巴御前

脇役C

第1話「駒王丸」

 平安時代末期のあるよいの口。

 とある神社の奥まった場所にある、宮司ぐうじが済むやかたに、八歳を迎えたともえはいた。


 夕食の片付けも終わり、ぼんやりと高貴そうな親子が鞠遊びをたわむれになるのを眺めている。

 その親子とは、のちに圧倒的な知略をもとに隆盛りゅうせいを極めた平氏を追い込み、大将軍に任命され朝日将軍と呼ばれた、幼名、駒王丸こまおうまる、のちの木曽義仲きそよしなかとその母である。

 ともえは部屋の隅でひざを抱えて座りながら、ただずっと見つめている。


「お父上が、死んだ」

 ふいに、若干五歳の駒王丸こまおうまるが動きをとめ、つぶやいた。

 駒王丸こまおうまるは、誰から聞いたわけでもなく、ましてや目撃したわけでもない。

 そのお父上がいる大蔵館おおくらのやかたからは、1里(3~4km)弱ほど離れている。

 ただ急に、今まであんなに興じていたはずのまり遊びをやめて、そんなことを言うのだ。


「そのような不吉なことを申すものではありません」

 母である小枝さえ御前は、そう駒王丸こまおうまるを強くたしなめた。

 駒王丸こまおうまるは母の言葉に視線を落とし、困った顔を見せた。

 子どもはまだ善悪を知らない。

 ただ感じたことを、夢か現実うつつかも分からないことを、身近な大人に伝えたがる。


 小枝さえ御前も、普段ならそう解釈し、落ち着いた対応ができるはずだが、少し、声が感情的になっている。

 それも無理からぬ話だ。

 駒王丸こまおうまるの言葉を、幼子の言葉遊びと考えるには、あまりにも状況が揃いすぎている。

 だからこそ、駒王丸こまおうまるへの言葉も、小枝さえ自身が思っている以上に強くなってしまっている。


 駒王丸こまおうまるの父、つまり小枝さえの夫、源義賢みなもとのよしかたから、自分の身が危ないかもしれないからと、住まいの大蔵館から、息子の駒王丸こまおうまると一緒に、この鎌形八幡宮かまがたはちまんぐうという神社に居候いそうろうするように言われたのは、もう一月ひとつきも前。

 居候とは言え、この神社は義賢よしかたが建てたものだが。


 そう切迫したものではなく、このご時世だから用心もかねて、別荘で子守に専念して欲しい。

 七五三を終えるまでは、子に魔が尽きやすいものだからと。


 すぐに帰れると言っていたはずが、音沙汰がない。

 たまりかねて小枝さえ義賢よしかたのもとを訪ねると、追い返された。

 そこで何か尋常じゃないものを感じたが、女、子どもにできることはない。

 小枝さえは泣く泣く鎌形かまがたに戻り、ひたすらに夫の身を案じていた。


(まさか、今夜)

 そんな考えが、小枝さえの頭によぎってしまう。

 だが、すぐにかき消す。

 私たちを逃がすほどに警戒していたなら、それ相応の準備をしているはず。


 どこのぞくだか知らないが、夫は、近衛このえ天皇の警護帯刀けいごたちはきおさを務め、父は武蔵国むさしのくにの最大勢力である秩父ちちぶ氏を束ねる。

 その二人がそう簡単に討ち取られるわけがない。

 小枝さえはそう自分に言い聞かせる。


「もう寝ましょう」

 小枝さえがそう言い、侍女が寝る準備を進めようとした。

 

「来る」

 先まで駒王丸こまおうまるの鞠を、部屋の隅で目を追っていたともえが、小枝さえの前に立ち、口に人差し指を当てた。

 ともえは、身長3尺(90cm)もない、小柄な少女だ。

 しびらという、女性使用人の簡略的な礼装を着ていて、髪は肩までに切りそろえている。


「明かりを消して」

 そうともえが言葉を足した瞬間、玄関を荒々しく開け放つ音が聞こえた。

 明らかに宮司ぐうじが帰ってきた音ではない。


 小枝さえ達は今は知ることができないことだが、5人いた護衛の兵は、実はもう死んでしまっていた。

 その者達に殺された。

 いや、5人だけじゃない。

 大蔵館では、義賢よしかたどころか、全滅している。


ともえ、貴女……」

「消して」

 ともえ小枝さえに呼ばれた少女は、小枝さえの言葉を遮って、再度伝えた。

 侍女は、悲鳴が漏れそうになる口を手で押さえながら、ろうそくの炎を消した。


「私が守る」

 ともえは明かりが消えたのを確認し、ふすまに向かった。

ともえ、やめなさい。子どもがどうこうできることじゃない!」

 玄関に近い部屋から順に、襖が開かれていく音がする。

 もう数分も経たないうちに、この部屋は開かれる。


「私が守る。小枝さえ御前様。今まで私を育ててくれて、ありがとうございます」

 ともえ小枝さえの言葉に、そう返した。

「そんなことさせるために、貴女を育ててきたんじゃない!」


 ともえはじっと、襖の前で身をかがめ、身を潜めた。

 両手には、母の形見である匕首あいくち(短刀)が握りしめられている。

 だがともえは、母にも神にも祈らない。


 ついに襖は開けられた。

 襖を開けた男の、足の甲に向けて匕首あいくちを振り下ろした。

 その主は当然、相手の攻撃を想定しながら、反撃の準備はしていた。

 それも居合いの達人である。

 間合いに入ったものをことごとく斬ってきた。

 今日はもうすでに、義賢よしかたも合わせて、十数人切り捨てている。


 しかし、視界に入らなければ対応はできない。


 匕首あいくちが男の足の甲に突き刺さる。

「ぐっ」

 男はうめいた。

 ともえ匕首あいくちをすぐ抜き取り、後ろへ下がるのではなく、男の股をすり抜け、前に出た。

 その場所に、すぐ男の刀が降りてきて、床を差し込んだ。

 男の攻撃が突きでなければ、ともえは斬り殺されていただろう。

 横には襖、上には長押(柱を水平方向につなぐ部材)があり、刀をぐことも振り下ろすこともできなかったのだ。

 室内という状況を生かし、相手から自分がどう見え、刀がどういう軌道を描くか分かっていなければ、避けられなかった。


 このともえの考察力。

 そして、刃物を迷いなく振り下ろすことができる度胸。

 刃物を向けられてもひるまない胆力。

 すべて5歳の少女のそれではない。


松明たいまつを下げて、足下を照らせ! 獣がいるぞ!」

 もう一人の武士が、そう叫ぶ。

 その武士には、人影に隠れて松明に照らされないほどの大きさで、人を攻撃するものなど、獣以外に思いつかなかった。

 しかし、ともえに斬られた男は、足の痛みから、獣の牙ではないと感じた。


 ともかく、ともえは警戒された。

 命を狙われる。

 さっきのような奇襲は成功しないだろう。


 しかしともえは動きを止めない。

 松明の影と影とを移動する。


「いたぞ! 右だ!」

 闇と闇の間にあったともえの影を見つけて、武士の一人が叫び、その影に軌道に向けて刀を振り抜こうとした。

 しかし、かべ邪魔じゃまで振りかぶれない。

 しかたなく、突きに切り替える。


「くそっ!」

 当たらない。

 ともえは、手を足のように使い、壁を駆け上がり、窓の枠や長押などにつかまり、縦横無尽に移動し、翻弄ほんろうする。

 もはや、突きの軌道ではともえを捉えることなどできない。


 駒王丸こまおうまるは、ともえの動きに見とれた。


 しかし、所詮は子どもの動き。

 男は刀に注意を向けさせ、ともえの動きを読み、蹴り上げた。

「ぐっ」

 甲冑かっちゅうを着込んだ大人の蹴りである。

 ともえは大きく吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。


童女わらべだと……?」

 松明に照らされたのは、壁に体を預けて倒れ込むともえだった。

 男はそこでようやく、自分の足を串刺した正体を知った。


「……鬼の娘か」



○○○○○○○

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