第32話 自我の断片

「よし」


 敵の接近予想経路を監視する私の少し後ろでエイダはおもむろに声をあげた。


「何がよしなんだ?」


「あと少しで小説が完成するの」


「そんなものを作っていたのか。戦場だというのに殊勝だな」


 日本を離れた私とエイダは大陸に渡り、闇市で自前のAK突撃銃と弾倉を買った。程度の良い武器を探すのには骨が折れたが、吟味して選んだおけげで現地の傭兵部隊にも問題なく歓迎された。


 我々が入隊した傭兵部隊“エレファントステップ”は、人種、宗教、年齢、体格、その全てが不問で入隊することができた。必要なものは闘う意思のみ。その特性からいつも激しい戦地を渡り歩いている。これまで何度も危ない橋を渡ってきたが、私とエイダは狙撃班のバディとなって協力し、なんとか生き残っている。


 ここでは、私は観測手となってシューターであるエイダの射撃をサポートする役に徹していた。今はこうして敵が通ると見積もられた経路に配置し、伏撃アンブッシュの態勢をとっている。私とエイダのバディが狙撃で敵の勢力を減殺し、後方で待ち構えている本隊がそれを叩くという作戦だ。敵の接近にはまだ時間があったので、見張りは交代制にし、今は私が警戒に就き、エイダは休んでいた。


「どうしてまた小説なんて書こうと思ったんだ」


「お金がないもの。楽しみは自らの手で創るものでしょう?」


「よく分からないな。創るというのは相当に手間じゃないのか」


「そうね。苦労に反して、見返りというのは少ないのかも」


「でもね、世界が今、私の手のひらの中にある・・・創作の喜びってきっとそこなんだと思うわ。あなたと共に行動して、私には伝えたいことが多くできたわ。今はそれを書き残しておきたいの」


「何を書いているんだ」


 エイダは広角を上げて眼を細めた。嗜虐的な笑みが彼女にはよく似合っている。


「とある諜報員の物語よ」


「・・・何だか親近感を覚えたよ。売れるといいんだが」


 エイダはクスクスと笑いながら再び執筆へと戻った。手のひらの上にある世界を構築するために。私と共に行動して何を見出したのかは知らないが、エイダの筆力に若干の期待をしてみようと思った。そして私も眼前の荒涼とした景色に戻る。脚の短い三脚の片目の眼鏡スコープから遠くを除く。視界も風も我々に味方をしている。


 だからすぐに異常を認識した。黒い服に身を包み、フードで顔を覆った人影が、森を淡々と歩いていた。身を隠す素ぶりもなく、迷彩効果のない服は素人そのもので、それ故にその光景はあまりに異常だった。


「エイダ、人影を捉えた」


 私がそう言うと瞬時にエイダは隣で腹這いとなって狙撃銃を構えた。エイダが人影を捉える間に私は他に人の気配がないかを索敵する。もしあれが部隊を前衛する組員なら、その後ろには小隊規模の部隊が追従しているはずだ。しかしどれだけ木の陰に眼をこらしても、草葉の裏を覗こうとも、フードを被った人間の他には誰も見当たらなかった。


「何だあれは?命令にもないぞ。敵なのか?」


 私の問い答えかねるというようにエイダは無言でスコープを除き続けている。


「エイダ、そのまま監視を続けていてくれ。私は無線で報告する」


 傍らに立てかけて置いてあった無線機に手をかけたそのときだった。腹の底へと沈むような、榴弾を発射した音が木々の合間を縫って響き渡った。私とエイダは条件反射的に大声をあげる。この荒れた戦場で聞くことができる榴弾音など決まっていた。


「RPG!!」





 ※






 衝撃で痛む体を起こし、身体中に致命傷がないかを簡易に確かめる。身に受けた衝撃力とは裏腹に頭は至って冷静で、何をするべきかを無意識に判断していく。まるで意識を失った三崎邸のときのように無駄が無く、どうしようもなく機械的な私の動きが、近い未来に意識が消えてしまうことの暗示のようにも思えた。


「くっ・・・」


 鋭い頭痛。意識を消失する前兆にもあった痛みが頭に響く。私の意識が今にも消え去ろうとしている。手綱を引くように意識糸を掴み取り、どうにかして脳の内側へと抑え込もうと足掻く。


「もう少しだけもってくれよ・・・」


 頭痛の他に体に異常や怪我が無いことを確認した私はエイダの姿を探した。数メートル先で背中を向けて倒れているエイダは呻き声を漏らしながらジリジリと体を起こし始めていた。目立った外傷は見当たらず、安堵に胸をなで下ろす。


 安心して駆け寄った私の目に映ったのは、しかし、おおよそ人間にはありえない光景だった。出血がないと安心していた私を裏切るように、エイダの脇腹は大きく抉れていた。


 だがそこから見えたのは、内臓でも筋肉でもなかった。


 鉄。アルミ。強化プラスチック。ボルト。漏れ出した潤滑油。そしてそれらが連携して動く仕掛けの機械たち。


 破損した部品が連携していた先を失くしてユラユラと揺れている。先ほどの爆撃や頭痛なんかも優に飛び越えた衝撃が私の意識を揺らす。


「何なんだこれは・・・」


 驚愕に震えながらエイダを見ると、そこには冷淡な眼差しがあるだけだった。さもそれが当然といったようで、彼女の目からは一切の後ろめたさがない。


「エイダ・・・君は“何”なんだ。まるでこれは・・・」


 オートマタ。


 かつて見た産業革命の渦中にあったロンドンの風景を思い出す。エイダの体はかのオートマタよりも更に洗練されていた。


 進歩した技術に磨かれた機械仕掛けの乙女の体は、私の言葉を聴き取り、体温を感じさせる質感の肌がある。喜怒哀楽に揺らぐ表情。艶やかな髪と匂い。あまりにも人間的なその体には不釣り合に、エイダの脇腹から覗く無骨な内側は♯6シャープシックスの体そのものだった。


「見ての通り私は機械。オートマタでもアンドロイドでも、ヒューマノイドでも呼び方は何でもいいわ。でもここでは、分かりやすくオートマタと言っておきましょうか。私は、あなたが知っている初代エイダ・フロイトの意識アルゴリズムをデジタル化してインストールされたオートマタ」


「なら、君はエイダ・フロイト本人だったのか?」


「・・・そうとも言えるしそうじゃないとも言える。なぜならこの体は当然、オリジナルのエイダ・フロイトのものではない。更にはインストールされたエイダ・フロイトの意識が、本人のものと全く同じであるとも言い切れない。意識がデジタル化されている以上、そこには必ず何かしらの欠落が生じる。せいぜいエイダ・フロイトの意識と同等というのが言葉で表すことのできる限界。決定的なのが、私には感情がない。どれだけ技術が進歩しても、人間が発する複雑な感情の完璧な再現には未だに至っていない。だからもしあなたに、私が感情的な人間に見えたとしても、その感情は人工的にプログラムされ、機能が出力している演算に過ぎない。高度に設計されたプログラムが結果を算出しているだけ。そこには理解などない。機械的な演算のみがあるだけ。だから私は、エイダ・フロイトと言えると同時にエイダ・フロイトの模造品だとも言える。だからここから先は、あなたの解釈で私と接してちょうだい。意識・・・もしそう呼ぶことが許されるなら・・・オリジナルのエイダ・フロイトの意識がインストールされた私はエイダ・フロイト本人なのだと名乗って許されるのなら——こう言うわ。


 そして一呼吸置いて。


「久しぶりね、ジェイ——」


 冷淡な表情には隠しきれない、邂逅の喜びが垣間見えた。エイダの表情はおおよそ機械とは思えない。まるで旧友と腹を割って話すように眼を細めている。その瞳には懐かしさに浮遊する、ハイライン家の地下室の暗き真鍮製のガスランプがある。


「何が久しぶりだ。何でこんな無茶な真似をした」


「あなたの力になりたかったから」


 伏し目がちにそう呟いたエイダは、女性の美しさがある。脇腹の傷を除けば、それは人間が誇る繊細な美しさだった。


「あなたがクラウディア様とその未来を守ろうとしたように、私もあなたの崇高な志を守りたかった。あなたが意識をデータ化した後、私も同じように意識と人格のアルゴリズムを書き出したの。でもあなたと違って、私は人工的な体、つまりはオートマタのような義体に転写するようにした。デジタル化された意識のインストールが可能な、高度なコンピュータが実現するには多大な年月がかかってしまったけど、お陰で私とあなたはこうしてまた出会うことができた」


「なぜ最初にそう言ってくれなかったんだ」


「・・・だって、照れ臭いじゃない」


「あなたとまた会うために、肉体を捨てて頑丈な機械の体に移ったなんて、そんな盛大な告白ができると思って?」


 あけすけに包み隠さずに話すエイダは、毅然としたその態度そのものが照れ隠しのような、そんな複雑な模様を描いていた。


 感情はない。あるのは演算の結果だ。


 彼女はそう言ったが、それすらも自分自身にそう言い聞かせているように思えた。


「でも結局はこうして・・・悪巧みはバレてしまうのね」


 しかし次の瞬間には冷淡で、昔と同じように表情に変化は無い。


「エイダ。君は機械に感情は無いと言っていたな。なら君は・・・」


「無いわ。さっきも言った通り、高度に算出された演算結果がまるで感情があるように見せているだけ。この意識も、人工知能がまるで意識があるかのように見せているだけ。だから私が今感じている、あなたと言葉を交わすことの喜びも、あなたへの想いも・・・その全てが演算の結果なの・・・オリジナルのエイダ・フロイトの思考や意識のアルゴルズムをモデルにして現代に投影された、エイダ・フロイトという面影。全てが幻想。全てがまぼろし。全てが擬似で、全てが虚ろ。どれだけ本物を願おうとも、私の全ては演算の結果に過ぎない」


 冷淡な言葉とは裏腹に、彼女の声はあまりにも感情的だった。理不尽の前に泣く女性の悲しみを帯びていた。その姿すらも演算結果と言うのだろうか。私にはそうは思えなかった。いや、そんなことは信じたくなかった。何故なら彼女も私も、体を替えて生き続けているという点に関して違うところがない。彼女がただの人形なら、私もまた、ただの人形に過ぎない。


 クラウディアのために。諒のために。


 そして世界のために全てを投げ出した私が、オリジナルのジェイムスン・ドウセットの模造品だと言うのなら、今ここにいる私の意思はどこから生まれているというのだ。


「そんな言葉は嘘だ。君の心が機械が処理した演算に過ぎないと言うのなら、私と君のどこに違いがある」


 どちらも意識を転写して生きているのだ。そして転写技術がジャケドローのものである以上、おそらく私の意識もまた、彼女と同じくデジタルに処理されているだろう。


「エイダ、私は確かに感じている。私自身の意識を、君の瞳の魅力を。君は、機械化してから何も感じていないというのか?」


「・・・分からない。私にはもうわからないのよ。今感じているこれは意識なのか。機械的に処理された擬似人格なのか。そもそも意識を感じるという感覚がわからない。ただ、機械は処理するだけで感情を生み出すものでは無いことを私は知っている。それだけが真実なのよ・・・」


「なら感情とは何だ。君の言葉が真実なら、私もまた、何に怒り、喜び、悲しむかを思考に刻まれ、意識がそれを読み込んで外部に出力しているに過ぎない。それらはが全て、機械的なものに過ぎないというのか?私は認めない。私の意識や感情は断じて・・・」


 機械的に算出された結果などではない。その言葉を裏付けるような経験が私にはあった。


「意識の消失・・・」


「え?」


 呟く私にエイダが問う。


「そうだ。私は日本で意識が消失する瞬間を経験したことがある。私の意識が関知できない領域で体だけが動いていたことがあったんだから。エイダ。君に私は見えているか」


 エイダはこくりと頷いた。


「声は聞こえるか。体温を感じるか」


 その全てにエイダは頷く。


「なら君は、立派に私を認識し、私を認識する自分自身を認識して理解しているじゃないか。それが意識と言わずに何と言う。いや、この際意識の定義などどうでもいい。君はこれからどうしたい?」


「私は・・・あなたの隣に立っていたい。闘って苦しんで、それでもあなたのそばに居たい。ただそれだけを望んで、意識アルゴリズムを転写した。あなたと同じように、誇り高く生きることを望んだ。気高いあなたの力になることが、私の誇りだったから。そうよ・・・100年以上も前から、私が人間だったときからの願い」


「なら、100年前の想いは機械になった途端に嘘になるのか?」


「嘘なんかじゃない・・・今この瞬間にもそうありたいと願っている。そうよ・・・私は、エイダ・フロイト・・・私は、演算結果ではない・・・!」


 エイダは力強く、気高い一歩で立ち上がった。私たちが身を置く傭兵部隊、エレファントステップの名に恥じない、象のような地ならしが響く。傷口から破損した部品がこぼれ落ち、金属音が甲高く響いた。潤滑油が地面を濡らし、しかしエイダは立ち上がることをやめない。脇腹の痛々しい傷をもろともしない、信念の気迫に満ちていた。それはあまりにも泥臭い意地だ。しかし私はそれが美しいと思った。


「傷は問題ない。見た目は派手だけど、戦闘は十分に行えるわ」


 科学の圧倒的な力によって人智を超えた彼女は、しかしその変化を受け入れ、そうして気高くいようとしているかのようで。身を歪めてでも信念を貫く姿が只々美しかった。


「闘いましょうジェイ。私たちはまだ終わっていないのだから!」

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