第29話 シェルショック
「ジェイ!エイダ!急いでくれ!」
ブロワールがセダンから出て大きな身振りをしながら我々を呼ぶ。何かの異常を察し、私とエイダは目を合わせてブロワールの元へと駆け寄った。
「何が起きたんだ」
「MI6の新しい動向を掴んだんだ・・・奴ら、予定より早く僕たちを追い詰めるつもりだ」
「まさか!?」
エイダが驚愕の表情を浮かべる。刹那、強大な殺意で辺りが満たされた。私はその殺意を知っている。
第一次世界大戦。第二次世界大戦。
戦争の時代、あのときに戦場に満ちていた殺意の群れ。それが今、今この時代において湧き起こっているのだ。街を彩る鳥のさえずりは消えていた。あの戦場のように、生ける者は全て屍となり、冷たい風の通り道で朽ち果てていったあの忌々しい時代。どういうわけか人の気配も消え、この場にいるのは私とエイダ、ブロワールの3人だけとなっていた。
「戦闘準備だ。エイダ、武器はあるな」
「トランクにたんまりあるわ」
「このおぞましい雰囲気は間違いない。ゴーストスクワッドのものだ・・・」
ブロワールの声は震えていた。
「死兵分隊の武器を全て奪えばウィルスプログラムは完成するんだな」
私はエイダがよこしたM4カービンに弾倉を装着しながらブロワールへ尋ねた。
「あ・・・あぁ。だが一筋縄ではいかないぞ」
薬室に弾薬が装填されていることを確認し、戦闘態勢は整った。
「知っている。私もその死兵分隊の隊員らしいからな」
「ジェイ」
不意にエイダが20センチ程の短い鞘を私に投げて寄越した。鞘を外すと、鈍色の刀身が油に磨かれている。銃剣だった。
「必要になると思うわ。持っておいて。」
私はそれをベルトに通していつでも抜けるように装備した。辺りはついに仄暗い水の底へと沈んだように色を失った。どういう仕組みか知らないが、自然の環境をも左右する巨大な科学力に目眩を覚える。色の消えた世界はやがて霧を映し出し、風が葉の擦れる音を放てば、世界で最も暗い位置には異様な人影が浮かび上がっていた。
「音だ——音が鳴りやまない——スーパークイック——バリアブルタイム——ホワイトファスファラス——軍靴が踏みしめる泥の水音——怒号——絶叫——軋る履帯を捻るグリース——火薬を叩く撃鉄——その全ての破裂音が鳴りやまないんだ。あぁ——突撃の笛が聞こえてくる——迎え撃たなければ——私の——1000を超える弾薬をもって——貴様も——貴様も塹壕の泥水に沈めてやる——」
「ダイイング・シェルショック!!」
恐怖に怯えるブロワールの視線の先には、全身に無造作に軽火器を装備した金髪の男が立っていた。その表情は狂気に満ちた笑顔で引きつっている。手足の関節は、石膏で固められたかのようにぎこちなく、マリオネットのようにカクカクと動く異様な様は、ホラー映画のそれだ。
ブロワールがダイイング・シェルショックと呼んだその化け物は、あまりにもぎこちなく、あまりにも躊躇いもなく銃の引き金を絞ると、放たれる機関銃の高火力な掃射に私とエイダは即座に伏せた。
しかし、ブロワールは違った。兵士でない彼は従順な的だ。
「ぐ——」
「ブロワール!」
私やエイダと違ってブロワールは訓練されていない。銃撃に対する対処法も当然知らない。立ち尽くすことしかできなかったブロワールは機関銃の凶弾の餌食となった。
「ジェイ!どうするの!?」
「とにかくまずはシェルショックだ。エイダ、迫撃砲はあるか。なんならグレネードでもいい。曲射火器が必要だ」
「グレネードなら・・・でもそれでどうするの?」
「機関銃の連射の前に走って近づくのは自殺行為だ。姿勢を低くし、ほふくで徐々に距離を詰めるのが望ましい。だが援護射撃なしではさすがに無理だ。エイダは伏せたまま、そのグレネードの爆撃で援護を頼む。それに合わせて私がシェルショックに近づこう」
「無茶よ!たった2人で機関銃の火力にかなうわけがない!」
「エイダ!やるしかないんだ!そのためにフレイも諦めた!私が望んだことなんだ!分かったらさっさと準備しろ!死にたいのか!」
「あぁ・・・もうっ!」
エイダは這いつくばりながらセダンの扉を開けてグレネードを取り出し始めた。エイダを狙わせないために援護射撃をシェルショックへと放つ。
敵の猛撃で爆音が轟き、声は大きくなり、やがて怒号のように膨張していた。カービンは機関銃のように連続して撃てる弾数が限られている。当然、火力で勝ることはできないため、狙いもうまくつけることができない。どうにかして距離を縮めなければジリ貧になる。
「ジェイ!準備できたわ!」
「撃て!タイミングは任せたぞ!」
エイダのグレネードがシェルショックの近くで炸裂し、シェルショックに怯みが見えた。それを確認して私も前進を始める。うつ伏せで体を地面に密着させながら芝を掴んで前へと進んでいく。一回で約数十センチ程度。シェルショックの位置までは程遠い。爆風に舞う土埃が寝そべる私の目と鼻を襲う。目に異物感と埃に咳き込みながらも、私は決して頭をあげなかった。私の頭上では多数の弾丸が飛び交っている。放たれた弾丸が風を切る音が聞こえた。エイダの援護射撃の音を頼りにさらに前へと進んでいく。腕と脚の疲労が蓄積し、荒くなった呼吸がさらに土埃を舞い上げる。
酷く息苦しい。
今すぐにでも止まってしまいたい衝動を押し殺して、汗と鼻汁にまみれながらも前進は止めない。平坦な地で地面に張り付く人間を狙い撃つことは難しい。ましてや敵は機関銃だ。もとより精密な射撃ができる武器ではない。かわりに圧倒的な火力が頭上を駆ける。
エイダの援護射撃の効果もあってか、おそらく敵は私の姿を見失っている。無我夢中の前進を止め、私はゆっくりと頭を上げずに前を見た。距離約数十メートル。草葉の向こうに狂気に満ちたシェルショックがいた。目論見通り、私には気付いていない。グレネードを撃つエイダとの戦闘に集中している。私は腰に刺した銃剣をM4カービンへと着剣する。近接戦闘へと持ち込む準備はできた。敵は銃火器しか持っていない。懐にもぐり込むことができれば着剣した銃剣を奴の体に突き立てればいい。
埃に舞う空気を集めて息を整えた。そしてエイダの放ったグレネードがシェルショックの動きを止めたと同時に立ち上がり、全速力で突撃する。命運は私の脚力にかかっていた。ただ敵を殺すことのみで頭をいっぱいにしていく。マインドコントロールだ。真に戦闘に必要なことは小手先の知識や技術ではない。本気で敵を殺すとい強い意志だ。いつのまにか周りの音は消えていた。残ったのは荒い自分の心臓の音のみ。薄く研いだ剣先にさらに薄い刃を重ねるようなイメージで、シェルショックを殺す自分の姿を想像する。イメージを形にしていく。爆発と同時に全速力で駆けた。風も埃も追いつけない突進で瞬間的にシェルショックへと距離を詰める。
爆風に怯むシェルショックの姿が見えた。
「!」
私の突撃に気付いたシェルショックが機関銃の銃口をこちらに照準しようとしたがもう遅い。M4カービンに装着された弾倉を全弾、連射でお見舞いする。被弾したシェルショックは血飛沫をあげてのけぞり、その流れがスローモーションになる。私はさらに距離を詰めM4カービンの先端に装着した銃剣をシェルショックの胸にめがけて突き刺した。
「音が——止んだ——俺たちが——勝っ・・・た終わったんだ——ついに——ついに戦争が——!あぁ・・・あぁ・・・!父さん!母さん!もうすぐ帰ることができます!そうしたら、また工場で働いて!隣の農地を耕して!戦場の塹壕は、本当に辛い場所でした・・・雨が降ると、雨水がはけずに溜まっていくのです。臭くて不潔で・・・塹壕足になって足を切断した者も多くいました・・・そんなところに比べたらここは・・・!ここは・・・・・・酷く・・・冷たい——」
シェルショックは寒さに凍える子どものように丸くなって息絶えてた。いつのまにか風は穏やかで、景色は色を取り戻している。私はシェルショックの横に無造作に転がっている機関銃を拾いあげた。
「エイダ、怪我は」
私はエイダのもとへと駆け寄った。私と同じ、這いつくばりながらの援護射撃で服は砂にまみれている。
「大丈夫よ。あなたも無事みたいね。けどブロワールは・・・」
ブロワールは横たわったままだった。腹部から大量に出血しており、おそらく内臓を破壊されている。ブロワールが発する苦悶の吐息に、血の匂いが混じる。死の兆しとなって彼を誘う。
「ブロワール、シェルショックの銃だ」
私はブロワールに銃を見せた。ブロワールはほのかに微笑み、そしてまた苦悶の表情へと戻っていく。
「すまないが・・・僕はここまでだ・・・詳細はエイダに伝えている・・・僕は世界を破壊するために君たちを生み出したわけじゃない・・・僕は・・・僕たちの技術は・・・」
そうして絶望の縁に立って、ようやく見えた希望に光を見出したかのように、ブロワールは私へと手を伸ばした。
「ジェイ・・・顔をよく見せてくれ・・・」
彼の掌が私の頬を撫でると、ゆっくりと離れ、やがて落ちていった。
「ふっ・・・やはり君は・・・僕の傑作だ・・・」
焦点を失ったブロワールの瞼を閉じてやると、そこには安らかに眠る青年の骸が佇むだけだった。こうして彼の死は突然に訪れた。今となっては彼の言葉も、その真意を知ることは叶わない。彼の思いは永遠に秘められた。あとはもう、我々が解釈をすることしかできない。
「エイダ。シェルショックとは何者なんだ。いや、死兵分隊とは何なんだ」
「
私は手に持つシェルショックの機関銃へと目を落とした。その数世代も前の機関銃は油に汚れ、硝煙の黒に染まっている。
「
不死射ちを見回してみたが、ウィルスプログラムが記録されていそうな記憶媒体は見当たらない。
「この銃のどこにウィルスがプログラムされた記憶媒体があるんだ」
「その銃そのものがウィルスプログラムの記憶媒体なのよ」
「これをあと2つ集めることができれば、意識アルゴリズムを用いた不死者の創造に関する記録を抹消できる・・・その後はどうする?」
「集めることができたら話すわ。別に難しいことじゃないから心配しないで。そんなことより、早くここを離れましょう。とても危険だわ。逃げる算段は整っているから私についてきて」
エイダが用意した逃走経路は海路だった。輸送を生業にしながらも裏で密輸をしていた中国系の業者に、多めのギャラを積んで我々を引き受けるように頼み込んだらしい。
もうイギリスへ戻ることはないだろう。
道中、どこへ向かうのかとエイダに尋ねてみたが、行けば分かるといってはぐらかされた。ただ、逃走先に協力者がいる。それ以外を口に出そうとはしなかった。しかし何故はぐらかされていたのか、そのときなぜもっと追及しておかなかったのか。
私は後悔することになった。
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