第8話
「お前は……」
「あら? 気づいたー?」
水族館で俺を押し倒した女の子だ。不慮の事故とはいえ、キスまでされたのだから覚えている。
「いやさー? 神聖な学校でなにしようとしてるわけー? 清いお付き合いをしてよねー」
ケラケラと笑いながらスマホをひらひらと振る。
「なんで、ここに……」
愛菜之がその女の子をにらみながら問う。……珍しいな。愛菜之がこんなに、敵意剥き出しで人を睨むとは。
「いやー後をつけてただけだってーそんな顔しないでよー」
後をつけてた、だけ?
さも当たり前のように言っているが、俺たち二人にバレないように後をつけるのは中々難しいことだろう。それに、なんのためにそんなことをしたんだろうか。
「私に気づかないなんて相当ご執心なんだねぇー?」
「……さっさと出て行って」
愛菜之がそう荒い口調で言った。言葉遣いも荒い。
「でてけってさーここ勝手に使ってるくせにーなんの権利があんのー?」
また、ケラケラ笑いながら、バカにするようにそう言い、スマホをいじる。
「それにさー? この写真消さなくていいわけー?」
スマホの画面をこちらに向ける。
そこには俺が愛菜之を押し倒している瞬間がしっかりと写っていた。
「いいのかなー? いいのかなー? 消さなくていいのかなー?」
……なんなんだこの子は。
水族館の時とはまるで違う。人を馬鹿にするような笑み。いや、見下しているような、そんな笑い方。
「……早く消して」
愛菜之が冷ややかな声でそう告げる。
声にのっている感情は怒りを通り越し、憎しみがのっていた。
「なんで、邪魔ばかりするの?」
それを聞いて、ん?と疑問に思う。
前からずっと邪魔をされてきたみたいに聞こえるが……
「前にも、邪魔されたことがあるのか?」
俺がそう訊くとこくり、と愛菜之が頷く。
「いつもいつも、いつもいつもいつもいつもいつも、私の邪魔ばかりしてきた。なんで、そんなことばかりするの?」
「勘違いだよー私はおねぇちゃんのことを想って行動してるんだよー」
……待てよ。
おねえちゃん?おねぇちゃんとか言ったか?
「今、おねえちゃんって」
「あららー?言ってないのー?おねぇちゃん」
また、愛菜之のことをおねぇちゃんと呼ぶ。
「私の名前はー
「……マジかよ」
愛菜之は妹がいるとは教えてくれなかった。
たぶんだけど、個人的に教えたくなかったのだろう。散々、邪魔されてきたのだから嫌っている、のだと俺は勝手に予想する。
「……? いや待てよ。妹、なんだろ?だったらなんでお前この学校にいるんだ?」
「双子ってことだよー」
にしては、似てない。
「似てないって顔してんねーいるんだよー世の中にはー似てない双子くらいさー」
また顔に出ていたらしい。間延びした口調でそう言われた俺は納得するしかなかった。
「わかった……それで、写真だが、どうすれば消してくれる?」
「おー物分かりいいねー彼氏くんはー」
「いいから、さっさと消してくれる条件を言えよ」
……少し声に険が混じってしまった。
怒るだけ無駄だ。落ち着くんだ。
「んとねー条件はねー」
一体どんな無理難題を言われるんだと、俺が汗を垂らしながら待ち構えていると
「二人には別れてほしいんだよねー」
予想していた中で一番最悪な条件がきた。
「……それは」
「それは無理だ」
愛菜之が答える前に俺が答える。
「へえー?」
「晴我くん……!」
愛菜之が喜びの声をあげ、愛菜兎はまるで感心したような声をあげた。
「ふーん、なかなか骨のありそうな彼氏くんだねー」
スマホをプラプラと振る愛菜兎。光る画面には、俺たち二人が写っている。
「でもさー別れないとー写真、ばらまいちゃうよー? いいのかなー?」
……どうする。どうすればいい。
正直なところ、ばら撒かれるのは食い止めたい。ばら撒かれれば面倒なことになるのは火を見るより明らかだ。なんとして止めたい。
「……別れる以外にどうすれば消してくれる?俺ができることならなんでもする」
そう俺に聞かれた愛菜兎はふふー、とその言葉を待ってましたと言わんばかりに笑っていた。
「別れる以外かーそうだなー」
今度はなにを言ってくるつもりだ……? と、俺が身構えていると、
「私と一日付き合ってもらおっかなー」
俺の頭と耳がおかしいのだろうか、今付き合えとか言ったのか、この女の子は。
「そんなことでいいのか?」
俺はそう言っていた。心の中で思っていたことがそのまま口に出ていた。仕方ないと思う。
「そんなことってーひどい言い方すんねー」
ぶーぶー、とブーイングをする。こんな状況でもおちゃらけているあたり、空気が読めないのか、わざとこんな態度をとっているのかわからない。
「……ふざけないで」
愛菜之が低い声で言う。殺意さえも滲ませていた。
「おねぇちゃんは黙っててよー? これはさー彼氏くんと私の話なんだからー」
愛菜之が心配するのもわかる。だけど、俺はそう簡単には潰されやしない。
「愛菜之、大丈夫だ」
「……晴我くん……」
「不安になるだろうけど、大丈夫だ。安心してくれ」
愛菜之が落ち着いてくれるようにできる限り、声に優しさを含ませた。
「……ほんとうに?」
「ほんとうだって。信じてくれよ」
「……離れないでね」
離れないで? 愛菜之から、だろうか。
「いやーお熱いことお熱いことー。ラブラブだねー」
愛菜兎がペチペチとやる気のない拍手を俺たちに送る。今の愛菜之の言葉について考えたかったが、仕方ない。
「んでさーま、今週のー土曜日ぐらいかなー?そん時にー、私とデートしてもらうわー。そしたら写真、消してもいいよー」
……本当だろうか。コイツの言い方だとどうにも信用ならない。
「どうすんのー? 今なら別れるって選択肢も残ってるけどー」
「さっきも言ったろ、別れるつもりはないんだよ」
決意を固めて、俺は答える。
「お前とデートすりゃいいんだな?なら話は終わりだ。出て行ってくれ」
そう言い放つと、おおーこわこわー、と全く怖がっていない様子でその子……愛菜兎が笑う。
「んじゃま、詳しい日程とかはー後々教えっからさーたのしみにしといてねー」
彼氏くん、と語尾にいらぬハートマークをつけて言って、出て行った。
「……面倒なことになったな」
俺が頭を掻きながらそう言うと、愛菜之が急に抱きついてきた。
「愛菜之?」
「……ぜったいに、ぜったいにはなれないでね」
……安心させることなんて、俺にはできないのだろうか。ちょっぴり、自分に自信がなくなってしまった。
「愛菜之、安心できないか?」
「……ごめんなさい」
その返答は、暗に安心できないということを示していた。
「じゃあさ、愛菜之が安心してくれるにはどうすればいい?」
俺がそう訊くと愛菜之が答える。
「いっぱい、いっぱい愛して……」
愛して、というのはどうすればいいのだろうか。愛菜之が初の彼女なのだ。
愛すなんて、どうすればいいかわからない。
「どんな風にすればいい?」
情けないことに俺は、そう聞くしかなかった。愛菜之は涙ながらに答える。
「土曜日まで、私を、いっぱい愛して。キスして、抱きしめて。それでいいの」
「……わかった」
そんなこと、お安い御用だ。
あの女、私の妹……愛菜兎は、私がなにかに対して行動しようとするたび、ことごとく邪魔をしてきた。
なにがしたいんだろう。単なる嫌がらせなのか、ただ単純に楽しいからなのか。
昔は、優しい、可愛い、私にべったりの妹だったのに。
晴我くんは、私から離れるだろうか。奪われるのだろうか。
安心できない。
安心したい。
心に穴が空いているように感じる。
失っていないのに、失ったように感じる。
はなれたくない。はなしたくない。
晴我くんは、私からはなれないと、約束してくれた。
安心できるようにしてくれるとも、約束してくれた。
だから、大丈夫。
だいじょうぶ…………
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