第4話「シシ狩り」
齋藤は、抱えていた駒王丸を小枝に預ける。
「お二人には、火おこしをお願いいたす。きっと大きな獲物を捕らえてきますゆえ」
「お待ちしてます。御武運を」
小枝の声に、斎藤は笑った。
「そんな大仰なことにござらん。食料を調達してくるだけのこと」
斉藤は山の中に分け入る。
巴もそのあとに続いていった。
「巴殿」
後ろの気配に気づき、斎藤は振り向いた。
「巴殿は休まれよ。猪に気づかれると厄介ゆえ」
「邪魔はしない。狩りを見せてほしい」
「邪魔はしない、か」
並の童なら狩りの邪魔だが、巴なら役立つかもしれない。
本来なら、狩りは
協力者がいれば、成功確率もあがる。
「あい分かった。ならば、某の命令に必ず従ってくれることを約束されるか」
斉藤の言葉に、巴が頷く。
「では最初の命令にて申す。少しでも某についてくるのが困難に感じた場合は、速やかに道を引き返すように」
再び、巴が頷く。
斉藤はそれを確認し、ぐんぐんと奥に入っていく。
齋藤に迷いがない。
それは巴の身体能力、判断能力への信頼でもある。
「猪もまた命なり。命あれば生活あり。生活あれば習慣あり。習慣を追えば、必ず射止めん」
歩幅を変えず、斉藤はそう言った。
独り言のようだが、巴に投げかけた言葉だ。
「巴殿には、ちと早かったか?」
斉藤にそう言われて、巴は顔を横に振った。
「貴殿もまた、利発な子だ」
斉藤は満足そうにうなづく。
実は巴は斎藤の言葉がよくわからなかったが、知らないと思われるのが
巴は負けず嫌いだった。
同時に、言葉で分からずとも、見ればわかるだろうという自信もあった。
「まず方角を見る」
斉藤は月を指さした。
「三日月の弓の部分(光の当たる部分)から、お
齋藤は進行方向を指す。
「南に猪がいるとなぜ分かる」
巴が不思議に思って聞くと、
「猪も寒いのが苦手にて。日当たりの良い平地を好む」
やがて突き進んでいくと、大きな水たまりがあった。
「近くなってきたようだ」
「これは?」
「ヌタと言って、猪の洗い場である」
巴は、へえ、と感心した顔でヌタを見つめる。
巴にはやはり、大きな水たまりにしか見えない。
「ふむ。これだな」
ヌタから数町(数百メートル)離れたところに、笹の葉が積み上げられたものがあった。
「これは、ねぐらか?」
「よくわかりましたな」
猪の寝る場所を、斎藤はあっという間に見つけた。
巴は感心した。
「斎藤はなんでも知っているのか」
斉藤は笑いそうになるが、声を抑える。
「知っていることは知っていますな。知らないことは知りませんな」
「当たり前のことだ」
巴ははぐらかされたような気がして、不機嫌な顔をした。
「そんな顔をされるな。某にも知らないことがたくさんあるというだけのこと。ただ狩猟のことについては、人よりも多くのことを知っている」
「斎藤が知らないことはなんだ」
「そうだな」
斉藤は一瞬考えて、
「たとえば、某は貴殿のことを何も知らない」
「わたしは、わたしだ」
「しっ」
斉藤が指を口に当て、静かにするように言う。
巴はそれの意味を理解した。
猪だ。
姿が見えるわけではない。
音と鼻息から、それと分かるだけで、詳しい場所までは分からない。
でも齋藤は弓を取り出した。
矢をはめ、ゆっくり弦を引く。
無理だ、と巴は思った。
これで弓を外せば、猪は逃げていく。
その先に駒王丸がいれば、襲うかもしれない。
中途半端に当たってしまったほうがもっと始末に負えない。
こちらに場所が分かるどころか、自分の身を守るために、こちらを攻撃してくるだろう。
山の利は向こうにあるばかりか、力も、五感も、はるかに向こうが上なのである。
でも口には出さなかった。
齋藤が静かにするように命令した。
命令に従うように約束したから。
でもそれ以上に、この狩りを邪魔してはいけないと、巴は思った。
弦を引いたまま、齋藤は待ち続ける。
巴は矢の方向だと思われる暗闇を見続ける。
だいぶ、長い時が経ったような気がした。
月の光が、差し込んできた。
さきほどのねぐらに、枝葉を抜けた光が当たった。
その差し込んだ光の先には、なんと猪が横たえていた。
今、と巴は思った。
そう思うより前に、斎藤の矢は放たれていた。
右目に突き刺さる。
猪は
斉藤は、すぐさま次の矢を取り出す。
猪は立ち上がり、こちらを向いた。
距離は近い。
矢をはめる。
猪はもう動き出している。
矢を引く。
もう1尺もない。
だが斎藤はさらに強く引く。
もう何寸。
矢は放たれた。
矢が空気を切る音なんか聞こえなかった。
近すぎたからだ。
猪の眉間に矢が突き刺さる。
猪の断末魔が、黒い山に叫び渡った。
どう、と地響きを立てて、猪が倒れこんだ。
その砂ぼこりが、巴に降りかかる。
「斎藤殿」
巴は興奮した。
「斎藤殿、斎藤殿、斎藤殿」
巴は斎藤に抱き着く。
「おやおや。童のようなことをなさる。怖かったかな?」
抱きついている巴の頭をなでる。
「なぜ、月が差し込むことが分かったのだ?」
ははは、と、斎藤は笑った。
好奇心の強い子だと思った。
「なに。お月様も歩きなさる道が決まってござる。お月様が、猪のねぐらに顔を出すのを待っただけのこと」
「猪がなぜ、このねぐらに戻ってくると思ったのだ?」
「猪は、だいたい決まった場所しか居りません。いずれ帰ってくるので、それを待っただけのこと」
「待ってばかりだ」
「狩りとはそういうものにて」
ふう、と齋藤は息を上に吐く。
汗ばんだ息が、夜空に舞う。
「なんとか、成功しましたな。活きが良過ぎて冷や汗がでましたが、その分、きっと美味に違いませんぞ」
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