第12話

 認めさせてやる、なんて心の中で意気込んでみたはいいものの、なにをどうすればいいかはさっぱりだった。

 自分が、なにかの物語の主人公であってほしいと願うくらいだ。もしそうなら、現状打破で天下無双なアイデアの一つでも浮かぶはずだろつに。

 それにしても、うーん……。

「晴我くん? どうしたの?」

 隣を歩く愛菜之が心配そうに俺を見る。

 下校中、こうやって愛菜之が隣にいることにも慣れてきた。

「なんでもないよ」

 答えながら愛菜之の顔を見やる。あの愛菜兎とは似ても似つかない、その顔を。

 ……愛菜兎は、愛菜之を溺愛している。

 一線を越えるか越えないかのギリギリぐらいには愛していると思う。なんせ愛菜之が好きすぎて、人の首を絞めてくるくらいだ。思い出すだけで首元がチリチリと痛む。

 どうしたもんか……。目には目をな方法で解決するか?

 俺がやったら、ただの厄介なストーカーになって捕まるのがオチな気がするけど。

「あ、あの……晴我くん」

「ん?どした?」

「そんなに見つめられると、その、恥ずかしいなって……」

 うんうん考えこんでいると、愛菜之が顔を赤くしながらそう言ってきた。

 考えごとをしていたから、自分が愛菜之を見つめていることにすら気づいていなかった。

「え? ああ、ごめん」

「だ、大丈夫! むしろご褒美だし、晴我くんに見つめられると体が熱くなってきちゃうだけで……」

 手を組んで、もじもじしながらそう言ってくる。

 声が尻すぼみになってたから、最後のほうは聞こえなかったってことにしとこう。

 しかしほんとにどうしようかねえ……。

「……晴我くん?」

 愛菜之の話しかけてきた声に、ただならぬ感情が含まれている気がする。

 だがその時の俺は、能天気に返事をするだけだった。

「どした?」

「……今、他の女のこと、考えてたりしないよね?」

「いやいやいや全然そんなことはない」

 ようやく危機を察知したときには、時すでに遅し。愛菜之の声は、ひたすら歪んでいくだけだった。

「私には嘘、つかないよね?」

 目が怖い、なんか黒い渦が巻かれてる。口元は笑ってるんだけど、それが一段と怖さを増している。

「嘘なんかつかないって」

「そうだよね。私には、嘘なんてつかないよね?」

 手を握ってくる。優しく包み込んでくるように。今は逆に、それが怖い。言葉と行動の不一致が、歪さを強めてくる。

「ハイ、ウソツカナイ」

「じゃあこれからも嘘つかないでね。約束してね」

「するって。なんなら指切りでもするか?」

 そう言うと、愛菜之が少しほおを膨らました。うっ、可愛い。頭なでなでして飴を食べさせてあげたい。

「子供扱いしてる?」

「してないですよ?」

 少し子供っぽくて可愛い、とか思ってたから焦る。バレバレの声で否定すると、むぅーっ、とまたほおを膨らませた。

「……なでなでして」

「はい」

 出来る限り優しく、言われるがまま頭を撫でる。

「抱きしめて」

「はいはい」

 言われるがまま抱きしめる。人の目が気になるが、愛菜之の濁った目の方が気になる。

 愛菜之の黒いオーラが次第に消えていく。ていうか、ほんのり幸せオーラがあらわれているような……。

「結婚して」

「……年齢的に無理」

 さすがにそれは無理だった。法律ってものがあってな……。

 愛菜之の黒いオーラが復活した。RPGのボスキャラかな?

「……それだけ?」

「そうだな、年齢のせいで結婚できないな」

 なにを聞いてくるかと思えば、そんなことを聞いてどうするんだか。

 愛菜之は返事の催促でもするように、俺の顔を見つめ続ける。

「それだけだよ」

 俺がそういうと抱きしめる力を強めて、嬉しそうに笑う。

「そっか」

 それだけ言って、気持ちよさそうに撫でられ続けた。


「俺はしばらく、愛菜之から離れるぞ」

 愛菜之の家の前でそう宣言すると、それを聞いた愛菜之が暴走した。

 なにが悪かったの、嫌いにならないで、別の女がいいの? 消すからどの女か教えてだの、すごい形相でまくしたてていた。

 最後の方は、ちょうどバイクが通りかかって聞こえなかったってことにしとこう。

「しばらくの間だけだから安心してくれよ」

「しばらくってどれくらい? 私、一日一分一秒でも離れるのは嫌だよ……」

 よく今まで生きてこれたな。俺がいない間、どうやって凌いできたんだ。

 そんな感想を浮かべてると、涙を目に浮かべながら俺の腕をギュッと抱きしめてきた。

 ひえー可愛い。力込めすぎてるから、腕に血が通ってなさそうだけど。

「正直、いつになるかわからない」

 そういうと、しゅんとして今にも泣き出しそうな愛菜之。許しておくれ、愛菜兎と話をつけるためなんだ……。

 でも、しばらくの間スキンシップやらその他諸々をしないとなったら、愛菜之はどうにかなりそうな気配だし……そうだ。

「愛菜之、俺の物をなにか預かっといてくれ。そうすれば少しは安心しないか?」

「……シャツ」

「え?」

「晴我くんが着たシャツがいい」

 ……シャツをお願いされるとは思わなかった。ていうか、なんでシャツなんだ。

「それで、いいのか?」

「うん。でも、三日に一回はまた交換しに来る」

「えっと、また俺が着たシャツを渡さないといけないのか?」

「うん」

「三日に一回?」

「うん」

 マジ? いや、別にいいんだけどさ。

 そうなんども来られると、俺の決意が揺らぎそうなんだよなぁ……。

「だって匂いがなくなっちゃうもん。三日に一回でも我慢してる方なんだよ? それに本当は肌着かパン……」

「わかった、シャツね」

 何を言い出そうとしてるんだ。とはいえ、愛菜之なりには譲歩してくれてるらしい。よくわかんないけど……。

 ていうか、承諾しちゃったよ。仕方ないか、背に腹はかえられんしな。


 そういうわけでこれから俺は、朝でも学校でも愛菜之と離れることになった。

 そんなに大変じゃないとは思うけど、大丈夫だろう。




 翌日。


 一人で登校するの辛い、辛いよこれ。離れるのって辛いわ。

 しかし愛菜之のためでもあるんだ。今は耐えるしかないんだ……。

「おやおやぁ? お姉ちゃんとは別れたのかなぁ?」

「愛菜兎……」

 いとも簡単に突っかかってきた。狙い通りに動いてくれると笑いがこみ上げてきちゃう。ダメだ、今は笑うんじゃない……。

 とりあえず、言われた通りに別れたってことにしとくべきか……?

 いや、違うな……ここは、うん。

「別れてない」

「ほーん? まだ別れてないのー? 命、危ないよー?」

「そうだな、危ないだろうよ」

 いたって冷静を保ちながら、言葉を返す。内心、怖いったらありゃしなかった。

「だからさ、気づいたんだ」

「へー」

 興味なさそうに相槌を打つ。「そんで?」 なんて言うあたり、興味ゼロってわけではなさそうだが……。

「お前を落とせばいいんだって」

「……は?」

 狙い通り、愛菜兎の素の反応を引き出してやった。これでいい。

「頭おかしいんじゃない?」

「いたって正常だ」

 そう、正常だ。正常だからこの選択肢を選んだんだ。

「俺は四六時中お前につきまとう。よろしく」

「え、やだよ」

 まぁまぁ本気な感じの拒否だった。わかってたけど、それはそれで悲しいな……。

「そもそもさー、クラス違うんだからさー?色々無理だってー。諦めて別れたほうがいいんじゃない?」

 その顔には、さっきまでと同じニヤニヤした笑みを浮かべている。

 だが俺のターンはまだ終了していないぜ!

「そうだな。だから休み時間、行き帰り、お前につきまとうわ」

「やめて」

 今回はオブラートに包みすらしない本気の拒否だった。真顔やめて? けっこう悲しいよ?

「そもそもさー、お姉ちゃんが黙ってるのかなー? そんなことしてさー」

 ニヤニヤと笑って言っているが、お姉ちゃん、という単語を出した時、一瞬だが目の色がかわっていた。

 やっぱりコイツ、愛菜之のことが好きだな。

「安心しろよ。愛菜之にちゃんと許しをもらってるから」

「……お姉ちゃん協力のもと、か」

 どことなく愛菜兎から殺気を感じた。

 お姉ちゃん、つまり愛菜之が協力していることが気に食わなかったか? 

 愛菜兎はどこか決心した様子で、俺と向き合う。

「いいよー。つきまとえるものならつきまとってみなー」

 そう言ってから、早足でさっさと行ってしまった。

 愛菜兎の顔から笑みが消えていたのは、俺にとっては良い収穫だった。


 それから俺は、ずっと愛菜兎に付きまといはじめた。


「愛菜兎いる?」

「愛菜兎、一緒に昼飯食うぞ」

「愛菜兎、一緒に帰るぞ」


愛菜兎、愛菜兎、愛菜兎。 二言目には、一緒に。

 ちなみに全部、拒否された。ていうか全部無視された。でも、それぐらいじゃ俺はめげない。

 これも全部、愛菜之のためだ。


 一週間は経ったころだろうか。

 さすがに俺も疲れてきた。でもこれも愛菜之のため……愛菜之ためなら頑張れる。

 愛菜兎のいる教室に顔を出す。今日はどうなるか……。

「愛菜兎、一緒に……」

「ちょっとこっちきて」

 愛菜兎に腕を引っ張られながら、グングンと廊下を突き進む。

「お?どうした?やっと一緒に昼飯を…」

 愛菜兎は最後まで言わせてくれなかった。

 胸ぐらを掴まれ、思わず声を詰まらせる。腕に込められた力が、思った以上に強くて恐ろしい。

「そろそろいい加減にしてくれないかなー?」

 怒ってる怒ってる。狙い通りだ。

 ニッコリと笑顔だったが、眉間にしわを寄せているのは誤魔化せていない。

「なんでだよ? 俺は純粋にお前と…」

 俺もニコニコと笑顔で話す。傍目から見れば笑いあいながら胸ぐらを掴む女と、掴まれている男というおかしな二人組。俺としちゃ、命の危険すら感じているが。

「友達にも散々からかわれてねー? まーでも、からかわれるのはいんだわー」

 そこから先は、さらに力が強くなる。シャツに皺が寄っていくのを感じる。

「よりにもよってさー? あんたのことを彼氏とか言われるのは、ちょーっとだけイラッと来るんだよねー」

「そりゃ光栄だね」

 減らず口をたたく俺に、愛菜兎はグイッと顔を近づけた。

「そろそろ自重してくれないとさーほんとに殺すよー?」

「こっわ。冗談でもやめてくれよ」

「写真も消してあげたじゃん? ちっとはさー、そこに恩とか感じてもいんじゃないかなー?」

「いや恩とか言われても。お前が勝手に写真撮って消しただけじゃん」

「……ふーん、まぁいいやー」

 パッと胸ぐらを掴んでいた手を離す。ようやく解放されたような気がしたけど、愛菜兎は相変わらず俺を睨み続けている。

「じゃあさー。今日の夜、来て欲しい場所あんだけどー」

 なんで夜なんだ? そう返そうとは思ったが、愛菜兎は俺に喋る隙も与えてくれない。

「場所は後で伝えてあげるよー。来てくれたらー、これからは手も出さないよー」

 そう言って、いつものようにケラケラと笑いながら教室へ帰っていった。……なにか、企んでる?

 けど、行くしかないか。愛菜之ためなら、何があっても。




 晴我くん晴我くん晴我くん。

 遠くから見ることしかできないなんて、こんなにも辛いことがあるんだ。

 少し歩いて、肩をトントンってすれば微笑んで私を見てくれる。きっと、私に笑いかけてくれる。

 それができない。それがすごく辛い。

「……別れたのかもよ?」

「まぁアイツ、パッとしねぇしな」

 うるさい。

 晴我くんのほうが、お前たちみたいなヘラヘラした奴らよりずっと優しい。今だって私のために頑張ってくれている。

「絶対、別れたでしょ」

「重士さん、綺麗だけど重そう。地雷女ってやつ?」

 うるさい。

 この容姿は、晴我くんのために努力して作り上げたものだ。馬鹿にされるようなものじゃない。晴我くんの好みを馬鹿にするな。

 晴我くん、はやく終わらせて。

 なるべくはやく、終わらせて。辛いよ、晴我くん。

「ねぇねぇ重士さん。彼氏くんはどうしたん?」

 誰、この有象無象。

 こんなの、学校にいたかな。

「もしかして、別れた!? いやーならさ、俺とお話しない? てかさ、愛菜之ちゃんの連絡さき……」

「うるさい」

「え?」

 男を睨む。晴我くんが綺麗だって言ってくれるから嬉しいのに、お前なんかに綺麗だなんて言われたくない。

「消えて」

「は、はははいっ」

 男がまるで化け物でも見たかのような顔で、逃げるような足取りで走っていった。その男の後ろ姿にさえ興味がない。

 興味があるのは、好きなのは。


「晴我くん……」

 

 はやく─────。




 その日の夜、アイツに教えた場所。

 指定した場所は、人通りが少ない街外れの路地裏だ。

 人通りが少ない場所は知っていて損はない。なんにでも使えるから。

「んでー、今からくる男をこらしめてくんねー?」

 私が話してる男は、お姉ちゃんに付きまとっていた男の一人。

 そして、私にまんまと騙されて私に鞍替えした男の一人だ。

 体を鍛えているらしいから、かなりガタイがいい。なんかのスポーツで代表らしいし、そこだけ信頼はできるかな。

「そんでそいつをシメりゃ、付き合ってくれるんだな?」

「そだよー」

 そういうわけだ。晴我にこの男をけしかけて黙らせる。

 暴力ってすごーくいい。わかりやすくて、すごくいい。

「んじゃ、もうすぐ来ると思うから頼んだー」

 この男は関係を戻すのが目当てじゃなく、私の体が目当てだと思う。体っていっても、少し肌をみせただけだけど。そのくらいで興奮するってモテない証拠だよね。

 そんなだから、また私に騙される

「……すまねぇな」

 ……ん? なにを謝ってるんだろ、コイツ。

 私がそう考えていると、いきなり後ろから羽交い締めにされた。

「!?」

 いきなりで慌てた。次に状況を理解した。どんな行動をとるべきかも理解した。

 暴れに暴れた。上も下もわからないくらいに。それでも、暴れても簡単にはおさえてくる手は剥がれない。

(こいつら……!)

 見覚えのある顔というか、私が少しちょっかいをかけていた男がもう一人いた。

「お、おい! これほんとに大丈夫なのか?」

 その男が、不安げにガタイのいいほうに聞く。そうやって小心者なとこが気持ち悪いんだよ……!

「大丈夫だ。その晴我? とかいう男にはコイツのスマホで別の場所を送っといたからな。この時間にこの場所だ。人なんか通らねえよ」

「そ、そうか。そうだよな……」

 この男は、最初から私に協力するつもりはなかった。今までバカにしてきたヤツに、こんなこと……!

「うし、そのまま抑えとけよ。服、剥ぐからよ」

 怒りの感情とは裏腹に、私はどこか冷めていた。

 ツケがまわったってやつかな。

 今まで、自分の欲望のために。お姉ちゃんが欲しいって欲望のために、いろんなものを騙してきた。

 ガタイのいい男の手が、私の服に触れる。

 ため息を心の中で吐く。せめてお姉ちゃんのために、綺麗な体でいたかったな。

 着ていた上着を剥がされ、投げ捨てられた。結構気に入ってたヤツだったのにな。


 ため息を心の中で吐く。


 こんな時に、アイツの声まで聞こえてきた。耳障りで、うざったらしいあの声。

 私、どうかしちゃったかな。


「───のひと──!」


 ……え?

 

 この耳障りな、私の好きな人を奪ったこの声は。


「っちで───!」


ウザいなぁ、ほんとウザいや。


「こっちです───!!」


 そのキモイ顔、また見ることになるなんてさ。

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