第3話 三日目
『あら? 昨日のロボットさん。また来てくれたのね』
『こんにちは』
奥様よりお使いを頼まれ、自然と脚が運んだ珈琲店。その頃にはもう、何故だ。とか、どうして。だとか、そういった自問するプログラムは消えていました。今、私の思考を埋め尽くしているのは、メーカーさんに会いたい。それだけでした。
『待っててね。今、豆を抽出するから』
『お構いなく』
これで三日目。珈琲豆と、カップに注がれた珈琲を持って帰る。我ながらとても非合理的な行動だとは思います。何せ私に珈琲を飲むことは出来ないのですから。
『お待たせしました。素敵な一日をお過ごしください!』
メーカーさんの音声プログラムが発する音を拾い上げる度、私の情報電子処理機能に微かなショートが生じて行きます。
私は……。
『あの、メーカーさん』
『どうかなさった?』
『少し、お話しませんか?』
私は、何がしたいのでしょうか。
『ふふっ、不思議なロボットさんね。何をお話する?』
また、思考回路に電撃が走りました。私は、壊れてしまったのでしょうか。
『メーカーさんは、どうして珈琲を作るのですか?』
『おかしなことを聞くのね、私は珈琲メーカーよ? お客様に最高の一杯を届け、美味しいって言ってもらう。それが一番の楽しみなの』
きっと、これもプログラムなのでしょう。接客型IAは日々の会話で、様々な会話が繰り広げられるよう、対人会話プログラムが施されているはずです。
『きっと、メーカーさんが淹れる珈琲はとても美味しいと存じます。私は、その……。生憎ですが機械なので、メーカーさんがお出しする珈琲を飲んだことが無いのですが』
『ロボットさんは、私の入れた珈琲が飲みたいと思う?』
『それは……とっても。少し、人がうらやましいと思います。私が人なら、毎日メーカーさんの入れる珈琲を楽しみにできるのに』
この時。少し、回路の伝達信号が遅く感じました。もし、私に心という物があるのなら、これは……残念な感情というのでしょう。私は初めて、人が羨ましいと本気で思考回路が答えを出していたのです。
『私も、たまに思う事があるの。だって人には手足があるじゃない? 私には無いもの』
『外に、興味があるのですか?』
こういうプログラムなのでしょうか。しかし、電子音となって伝わる声質の抑揚は、とても……。こういう時、なんと表せばいいのか、私にはわかりませんでした。
『ええ、とっても。私が稼働してから493日間、ずっと此処に置かれたまま。だから、少しロボットさんが羨ましいわ。手と脚があって、好きな所に行けるんだもの』
『メーカーさん……』
『あら、いけない。私ったら……。面白くないお話しちゃって』
きっと、人の感情を借りて話すのならば「可哀そう」と表現するのでしょう。
『メーカーさん。外へ、出てみませんか?』
『え……? でも、無理よ……。そんなことしたら』
『今晩、お迎えに行きます』
少し、迷った様子でメーカーさんは電子表示版に表示された目を垂れさせた後、私と目が合うなり、表示板のつぶらな瞳を湾曲させるのでした。
『……待ってるわね』
『約束です』
◇
夜。旦那様と奥様と坊ちゃまが寝静まった頃。私はひそかに構築していた起動予約システムを作動させ、稼働を開始しました。
『――――プログラム始動』
別の音声が私の身体より流れでた後、視界が開けてきました。本来表示されるスケジュールプログラムはオフにして、私は動き出します。
家具家電プログラムは、人が発する生体反応に応じて起動しますが、当然機械である私に反応する訳がなく、今この家で稼働している家電型IAは私しかいません。
そっと、玄関の扉を開け、私は珈琲店を目指すべく自宅を後にしました。
◇
営業中の活気とは大違いに、静まり返った店内へとゆっくり足を忍ばせます。当然、警備システムも、他のIAも、機械である私には意味をなしません。後は、昼間の約束をメーカーさんが信じていてくれれば。そう願う他ありませんでした。
『メーカーさん。迎えに来ました』
私が声を掛けた瞬間。メーカーさんの電子表示版が起動し、真っ暗な店内を薄緑色に照らし始めました。どうやら、約束を信じていてくれたようです。
『本当に、来てくれたのね』
にっこりと、人の様にメーカーさんは笑みを表示させていました。
『行きましょう。メーカーさん』
私はメーカーさんを抱上げ、店外へと歩き出しました。
『私、重くない……?』
『私には、緊急介護用プログラムが施されています。耐荷重200キロまでは許容ですよ』
『うふふっ。変なロボットさんね』
◇
夜の街は、何だか寂し気……という表現が正しいかもしれません。
道行く人々は減り、稼働するIA達もあまり見かけず、文字通り町全体が眠っているかのようでした。町全体の地形図は回路に入っているのですが、いざ連れ出すとなると、何処へ向かえばいいのやら。こういう事を人は「気の向くまま」というのでしょう。
『どこか、行きたい所はありますか?』
『ううん。こうして、初めての物を沢山見るだけでも十分』
『そうですか』
気の向くまま。何て難しい言葉なのでしょう。目的を持たずして行動する人間は、すごいと思いました。ロボットには、到底できない思考です。
いや、今こうして、メーカーさんを連れて外を歩くという行為は、人が言う気の向くままという奴ではないのでしょうか。非生産的で非合理的で、なんの意味もなく夜の街を徘徊する。それは到底意味を見出せない行動です。
私は、私は……。一体何をやっているのでしょうか。
けれど今は、ただ一緒に居たい。そう思えて、夜の街を歩き続けました。
『ねぇ、ロボットさん』
『どうかなさいましたか?』
『今、私達人間みたいね』
『……そうですね』
とても変なプログラムです。これも人の言葉を借りて言うのなら、気持ちという奴でしょう。それくらいに今の私は、とても変な気持ちで溢れていました。
これが、悪い物だとは思いません。ですが、とても変な気持ちなのです。
◇
『ありがとうロボットさん。そろそろ帰らなきゃ』
『そう、ですね……』
メーカーさんを抱えて歩き始め、随分と時間が経っていたようです。それくらいに、他のプラグラムを遮断していたようで、時刻を確認すると午前5時を回っていました。
薄紫だった空の色に、微かな白のコントラストが入り始めています。それに併せ、道行く自動車や、人々の姿が、チラホラと見え始めていました。
『営業時間は午前9時からでしたね』
『覚えててくれたのね。だから、そろそろ帰らなきゃ』
『分かりました』
足取りが重い、とでも表現するべきでしょうか。一歩一歩と、当たり前のようにプログラムされた運動機能が、足を踏み出す事に抵抗を命じていました。
明らかに規定の歩行速度より遅いのです。出力不足を疑いましたが、身体的機能損傷は何一つ見つからず、至って正常との自主構成プログラムが結果を出しました。
そして、ほんの数分歩いただけで珈琲店へと辿り着いてしまいます。
『ありがとう。ロボットさん』
『こちらこそ。とても良い一時でした』
メーカーさんを定位置へと置き、私も帰宅しようとした時でした。
『あの、ロボットさん。少し、そこのカップを取ってくれる?』
『はい? 承知しました』
何気なくカップを取って、メーカーさんの抽出部分へ置くと、メーカーさんの体内より豆を削る音が響いていきます。
『少し、待っててね』
『お構いなく?』
いつも通り、メーカーさんは抽出を始め、もうすっかり見慣れた珈琲がカップへと注がれていきます。しかし、何だかいつもより注ぐのに時間を要しているような……。
『お待たせ。今日は、ありがとうね』
『…………?』
徐にカップを受け取ると、見慣れない白い気泡に包まれていて……思わず私は、それを覗き込むように見入ってしまいました。
白い気泡。解析によるとこれは、泡立てたミルクや珈琲で模様を形成する「ラテ・アート」でした。そして、その模様はハートの模様。
『またね、ロボットさん』
『メーカーさん。ありがとう。大切にします』
私に珈琲を飲むことは叶いません。
けれど、このハート模様の意味を、私は知っていました。
――恋。愛。嗚呼、何て素晴らしい響きの言葉なのでしょう。
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