第9話

「んじゃー今日はよろしこー」

愛菜兎が軽い感じでそう言うが、俺は気が気じゃない。一日付き合え、なんて一体なにを企んでいるんだ。

そういえば愛菜之だが、この日まで毎日キス、ハグをさせられた。理性が飛びそうになるのを何度も何度も経験する羽目になったので、その原因を作った愛菜兎にいい感情が湧かない。

「ああ、まぁ、よろしく」

「そんな緊張しないでよーとって食うわけじゃないんだからさー」

コイツなら俺をとって食いそうだから怖い。それぐらいに俺の中にはコイツに対する不安があった。

「なあ、ほんとにお前に今日一日付き合うだけでいいんだな?」

「なにー?まだ疑ってんのー?」

それともー、とニヤニヤしながら愛菜兎はからかうようにこう言った。

「もっと私と遊びたい、とかー?」

思わずため息をつく。一々人を煽る言い方に思わず呆れた。

「違う」

短く一言だけ言い返す。長々と言い返せば返って逆効果になりそうだ。

「あっははー。そう怒んないでよー冗談冗談、ジョークだよー」

手をひらひらさせながらそう言う愛菜兎に、やはり少しイラッとする。

「……まぁいい。んで、どうすればいいんだ?」

「まーた堅くなってるよーリラックスリラックスー」

なんなんだこいつ……のらりくらりとした口調と態度に、もはや不気味という感情さえ覚える。

「簡単だってー。私をおねえちゃんみたいにー、エスコートしてくれればいいんだよー」

エスコート、ねぇ。そうは言っても、愛菜之と来た時もエスコートなんて呼べることはなに一つとしてしてなかったが。

「わかったよ」

さっさと行こうとすると俺の手を愛菜兎が握った。思わず心臓が跳ねる。

「……なんのつもりだよ?」

「エスコートなんだからさーこのぐらいしてよー気が利かないなー」

……。意見がごもっともなのもあるが、普通付き合ってもないのに手を繋ぐか?

「ほらほらー私に付き合わないとー写真、いいのかなー?」

……。もうなにも言えない。言うだけ無駄だろうし。

「わかったよ」

腹立たしいな、ほんとに。今の状況愛菜之が見たらどんなになるだろうか。というか今の状況見せたら嫉妬で暴れ狂うんじゃ……

「あ、ほらーあれ乗ってみよー?」

手を引かれて、思考から現実に引き戻される。

エスコートしろって言ったのはどこのどいつだよ、と内心でため息をついて愛菜兎について行った。


色々乗った。

疲れた。

「ちょいとお疲れになっちったねー」

……デジャヴ感じる。

姉妹というのは顔が似ていなくとも似ている部分とはあるのだろうか。

愛菜之とデートした時、同じようなことになった気がするんだが……

「……少し休むか」

「さんせー」

フードコートの飲食コーナーに座って、休憩をとることにした。

「なんか買ってくる。お前は、なんかいるか?」

「あ、じゃあメロンソーダとーフライドポテト買ってきてー」

……弁当を作ってきてるとか言いださないでよかった。



「お待たせしましたっと……」

買ってきた二人分のポテトと飲み物をテーブルに置く。

「あんがとあんがとーはい、お金ー」

そう言って俺の手のひらに一人分の代金を渡してきた。

「……驚いた」

「んー?なにがー?」

「いや、エスコートなんだから奢れよーとか言うのかと……」

俺がそう言うと愛菜兎はケラケラと笑う。

「そんなわけないじゃーん、ちゃんと自分の分は自分で払うよー」

……正直、意外だった。

「てかさー?そんなやつに見えたわけー?」

「……ああ」

俺が正直にそう言うとまたもケラケラと笑う。

「見た目で判断しちゃいかんよー君ー」

肩をベシベシ叩かれながら、まるで教師のような口ぶりで言う。

「……悪かったよ」

俺がぶっきらぼうにそう言うと、へぇ、と愛菜兎が驚きの声をあげた。

「意外と素直じゃん」

「……意外とはなんだ意外とは」

「正直者なんだよー私はー」

また、ケラケラと笑う。

「……そもそも、お前があくどいことしなけりゃお前のことを悪くは思わなかったよ」

ふふーと愛菜兎は笑う。

「あくどいことしなきゃ、こんな風に私のことを知れなかったのかもよー」

「はいはい、そうですね」

そのあと、会話は途切れ、二人して黙々とポテトを食べ続けた。時折り俺の顔を見てニヤニヤからかうように見ていたが、気のせいだろう。


「ふいー食べたー」

俺は先に食べ終わり、愛菜兎が食べ終わるまで待っていた。手と口を拭き、伸びをして息を吐く。

「ん。じゃあ、次はどうすんだ?」

「そうだねーんじゃ、次あれ乗ろー」

そう言って指を指した方向には一周三十分かかる、愛菜之にキスマークをつけた、つけられた観覧車があった。

「あれに乗るのか?」

「そーよー、なにか問題あるー?」

俺の考えていることを見透かしたような声で、またからかってくる。

「ない。さっさと乗るぞ」



「はっはーたっかいねー」

はしゃぎ声をあげる愛菜兎。

……やっぱり愛菜之と乗った時のほうが楽しいな……。いや、あの時は楽しさなんて微塵もなかった気がする。大変だった……。

「私さー認めてんだよー?」

愛菜之のことを考えていると、急に愛菜兎がそう言ってきた。

「おねえちゃんを彼女に選んだその目はさー」

「……そりゃどうも」

褒められた、と捉えていいのか、あやしい言葉である。

「けどさー私、もしかしたらさー」

愛菜兎が俺に詰め寄り、服の胸元に人差し指を引っ掛け、下げた。

白い肌が、見えた。

「おねえちゃんより、いい女、かもよ?」

「……」

多少はドキッとした。それでも、愛菜之の時と比べればほんとに些細なものだった。それにこの鼓動は、本能的なものだろう。

「条件の付き合ってほしいってのはさー、建前でー。ほんとは晴我クンを気に入っちゃったんだよねー」

男を誘うような声音と艶かしい視線。鼓動ははやくなるが、イマイチ好意は向かない。

「どう?私と付き合おーよ?」

「……お前、こんなやり方で今まで愛菜之の邪魔をしてきたのか?」

「……へー」

なにが、へー、だ。こんなやり方は良くないだろうに。

「今までおねぇちゃんのこと好きだって言ってた奴らはさーこの方法で落ちてたんだけどなー」

「……お前、こんなことして」

「んんー?軽蔑したー?でもさー」

愛菜兎の目に、黒のクレヨンで塗りつぶしたような黒い渦が巻かれている、ようにみえた。

「おねえちゃんを失うぐらいなら、私がどうなろうとどうでもいいんだよ」

雰囲気ががらりと変わった。刺すような、鋭い、負の感情が入り混じった雰囲気。

だからさ、と言って愛菜兎が雰囲気の変わり方に驚いている俺の首に手をかける。

「なっ……!?」

「うばうならうばいかえすまでだ」

「ぐう………!」

首にかけられた手に、力がかかる。

「あ……が……!」

息が、空気が、

「わたしからうばうな」

いしき、が

『まもなく一周します。ご搭乗、ありがとうございました』

「……時間切れかー」

パッと、俺の首から手を離した。

「がは……!はぁ、はぁ……」

「もうすこしだったのになーつまんないなー」

そう言って観覧車から降りた。

俺もフラフラとしながら、後に続く。

「お、まえは、いままでも、こんなことを、してきたのか?」

肺が空気を必死に吸い込む苦しさに呻きながらそう聞く。

「いやー?こんなことー初めてだよー。今までの男はさーちょいと胸元見せるだけで落ちてたからねー」

そう言いながら気怠そうにプラプラと手を振る。右手には、スマホが握られていた。

「んじゃ、約束通り写真は消してあげよー私はやさしーからねー」

スマホの画面を盗み見る。写真のアルバムからは、たしかに写真が消えていた。

「じゃあま、ちょっとは認めてあげよー。ここまでして私に落ちない、おねえちゃんから気持ちが離れない男は初めてだー感服感服ー」

ペチペチとやる気のない拍手を俺に送る。

「……はっ」

俺は鼻で笑ってやる。精一杯の強がりを、コイツに見せつけるために。

「ちょっとは認めてあげる、か。毎度毎度上からだな、お前は」

顔を上げてそいつの顔を睨む。ニヤニヤと馬鹿にするような笑みを浮かべているそいつを。

「必ず、認めさせてやる。俺のことを、俺と愛菜之の関係を」

「……ふーん」

つまらなそうに、そう相槌をうって振り返る。

「無理な話なのにねー。ま、いーさ。どうせ認めさせることなんてーできやしないんだからさー」

「……あとで吠え面かくなよ」

「まーせいぜい頑張ってよー期待しとくよー」

晴我クン、とまたつまらなそうに言って、愛菜兎は帰っていった。

「……くそ」

まったく、なんて見栄を張ってんだか俺は。けど、見栄を張ったからには、やってやる。

やるしかないんだ。


心配になって、来てしまった。

晴我くんは、大丈夫だろうか。

あの女、愛菜兎はなにをするかわからない……。晴我くん……。

遊園地に着いた。

そして、出入り口であの女とすれ違った。

愛菜兎だ。

「……っ!」

私は走った。アイツが、私を、私を見て、笑った。なにか、ある。

なにかある、晴我くんに。

しばらく走っていると、晴我くんを見つけた。なんだか顔色が悪いように見えた。

「……愛菜之?」

ああ、あの女。あの女、なんてことを。

「首に……」

晴我くんの首に、しっかりと手形がついていた。

「ん……?あ、ああ、これはちょいとな……」

「……あの女にやられたの?」

「いや、違うって、安心してくれ。俺は何にもされてない。写真も消してもらった」

そう言って笑ってるけど、絶対にあの女がやった。首の跡とあの女の手の大きさは、かなり似ていた。

「……ゆるさない」

「……愛菜之?」

「ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないっ!!」

「愛菜之!?」

全部、何もかもが遠のいていく。感じるのは、腹の底から湧く憎悪と、怒りだけだ。

「あの女、晴我くんにぃ……!ゆるさない……!!」

「愛菜之!」

肩を掴まれた。そこで初めて、私は我を失っていることに気付いた。

「大丈夫だ。愛菜之が心配するようなことは、なんにもなかった」

「なんで、うそ、つくの?」

私は、信頼されてないの?

「違うって、な?いいからさ、二人でこの後どこか行くか?」

信頼、されてない……。

「晴我くんの、お家に、行きたい……」

「え?」

「晴我くんのお家に行きたいの……」

晴我くんが、またあの女になにをされるかわかったものじゃない。守らなきゃ……。

信頼、してくれてないから、ダメって言われるだろうけど……。

「いいよ」

耳を疑った。断られると思っていた。嫌われていると、信用してもらえていないとおもっていたから。

「……ほんと?」

「本当だって。けど、夜遅くまでいちゃダメだからな?」

「……うん」



愛菜之が家に行きたいと言い出した。

最初、断ろうと思った。だが、今にも愛菜之は、壊れて、崩れそうなほど弱っている。ように見えた。


家に帰り着いた。なにも変わらない、自分の家なのに、他人を入れるというだけでどこか新鮮に感じた。

「おじゃま、します」

幸い、と言っていいのだろうか。母さんはまだ帰ってきていなかった。

ちなみに父さんは単身赴任で家にはいない。

「適当に座ってくれ」

リビングのソファに愛菜之を座らせ、タオルを渡す。外は雨が降っていて、少し濡れてしまったからだ。

「なにか、飲み物でもいるか?」

「ううん、大丈夫」

「そっか……」

俺も愛菜之の隣に座った。

タオルと一緒に渡したブランケットを肩にかけている姿も可愛かったが、いつもみたいに心は躍らなかった。

気まずい沈黙が流れる。

その時、俺のスマホの着信音が鳴った。

母さんからだった。

「もしもし?家にいるけど……うん……は?」

思わず、マジかよ、と声が漏れる。

そのあと、少し母さんと話をしてから電話を切った。

「ど、どうしたの?晴我くん」

「……帰れないって」

「え?」

「さっきの雨、ひどい大雨になってて帰れないんだってよ、母さん。俺たちのとこは、今はまだ大丈夫だけど、俺たちのとこももうじきひどくなるらしい」

どうする。言うか言わまいか……。

「それで、なんだけど……」

「う、うん」

カチカチと壁にかかっている時計の、針が進む音だけがやけに大きく聞こえる。

……言うしかないのか。


「今日、泊まってくか?」

「はい」

即答かよ。



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