第7話

月曜日。

憂鬱、なはずなんだろうが、愛菜之に会えるなら月曜も悪くないかな、とさえ思える。

だが俺は気づいてしまった。休みのほうがもっといっしょにいられるのでは……? と。

やっぱ月曜日はダメだな、うん。

あくびをしながら結論を出したタイミングで、玄関から愛菜之が出てきた。

「ごめんね晴我くん。待たせちゃって」

「いや、いいよ。俺も今来たとこだし」

そう、俺は愛菜之の家で愛菜之を待っていた。

彼女が彼氏の家に迎えにくるっていうのもいいとは思う。男にとって夢だろうし、幸せなことだ。

だが、彼氏が彼女の家に迎えに行くとどうだろう。彼女は、愛菜之はありがたいことに幸せだと思ってくれるのだ。

そしてその彼女の笑顔が見れます。お得!

「じゃ、行こうか」

俺がそう言い、歩き出そうとすると

「あ、待って、晴我くん」

愛菜之が慌てて俺を呼び止めた。なにか忘れ物だろうか?

「忘れ物か?」

そう聞くと、愛菜之は顔を赤くし、モジモジしながら指を絡めて俺の顔から目を逸らす。

「その、そうじゃなくて、補充したくて……」

その答えに首を傾げる。補充、とは? 愛菜之は充電式で稼働してるのか?

うわっ、我ながらつまんない冗談。一瞬言うか迷ったけど言わなくて正解だった。

「その……晴我くん成分を、補充していいかな……?」

耳まで真っ赤にして、遠慮がちに愛菜之は言った。なるほど、補充ってそういうことか、と納得しながら、俺は若干困惑していた。

実は俺たち、ほぼ毎日と言っていいほど三時間ぐらい電話をしている。のに、補充とは。愛菜之は底無しなんだろうなぁ。

「電話だけじゃ、足りなかったみたいで……」

……くっそー。

可愛いなまったく。可愛すぎるんだよ。抱きしめたくなる。

まぁ、足りなかったのなら足せばいいだけの話。俺は快く承諾した。

「そんなら、思う存分補充してくれ」

俺がほら、と腕を広げると、恥ずかしそうにモジモジしながら視線を泳がし、そして意を決した様子で愛菜之が飛び込んできた。

いだだだだだ。少し痣に響いたが我慢しとこう。さっさと治ってくれないかなこの痣。

「あったかい……晴我くんの匂い、好き……」

味わうようにスゥスゥと匂いを嗅ぎ、幸せそうに目を瞑る。

庇護欲と、力の限り抱きめしたい衝動の二つを一度に刺激してくるが、どうしよう。抱きしめ返す度胸が、今はない。昼ならまだいいんですけどね……朝イチで度胸試しみたいなことはできない。

だから俺は、今ある精一杯の勇気を振り絞り、ぽんぽんと愛菜之の頭を撫でた。

「んっ、えへへ……」

頭を撫でられ、嬉しそうにふにゃりと笑う。良かった、嫌がられたりはしていないようだ。

愛菜之の綺麗な黒髪は、撫でるのが癖になりそうなほどに触り心地が良かった。

ずっと撫でていたい。抱きしめられていたい。抱きしめてたい。いい匂いがしてすごい興ふ……安心する。

だが、いつまでもこうしてはいられない。

「ほら、学校遅れるぞ」

俺がそう言うと、名残惜しい様子で愛菜之が離れた。けれど完全には離れず、俺の制服の袖を掴んでいた。

「あの、その……学校着くまで、腕に抱きついてちゃ、ダメ?」

「そうしたいなら」

即答した。

断る理由があるか? ないな。

俺がいいと言うやいなや、顔をパァッと太陽のように明るくさせ、愛菜之が腕に抱きついた。


……軽く承諾したけどやめたほうがよかった、と後悔する。

おっきなおっきなお胸が、腕に当たってる。愛菜之の甘い匂いが理性を飛ばそうとしてくる。

男子高校生にこれはかなりキツイ。色々、気をつけなくちゃならない。朝っぱらからこんな悶々とするとは思わなかった。

「……愛菜之」

「なぁに? 晴我くん」

幸せそうな顔をして俺の顔を見る愛菜之。

こんな顔を見たら、やっぱりやめてほしいだなんて言えるわけがない。

腹を決めよう。というか、こんな幸せなのに自分からその幸せを手放そうとするなんてバカな話だ。

「……学校のやつらに見られないようにな」

「うん」

どうにかそれだけ言うが、ふへへ、と幸せそうに笑っている愛菜之を見ると不安になる。

……話、聞いてます?




程なくして、学校に着いた。

まだまだ高校生になったという実感が湧かない。まぁ慣れるまではこの新鮮な感覚を楽しんでおこう。

それで愛菜之だが、結局離れてくれなかった。というか、離れてと言い出せなかった。

無理に決まってるあんなかんわいい顔されたら離れてなんて言えるわけない。

焦りと照れで、すごい早口で誰かに向かってを言い訳していた。

話を戻すが、それのおかげで俺たちが付き合ってることは大体のやつらが知ることとなった。

……舌打ちしてきたやつ、顔覚えたからな。

教室に入るなり質問責めにあったりヒューヒューと高い声で言われて中々につらかった。

いつから付き合ってるのか、デートはしたか、キスはしたか、手は繋いだかエトセトラエトセトラ……。

まぁ俺たちが話題となって友達作りのお手伝いになることだろう。みんなに貢献できてよかったなぁ〜。

そう考えとこう。うん。

「なんだ、お前ら付き合ってたのか」

そう言いながら俺の机に飴玉を二つ置いてきた。

必ず飴を置いてから話すような奴は、俺は一人しか知らない。表だ。

「ああ……まぁ、そうだが」

「彼女さんとの時間を作りたくて、生徒会の勧誘断ったってわけか」

納得納得と首を縦に振っている。そして飴を二つ、指でスイーッと俺の方へ押しやる。

「んで、飴玉あげたから生徒会入ろうぜ」

またかよ。お前一人で納得したろ今。

最初に断った時と同じ、俺はどの部活にも入るつもりはないので、ササっと断る。

ていうかこれ、賄賂のつもりか? このぐらいじゃ俺は買収されんぞ!

飴玉をしっかりポケットに入れながら答える。

「いやさっき俺が断った理由、自分で気づいてたろ。そんで今回も断る」

「いいからいいから。ほら、入ろうぜ?」

「なにがいいからだよ。断るったら断る」

ぶーぶーとブーイングをかます表。もうほっとくぞお前。

「なにを言っても、俺は入るつもりはないからな」

「じゃあ彼女さんに聞くわ」

……はい? いや、それは違うだろ!

「待て待て待てい!」

江戸っ子口調ストップをかけた時には、時すでに遅しだった。

「晴我を生徒会に入れていい?」

「私も入っていいなら」

「おっ!? マジか! 話がわかるぜ彼女さん!」

表が、生徒会員が二人増えて嬉しそうにしている。おめでとう! 仲間が二人パーティに加わった! じゃないよ。

驚きと疑問が混ざった複雑な感情が俺の心の中でぐるぐる回っていた。

驚きは、愛菜之が承諾したこと。疑問は、なぜ承諾したか。

色々と聞きたいことがあったが、慌てていた俺は入部することを取り下げることに躍起になっていた。

「愛菜之! 二人で出かける時間とか減っちゃうんだぞ!?」

こう言えば愛菜之は思い直してくれるだろう。と思っていたのだが。

「晴我くんと二人で居られればそれでいいの。それに生徒会に入れば、他の女が付け入る隙も少しは減るでしょ?」

いや、付け入る隙って。俺はモテないんだぞ。自分で言ってて悲しいがなぁ!

「じゃ、そういうことで! 放課後、生徒会室にこいよ!」

そう言って表はウキウキした様子で、教室を出て行った。

「愛菜之……」

縋るように愛菜之をみる。本当に俺、生徒会になんて入らないといけないのか?

「ダメ、だったかな?」

愛菜之が上目遣いでそう言ってくる。そんな風に言われちゃ

「……ダメじゃないよ」

こう言うしかないじゃないか……。




昼休み。

例のごとく人気のない教室に連れていかれた。今回も周りが冷やかしてくることはなかった。愛菜之の立ち回りによって、誰かに怪しまれたり、からかわれることがない。前世はスパイかなにか?

愛菜之は今日も、お弁当を作ってきてくれているらしい。大変だろうから毎日じゃなくていいんだが、作ってきてくれるのはやっぱり嬉しくてたまらない。

「その、今日は晴我くんにお願いがあって……」

お願い!?

彼女からの、愛菜之からのお願いだと!? 秒でオフコースだな!

まぁ、お弁当を作ってきてもらってる身なので断ることなどできないが。というか断るなんてしないが。

「晴我くんを、食べていいかな?」

思考がエラーを起こした。俺を、食べる? え? 物理的に? 殺されるの? 俺。

「どういうことだ、で、ですか?」

ふたたび動き出した思考が出した答えはごく平凡な答えだった。

ていうか、そう聞くしかない。敬語なのは命取られる可能性があると思うと、怖くて、そうなってしまった。

「その……目を瞑っててくれるだけでいいから」

と、顔を赤くしている愛菜之に言われた。

目を瞑るだけでいい……? ますますわかんなくなってきたぞ。

目を瞑ってる間に取る気か!? ……いや、愛菜之は優しい子だからな、そんなことしないよな。……な?

困惑ばかりだが、愛菜之からのお願いなのだ。俺は言われた通りに目を瞑って待つ。

「っ!?」

唇を重ねられた。

重ねるだけじゃない。舌を入れてきた。ヌメリとした温かなものが、俺の舌を引きずり出そうとしている。

されるがままの俺の舌は、そのまま外へ引きずり出された。愛菜之はその舌を、ちうちうと頬を赤らめながら、幸せそうに吸っていた。

食べるってそういうことか、と他人事のように納得しながら、内心とてつもなく焦っていた。さすがに人が来ないからといっても、ここまでするならやりすぎだ。

ちゅぱっ、と音を立てて愛菜之が俺を解放する。

「はぁ、はぁ……。愛菜之、さすがにやりすぎじゃないか……?」

いや、やりすぎだ。確実に。遠慮がなくなってきてるのはいいとは思う。それは距離が近づいていて、お互いを信頼しているからこそだから。

それでもこれはやりすぎだろう。

俺がそう聞くと、不安そうにビクビクしながら愛菜之は俺を上目遣いで見つめる。

「……嫌だった?」

嫌なわけがない。というか……嬉しい。

正直、もっとやってほしいとさえ思っている。

「嫌じゃないけど、学校でこんなさ……」

そう、ここは学校だ。神聖なる学校だ。

人気のない教室だからといって、誰かが通らないわけでもない。誰かに見つかれば、一巻の終わりだ。

だがそれを聞いた愛菜之は、目をキラリと光らしてこう聞く。

「じゃあ、学校じゃなければいいんだね?」

「え?」

学校以外ならなにをしてもいいという言質を取られた、だと……!?

愛菜之……恐ろしい子……。

「学校以外でなら、いろんなことしてもいいんでしょ?」

「ダメだ…………」

「え?」

愛菜之が首を傾げて、可愛らしく聞き返す。口は笑っているが目は笑っていない。

というか目にはどす黒い渦が巻いているように見える。

「……今から、正直に言うぞ?」

愛菜之にはあまり嘘をつきたくない。必要とあらば吐くけど。

でも、今は嘘を吐いていたらヤバそうだな。なにがヤバいかはわからないが、本能的なものがそう告げている。

「俺は、こういうことは」

愛菜之を見るのが怖い。俺の答えを待つ愛菜之は、もう口元さえ笑っていなかった。

伝えるのが怖いったらありゃしないが、言うしかない。

「……学校でもやってほしい」

「……え?」


言った。言ってしまった。

もうここまで言ってしまったなら、別にいいか……。

俺は諦め半分で話を続けた。

「……俺は、いつでも愛菜之と、そのぉ……こういうことをしたいんだよ。でも、抑えてるんだ。今までだってな。抑えないと、愛菜之に何をしでかすか、わからないから」

愛菜之を見れない。愛菜之がどんな顔で俺の言葉を聞いているんだろう。失望されていたらと思うと、怖くて見れなかった。

「俺は、男なんだよ。それも、高校生で思春期真っ只中だ。そういう欲は、そりゃまあ強いんだ。それをわかってるか?」

抑えるほうも大変だということをわかってほしい。抑えられない俺が悪いなんて言われたらおしまいだが。

「だから、できればこういうことをするのは控えてくれ。俺はあんまり抑えが効かないほうだし」

そう言いきり、顔を逸らす。きっと俺は誰から見てもわかるほどに、顔が赤くなっていると思う。

結局俺は、見られたら大変だからだとか、場所が場所だからだとか理由をつけて、抑えが効かなくなるのを怖がっているだけだ。

理性を保てていない俺が悪いだけの話。

今だって、俺の理性は消し飛びそうだった。最初っから必死に耐えているんだ。

それを知ってか知らずか、愛菜之が俺の手に自分の手を重ねた。

「……晴我くん」

なにを言われるだろうか。気持ち悪がられるだろうな……そうに決まってる。

欲まみれの俺なんかを、受け止めてくれるなんて、そんなはずない。

ないはずだった。

「抑えるなんて、しなくていいんだよ?」


ドクン、と、心臓の音がやけに大きく聞こえた。

逸らしていた顔を愛菜之に向ける。妖しく笑う愛菜之が、静かに俺を見ていた。

「……だか、そゆこと、あんま言うなって」

「私は晴我くんの彼女なんだよ? 印もあるんだから」

そう言ってふふっ、と笑い、自分の胸元を人差し指でトントン、と叩いた。

この前の、遊園地で付け合ったキスマークのことを指しているのだろう。

その時のことを思い出して、また余計に鼓動が早くなった。

「もっと、印をつけてほしい。もっと、触れてほしい。もっと、撫でてほしい。もっと、抱きしめてほしい。もっと、キスしてほしい」

愛菜之の手が俺の手に絡められる。指が一つ一つ絡められて、俗に言う恋人つなぎというやつになっていた。

「私は、晴我くんになら、なにをされてもいい」

頼むから、それ以上言わないでくれ。そう強く願った。

もし言われたら、抑えられる自信がない。

「愛してるよ」

なけなしの理性が、飛んだ。

ガタッ、と机が音を立てて揺れる。

いつのまにか、愛菜之を机に押し倒していた。

愛菜之はそれに驚くでもなく、ただただ俺を優しい瞳で見つめていた。

「……愛菜之」

名前を呼ぶと、嬉しそうに口元を緩めて見守る。

「止めるなら、今のうちだぞ」

「止めないよ。こんなに求めてくれてるのに」

俺の首の後ろに手を回す。きゅっと、離さないという意思を込めるように。

「晴我くん、好きだよ」

バクバクと心臓の鼓動がうるさい。二人共、頬が上気している。体の内から、なにかが湧いて止まらない。

愛菜之が目を閉じ、俺が覚悟を決めた。

その時だった。

教室の扉が開かれたのは。

「「!?」」

二人で扉の方をみる。

勢いよく開かれた扉の向こうにいたのは、

「みーちゃったーみーちゃったー」

スマホを片手に持って立っていたのは、

「さーて、この写真どうしよっかなぁー?」

水族館で俺を押し倒してキスをした、あの子だった。

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