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 自身は実に間抜けな表情を晒しているだろうと、六花は自覚していた。しかしこの言葉を前にして、女子高生がして良いような表情をするなという方が無理があるだろう、と胸中で独りごちる。おかげでしばし呆然としたまま固まってしまった六花に、それだけの衝撃を与えた主である湊は、硬直したままの幼なじみにおーい、と眼前で手を何回か振りながら問いかけた。

 その声と視界に入る手のひらにハッと気付いた六花は、何かを話そうとして息を吸ったが、その勢いがあまりにも強かったせいかむせ返ってしまった。


 ごほげほと喉を痛めてしまいそうな咳き込み方に、湊は驚いたように一瞬びくりと跳ねて、おろおろとしながら彼女の背中をゆっくりと擦る。

 ひとしきり咳をして落ち着いたが、何もしていないのに疲労困憊状態になった六花は、こんな状態にした張本人を一睨みした後、一息吐いて、仕切り直すように声を掛けた。


「ーーで、なんでそんな馬鹿馬鹿しい結論になったか、説明してくれない?」


 まるで喧嘩を売るヤンキーのように斜め下から湊を見つめながら、湊に対して説明を求めた。それに対して湊は、困ったように首を痛めたようなポーズを取りながら、一つずつ答え出す。その説明はいろんな意味でごちゃついているために、一から説明しなければならないだろうと考えたからであった。


「ーーそもそもの始まりは、恐らく俺がスランプに陥ったことが原因なんだ」


「……スランプ? アンタが?」


 ある程度話を聞いてから言葉を返そうと考えていた六花だが、思わずその言葉を発してしまった。六花にとってそれほどまで意外なことであり、その言葉を声に出してしまった。

 長年の付き合いがある六花にとって、それは本当に思いも寄らない事態だったのだ。困惑したような表情で、腕を組んだ姿をとった彼女の思考が読めたのか、その反応に苦笑しながらも話を続ける。


「うん、まぁ俺から考えても、意外だと思うよ。ーーこういった時の対処法の一つとして、自分を見つめ直すことを考えたんだ」


「まぁ、それがアンタにとって正解かどうかは分からないとして、それも一つの手段ではあるのは確かよね。それで?」


「それで俺の場合、始まりが直ぐ近くにあるからそれを見つめて、色々と考えようと思ったんだよ」


 そう考えて、普段片付けてある『花嫁の肖像』を出して構わないかと、湊は持ち主である奏音に問うたのだ。その時のやりとりから、湊のぶっ飛んだ考えへの連鎖が始まったと言えた。




 ◆◆◆




 絵を出していいか聞こうとしたとき、奏音は出かけようとしていた。少し前を思い返せば、夕飯のおかずを作るのに材料が足りない、というようなことを慌てながら言っていたと湊は思い出す。

 材料を買い出しに行こうとした自身への息子の問いに、奏音は本当にその絵が好きなのね、なんて言いながら恥ずかしそうに笑いながら了承した。

 何故恥ずかしそうな反応をするのだろうと考えるが『そりゃ自分が描かれた絵を見たいなんて聞かれるのは、いつものことであっても恥ずかしいだろうな』などと思いつき、了承を得て絵を出しに行こうとした湊の姿に、何かを思い付いたようにポツリと小さな声で、奏音は独り言のようにぼやいた。


「うーん、あの人の絵が気になるなら、『学園』に入ることができたら見れるのにねぇ」


 ――湊じゃ難しいかしら。

 その言葉に、アトリエに向かっていた湊の足が、思わず止まった。彼にとって亡き父の作品はアトリエにある物が全てだと思っていたので、母のその言葉は想定外だった。

 アトリエに続く階段を降りようとした足を止め、その場で踵を返すように奏音の元へ向かう。母と会話できるような距離へ近づき、玄関へ向かう途中の母へその疑問を口にする。


「母さん、それってどう言う事? 父さんの作品って、アトリエにあるのが全てじゃなかったのか?」


「やだー、違うわよ。フィエルテア学園の理事長が、お父さんのファンだって言ったのよ。それで、この作品達をを学園に飾りたいって言って、ある程度買い取ってくれたのよ」


「フィエルテア学園!? そこって有名な所謂お金持ちが通うような、お嬢様・お坊ちゃま学校じゃん!」


 母が何でもないように言った言葉に、湊は思わずギョッとした。母が名前に出した『フィエルテア学園』は、この辺でも有名なお金持ちや身分が高い方のご子息・ご息女たちが通うような、名門校だったからだ。

 己にとって、母はしがない主婦という認識が強かったため、その事実は湊にインパクトを与えた。一瞬、意識が遠くへ行きそうになったが、慌てて抜け掛かった魂を身体の中に元に戻す。

 けれど、そんな慌てふためく湊の様子などお構いなしに、奏音はまるで自分の世界に引き籠もってしまったように話を続ける。


「そうそう。私はその『フィエルテア学園』の卒業生で、お父さんはそこの美術教師だったのよー」


「はぁ!? 俺の両親はそんな名門校と関わり合いがあったのか!?」


「そうよー。そこでお父さんと出会って、私が卒業してから正式にお付き合いを始めて、そうして結婚したのよ」


 奏音は嬉しそうに夫婦の馴れそめを語り始めているが、湊からすれば全ての内容が初耳である。そもそも、そんなことは今はどうでもいい。両親のイチャイチャ話を年頃の息子が聞くなどと、単なる苦痛でしかないだろう。

 ぽわぽわと花を飛ばしているのが見えそうな姿で、馴れそめ話を語っている奏音に対して、改めて意識が遠のきそうになる感覚に襲われる。再びそうはなるまいと、姿をなるべく見まいと目を細めながら話を聞き流していた。

 そんな湊をよそに、奏音は馴れそめを思い起こしながら幸せそうに語っているため、いつ本題が聞けるか分からない。

 幸せそうな母に若干の申し訳なさを憶えながら、意識を無理矢理こちらへ持って来させるために、話の中に割り込んだ。


「そこの学園長が父さんのファンで、作品を買い取ったのは分かった。それがどうして学園に飾ることになったんだ?」


「――え? ほら、あそこの学園の趣旨って『誇りを持ちうる自身となろう』だから、学問系以外にも力を入れているのよねぇ」


「そんな当たり前のように、フィエルテア学園の指針的な事語られても、俺には縁遠い所だから知らないんだけど」


 湊の言葉にそうなのだったの、と疑問が入ったような声色で返事を相打ちしながら、奏音は言葉をを続ける。

 そもそも両親がフィエルテア学園出身であることも、今始めて知ったのだ。そしてフィエルテア学園は、本当にお金持ちや高貴な身分の方が通うような学校なのだ。進路先の候補としても話題にすらならなかった学校の指針など知るわけがないだろうと、内心で思わずごちた。


「それでね、学園長が『この作品達は素晴らしい物ばかりだから、ぜひとも学園で飾りたい』って言っていてね」


 ――作者がこの学園出身の方だから、同じように芸術系を目指している子供たちの影響になりそうですし、って考えで学園で飾りたいって言ってくれたの。


 その言葉に湊は驚いた。亡き父が昔、学校の美術教諭であること、母との付き合いと結婚を機に辞職して画家となった事だけは知っていた。

 寂れたともとれるアトリエ、湊自身は父の絵画関係者の知り合いと出会ったことがない。そう言った事情や家庭の経済状態から考えて、亡き父が一応評価された作家であるとは思いもしなかったのだ。

 洪水のように氾濫した驚きに固まったままの息子を見て、奏音は息子におーいと問いかけるが固まったまま反応はなく、自身も急いでいたこともあって『じゃあ、もう行くわねー』と固まる湊にぞんざいな声を掛けてから、外へ買い物へ向かったのだった。




 ◆◆◆




「――へぇ、おじさまの絵って、フィエルテアの学園長に買い取られていたんだ。しかもそこに飾られてるなんて、凄いじゃん!」


 パンと一拍子をして、まるで自分の事のように喜びの感情を表す六花に、湊は不思議な気分になった。付き合いが長い家の人間とはいえ、六花自身はその人物と出会ったこともなく、詳しく聞いた事もないはずだ。何せ自分たちが生まれた頃には、すでに父は亡くなっているので本人に会いようがない。


 亡くなった父に関する会話は、双方の家族が揃っている時でもそんなに挙がらない。亡くなった父の話題で暗くなることはなく、また避けている訳でもない。

 父の話になるときは、その人物像に関係する事であるがために、『こんな人だった』という部分でしか人物像を知らないのだ。湊が父の印象が薄いのはそのせいだろう。故に今回知り得た情報達に驚きが隠せなかった。

 そんな自身にとって他家の父の話題で喜ぶ六花に、何とも言えない不思議な感覚に囚われたが、それは今の話に関係はないと首を振り、更に言葉を紡いでいく。


「うん、思っていたよりも凄い人だったとは思ったよ。ーーで、そこまで評価されているのなら、見てみたいと思うのは不思議な事じゃないだろ?」


「それは分かるけど、どうやって見に行くのよ。あんな名門校に入ろうなんて、警備とか厳しそうだから難しそうなんだけど……?」


 その言葉に待ってましたと言わんばかりに、湊は顔を輝かせた。きっと、ここから先が六花に言いたかった本題に入っていくのだろうと思われ、六花は覚悟を決めた。たかだか『学校に見学しに行きたい』と言っているだけの話題なのだが、何せその結果があの言葉だったのだ。

 手を合わせたままだった自身の手を降ろして、意を決したように両方の手のひらをぎゅっと握りしめて、湊の話を聞き逃さぬように注意深く言葉に耳を傾ける。

 湊はそんな六花を尻目に、顔を輝かせたままで話し始めた。


「ーーそう、話が途中で終わっってたから気になって、母さんが買い物から帰って来るのを待ってたんだ。

 それで話を続けてさ、母さんから学園に『卒業生の子供が学園を見学したいって言っている』みたいな感じで言ったら、俺が見学する事ってできないか、って聞いてみたんだよ」


「ふーん。良いと考えだと思うけど、奏音さんからの返事はどうだったの? そこが一番重要でしょ」


「――……それがさ」


 先ほどまで輝かんばかりだったのが、急に微妙な面持ちになった。眉間にしわを寄せ、口もへの字型に歪め、あごに触れる。考えるようなポーズをとり、視線が少し逸れた。本当になんと言ったら良いのか分からないらしい。

 そんな湊の表情に、今の会話の中でそんな表情になるような所はあっただろうかと、疑問符を浮かべた。

 あー、と喃語なんごのような言葉をを呻くように言いながら、ひと呼吸おいて考えが纏まったらしく、六花の方へ再び視線を戻してから話を再開し始める。


「母さんも自分が通っていた時より、今の情勢とかで警備が厳しくなってるだろうから、仮に入れても自由に見回れるかどうか分からないって言ってたさ。『だからあまり期待しないでね』って言って、学園に連絡取ってくれたんだよ。

 そうして学園に連絡を取ってみて分かったんだけどーー現在の学園長が、母さんと仲の良かった後輩なんだってさ」


「……それはまた、すごい巡り合わせを感じるような流れになったわね」


 一瞬言葉に詰まった六花は、湊の輝かんばかりの顔を曇らせた理由が分かった気がした。そこまであらゆる条件が整った状況になっていると、それは何とも言えない気持ちにもなるだろうと。

 そんな運命めいた何かに対して重い感情が渦巻いた二人は、思わず同じタイミングで揃ってため息を吐いてしまった。揃ったことに驚き、思わず二人で笑い合う。穏やかな空気が流れたが、瞬時に意識がハッと戻ってきた六花は、大いに恥ずかしそうに顔を赤らめながら、向き合っていた目線を気まずそうに反らした。

 そんな六花に湊は、自身が温かな感情に包まれていくのを感じ、柔らかな微笑みを浮かべて先ほどの続きである会話の言葉を紡いでいく。


「ちょうど学園長が学園に居たから、職員が学園長に聞いてみたんだって。そこで母さんの名前を聞いたから、電話を変わったんだよ。

 そうして俺の事情を聞いて、学園の絵を飾ってあるところに入らせてくれるって言ってくれたんだって」


「なんだ、良かったじゃない。これでおじさまの絵を見に行けるのね」


 その言葉に嬉しそうな笑みを浮かべながら、湊の言葉に対して食い入るように六花は答えた。まるでそこで話を終わらせるような話の展開に持って行こうとしている六花を、長年の付き合いから察して、湊は彼女の顔の前に、ストップをかけるように掲げる。

 湊のその反応に、六花は思わず小さく舌打ちした。これであのおぞましい考えを忘れてくれたと思っていたのに、と。

 改めるようにコホンと一つ咳を立てて、湊は本人的には最大の本題に入る。そう、彼が最初に言った『女の子にしてくれ』という言葉のことだ。


「ーーしかも、わざわざ学園の生徒を、案内役として付けてくれるって言ってくれたんだよね」


「そうなの? それなら、あの広い学園内で迷うことはなさそうだから良いじゃない」


 何か問題でもあるのか、と彼女の目が語っているのを湊も分かっていた。彼もアレな部分があるとはいえ、常識から外れたような人間ではない。

 初対面の人間に対して、失礼な行動を取るような人間性ではないのを、六花は知っている。故に案内役との対面に、何が問題となるかというのが分からないのだ。

 しかし、彼は常識も持ち合わせた変人である。その常識的考えと共に、変な思考回路をしているのが月瀬湊という人間だった。


「あぁ。一人で放り出されたらどうしようかと思っていたから、それは素直に嬉しいと思ったんだ。ーーただ、その相手が」



 ――その学園の最上級の生徒が呼ばれる、『~の君(きみ)』の称号の持ち主らしいんだよね。しかも女性で。


 緊張したような神妙な面持ちで、呟くように湊は言った。そんな湊の空気や言葉につられて、六花も緊張したように固まった。それは、彼の懸念している考えが理解できたからだろう。

 そう、いわば『住んでいる世界が違う』と思っている人々の、更に高いくらいにおわす人と出会い、会話をすることになるのと考えられるのだ。周りが湊をどう思っているかは置いておいて、自身とは違う『特別』な存在との邂逅を想像すると、恐れ多いと感じるのは不思議なことではないだろう。

 しかも自身と性別が違う。もしも温室育ちで男性慣れをしていないお嬢様だったらどうすべきなのか。母から学園長の返答を聞いて、真っ先にそんなことを考えたのは不思議なことではないだろう。


「――……けど、男女共学の学校なんだから、流石に男と話すことすらダメな人は居ないんじゃないの? それに学園側が選んだ案内役なんだし、できないような人を選んだりしたら学園側の評判が落ちそうだから大丈夫なんじゃない?」


 自身で言った台詞の内容に、あらためて困惑したまま苦笑した湊に対して、しばし考え込むように腕を組んで固まっていた六花はそう言った。

 窓から見える外の風景は日が暮れ始め、外で遊ぶ子供の声が聞こえなくなってきた時間帯の室内で、その声は大きさに対してハッキリと聞こえた。

 その言葉は確かに正論で、同じような言葉を奏音からも言われたのだが、その不安が消えることはなかった。何せ湊にとって今までの人生で、そういった『特別』に属するような人との出会いはなかったのだ。




 ――そう考えていた人間があんな風な人であり、何より二人の関係性を変えていく、まさに二人の『運命の女』のような存在とは思いも寄らなかったのだった。




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