第19話 時代の敵
「三崎諒との接触に成功した」
キッチンで料理をするエイダの背中に報告を投げかけると、ブロンドが首や目と連動するように揺れる。女性にしては大きめな背中が、和室の家庭的な景観に酷く不釣り合いに感じた。
「そう。何か想定外のことはあった?」
「いや、特にない。とはいえ文芸部に所属しているせいか観察力が鋭い。校舎の構造を記憶していた私に違和感を感じていた節があった」
畳というフローリングに敷かれた座布団と呼ばれるクッションに腰を落ち着ける私の正面には、ちゃぶ台の短い脚の机がある。エイダはキッチンで淹れたグリーンティーをちゃぶ台の上に置くと、自身も座布団の上に腰を下ろした。
「どうして日本製の家具ばかりを揃えたんだ」
慣れない家具ばかりを揃えたエイダに疑問を添える。
「せっかく日本に来たんだもの。日本の文化を知っておくいい機会でしょ。仕事柄、私たちは多様な文化に触れておく必要があるわ」
「日本の文化は異色で慣れないな」
そんな私の不平など知らずか、エイダはグリーンティーを静かに嗜んでいる。
「ジェイ、あなたは幾多の戦場を渡り歩いてきた。様々な国を敵にして。なら、今のイギリスの仮想敵国はどこかしら」
私は口を噤んだ。明確に、どこの国が敵だと言えなかった。
「ロシア?ドイツ?アメリカ?中東?その全てであり、そのどれとも違う。これからの私たちの敵は民族、言語、宗教、文化。或いはそれらによって隔たれている者たち。これから私たちに立ちはだかる敵はAという国の、Bという言葉を使う、Cという民族たち・・・そのように細分化されていくわ。私たちの敵は、国というもので一括りにできなくなりつつある。今の私たちのターゲットが、日本という国に住む三崎誠一郎という男であるように。日本そのものは敵ではない。だから私たちはこれから言語を、文化を、種族を駆使して戦場に臨まなければならない。相手は日本人だもの。敵を知るにはその国の文化を知らないとね」
そう言い終えるとエイダはグリーンティーで渇いた喉を潤した。つられるように私もグリーンティーを口に含んでみる。青臭い渋みと苦味が口いっぱいに広がった。
不意にオキタのことを思い出し、彼がこの味に親しんで育ったことを思い浮かべてみると自然に抵抗は消えた。とはいえ何度も口に含んではみたが、その味に慣れることはなかった。
「今後の動きだけど」
お茶を飲みながらエイダは任務について切り出した。白く細長い指が円筒状の陶器製カップを優しく包んでいる。
「当初の作戦通りに進めてちょうだい。ジェイは三崎諒と交流を深めて情報を引き出して」
「君はどうする」
「私は三崎誠一郎の身辺をもう一度あらいつつ、仕事に使っている別邸の偵察をしてみるわ」
「仕事用の別邸があるのか」
「ええ。むしろ今はそっちに住んでるみたい。忙しいのか娘とは別居してる」
或いは我々のような者から娘を守るためか。三崎誠一郎がイギリスを警戒しているのはつまり、我々のやり方に不満があるということ。すなわち我々がどのような手段を用いてここまで繁栄してきたかを知っているということだ。となると三崎諒から三崎誠一郎に私のことが伝わるのは時間の問題だろう。幸いにも別居というのがありがたい。2人が接触する時間を絞れば、イギリス人の転校生なんてタイミングの良い怪しい人間の情報も届きづらい。
「だが状況は不利だな。私たちは三崎誠一郎の悪評を何も持っていないし、三崎諒とも接触しただけに過ぎない」
「三崎諒はあなたに好意を持っている節があるのでしょう。ならそれを利用しない手はないわ」
エイダは冷淡にそう言い放った。
フロイト家の才媛が放つ言葉は機械的かつ的確で、対比するようにかつてのオートマタの愛を思い出す。
「彼女を人質にしろと」
「あくまで最悪を想定した場合の話よ。あなたならよくわかるでしょう」
私はカップのお茶を多めに口に含んでワインのように舌で転がした。強い渋みが仕事という言葉のまやかしから私を引き離してくれる。女性を騙るのは個人的に気持ちのいいものではない。その罪悪感を仕事という言葉で納得させ、自らに許された罪の重さすらも曖昧にしていく。仕事という言葉ほど麻薬的なものはない。仕事という言葉はその本質をぼやけさせる。たとえ詐欺に近い商売であっても、仕事だから仕方がない。そうやって悪癖のように脳を曖昧にしてしまうのだ。
だから私は戒めるように言い聞かせた。私は仕事で三崎諒という少女を騙る。それは仕事だから仕方がないのではなく、私個人の判断として。私の歴史の新たな罪として刻む。あまりにも重くて、その罪悪感という幻想に脳を支配されてしまわないように、グリーンティーが含むカフェインに浸って頭をすっきりさせようと努めた。
「明日の晩には偵察の報告ができるように準備しておくわ。いずれあなた自身が三崎邸に張り付くことになると思うから」
「あぁ。私は三崎誠一郎を失脚させる情報がないか引き続き三崎諒を探ってみよう」
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