第2話 変化

 翌週。教室の窓から木々が激しく揺れているのが見える。今日はきっと肌寒いだろうと、二葉ふたばは持ってきたカーディガンに袖を通し屋上へ向かった。

 

 屋上へと続く階段は長年使われていないためか、埃っぽくかび臭い。生徒の話し声やチョークの匂いがする教室とはまた違う。この特別な空間を知っているのは三人だけだなんて、なんて贅沢なんだろうと思いながら、二葉は扉の錠前を外し、屋上へと躍り出る。

薄暗い階段とは打って変わった柔らかな陽射しと真っ青な空。予想した通り風は強めだが、それくらいは許容範囲だ。

 

「へへ、いっちばーん…」

「は俺だ。あんまり上ばっかり見てるとすっ転ぶぞ。お前バカなんだから」

 

と、浮かれている二葉の目に、先に腰を下ろして呆れたようにこちらを見るはじめが映った。おまけの罵倒(?)付き。

 

「バカは関係ないでしょ。なんだ、一が一番乗りかぁ。たまには私に譲ってよ」

「別に競ってるつもりは無いぞ、お前がトロいだけで」

「またいじわるなこと言う!もう、お兄ちゃんに言いつけちゃうんだから!お兄ちゃーん!あれ、お兄ちゃんは?」

「…裕人ひろとならいないぞ。バスケ部の集まりが入ったんだと」

「あ、そっか、大会近いもんね…残念だなぁ」

 

絡む相手が永遠に来ないことを知った二葉は、すぐさま茶番劇を取りやめ、自らも腰を下ろし弁当箱を広げ始めた。


「いただきまーす」

「いただきます」

「……」

「……」


裕人がいないことで調子が狂ったのか、お互い特に話しかけることもなく食事だけが続いていく。

 

「……」

「……」 

「……」 

「…なあ、お前、やっぱ教室戻れば?ここ寒いし。俺といても楽しくないだろうしさ」

 

静かな雰囲気に居心地の悪さを感じたのか、一が解散を提案してくる。

 

「あ、ごめん。食べるのに夢中になっちゃってた」

「あ、おう、そうか」

「あのね、一とご飯食べるの好きだよ?そりゃ三人揃うのが一番いいけど、一ってなんだかんだ優しいし、おかずくれるから」

「…俺はお前を餌付けした覚えはないぞ」

「とか言いながら卵焼きくれるんじゃん。一の作る卵焼きも美味しいから好き…喋んなくてもさ、一緒にご飯食べることが大切だから、いーの」


馬鹿のくせにどこか自己肯定感の低い一は、たまにこうやって強がりを口にすることがある。

俺たちはもう高校生なんだぞと言うくせに、時おり子供っぽさを見せる一を、二葉は愛おしいと感じる。そんな一を、いつかもしかしたら万が一、いや億が一出来るかもしれない彼女にとられるのは少し寂しいと、幼馴染は感じていたりするのだ。もちろん本人には口が裂けても言わないけれど。

 

「…俺も」

「ん?」

「俺も好きだ。お前と、こうして昼飯食べたりするの」

「でしょ?ふふ、今日はお兄ちゃんがいないから随分甘えんぼさんだね、はじめちゃん〜?」


なんだか微笑ましい気分になった二葉は、ほらほら、この二葉様に何でも言ってみるがいい〜、と上機嫌で一の頭を撫でようと手を伸ばしたその瞬間。

 

「違う」

「え?」

 

急に腕を引っ張られ、一に抱きつくような形にさせられる。


「あ、え、はじ」 

「俺は、お前と、二人で一緒にいるのが、好きなんだ」

 

一の体温と息遣いを感じ、二葉は混乱を隠せない。こいつ、こんなに大きかったっけ。いや、もう高校生だし15cm以上身長離れてるのは分かってたけど、こんなにはっきり男の子だって思い知らされるのは初めてっていうか、そんなことより、こんなのは多分、いや絶対、「友達」同士ですることじゃあ、ない。


「あ、うん、えと、来週は裕人も一緒に」

「裕人は今関係ない。なあ、俺のこと、幼馴染じゃなくて、男として見て、ほしい」

「…え」

「……す、きだ、二葉。ずっと前から」

 

聴こえる声が、触れる身体が、あつい。どこもかしこも火傷しそうなくらい熱い。いつの間にか背中にも手が回っていて、さっきまで肌寒かったのが嘘のようだ。

辛うじて動く首を一の方に動かすと、茹でダコになった一の耳や首筋が見えた。先程二葉の腕を握った手は、小刻みに震えている。きっとあたしも同じだ。あいつは今、どんな表情をしているのだろう。どうしてだろう、見るのが怖い。

 

「……」

「ごめん、アイツがいないから、今じゃないと言えないと思って。お前がこの関係壊したくないの知ってるのに。ごめん」

「ま、って」


顔を見たくなくて、身体を離されたくないのに力が入らない。このままじゃ、あたし。


「俺のこと、ただの幼馴染だとしか見てないのも分かってるけど」


二人の身体が離れ、一の目が二葉を捉える。目の前に、怒ったような、今にも泣き出しそうな、そんな表情をした一がいた。

 

「好き、なんだ。二葉」

「……」


震えた声で、名前を呼ばれる。

こっちが泣きたいよ、バカ、と言ってやりたい気持ちに駆られるが、喉がひりついて上手く声が出せない。

 

そんな、すっかり混乱して動けなくなった二葉の頭をそっと撫でた後、一は広げていた弁当箱を手早くしまうと立ち上がった。

 

「…俺、先行くから。お前も、風邪引かないように早めに戻れよ……返事、いつでもいいから」

 

また明日な。背中越しにいつもの調子の一の声が聞こえ、その直後にドアの閉まる音が響いた。

 

 身体中に伝わった熱は、まだ冷めやらない。

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