第28話 暗き希望へ

 午前7時。またも私の墓の前。


 あれから静かに飲み続けた私は日が登るまでバーに居座り続けた。だがどういうわけか酔いもなく気持ちは整然としている。朝日が霞を照らし、乱反射した霧の光が木々の葉を縫い付ける。手には包装された和菓子。墓の前に立ち尽くすそんな私を気に留めるほどの人通りもない。

 待ち合わせの約束もしていない。だがどういうわけか、今日も来るという確信めいたものを感じてならなかった。


「あ・・・」


 そうして、透き通った銀髪と赤みがかった瞳の女性が、軽やかな足音に乗って現れた。フローレンス・・・その容姿はどこまでもクラウディアと似ている。


「またお会いしましたね」


 淑やかさの中に寂しさを携えた笑顔で話すフレイに私の心臓が抉られそうになる。


「あなたに・・・」


 腕を突き出して八つ橋の入った袋をわたす。怪訝ながら受け取るフレイは袋から取り出し、包装紙の和柄を見つめた。しかし私は、遂にここに居続けることに堪えられず、足早にその場から立ち去ろうとした。


「それでは私はこれで・・・」


「待ってください」


 不意に背中のシャツが引っ張られる感覚。指先で僅かに、しかし力強い引きが服を通して体へと伝達する。


「ジェイ。あなたなのですね」


 即答することができなかった。今すぐにそうだと言いたい。今すぐに違うと否定しなければならない。背中にいる彼女の表情を私は見ることができない。声色には不安、それと期待のこもった震えがあった。


「お願いですジェイ。私を連れて行ってください。昨日からずっと考えていました。もしかしたら、あなたはジェイだったんじゃないかって。もしジェイだったら絶対に離れてはいけないと・・・そう・・・思ったのです。でなければきっともう会うことができない。そうなのでしょう?あなたと生涯を共にすることが、きっと私の本当の望み。そのためなら何を失っても構わない。地位も、家柄も、財力も、権力も、名誉も・・・あなたの前では全てが霞む。罪も、罰も、汚名も、迫害も・・・あなたのためなら何だって背負える。あぁ・・・私の祖先を想うあなたは、このような気持ちだったのですね・・・ただ1人のことを想い続ける——とても暖かくて頼もしく——それ故に残酷で——とても——とても胸がいっぱいです・・・」


 フレイの最後の言葉は涙に濡れていた。私は思わず口を抑える。嗚咽が、震えた声が思わず溢れそうになる。彼女の心からの言葉が私の決心を大きく揺らす。


“あなたが本当に望む選択をして”


 不意にエイダの言葉が頭をよぎった。フレイと共に逃げるなど断じてあってはならない。考えるまでもない。フレイと共に逃げることを選択した途端、我々の命運は意識が消える間も無く尽きてしまうだろう。当然、不死者の技術を消し去ることは叶わない。


 全く馬鹿な話だ。


 私とエイダ、それとブロワールのたった3人で世界の歩む道を変えようと言うのだから。そんなどうしようもないことのために、私はフレイとの幸せな歩みを捨て去ろうとしているのだ。本当に・・・本当に馬鹿な話だ。




「何を勘違いされているのかは存じませんが、私はあなたを知らない」


 そうして切り出した私の言葉は、切なくも暖かい、そんは優しい物語を泥に沈めて虚無へと投げ込むに等しいものだった。つくづく損な役回りだ。目の前にどれだけ豪華な膳が添えられていても、私の過大な自意識がそれを善としてくれない。長年の月日が、肥大化した理性が私の夢を冷却させてしまうのだ。


「嘘です!あなたはジェイ。ジェイムスン・ドウセットなのでしょう?」


「私の顔をよく見てください。どこかで会ったことがありますか?あなたの知っている顔ですか?」


「それはあなたが——!あな——た——が——」


 意識を転写して肉体を変え続けるから。彼女はついにそこまで言及しなかった。


「いいえ・・・取り乱してしまい申し訳ありません」


「ジェイムスンはとても幸せだ。こんなにも美しいお嬢さんに慕っていただけたんですから。辛いのは分かります。でも強く生きてください。ジェイムスンもきっと——それを望んでいる」


 そんな嘘を重ねて彼女を遠ざけた。私の闇へと踏み入れないように。それこそが、私が長い年月をかけてハイライン家のご息女に施してきた実績なのだから。


 今度ばかりは、もう近くに居ることができそうにない。


「さようなら、ミス。またお会いしましょう」


 そう言って背を向けて、暗い希望に満ちた深淵へと歩みだす。


 落ちて新しい枯葉が風の音を集めて漂う。


 さようなら、フローレンス。


 もう会うこともないだろう。


 願わくば今後も光の住人として、幸せな安息に包まれますように・・・



 ※



 いつの間にいたのかエイダが木の幹にもたれて立っていた。背後には黒のセダンが止まっている。木の幹にもたれながら射殺すような眼差しを向けるエイダを横切り、セダンの元へと歩き続ける。


「それがあなたの選択なのね」


 低く唸るような声音で問いかけるエイダに私は振り向かずに足を止めた。


「期待に答えられなかったか?」


「いいえ。あなたが望むのなら、私はそれに力を添えるだけよ。ただ・・・」


 しかし、含みのある物言いに私は思わず視線を向けてしまった。


「とても・・・痛い・・・」


「痛い?」


「ええ・・・痛みよ・・・」

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