第33話 グレイゴースト

 風が吹いている。


 厚い雲が空に導かれて陽を遮り、濃い霧が立ち上る。死兵分隊ゴーストスクワッドが現れる前兆だ。天候すらも左右する彼らの強大さに、いったいどれだけの知識と技術が注がれているのだろう。思えば随分と遠くへ来た。そんな使い古されたセリフが不意に頭に浮かぶ。エイダと別れた私は草木の影に隠れながら、黒服の位置へと前進していた。後方でエイダが狙撃銃で援護し私が近接戦を行う。


 確認できた敵は1人だが、本来、単独任務とは相当な訓練を積んだ兵士でなければ行えない。つまり、他に敵がいる可能性の方がずっと高いのだ。私たちは後方に敵の本隊が潜んでいることも考慮し、柔軟性に欠かないように縦に長いレンジを確保することにした。しかし、そんな私とエイダの作戦を嘲笑うかのように、黒服の男はぽつねんと道のど真ん中に立っていた。無防備に。無警戒に。素人か。それとも相当腕に自身があるのか。隠れていた私とエイダの位置を瞬時に見破りRPGを撃ち込んできたのだから、ただの馬鹿では済まされない。


「ジェイ、敵を捉えた。いつでも撃てるわ」


 ノイズを帯びるエイダの声が無線の電波で飛んでくる。


「待て。様子がおかしい」


 早まるエイダを抑え、私は慎重に近づいていく。


「出てこい。隠れても無駄だ」


 黒服は100年以上かけて磨きあげられた、私の気配を殺して接近する技術をいとも簡単に破って見せた。小手先の小細工は無駄だと判断し、私は拳銃を指向しながら道路の前へと躍り出る。照門と照星の先には沈黙。しかしそれも微笑みの吐息に掻き消えた。


「ふっ・・・」


 黒服が僅かに息を漏らす。声は少し低い、しかし河のせせらぎにも似た穏やかさもあった。


「何がおかしい」


「いや・・・まさかこんな形で相対するとは思ってもみなくてな。俺が誰だか分かるか」


 近く思い当たる記憶がなかった。私に信用できる記憶などないのかもしれないが。


「まぁ、こんなもん着てりゃな」


 黒服は悪党よろしく、羽織っていた黒いローブを肩から掴み取って引き剥がした。


「久しぶりだな。ジェイムスン・ドウセット」


 今から100年以上も前。かのロンドンを共に駆け抜けた戦友がいた。


 その人物が今、目の前にいる。雷鳴にも似た鋭き斬撃は忘れもしない。仄色の着物を身にまとい、変わらず結った髪に、脇には刀を差している。


「沖田総司なのか・・・」


「その名で呼ばれたのは随分久しい。今じゃグレイゴーストなんて呼ばれている」


「グレイゴースト・・・」


 かつて木の幹のような尊大な色を帯びていた着物は、白く枯れた大木のようで、グレイゴーストの名は言い得て妙だった。


「気を付けて。彼も死兵分隊よ」


 エイダの無線のノイズが響き、私はより一層に腕を絞って照準する。


 沖田はそんな私の耳へとはしる無線機を一瞥した。


「今喋ったのはエイダか?懐かしい顔ぶれが揃いも揃って殺し合うなんてなぁ・・・」


 そして脇に差した刀に眼を落とした。


屍刀・不死斬りしとう・ふしぎり。お前らが狙ってんのはこれだろ?」


 頷くとも首を振るでもなく、無言が肯定であるように私は沈黙する。


「不死射ち、不死刺し、不死斬り。これらが揃えばこの世から不死者を消すことができるんだってな・・・」


 その情報はジャケドローを含む、私とエイダしか知らないはずだった。


「知っていながら私のもとまで来たのか?」


「まぁ・・・俺だって分かってんだよ。俺らみたいな輩が、いつまでもこの世に居るべきではないってことくらいな」


 沖田は思い出に耽るように曇る空を見上げた。いつの時代を思い返しているか、その風景は見えない。


「だから、あんたのもとへ来たってのが俺に譲歩できる最大限の誠意ってやつだ」


 そう言うと沖田は刀の鍔を親指で押した。チラリと見える刃の光が殺意に揺れる。


「どうしてこうなったか、今の俺はイギリスに忠を尽くす死兵分隊ゴーストスクワッドの隊員だ。手は抜かねぇ・・・」


「ジェイムスン、俺はあんたを斬る。だからあんたも・・・全力で来いよ」


 凄まじい震脚の轟音が一度。にも関わらず体には三度の衝撃があった。筋肉を潰し、骨が砕かれてもおかしくない衝撃力に肺にあった空気を全て吐き出してしまう。崩れ落ちそうになる背骨を何とか支え、解かれてしまった拳銃を再度照準する。グレイゴースト、沖田総司は刀も抜かずに立っていた。


「鞘で殴っただけだ。といっても骨にヒビくらい入ってもおかしくない力でだが・・・にしても油断しすぎだ。あんたがかの大戦を渡り歩いたように、俺も大戦下を刀一本でくぐり抜けてきたんだぜ」


 耳元の無線でエイダが私の名を叫ぶ。エイダに強がってみせたが、痛みで声がくぐもってしまう。


「次は容赦しねぇ。気ぃ抜いてるとはらわた垂れ流すぞ」


 その次が無いことを抜いた真剣が物語る。その圧倒的な実力に冷静さを欠かず、刀の間合いを遠ざけようと後退した。しかし沖田は慣れた足捌きで詰め寄った。どれだけ間合いから遠ざかろうとも、沖田の俊敏な足捌きで常に一定の距離を維持されてしまう。それはつまり、常に沖田が有利な間合いをとっていることを意味していた。引き金を絞ることに意識が寄ってしまった途端、私の首はすぐさま体から永遠におさらばしてしまうことは避けられない。引き金を引くために、まずは沖田の刀の間合いから抜け出すことが当面の目標だ。距離の取り方だけでこれだけの実力差を見せつけられ、喪失しそうな戦意を無理やり繋ぎとめようと、どこかに隙がないか目を凝らす。そのとき、さきの一度の踏み込みから繰り出された音をも超える3発の斬撃を思い出した。武術に触れていれば分かるが、強力な攻撃には強力な踏み込み、下半身との連携が非常に重要となる。瞬間的に判断した私は、より不安定な泥の多い足場へと移動した。


「なるほど。不安定な足場で俺の斬撃を鈍らすつもりか。いい判断だ」


 しかしそんな言葉に反して沖田は躊躇うことなく泥へと歩み出た。


「試合しかしたことのない武道畑の野郎だったら効果覿面だったろうさ。だが俺の剣術は戦地で磨いてきたんだ」


 途端、顔面に飛んできた。沖田が足で泥を蹴飛ばしたのだ。その泥を手で払いのけると次の瞬間、凄まじい剣戟が私を真っ二つにしようと飛んできた。


「くっ・・・!」


 私は体を丸めて後方へ倒れこむようにして受け身をとる。同時に私を追撃しようとする沖田を、後方で援護するエイダの銃弾が銃声と共に沖田を襲う。しかし沖田はおおよそ人間とは思えない超人的な身のこなしでそれを避けてみせた。脚は動かさず上半身のみを捻り、半身になって弾丸が和服の襟元をかすめる。


 私はその間に体制を立て直した。私も沖田もほんの些細な気後れが命取りになるような極限。私が刀の間合いで隙を見せた瞬間、沖田の刃で絶命するように、沖田もまた、立ち止まった途端にエイダ、或いは私の弾丸にひれ伏すことになるだろう。私は目から血が吹き出すほどに沖田の動きを捉え、血管が破裂しそうなほどに勝利への道筋を頭の中で組みあげていく。私が沖田よりも有利な間合いは拳銃の間合いだ。だが後退しても彼の高い精度の足捌きが私との間合いを詰めてくる。私が引き金を引くよりも沖田が刀を振る方が早い。ぬかるんだ足場でいくらか刀の威力が落ちたといえど、まともにくらえば即戦闘不能の重症は免れない。・・・前へ進むしかない。


 私の勝利は、己の命も、未来も、ハイライン家への忠誠をも捨てたその先にしか無いことを悟る。今ここに、諜報の闇に打ち勝つべくして学んだ戦闘の全てを注いで私の生とした。願わくば、世界がほんの少し幸福へと近づきますように。


 私が撃ち放った2発の弾丸を易々と避け、上半身を振り絞る沖田。


「馬鹿が!勝負を急いだな!」


 その運動エネルギーの先には屍刀・不死斬。全力の斬撃が私の頸動脈に向かって振り下ろされた。私は2発目の射撃と同時に1歩前へ歩みだしていた。足を前へと擦り出すのではなく、文字通り一歩前へと歩みだす動きだ。それは沖田が日本の道場で培った足捌きや、踏み込みとも違うもっと緩慢とした動きだった。ボックスステップ。かつてイギリスの特殊部隊 SASレジメント学んだ足場の悪い戦場のための軍隊格闘の足捌きだ。そして刀を握る沖田の手を、その上から握った。沖田の手は小さかった。だから私は容易にその手の上から包み込むように握る。沖田との距離は0レンジ。遂に刀の脅威が抑えられた。それを察して沖田が間合いを空けようと後ろへと引こうとする。だが私は逃さない。引こうとする沖田の顔面に向かって肘打ちを放つ。脚も、拳も、刀も無力化された0レンジにおいて、有効な打撃は肘だ。肘の間合における戦闘を経験したことのある者は少ない。沖田も想像していなかったのか、簡単に肘打ちは炸裂した。口内に負った裂傷からか、口元から血液がつたう。しかしその肘打ちも沖田の思考を鈍らせる打撃だ。致命傷にはならない。突然の打撃技で混乱している間に、私は沖田の首の後ろの襟を掴んだ。そして後退しようとする沖田の体重移動を利用して一気に抱え込む。


 背負い投げ。空挺部隊パラレンジャーで訓練を受けていたときの過程で学んだ柔道の技だ。私がこれまで積み上げてきた技術の粋を敵へと叩きこんでいく。私と沖田の2人はその場で倒れ込んだ。だがまだだ。私の追撃は止まらない。まだ致命傷ではない。ここは戦場だ。試合でもなければ大会でもない。敵の命を奪って勝利となるのだ。私は仰向けで倒れこんだ沖田の片足と、刀を握った腕を抑え、彼の胸に膝を乗せて全体重を乗せる。沖田は自分が何をされているのかわからないという表情をしている。これまでに経験したことのない戦術に驚嘆していた。だが私がかけている技は柔術であり、日本の武術だった。皮肉にも日本で育ったこの武術が、剣術ではおおよそ見ることのできない密着した間合いでの戦闘で私を有利に運んだ。私はそのまま沖田に腕十字堅めをきめ、完全に動きを封じることに成功した。刃は既に沖田の腕から落ち、苦痛の声を漏らしている。


「エイダ!」


 無線へと叫ぶ刹那、空を切る物体が沖田の額へと吸い込まれていった。


 7.62mmの高威力は、勢いが死ぬこともなく沖田の後頭部から綺麗に抜けていき、永久空洞が、鮮やかなクレーターへと花開いた。

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