第17話

「はい、あーん」

いつもの人気のない教室で二人で昼ご飯を食べている。口の中には卵焼きの甘い味が広がっていて、とても美味しい。

「おいしい? 今日はいつもよりうまく作れたんだけど……」

口の中を飲み込んでから、感想を伝える。

「ああ、おいしいよ」

「ほんと? えへへ、よかったぁ……」

安心したように、嬉しそうに笑っているそんな姿に愛おしさを覚える。

そしてこの後、彼女は決まってお願いをする。

「じゃあ、その、あの……」

「……はいよ」

俺は愛菜之の艶のある綺麗な黒髪に手を伸ばし、優しく撫でた。

「……んっ」

愛菜之がくすぐったそうに声をあげる。幸せそうに蕩けて、だらしなく表情を崩していた。

こんな風に愛菜之は撫でられることが癖になってしまっている。

まぁこの三日間が原因なんだがなぁ……。




放課後、いつものように愛菜之と教室で少し話をしてから帰ろうとしていると、写真部部員の猿寺文打が教室に飛んできた。

「あぁ!!見つけました!!」

「うお。ど、どうした」

「どうしたの? 猿寺さん」

あまりにも勢いがありすぎたので若干こちらは引いているがそれにも御構い無しに猿寺は半泣きでこう言った。

「助けてください!!」


沈黙が流れた。ポツポツと残っていた人たちは白い目をこっちに向けながらそそくさと教室から出て行く。

「……え? いやでもお前、手助けはいらないって……」

「状況が変わったんですぅ!助けてくだはいい!」

「わかったから!ひっつかないで!」

泣きながら抱きつかんばかりの勢いで助けて助けてと懇願してくる猿寺を慌てて引っ剥がす。愛菜之様が大変ご立腹な様子になっていらっしゃる! 静まりたまえ! 静まりたまえ!


「……それで、ですね。私、一人でも大丈夫って言ったんですけど……」

場所を写真部の部室に移し、勧められて置いてあったパイプ椅子に座った。

そこで話を聞いているのだが……。

「私一人じゃ、やっぱりダメでした……」

たぶん、猿寺も猿寺なりに努力をしたのだろう。目の下のクマや顔色の悪さがそれを物語っていた。たったの一日でなにをしたかはわからないが、それでもその努力は称賛するべきものだろう。

だから俺は、称賛の代わりに手伝うことを即決した。

「……それで、どうすればいいんだ?」

「え?」

俺がそう聞くと猿寺は驚いたように聞き返した。ぽかんと口を開けて、なにがなんだかわからないという顔をしている。

「ま、まだなにも言ってないんですけど……」

「助けが必要なんだろ? しかも残り時間は今日を入れて三日だ。さっさと行動に移そうぜ」

思わず早口になって、気持ち悪がられてないか心配になった。早口は嫌われるらしいからね。

「わ、私も! 手伝えることがあったら!」

愛菜之も一緒になってそう言ってくれた。

「……ありがとう、ございます」

少し目を潤わせて礼を言う猿寺だったが、さっと表情を変え、口を開いた。

「さっそくお願いを聞いてもらっていいですか?」

「どんとこい」

俺がやれることはなんでもやるつもりだった。

「私の、被写体になっていただけませんか?」




「この衣装はなんなんだよ」

猿寺が綺麗に畳まれて入れられている大量の衣装が入ったダンボールを運んできた。

「これは、今は卒業した先輩方が置いていったんですよ。あ、安心してください。定期的にちゃんと洗濯して干してますから」

「いや、まぁそういうことじゃないんだけど……」

なんでもするとは言ったがなんで被写体なんだ……。

ていうかこれ、女性モノの衣装ばかりなんだが。まさか、これを着ろってか……!?

「これは女性用なので、男性用の衣装も持ってきますね。あ、衣装、試着しててもいいですよ」

そう言って猿寺は部室からさっさと出て行った。

ですよね! 安心した。女装なんて俺には似合わんだろうよ。

「……とりあえず、着てみよっか?」

愛菜之が遠慮がちに言ってくる。マジか。

衣装にはメイド服、ドレス、ナース服……なんで? なんでナース服? 他には婦警察官の服……コスプレ衣装ばっかじゃねぇかよ。

これを……愛菜之が着るっていうのか!? やばい、思わず唾飲み込んだ。

「着たいなら、着てみればいいと思うけどぉ……?」

いたって平静を装い、そう言った。我ながら大根役者。

普通に着て欲しいって頼めばいいんだろうけど、下心丸出しみたいでいやなんだよね。

「う、うん」

そう言って愛菜之は、カーテンで仕切られている簡易的な試着室のようなところに衣装をいくつか持っていった。

俺の好みに刺さるような服をピンポイントで持っていくあたり、平常運転でなんだか安心した。




「は、晴我くん。どうかな?」

愛菜之の声にスマホから顔を上げるとそこにはメイド服を着た愛菜之が立っていた。

そこからの俺の行動は速かった。

今までにない速さでスマホのカメラを起動して連写した。カシャシャシャシャ!

「ま、待って晴我くん! 待って!」

急に写真を撮られて愛菜之が恥ずかしそうに顔を赤くしているがおかまいなしだ。カシャシャシャシャシャシャシャ!!


時間にして五分ほどしか経っていないだろうが長い時間が立ったように感じた。

「……愛菜之、さん?」

「……」

俺が呼ぶがこたえてくれない。

ぷくーっと頬を膨らまし、俺を睨む。だがその可愛い顔じゃ迫力なんて全くなくて、むしろ口元緩みそうになるからね?

「すいませんでした。もうしません許してください」

流れるように頭を下げる。きっと社会に出ても通用するんじゃないか。謝罪だけは。

「……その、お、怒ってるわけじゃない……わけでもないんだけど……」

「はい」

思わず返事も敬語になる。頭はしっかり下げたままだが。

「その、衣装を着てる私に、ダメって言っても聞いてくれないぐらい、夢中になってくれたってことだよね?」

「はい」

言葉にされると余計なにをしたかに現実味が帯びて辛くなるな……。

「えへへ……」

「……愛菜之さん?」

なんでかわからないけどニヤニヤしてる。

「それなら、良かった」

よくわからないが許してもらえたのだろうか。お説教は流れるらしい。ラッキー!

「そ、それとね、こんなのもあってね……」

そう言って愛菜之は簡易試着室に戻った。

しゅるしゅると衣擦れの音が聞こえてきたので後ろを向いた。


「ど、どうかな?」

その声に振り向くと制服に着替えた愛菜之がいた。……メイド服いずこへ。

だがいつもの制服姿とは違った。

頭にピョコンと、茶色の犬耳をつけていた。

「さっきの衣装とは、別の方が晴我くんは好きかなって思って。……そ、その、どうかな?」

上目遣いで少し恥ずかしそうに聞いてきた。

そんな可愛い姿で可愛くそんな可愛いこと聞かれたら、色々と吹き飛んだ。

「は、晴我くん?」

無言で近づき手を上げ、犬耳が着いた可愛い頭を撫でた。

「は、晴我くん? ね、ねぇ」

愛菜之が俺の名前を呼ぶが聞こえていなかった。

そして俺は、欲望の赴くままに愛菜之の頭を撫で回した。

「晴我くん!?」

俺の名前を再度呼ぶがそれでも俺はこの時我を忘れているので全く聞こえていない。

「く、くすぐったい……晴我くん……」

頭を右手で撫でながら、犬にそうするように下顎を優しく撫でた。

「んっ……はれがくん……」

蕩けて、甘い声を出している彼女の声は俺の欲望を煽る。

もう俺は誰にも止められない。世界には、俺と愛菜之の二人だけがいるように思えた。


「お待たせしましたー、時間かかってしまって申し訳……」

俺と、俺にされるがままの愛菜之を見て叫んだ猿寺によって正気にもどった。




「いやー申し訳ないです。あんな素晴らしいものをみてしまうと色々と昂ぶってしまって……」

「いや、戻してくれてありがとう。あのままだと俺もどこまでいくかわかんなかったし……」

愛菜之はというと、俺の腕にずっとしがみついて溶けている。なんかぶつぶつとにへにへしながら言っているが、幸せそうなので好きにさせとこう。

そんな俺たち二人を見ながら猿寺は素晴らしいですねぇ、としみじみ言う。

「やはりお二人はとても良い関係です。私の被写体に選んで正解ですよ」

「そりゃ光栄だ」

よくわからないが褒められた。俺たち二人の関係を認めてもらえるのはなんだって嬉しい。

「それで、衣装は大丈夫でしたか?サイズとかは」

「ああ、あのメイド服は大丈夫だった」

良いチョイスですねぇ、とまたしみじみと言う猿寺。

ちなみにメイド服だが、猿寺に聞いたところクラシカル、という種類らしい。

メイド服にも種類があるというのを初めて知った。

「それで、写真撮ったんでしょう?」

「なんでそれを」

まさか最初から見ていたとか……だとしたら相当恥ずかしいんだが……。

「いえいえ、晴我さんのことですから写真を撮っているのではないかと思いまして」

「見透かすなよ。なんかこわい」

「愛菜之さんにあれこれ見透かされてそうですけど」

「そうだけど、それを見透かすなよ。怖いわ」

しいましぇん、と気のない謝罪をしながら猿寺は目をキラキラさせながら催促する。

「それで、写真見せていただけませんか?」

「いいけど、うまく撮れてるかはわからないぞ」

「いいのですいいのです。さぁさぁ見せてください。ハリー!」

俺がスマホを開くと待ちきれないように俺のスマホを覗き込んだ。

「……やはり、いいですね」

恥ずかしそうに、そして少し照れている様子の愛菜之の写真だ。

写真を見る時の猿寺は本当に真剣な表情をする。さっきまでのおちゃらけていた雰囲気を全く感じさせないほどに。

「そんなにいいのか?」

「これは素晴らしいですよ。はい。言葉で言い表せないほどに」

愛菜之が素晴らしいっていうのはわかるが、俺の技術は素人以下だからなぁ……よくわからん。

「わからなくていいです。わかってしまうと、もうこんな良い写真は撮れませんから」

「はぁ……」

「知ること、知ろうとすることは悪いことではないのですが、知らないからこそやれること、できることもあるんです」

まぁ、そうなんだろう。よくわかんないけど。

俺は愛菜之を可愛く撮りたいという一心で撮ってるだけで、特別なことはしてない。

うまく撮れてる理由がなにかは知らないけど、愛菜之を可愛く撮れるなら構わない。

「あの、それでなんですけど。手伝ってもらう前に写真部とのいざこざについて話そうかと」

「ん? ああ、頼む」

それは気になっていたことだ。ていうか、俺たちが被写体になることとそのいざこざの関係も知りたいしな。


「そのいざこざなんですが……」

猿寺が話そうとすると、部室の扉が開かれた。

「あれ? 他にはお客さんは呼んでないんで……」

猿寺は途中で話すのをやめ、扉を開けた人物を睨み、吐き捨てるように言った。

「なんで来たんですか、先輩」

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