ツイッターでの炎上、作者の言動と作品への影響に思うこと
黄舞@9/5新作発売
第1話
友人が最近ツイッターで話題の書籍化作家の炎上について自分の考えを整理するため、物書きらしくエッセイを書いた。内容についての言及は避けるが、なるほど、物書きらしい行動に自分も書いてみようと、今スマホを握っているーー作者は従来からスマホで作品を書いている。
炎上の是非については、正直個人の見解は様々だと思うが、私が思うのは結局みな人の子、自分の心情に素直なのだ。対岸の火事なら面白く眺め、時には野次馬よろしく議論にもならない議論に参加し、相手をいかにして自分の意見で屈服させるかを考えながら、一見正しそうな意見ーーたまに見るからに支離滅裂な意見もあるがーーを述べる。そういう人が多い気がする。
もしくは自分の知り合いや友人が非難されたのだろうか、火種の大きさなどには一切目をつぶり、炎上を引き起こした人やそれに便乗し話題を大きくする人たちを、まるで放火魔や火事場泥棒のように非難し始める。
私は炎上を眺めながら、親しい人々と公ではなくある程度閉鎖された空間で、時に意見をやり取りしたり、ただ聞き役になったりとするのだが、これを陰湿と呼んではいけない。何故ならば私たちが住む現実世界はそれは普通なのだから。
なぜ私がコソコソと閉鎖空間でやり取りをするかと言うと、単純に周りの目が怖いからだ。人の悪口や聞く人によっては眉をしかめるような話を、その人が聞こえるかもしれない開かれた場で話す人などそう多くはないだろう。
以前私は自身のツイートで、不特定多数が自由に閲覧出来るツイートは、例えて言うならば、「渋谷のスクランブル交差点の中央で大声で叫ぶようなものだ」と言ったことがある。
それを聞いた人々の多くは気にもとめないか、もしくは聞き流すだけだろう。しかし、時にはクリティカルに気に触る人がいて、いきなり顔面を殴られるかもしれない。
現実に殴れば、それは傷害罪で一発逮捕だが、殴られた方の怪我がそれでなくなる訳では無いし痛みも当然残る。この時殴った側は明らかに法律違反だから罰せられるのは当然として、大声で叫んだ人がどう映るかは、それこそ人それぞれだろう。
「そんな事を不特定多数が聞く場で大声で叫ぶなんて馬鹿だ」と言う人もいれば、「どんな発言も個人の自由だ。殴られるのはおかしい!」と言う人もいるかもしれない。
では、ツイッターではどうだろうか? 似たような議論ーー個人的には先に述べた通り議論になってないのがほとんどだと思うーーが飛び交っている。
しかし考えてみて欲しい。現実に殴った場合は現在の法律では罰せられる。つまりある程度、法が守ってくれるのだ。普通の神経の持ち主なら、多少カッとなっても、実際に殴ってしまう人は稀だろうーーと言いながらも昔から凄惨な事件はどこでも起きている。
一方、ツイッター上で人を言葉で殴ろうが、それがツイッターにとどまらず巨大掲示板や私のようなコミュニティでの話題にまで広げようが、誰も法律では罰せられることは無いのだ。
もちろん虚偽による名誉
ところで、炎上の是非と似ている話題として、昔から「いじめられるやつが悪い」かどうかについてあーでもないこーでもないと話が展開されている。この点に関しては私の見解は、誤解を恐れずに端的に言うと、日本でいじめと言われるものはほぼ全てが犯罪であり、いじめる側つまり犯罪者は
何故ならば、いじめが行われる原因は「人と違う」ことや「気に食わない」などといった、考えようによってはいくらでも『口実』が付けられるものだからだ。これについては余程気をつけてみても、一度対象にされてしまえばーーその対象になるかどうかはほぼ運であると言わざるを得ないと考えているーー自身の行いなどでは到底抗えないような理由で「いじめ」られてしまうのだ。
さて、では炎上はどうだろうか? 火のない所に煙は立たないと言う。火種のない炎上はありえないと思う。もちろん、自分自身が火種だとは思いもよらないものが火種となり激しく燃え、関係者にまで燃え移ってしまった、ということがないとは言わない。が、炎上は「いじめ」と違い、その火種が多くの人の反感もしくは嫌悪感などの負の感情を引き起こさなくてはいけないのだ。そうであれば、やはり炎上した本人の言動に一切落ち度がないと言うのは難しいだろう。
何よりツイッターは過去のツイートが不特定多数に容易に探られてしまう。先程例として挙げた「大勢の前で大声で叫ぶ」よりもタチが何倍も悪い。
そうであるから私は滅多なことはツイートしないようにと気をつけているーーときおり衝動に駆られとんでもない事をツイートしそうになるがぐっと堪えている。
つまり臆病で肉体的にも精神的にも地位も資産も優れていない私の、私なりの自己防衛であるーーと言っても過去にはとんでもない事も言ったかもしれないので、それが原因で炎上でもしたら自己責任だと諦めるだろう。
つらつら書いたが、要は「炎上したくなかったら、火種を信用出来る相手以外に渡すな」なのだ。
さて、もうひとつの話題「作者の人柄と作品は別に考えるべき」かどうかについても、自分の考えを述べたい。
これも過去の文豪や画家などが比較に出され、
先に持論を端的に言うと、「作者は作品の顔でもあるのだから、作者の言動は作品の売上に影響する」というものだ。
先に断わっておくが、実は私は作品のタイトルや作者名を覚えるのが大の苦手だ。内容が面白かったと思う作品の正式なタイトルを言える作品はあまり無く、その作者名となると片手で足りるくらいだ。
なので、作者がどうとかあまり気にせず読むのだが、もし仮に事前に作者にマイナスイメージを持っていた場合、その作品をあえて選んで読もうとは思わない。
もちろん、読み始めたものもしくは既に読み終わったものについては、作者の言動がどうであれ、作品についての感想が先行すると思う。しかし、上にも述べたが、好き好んで好ましいと思ってない人の作品を読みたいーー良くも悪くも話題だから興味を持ってというのはあると思うがーーという人は少ないんではないだろうか。
つまり作品の質がどうあれ、作者がいい意味で有名なら、作品の評価はどうあれ手に取る人は増えるだろうし、逆に悪い印象を与えていれば、読者を退けてしまう要因となりうる。
どんな作品であっても読まれないことには価値がないのだからーー反論が来る前に書いておくが、作者が書くことによって満足するという事は重々承知しているーーみな
そう考えてみれば、自分を表に出さない覆面作家でなければ、つまりツイッターで作品の宣伝をしたりするのであれば、悪い印象を与えるよりもいい印象を与えた方がいいし、実際それでPVを稼いでいる作者もいると思う。
ところで、誤解されないように述べておくが、何も品行方正、聖人であれなどと言いたいのではない。キャラ作りをするのもありだと思うし、一部には忌避されるがそれより多くに賛同されるのであれば突飛な発言を繰り返したとしても問題ないだろう。
要は売り方の問題だと思う。炎上商法という言葉ができて久しいが、そういう売り方もあると思う。
ここまで作者と作品の売上(もしくはPV)はある程度関連すると思うことを述べたが、一方で書籍化の是非については一言で終わるが「出版元の意向次第」だろう。
犯罪者が房中で書いた本がベストセラーになったりもするのだから、作者の人間性などは関係なく、出版社としては「その本が売れるかどうか」のみが重要なことだろう。
炎上、作者の言動と作品への影響と書籍化。この三つについて持論を述べてきたが、ここに書いたように、個人的にはこの三つは分けて議論されるべきだと思う。
もちろん相互に影響し合うことがあるのは分かるが、必ずしも一緒のことではない。
同じことの繰り返しになるが、炎上は少なからず自身が撒いた火種が原因になるのだから注意すべきだ。作品の売上やPVを稼ぎたければ、いい意味で有名になった方がいい。そして、書籍化についてはもっと包括的に「売れるかどうか」が重要だ。
最後になるが、ツイッターなどのSNSは作者の宣伝の場としてはかなり優れていると思う。また、普段ではなかなか出会うことのない、同士ーープロアマ問わずに執筆を趣味にしている人ーーと容易に出会える場でもある。
実際、私もツイッターをやっていなければ既に筆を折っていたかもしれない。
だがしかし、やはり気をつけなくてはいけないのは、ネットは全世界と簡単に自分をつなぐ道具であり、使い方を一歩間違えば多くの危険がその身に降りかかることとなるものだという事だ。
私もこのエッセイを書いた後、ツイートする度に自問自答しようと思う。
「そのツイート、知らない人に見せても本当に大丈夫ですか?」と。
ツイッターでの炎上、作者の言動と作品への影響に思うこと 黄舞@9/5新作発売 @koubu
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