから。ほら、言ってみ? 言いにくいなら無理に言わなくてもいいから」

俺がそう言うと意を決したように俺を見て、こう言った。

「なでて!」

「え? ……頭を?」

「うん!」

期待しているのか、目をキラキラと輝かせている。なんか尻尾と耳がついてるように見える。そういえばさっきの犬耳可愛かったな……写真撮ればよかった。メイド服のしか撮ってねえや。

……なんでもするって言ったし、なでるくらいなら……。

「撫でればいいんだな?」

「うん! 頭以外もいいよ!」

「いや、普通頭だろ」

「晴我くんに撫でられるならお腹でも胸でもどこでもいいよ!」

ばっちこいだよ! と、やる気充分に言っている。

あんまり理性蒸発させるようなことは言わないでほしい。おそっちゃうぞ……?

周りに人がいないか確認してから、愛菜之に確認をとった。

「じゃ、なでるぞ」

「う、うん」



「じゃ、なでるぞ」

「う、うん」

私のお願いを聞いてくれる晴我くん。

すごく優しくて、かっこよくて。

晴我くんの手が私の頭に伸びる。

触れる、晴我くんの手が私の頭に。

ふわりと、優しく頭に手を置かれた。

そのまま優しく、なでてくれる。

晴我くんの手は、あったかくて、ゴツゴツしてて、男の人の手だった。

晴我くんの手があったかくてあったかくてあったかくてあったかくてあったかくて、私まで体が熱くなってきそう。


不意に、晴我くんの手が離れた。

なんで、離すの?

そう思って晴我くんを見ると、少し照れてる様子で、私を見て、

「これでおしまい、な」

そういった。

でも、足りない。まだ、全然足りない。

「もっと、なでてほしい……」

私のお願いをなんでもきいてくれるって、晴我くんは言った。言ってくれた。

「……もっと、なでて?」

私がそう言うと、晴我くんは苦しそうな顔した。

私、なにか言っちゃダメなことを言ったのかな。

やだ。

嫌われたくない。

きらわれたくない。

「ご、ごめんなさい! わがまま言っちゃって……聞かなかったことにし……」

私が慌てながらそう言うと、突然、晴我くんが私を抱きしめた。



「……もっと、なでて?」

……はぁー……。

なんでそんなに可愛いこと言うんだ。耐えられなくなるんだよなぁほんっとによぉ!

「ご、ごめんなさい! わがまま言って……聞かなかったことにし……」

愛菜之がなにかを言っていたがもうその時には行動に移っていた。

愛菜之の、細くて柔らかい身体を抱きしめた。

「……え?」

案の定、愛菜之は困惑している。愛菜之の体は固い。

「……ごめん。ちょっと抑えられんわ」

俺が謝ると、愛菜之が体を俺に預けた。固さも、なくなっていた。

「嬉しい……」

嬉しいのはこっちだが? なんだこの子可愛すぎかよ。

「明日も、こうして……それで、なでてくれる?」

「俺からしたいぐらいだ」

「……明日も明後日も、一週間先も、ずっとずっと、してくれるの?」

「するよ、絶対に」

どこか不安そうな愛菜之を、安心させたくて毎日なんて言ってしまった。けど、後悔はない。

愛菜之の俺の背中に回していた腕の力が少し強くなった気がした。



「するよ、絶対に」

晴我くんは、そうこたえてくれた。

私のことだけ見てくれるこの人が、晴我くんが、好き。

大好き、大好き、大好き大好き大好き大好き。

ああ、すごく、すごく、


幸せ

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