<5>
自身よりも上の人と出会うことになれば緊張するし、その人に対して失礼がないようにと考える。相手がお嬢様であれば、男の人に慣れていないと考えて、何か配慮ができないかと考える。彼はちゃんと相手に対して、心遣いができるだけの常識人だ。
――しかしその心遣いが、相手に対して上手く発揮されるかどうかは分からない。それはどういった人であれ、抱えている問題だ。そこは対した問題ではないだろう。
しかし、彼は『月瀬湊』である。友人から『アレ』な人間であると言われ、幼なじみからは変な思考回路を持っていると思われるような人間である。
何事も表裏一体で存在している。そんな言葉を象徴するような彼が、まっとうな考えを思い付くわけがなかったのだ。
次に続いた言葉に、六花は改めて湊はアレであると強く認識することになる。
「母さんもそう言ってたし、そう俺も思ったよ。だからこそ、俺もできる限り配慮をしたいと思ったんだ。だから六花ちゃん、俺を女の子にして欲しいんだ」
「――まて、まって。だからどうして、何がどうなってそんな結論にいたったの!?」
「だって、男が苦手な人かもしれないのなら、俺が女の格好をして会おうようにすれば良いんじゃない? それに、俺が超えたい絵に描かれているのが女性なんだから、俺もそれに近付けば何かが得られるかもしれないし」
「いや、それは確かにあるかもしれないけど、何でこのタイミングで女装をしようと思ったの!?」
「女装とかなんて、普段できるようなことじゃないだろ? 普段行けないような所に行くのに、普段しないような格好で行く。良いこと尽くめじゃないか」
「いやいや女装とか、相手の人がどん引きするでしょ!?」
「例えどん引きされても、それをネタに会話ができるかもしれないし。何より相手から話したくない相手と認識されたら、最低限の会話だけで終わるし。俺が恥じかくだけですむしな」
テンポ良く言葉の応酬をする二人だったが、湊の満面の笑みで告げられた最後の言葉に、六花の敗北のゴングが脳内に鳴り響いた。
その言葉に意識がクラクラして、六花は額を押さえながら、身体をゆらゆらと揺らした。あまりの衝撃に、頭が熱くなる感覚すらした。完全なる、頭の使いすぎによる燃料の消費である。
何故彼は、こうもまっとうな結論に至らないのか。確かに合理的とも言えるほど、本人の望みは全て叶うと言えなくはないのだが。しかし、この結論に至ったら普通ためらうだろうと六花は考える。
そんな様子の六花を心配そうに見つめる、原因たる湊に対して頭を抱えながら、絞り出すようなうめき声で再び言葉を発する。
「……そもそも、その女装自体が無理だとは思わなかったの? ほら、体格とか身長的な問題的な」
「俺は成長期が来てないのかしらんが、全体的に細いし、身長も六花ちゃんよりは少し低いから」
「……そうね。確かにアンタの方が少しだけ低いわね」
「それに、俺は性別分かりづらいらしいしな。だから化粧とか服装とか、そう言ったものに詳しいであろう六花ちゃんに頼みたいんだけどーー」
――必要な費用は当然俺が出すから、お願いできないかな。
そう言って心から申し訳なさそうに頼み事をするものだから、六花は止めるべきと思う感情から、どうしても叶えてあげたい方向へ傾きかけてしまう。小さな頃から湊の、あの絵への情熱を知っているからこそ悩むのであろう。
常識的に考えて止めるべきか、幼なじみとして叶えてあげるべきか。その二つの天秤でグラグラと揺れ動いた結果、出した結果は――。
◆◆◆
「ーーあっはっはっはっは!! 本当に何であの結論から一日で、そんな展開になったわけ!」
ファストフードのテーブル席で、その机にうつ伏しながら、諒太は腹を抱えて笑った。向かい合ってような形で座っている湊は、そんな諒太をよそに買ってきたミルクティーを飲む。
ファストフード特有の紙コップに蓋が付いている物を手に持つと、中に入っている氷の冷たさが感じ取れた。
すでにガムシロップなどは入れており、ファストフード特有の薄い甘さが口の中に広がった。そんな中身をゆっくりと啜りながら、うつ伏したまま震えている諒太を見る。未だに笑いが収まらないようで、クツクツと堪えるように笑っていた。
お昼前の休日のファストフード店は、学生と思われる子供たちがたむろっていた。そのため店内は賑やかで、二人の話し声は店内の喧騒で消えているだろう。周りと同じように友人同士で楽しそうに話しているだけであることには変わりはない。
だが、会話している内容がアレなので、聞かれないことにこしたことはないだろう。人間としてだとか、男としてだとかの矜持的なものを失いかねない。
昨夕の会話に対し、六花は『少し考えさせて欲しい。ちゃんと期間内に間に合うように考えるから』と一時的に保留となって、その後二家族揃って夕食を食べた。
夕食の会話中に、今日の出来事が話題としてあがるのは当然とも言え、その話題があがる度に、六花は何かしら反応を起こしていた。それは湊だけが分かるような小さな反応だったがゆえに、湊の妙ちきりんな言葉が家族に知られることはなかったのだが。
和やかな食事も終わり、明日は休日であった事もあって、アトリエで落書きのような物でも
描いていようかと考えたのだ。なお彼にとっての落書きにあたる物は、色々な物をデッサンすることである。
何をデッサンしようかと考えながら、彷徨うように歩きながらアトリエを見回していると、閉じた出入り口の取っ手が回す音が聞こえた。その音に反応してそちらに方へ向くよりも先に、ドアが開く方が早かったらしく、湊の視界に入ったのは、出入り口からこちらへ向かってくる六花の姿だった。
俺に対して何か用事になりそうなものあったっけ、と呑気に考える間もなく、つかつかと歩み寄ってきた六花が『明日、買い物に出かけるから、体調崩さないようにしてよね』と語った。
これを六花に言えば『お前が言うな』と返されるだろうが、突拍子もない言葉に驚き、きょとんとした表情を浮かべて彼女を見つめてしまう。そんな内心を読んだのか、六花はすぐにその言葉の真意を返してくる。
「さっきの頼みを引き受けるから、それようの買い物に行きたいのよ」
「あぁ、そういうことか! ありがとう、引き受けてくれて」
あの願いが幼なじみから言われて、どん引きものの願いだということも理解していた。しかし、この頼み事をするのならば六花が一番良いだろうと思い、断られるのを覚悟で頼んだのだ。
六花は決して華やかな外見をしているとは言えないであろう。実際幼い頃は、湊が中性的な容姿なのもあって、からかい混じりで彼女の方を男扱いするような子供も多かった。しかし成長するにつれて、彼女は華やかな女の子になっていった。
他者の真似をするのではなく、自分自身に似合うスタイルを見付けながら、そういった物を装う己自身を磨いていったのだ。
櫛に引っ掛かることのないサラサラで艶やかな髪、吹き出物一つもない白い肌、健康的な肉付きをした身体。気が付けばそんな彼女が、すぐ側に居たのだ。
「アンタの熱意は知っているし、何よりここで私が引き受けなかったらどういう事態になるか想像したくないもの。ーーただし、やるからには徹底的にやりたいのよね」
――絶対、相手にバレないレベルでね!
湊に対してビシッと指を突きつけながら、フンと鼻息を立てて彼女はそう言った。その顔は気合いに満ちあふれ、実に堂々としていた。ぶっ飛んだ内容に対して、むしろぶっ飛んだ内容だからか、どこか楽しげでもあると湊は感じた。
その言葉を言い残してアトリエを去ろうとする彼女に、ふと思い浮かんだことを問うた。
「そう言えば、なんでわざわざアトリエまで言いに来たの? スマホで連絡してくれればよかったのに」
「……アンタ、自分の集中力をどう思っているわけ? 絶対スマホに連絡入れても気付かないまま、絵を描き続けるでしょうに……」
「……そんなことは、ない、とは言えない、です、ね」
自分の今までの生活行動を振り返ってみると、それはないと言い切れない場面が多すぎて、返答が変な言い方になった。
アトリエまで呼びに来た人の声に気付かないような人間が、高校入学と同時に買い、最近始まった付き合いであるスマホの音で気付けるとは思えなかった。
そこまでの考えに至って、ふと自身のズボンのポケットを探ると、スマホを携帯すらしていなかった。そんな自身に対して、思わず真顔になる。
そんな湊の様子で察したのか、六花はそれ見たことかと言わんばかりに、薄目で見つめている。何せ集中してアトリエに籠もっている湊を、呼びに来る筆頭なのが六花なのだから。そんな人物である彼女に対して、ゴメンと一言告げる。
その謝罪の意味を六花は理解した上で、もう日常の一環だから気にしてないと苦笑しながら話した。
「ーーさて、これで明日の予定は決まったのだから、アトリエに引き籠もらないで、アンタもさっさと寝るのよ!」
「うん、分かった。ありがとう、六花ちゃん」
母親のような口調で、母親のような台詞を話しながら去って行く六花に、本当に面倒見がいいな、と思いながら感謝の言葉を告げた。六花が直接来てくれなければ、そのまま徹夜コースもありえたもので。
六花が居なくなって静かになったアトリエの中で、明日の予定のためにも今日は早めに寝るかと考えて、湊はアトリエから自宅へ戻っていったのだった。
そうして翌日となった朝、寝ぼけ眼でリビングに行くと、諒太が奏音と仲よさそうに歓談していたのをみて、一気に目が覚める。
何故我が家に居るのか問いただすと、六花から『明日暇なら、湊から面白いことが聞けるから来ると良いよ』とメールがあったらしい。
六花が何を思って呼んだのか分からないが、ふざけたことを言った湊に対して、ちょっとした意地悪と嫌がらせが籠もっているのだけは確かだった。それに関しては迷惑代として考えれば安いものだと思う。
そうして二人に朝の挨拶をして、今日は出かける予定があるのだと話していると、諒太の元に一通のメールが届いた。差出人は六花で『朝の準備に時間が掛かりそうだから、ショッピングモールに先に行ってて欲しい』という内容だった。
一緒に行く相手であるのが確定している湊でなく、諒太にメールを差し出していることに対して、奏音が二人共、行動を六花ちゃんに把握されてるわねぇ、と笑った。
公共の迷惑にならないような範囲でしか格好を考えない湊は、朝の支度をさっさと済ませ、諒太と共に近所のショッピングモールへ向かった。
近所とはいえ、バスで行かなければならない距離のため、さすがにバスの中で話すのは憚れたので、諒太に説明はもう少し待ってくれと頼んだ。
そうして着いたショッピングモールで六花を待とうと考え、どこか座れる場所はないかと六花の到着を待つ間の店に手頃な値段のファストフード店を選んだ。そうして湊はこれまでに至った経緯を話し、爆笑する諒太の姿が出来上がったのだった。
「あー、笑った笑った。湊の発想もそうだけど、よく南雲さんもこんなへんちくりんな頼みを引き受けたよなー」
一通り笑いきった後、渇いた喉を潤すために買った炭酸のジュースを飲む。笑っている間に炭酸が薄くなっていたらしく、ほぼただのジュースだった。そのため一気に飲むのに抵抗はなく、溶けきれなかった氷だけが残った。
湊の方も中身は少なくなっているが、氷はほとんど溶けておらず、紙コップを触れると未だに氷の冷たさを感じ取れた。
紙コップの冷たさを感じながら、諒太の意見に心の中で全くもって同意した。言った張本人であるのだが、へんてこで頭が痛くなるような頼みであることは自覚しているので、六花の面倒見の良さに助けられていると、いつもながら実感する。
全くもって、我が月瀬家の面々は南雲家の皆に助けられているな、などと思っていると周りの喧騒で聞こえなかったのが、六花が湊達のテーブル席の近くまでやって来ていた。
レースがあしらわれた白いブラウスに、それとは対照的な色である黒いショートパンツ。そこから伸びる足の下にあるピンク色のパンプスが、柔らかな春の印象を強くした。バックはシンプルなデザインのショルダーバッグを肩から掛けいる。
化粧も含めて彼女自身に『違和感のない』格好であり、辺りの女子高生よりも『隙がない』ような印象を与え、どこか大人っぽく見えた。
それはファッションに詳しくない男二人でもお洒落な人であると思えさせ、近くにやって来た六花の姿を褒めながら、諒太と六花は会話を始めた。
「おはよー。やっぱ南雲さんってオシャレなんだねー。俺、服とか詳しくないけど」
「おはよう。それにありがとう、渡会君。褒めてくれるなんて嬉しいな」
「俺みたいなファッションに詳しくない人間に、褒められても嬉しいもんなの?」
「そんなの決まっているわ。ーー純粋に褒められて嬉しくないわけないじゃない」
そう言った六花の笑みは、自身が頑張っていたことを褒められたときのような、輝いた笑顔だと湊は思った。綺麗だと思うけれど、何かもやもやした感情が彼を包んだ。
そんな感情に首を傾げながら、買ったミルクティーを飲みきり、和やかな二人の会話の中に入っていった。
「おはよう、り――南雲さん。なんで今日、諒太を呼んだの? 二人っきりだったらデートだったのにー」
「ーーおはよう、月瀬君。それは今日、君のへんてこな頼みを叶えるのに、しっかりとした『男の子』の手が必要だと思ったからです」
「え? 俺は男の子ではなかった……?」
「今は男の子でも、少なくとも今からは『男の子』とは呼べなくなるわね」
「そりゃそうだ! 俺として今からの湊を、男だと思うのは嫌だなー」
三人でふざけるように笑い合いながら、そんな会話を続けていく。その会話をしながらも席を離れながら紙コップを店のゴミ箱に捨て、店を出て行く。
店を出ると、出入りする人や通行人の邪魔にならない場所へ移動し、今日の本題へと移っていく。そう、散々皆がへんてこだと言う『月瀬湊、女の子になる』事件である。
まずはこの件に関係のない諒太が、この件について詳しく分かった時に思った疑問を、六花に投げかける。
「ーーで、南雲さん。なんで男が必要だと思ったの?」
「……ゴメン。用件も伝えないし、男手が必要だとか思ったとかとか、嫌な言い方だったよね」
「いやいや、こんな面白い事態になってるなら、むしろ誘ってくれて有り難いんだけど、なんで男手が必要なのかなぁ、と。純粋に疑問で」
諒太の疑問の投げかけが、自分の誘い方や言い方が悪かったと思ったらしく、花が咲き誇っていると思えたほどの笑顔が、一気にしなしなと萎んだような、落ち込んだ顔になった。
そんな六花に対して気遣うような声色で、疑問の内容をさらに詳しく伝える。
湊は己への意地悪と悪戯心が働いた結果なのだと思っていたが、よくよく考えれば六花が、自身のモヤモヤを晴らすために、誰かを利用する人間ではないのは理解している。そう考えると、諒太と同じように六花に対しての疑問が浮かんだ。
同じように疑問を浮かべて首を傾げている二人に、未だに落ち込んでいるらしい六花は、ポツリポツリと小さな声で答えていく。
「ーーだって、み――月瀬君をどこから見ても男に思えなくさせるには、全身に何かしら施さないと誤魔化せないだろうと考えたからさ。そうなったら、買う物の量が増えると思って……」
――第三者かつ、荷物を持ってくれそうな人が必要かな、って思って……。
そう言って『私、荷物持ちに渡会君を呼ぶとか最低だよね』とさらに付け加えて、深く落ち込んだ。そんな六花に対して特に気にした様子もない男二人は、彼女の返答に納得した。
よくよく考えれば、どの角度から見ても女であると印象づけるなどと、かなり難しい問題である。髪が長ければ女っぽく見えるだろうと、そのくらいにしか考えていなかった湊からすれば、目からウロコだった。
いくら湊が中性的であるとはいえ、男である。言動や体格で分かる人には分かってしまうだろう。ましてや、今回会うのは上流階級の人である。身につけている物や言動で察することが出来てしまっても可笑しくはない。
ならば、しっかりと準備すべきすべきなのだろう。湊は自身が思う想像以上に、六花が真剣に考えていてくれたことに感動した。
「――なるほど、そりゃそうだわな! 俺や湊の頭じゃ想像つかないわ」
まるで空気を切り替えるように、ニッカリと笑った諒太が、そんな台詞を言いながら湊の肩を叩いた。その湊の肩を叩いた意味を理解して、暗い表情でしょんぼりしている六花に、声を掛けた。
「そうだな、諒太の言うとおりだな。ーーなら、早く店を回らなきゃ、似合う物が見つからなくなるかもしれない。だから行こう、南雲さん」
その言葉と同時に六花の手首を掴んで、ゆっくりと歩き出す。湊に手首を捕まれたことと、その歩む力に引っ張られ、勢いよく顔を上げ驚いた表情で湊を見る。
しかし、彼に優しく微笑まれて、その強ばった表情はゆっくりと柔らかなものになっていく。そうして歩み出した二人に、まるで微笑ましいカップルを見かけたような、温かな感情がこもった呆れ顔で、諒太も二人の後をついていく。
こうして、まるで青春の一ページのように彼らの買い物は始まったのだった。
――……ただし、内容は『月瀬湊の女装するための素材集め』である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます