第2話「巴」


重能しげよし従兄にい様!?」

 思わず、小枝さえがそう叫んだ。

 小枝さえは、声から自分を襲う賊の正体を知った。


 そう。

 夫を殺し、小枝さえ達を殺そうとしているのは、賊でも北の勢力でも平氏でもなく。


 夫・義賢よしかたの実の兄である源義朝みなもとのよしともであり、その息子の悪源太義平あくげんた よしひらであり、そこに仕える従兄弟いとこ畠山重能はたけやま しげよしである。


小枝さえ久方ひさかたぶりだ」

 これは家族の壮絶な殺し合いだった。


「なぜ、なぜこんなことをするのです!」

「女、子どもに言ったところで分かりはしない。ともかく駒王丸こまおうまるさえ差し出せば、この戦いは終わる。分かってくれ」


 言葉を少なくしゃべるが、随所に感情が乗る。

 今回の戦いに、重能しげよしが知る限り義賢よしかたに罪はない。


 でも源氏は大きくなりすぎてしまった。

 罪があるとすればそこだ。


 重能しげよしは、それもまた仕方ないと思っていた。

 自然淘汰、弱肉強食は世の常。

 人間もまた、そのことわりからは逃れようもない。

 そもそも武士とは、土地の奪い合いの果てに生まれた存在だ。


 生き残るためには、時には家族の命も捧げる覚悟が必要だ。

 それができる者たちの集まりが武士なのだ。


 そして、今、捧げるべき命は駒王丸だ。


 だが、小枝さえは、助けられる命。


叔父上おじうえ、母上とともえは助かりますか?」

 駒王丸こまおうまる重能しげよしの前に歩み寄った。

 怖くはないのか。

 まっすぐに見据えている。


「約束しよう」

 この年で家族を守るか。

 家族を殺している我々とは対照的だなと重能しげよしは思った。


「やめなさい!」

 小枝さえが慌てて、駒王丸こまおうまるを引き戻し、抱きしめた。 

「この子は命に代えても守ってみせます」

 小枝さえはそう言い切った。

 そこには、重能しげよしに、抱っこをせがんだ幼い頃の小枝さえの姿はなかった。

 美しく立派に育ったものだと重能しげよしは思った。

 

重能しげよし兄さま、どうか私の命と引き替えに、この子の命を見逃してはくれませんか」


 重能しげよしは眉をしかめた。

 見逃すという選択肢はない。

 小枝さえの首を持って行ったところで、主君の命に背いたいことに変わりはない。

 重能しげよしの近くには、3人ほどの同士が、2人のやり取りを見守っている。


「その駒王丸こまおうまるを生かせば、義賢よしかたの仇を討とうとするだろう。禍根かこんを残すことになる。そうすれば、また争いを生む。それはできない」


 重能しげよしは、従姉妹の小枝さえと、自分の武士と、どちらにも偏らない言葉で説得をする。

 このままでは、小枝さえもろとも斬らなければならない。


「この子には、仇討ちなどさせません」

「そんなこと、どうして確約できる」


 そんな時だった。

 後ろの武士が悲鳴を上げた。

 

「どうした!」

 小枝さえに刃をむけつつ、重能しげよしはそう言った。

 まだ護衛の兵が残っていたか?


「足の腱を……、斬られました」

 片足をついている。

「なんだと? 相手は誰だ!」

 そう叫ぶと、今まで雲に隠れていた月が顔を出して、月光がさした。


 武士達はぞっとした。


 ともえだった。


 匕首あいくちを口にくわえ、返り血に染まり、日本人形のような真っ黒い横髪が頬に張り付き、四つ足でこちらを見ている。

 もうすでに居合いの間合いから離れたところにいる。

 次の好機を狙っているようだった。


「あばらを折っているはずだ! なぜ動ける!」

 肺がつぶれていてもおかしくない。

 それくらいの感触が、あった。


(鬼の娘め)


 月の青白い光が、ともえの白い肌にしみ込み、まっすぐな黒い瞳がぎらぎらと月光を反射していた。


「動ける者は、そいつを殺せ」

 重能しげよしがそう命令を下す。

 何かに怯えるように。


 が、つかまらない。

 ともえは壁を駆け上がる。

 天井も幅も狭い通路を、ともえは知り尽くしている。

 まるで水の中にいるように、重能しげよしは感じた。


 身動きが取れない中を、ともえは自由自在に姿を変える。

 重能しげよしには、自分を狙わず他の者を狙ったこともともえの計算のうちに思えた。


 なぜあんな動きができる?

 ケガを負った者の動きではない。

 重能しげよしが混乱した。

 俺が相手しているのは、本当にこの世に存在している者なのか?


「どけ! 俺がやる! 他のやつは駒王丸こまおうまるが逃げないように見張れ!」

 そう言って、ともえを見ると、気づいた。

 木製の匕首のあいくちに、黄金色に反射するものが埋め込まれていることに。


菊花紋章きくかもんしょう!」

 重能しげよしは思わず叫んだ。

 皇族にしかつけることが許されない紋章が、なぜか童女が持つ匕首あいくちに埋め込まれていた。


菊紋きくもんだと!?」

 他の武士にも動揺が走る。

 それはそうだ。

 皇族に刃をむけるということは、朝敵になるということなのだから。


 こいつは本当に何者だ……?


 重能しげよしの剣は、迷いで動かない。

 この時代にとって、天皇は、神武じんむ天皇から続く、神の化身けしんである。

 ともえの動きは、神の化身とも言うべき姿に、重能しげよしは感じた。

 じゃあ、こいつが護る駒王丸こまおうまるは何者なんだ……?


 動きを止めた武士たちに、ともえは動きを止めなかった。

 ともえは武士の一人の太ももを切りつけた。

 鎧で守られていない、大動脈が走る太ももを。

 

「不覚……!」

 斬られた男は、片足をついた。

 みるみる血だまりが溜まっていく。

 もう助からないと重能しげよしは思った。


「もはや、これまで!」

 武士の一人が叫んだ。

駒王丸こまおうまるを逃しましょう!」


「何を!」

 もう一人の武士が叫ぶ。

「主君、義朝殿を裏切る気か!」

「ご免!」

 駒王丸こまおうまるを逃がすと言った武士が、それを止めようとした武士を切り捨てた。

 同士が裏切り者を切り捨てたのではなく、裏切り者が同士を切り捨てたのだ。


「齋藤! 正気か!」

 重能しげよしは叫んだ。

 なんということだ。

 たった一人の少女に惑わされ、仲間討ちが発生した。

 そう思った。


「ともえ! やめよ!」

 童の声がした。

 駒王丸こまおうまるだ。

「敵はいない」

 二歳児とは思えない、しっかりした声。

「ごくろうだった」


 ともえは壁から床に着地し、四つ足をやめ立ち上がって、匕首あいくちさやに納めた。

 さっきまでの獣のように振る舞っていたともえが、ウソのように駒王丸こまおうまるの言葉に従っている。

 張り詰めた獣のような殺気が、まるでなくなっていた。


「おいで」

 駒王丸こまおうまるがそう言うと、ともえ駒王丸こまおうまるのもとに膝まづいた。

 ともえこうべを垂れると、駒王丸こまおうまるはその頭を撫で始めた。

 ともえは気持ち良さそうに目を細めて、やがて駒王丸こまおうまるの手を捕まえて、自分からほほにすり寄せ始めた。


 いくら小柄とはいえ、七歳児の巴のほうが五歳児の駒王丸より大きい。

 犬が幼児にじゃれているように見える。


(この状況でもう終わったと思っているのか!)


 現に重能しげよしは刃をともえに向けたままだ。

 今なら、簡単にともえを討てる。

 しかし、そういう思いとは別に、重能しげよしの刀は動かなかった。


重能しげよし殿。もうやめにしましょう」

 齋藤と呼ばれた男は、重能しげよしにそう言う。


「何をだ」

 重能しげよしは齋藤をにらみ、そう答える。


「もうここには、本心を偽る必要のある人間はおりません。一人は失血死でまもなく死亡し、もう一人は、それがしが切り捨てました。本心では小枝さえ御前と駒王丸こまおうまる様を助けたいのでしょう」


 重能しげよしは黙った。

 心を許すところを間違えると、すぐ死につながる。

 武士としての警戒心が、すぐに齋藤の言葉を飲ませない。


「齋藤が、仲間討ちをしてまで、どうしてこの者達を助ける。貴様には縁もゆかりもないはずだが」


「ありまする。私は義賢よしかた様と親交がありました。主君が違う某にも、大変良くしてくださった……。このような敵味方になってしまったが、旧恩を忘れてはおりませぬ。義賢よしかた様に果たせなかった御恩、義賢よしかた様を討つことになってしまった贖罪しょくざいを、忘形見の駒王丸こまおうまる様の命を守ることで果たさせていただきたい!」


 重能しげよしも、義賢よしかたと過ごした時間を思い返した。

 知的で穏やかで、剣の腕も立ち、目鼻立ちも整った素晴らしい御仁だった。

 人が良すぎるところがあるが、その分、多くの者に慕われていた。

 齋藤もその一人なのだろう。


 だが、それだけで、とも思った。

 昨日まで仲の良かったものを、今日討たねばならないことなど、よくあることだ。

 それが戦乱の世のつねだ。


 それなのに齋藤は、主君の命に背き、そして同士を討った。

 そんな大罪を。

 これが義朝の耳に入れば、一族の存亡も危うい。


 齋藤は続ける。


駒王丸こまおうまるのお顔を拝しましたが、この方はこの国を救う御方です。そう感じました。この戦いで駒王丸こまおうまる様を討つことになったときは、これも運命かと思い受け入れておりましたが、こうなってくれば話は別です。この御方は、龍神の化身に護られている」


 ともえに視線を向けた。

 ともえは、齋藤にとっては龍神の化身らしい。


「世迷い言を」

 重能しげよしは、齋藤の話を受け入れられなかった。

 この時代では、神や仏が生活に根付いているので、齋藤のような話は珍しくない。


 重能しげよしも神仏を信じていないわけではないが、駒王丸こまおうまるが国を救うとか、龍神の化身とか、そういう部分は妄想に思えた。


 しかし同時に、ともえの動きを目の当たりにして、それ以外に説明がつかないような気もした。


「どちらにせよ、俺に選択肢はない。同士を殺され、裏切られた。齋藤の指示に従うしかない」

「そういうことにしておきましょう。もし何かあれば、すべては某の責任です」


 自分はずるい人間だと、重能しげよしは思った。

 齋藤にすべてをなすりつけ、従姉妹いとこを守った。


 しかし、齋藤のようにはなりたくないと思った。

 自分の思いで刀を走らせる者は、やがて身を滅ぼす。


「しかし、どうする気だ。この二人をどこにかくまう」

 そう尋ねる。

 見つかれば、もう二人は助からない。


「心当たりがあります」

 そう齋藤は答えた。




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