第18話 文芸部
三崎誠一郎の裏を探る。そのために娘である三崎諒と接触しなければならないことを忘れてはいけない。
外見的特徴は押さえているのだが、アジア人の顔は欧州の人間である私には見分けがつきにくい。校内の経路を確認しつつ学生の顔を見てはいたが三崎諒の姿はなく、見逃していないという自信もなかった。どうしたものかと思案していると1人に女学生が私の前で足をとめた。
「おはようさん」
訛りの強い日本語、低い身長に長い髪と糸目が絶妙にマッチしている。腕まくりの快活な印象を携えた女学生が私に声をかけてきた。
「人当たりええって聞いとったんやけどえらい無愛想やな。ぽんぽんでも痛いんか?」
ハッと我に帰り失礼のない返答をする。
「失礼、少し考え事をしていて。ぽんぽんとはどういった意味で?」
「ぽんぽんはぽんぽんや」
そう言うと女学生は自身の腹部を平手で叩く。黒いセミロングの髪が揺れ、細い目がなぜか自信に満ちた。
「
「ジェイミー・フォックスだ・・・」
女学生の差し出す手を握りながら思わず呆れた声色で答える。
「冗談やって!もちろん知っとるで。ほんでジェイ坊、突然やけど今日はあんたを部活動に勧誘しにきたんや」
そう言うと大西紗江子は踵を返して歩きはじめた。どうやら付いて来いということらしい。
「悪いが間に合っている。それにジェイ坊とは何だ」
背中にそう投げかけると大げさに前のめりになってコケるフリをするかと思えば、勢いよく振り向いて抗議に出る。
「なんでや。まだ部活には入ってへんて聞いとるで」
「部には所属していない。だがこの国に引っ越して間もないから忙しい。部活動をしている時間はない」
そう返すと大西紗江子はニヤリと笑って間合いを詰めてくる。
「間がないからええんやんか~。あんたえらい日本語上手いやん。ごっつ勉強してきたんやろ?それを活かせる部活があるんや~」
「忙しいんだが・・・」
「じゃあ部室に行くだけでもええから見るだけ見てぇなぁ~。あんたに会いたいって人もおるんやし」
なぜかはわからないが彼女の訛りは妙な説得力があった。義理など微塵もないのだが、彼女の訛りに段々とのせられている私がいて・・・
「仕方ないな。その人に会って部活動を見学したら満足なのか?」と答えている始末であった。
「ほんで気に入ってもらえたんやったら入部してや~」
「それで、大西さん」
「紗江子でええで。やっぱこういうときは名前で呼び合いたいやろ。あんたのことはジェイでええか?」
「それでいい」
「じゃあ早速やけど部室に行こか。とって食ったりせえへんからそんな肩肘張らんどいてや~」
紗江子が使う言葉には意味がわからないものが多く、それが比喩表現だと知ったのはもう少し後のことだ。
「にしてもアンタ、よう私に付いて行こう思ったな」
「君が私を誘ったんじゃないか・・・」
そう言うと彼女は大げさに手首から上を顔の前で振った。
「いやだってアンタ、イギリス人やし綺麗な顔立ちしとるやん?話しかけてくる奴も多いやろ。まともに全員相手しとったらキリないやん。やのによう私みたいな胡散臭いやつの話聞く気になったな思って」
「胡散臭い自覚はあるのか」
よく喋る女性で、そしてその語りは魅力的だった。自分を卑下しつつもそれが欠点ではないような、それを紗江子自身がよく理解しているような。そんな健康的な人柄を感じさせた。
「それで、なぜ私を勧誘に」
「さっき言うた通りや。アンタに会いたい言う
「なるほど、相手は女性か。なら失礼のないようにしないと」
窓ガラスを鏡代わりにして服装を端正にする。幼い顔をした自分の面持ちに嫌悪感は拭えないが、あくまで任務のため、学生としての立ち振る舞いを思い起こす。
「あんたやっぱり見た目通りのスケコマシか~?ええ娘やからがっかりさせんなや」
「紗江子、君の日本語は難しい。できれば今度その難しい言葉を教えてくれないか?」
私の言葉は届いていないのか、単に面倒だから聞こえないフリをしているのか、紗江子は扉の前で立ち止まって“ここや”と小さく呟いた。
開かれた扉の先にいたのは、知らない顔ではなかった。
「あっ・・・」
部室に備え付けられた椅子に腰をかけていた女性が、私を見て立ち上がる。微かに聞こえた声が凛として耳に残る。
そこにはブリーフィングでエイダに見せてもらった三崎誠一郎の愛娘が不安を携えて立っていた。
あぁ。もし神が本当にいるのなら相当に残酷だと言わざるを得ない。彼女が私に会いたいという人物だと言うのなら、私と彼女の出会いはあまりに破滅的だ。
三崎誠一郎の娘、三崎諒が私を待つ女性だなんて。
「なんや出会って早々お互いに見つめおってからに。運命か?2人の出会いは運命なんか?」
騒ぐ紗江子を尻目に私は一歩前へ出る。
「はじめまして。ジェイミー・フォックスといいます」
三崎諒はスッと微笑むと小首を傾げて見せた。連なる黒い艶やかな髪が流れ、前髪の奥にある光を吸い込む漆黒の瞳。文字通り、極東の美しさを体現したようだ。
「日本語がお上手ですね」
品のある奥ゆかしい言葉遣いに彼女の良識がみてとれる。そんな彼女を、私は地獄に落とさなければならない。
「紗江子を使って呼び付けるような真似をして申し訳ありませんでした。三崎諒といいます」
「三崎諒さんですね。良い名前だ」
あなたの情報は既に知っていますよ。そんなことを心の内で呟いてみせた。名前だけじゃない。あなたの父親が親米派であることも。妹がいることも、母親が脳の病で入院していることも。全て始めて知ったようなフリをして嘘を重る。三崎諒や私自身も、あるいは忠誠を誓っているフレイにさえ。
「あんたに会わせたかった娘や。仲良うしてや」
「三崎さん」
「諒で構いません」
「では諒、私にどのような用が?」
「おいおいあんたホンマにスケコマシか?女の子が男呼び出してんねんで?そこは黙って聞いとかんかい」
紗江子の言葉は最もで、私は自分の無神経な発言を恥じた。諒は少し俯きながら、どこから話そうかと思案している。
「あなたをここに呼んだのは・・・その・・・入部してほしかったから・・・」
そうしどろもどろに言葉を紡いだ。
「そういえばここは何の部活を?」
「よう聞いてくれた!」
紗江子が私と諒の間にヌッと割り込むように入ると腰に手をやり凄んでみせる。
「ここは数多の詩人、文豪たちが積み重ねてきた表現を学ぶ部活・・・文芸部!どや、入りたなったやろ」
「いや、具体的に何をするのかわからない」
とは言え、任務のことを考えれば入部を建前に三崎諒に近づけることは願ったりかなったりだ。文芸部に属していれば必然、三崎諒と接する機会は増える。父親に関することも聞けるだろう。それに諒は私に興味があると言う。相手も好意にしているというなら私が諒の近くにいることの不自然さもぼかせるだろう。
思案する私に諒が声をかける。
「文芸部では様々な書籍、詩などに親しみ、その中で良かったもの、個人的な解釈、さらには部員で作った短編や詩を発表したりしてるのよ」
想像以上の文化的な活動に驚き、私は思わず紗江子を見る。
「今あんた私を見て失礼なこと考えたやろ」
「あぁ。正直驚いている」
「ホンマに正直な奴やなぁ。まあええわ。どうや、その上手い日本語を活かしてみーひんか」
「わかった。なら入部しよう」
「おっ。素直やな」
「私も何か部活動をしたいと考えていた」
私の滑らかな対応に諒の表情が綻んだ。
「嬉しいです。私はあなたの話に興味がありましたので」
そんな諒の言葉に私は警戒心を強める。どんな理由であれ、諒は私が他の学生とどこか違うというのを感じ取っているように思えた。諜報員としては最も警戒するべき人種だ。まさか私がイギリスが誇るMI6の諜報員だとは知る由もないだろうが、こうした直感というのは良かれ悪かれ後効きで効果が出ることがある。私の警戒心を感じ取ったのか、諒は表情が曇って一歩引いた。
「ごめんなさい。初対面の人に失礼でしたね」
ともあれ、これから情報を引き出そうとする相手の心象を悪くするのも心許ないので、適当な言葉ではぐらかすことにした。
「いえ。私と諒に面識はなかったはず。なぜ私の話を聞きたいと」
「その、あなたは他の学生と見ているものが違っていたので」
「見ているものが違う?」
諒は手を前に組んでフローリングの継ぎ目を見ている。その姿は大和撫子そのもので、イギリスのブロンドの美しさとはまた違う儚さがあった。
「ほとんどの学生は、休み時間になれば友人の元へ行く、自販機へ行く、食堂へ行くわ。当然だけど、そこに目的があるんですもの。でもあなたは、自販機へ行くときも、食堂へ行くときも、廊下の窓だったり、上階へと続く階段であったり、そうしたものを見ているでしょ?」
それは私が地形を頭に叩き込んでいるときの姿を言っていた。
なんてことだ。ただの学生が私の行動をこうも観察していたなんて。当然だがプロの諜報員は自分の行動が周囲に怪しいと思われてはいけない。ましてや何の訓練も受けていない女学生に勘付かれるなど。諒からは情報を引き出すだけのつもりだったが、警戒も兼ねなければならなくなった。
「随分と私のことを見てくれていたようだ。でも私はただ、日本の学び舎が物珍くて眺めていただけですよ。しかし・・・私もあなたに興味が湧きました。部活動を通してあなたを知りたい」
警戒心を悟られぬよう、軽薄な男を使いこなして胸の内を覆い隠す。そんな私と諒の間に紗江子が割って入り引き離した。
「はいはーい。2人とも意気投合するんはええけど、健全な学生やねんから1日でBとかCすんのはやめてや」
「紗江子、はしたない言葉を使うのはやめなさい」
そんな紗江子を諒が咎めた。そのやり取りを見て、ここが学び舎であることを思い出す。今はもう思い出せない、私にもあったであろう悠久がそこにはあった。
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