第20話 意識という病

「発表会や!」


 出し抜けに紗江子はそう言い放ち、何事かと飲んでいたペットボトルから口を離す。諒が焦っていない様子を見ると珍しい光景ではないらしい。


「何を発表するんだ」


「ここは文芸部やで。読んだ本の感想や自分で作った詩を発表するに決まってるやろ。とは言え、ジェイ坊は初心者やし詩を作れいうんはさすがに難しいやろ」


 当然、私は作詩に教養がない。読むことはあっても詩うこととは無縁だ。


「せやから今日は自分が好きな詩の発表でええで」


「詩など知らない」


 私が即答すると、諒がフォローするように紗江子の説明に継ぎ足す。


「詩といっても小説の一節でもいいし、曲の歌詞でもいいのよ」


 なるほど。確かにそれも詩か。


「ジェイ坊でもさすがに好きな曲くらいあるやろ。何でもええから言うてみ。なんでそれが好きかも説明してな」


「好きな理由を説明するのか?」


 紗栄子がさり気なく付け加えた"説明"という単語が妙に恥ずかしいように思えて思わず聞き返してしまう。


「そうよ。詩を聞いてあなたが何を感じたのか。大事なのはそこなの」と諒。


「10人が同じ曲聴いて皆が皆同じ意見やない。好きやいうてもその理由はそれぞれや。だから私たちはジェイ坊がなんでその詩が好きなんかを聞きたいんや」


 なるほど。文芸部など形だけかと思ったが、なかなかどうしてしっかりとした活動をしているらしい。適当にすませようとしていた自分を恥じ、記憶の奥底から何かないかとあさってみる。私は人よりずっと多くの情報に触れてきたから苦労はしないはずだ。


「まずは私たちがお手本で見せてあげるから、フォックスさんは最後に聞かせてね」


「ジェイでいい」


「ならジェイ。あなたが何を言って何を感じたのか楽しみにしているわ」


 探りを入れるべき人間に探られているようで酷く居心地が悪い。過去の記憶が上書きかれてしまうほどの数の諜報合戦に臨んだ私だが、彼女の言葉は強く私を警戒させてしまう。


「ほんなら諒。アンタの深淵をジェイ坊に見せたりぃな」


 紗栄子の言葉に合わせて諒は眼を閉じた。やがて閉じた眼を開くと、黒々とした漆黒が渦を巻いてこちらを射るように見た。


 そこには本当に諒の闇があるかのように見えた。その深淵から出た言葉は、まるで氷で背筋を撫でるかのような氷点下。


“地獄はこの頭の中にある“


 ズルリという擬音が聞こえた。その言葉は鉄を這う蛇の腹のような冷淡さがあった。


「とある小説の登場人物である特殊部隊隊員の言葉よ」


「それだけやったら分かりにくいなぁ。どういう意味なん?」


「隊員は幾多の戦場を見てそう思ったんだけど、そのときある恐ろしいことに気づいてしまったの。戦場が天国のように見える人なんていないと思うわ。誰が見ても地獄に見えるはず。でも、地獄に見える風景って誰が決めたのかしら?戦場もこの世界の一部なのだけど、世界そのものに天国も地獄もないわ。世界はただそう在るだけであって、本来そこには天国や地獄という概念はない。だから天国と地獄は私たちの主観でしかない。私たちが戦場が地獄に見えるだけかもしれない。では日本は天国かしら?地獄かしら?戦場より遥かにいいところだとは思うけど、この日本を地獄に感じている人だっているかもしれない。きっと意見が別れるはず。なら世界を地獄のように見せているものの正体は何?それはきっと私たちの頭の中・・・この頭の中にいる意識という存在。隊員は気づいてしまったの。世界を地獄のように見せてしまう己の意識という強大な存在に。この意識が己の内にある限り、彼に写る世界は地獄のように見え続ける。そして私たちはその意識から逃れることができない・・・」


「・・・そんでその人はどうしたんや?」


「死んだわ。自殺した。逃れようのない意識という地獄から唯一解放される手段は死しかないと信じてね。以上よ」


 私は脳髄が冷却液に替えられていくような感覚で紗栄子を見た。そんな紗栄子は私の不快感とは反対に、愉快そうに頬を上げている。


「さてジェイ坊、感想を述べよ」


「2人ともまるで狂人だ」


 私の辛辣な感想に紗江子はゲラゲラ笑い、諒は淑やかな笑みを浮かべていた。


「あなた感想は間違いじゃないわ。きっと私たち、変に見えたでしょうね」


 諒は私の感想は何も間違ってはいないと。紗江子も同意見なのか、諒に反対する様子もなかった。


「でも、本当の狂人になってしまわないようにしないとね。知識はしばしば私たちを望まぬ方へ躍らせてしまうから」


 かつてロンドンが様々な数字と設計図によって塗り替えられていく様を見てきたからか、諒のその言葉には説得力があった。


「こんなふうに話せばいいわ。さぁジェイ、あなたの好きな詩を聞かせて」


 諒はどうしても私の詩を聞きたいらしい。自身の詩の感想を早々に切上げて私を急かす。逃げられそうもないので、彼女たちを満足させ、なおかつ私の長い歩みのなかでずっと心にある言葉を素直に口にした。


“科学が我々の生活、宗教すらも変化させていくなか、我々の愛もまた、科学によって変化していくことに何の疑いがあろうか”


「ほう。なんか芳ばしい匂いがするなぁ。ジェイ坊もしかして陰な人間なんか?」


「紗江子が何を言っているかわ分からないが、これは私の友人から聞いた言葉だ」


 すると諒が嬉しそうな表情をしながら言葉を挟んできた。


「それ知っているわ。リラダンの小説よ」


 そういえばクラウはとある書籍の一節だと言っていた気がする。


「ジェイはどうしてその言葉が好きなの」


 諒が興味津津といった様子で私との間合いを詰める。ハネ一つない髪が陽光に反射する。


「言葉の通り、私は科学が愛の形を変えていく瞬間を見た。愛という感情が神からもたらされた神聖なものである時代はおわり、科学の力で動かせるものとなった瞬間を」


 そう言って自分の失言にハッとする。諒や紗江子が知る由もないが、私がオートマタがいたかつてのイギリスの住人などと言える筈もない。


「その・・・最近であればアイドル、即ち偶像。フィギュア、即ち人形。キャラクター、即ち絵。それらを本気か妄執であるかは別として、それらに対する感情を愛と呼称する人間は確かにいる」


 そう苦し紛れに言う自分の説明には違和感があった。果たしてこれらは今に始まったことなのだろうか。偶像の崇拝など遥か昔からあったことだ。今では芸術と呼ばれる絵も、その殆どは作者の超個人的な性的嗜好に過ぎないものであることを私は知っている。ましてや人形への愛は私がこの目で見てしまっている。


「これらは今に始まったことじゃない・・・?」


 私の言葉に諒は甘美の笑みを浮かべた。


「やっぱりジェイは面白い人ね。自分で言葉にして、初めて気がつくことってあるでしょ?今あなたにはそれが起こったの」


 私は見上げるように諒の眼を見た。深い深い黒がそこにあった。


「科学が私たちの在り方を変えてきた。もうずっとずーっと前から。あなたも、科学に何かを変えられたの?」



 ※



「そうですか。日本でもご友人ができたのですね」


 夕凪をの優しい匂いを感じながら、電話越しにフレイの声に耳をすます。彼女の声の調べが夕日に添えて響き、遠く離れた日本でもイギリスを近く感じる。放課後の屋上は人もおらず静寂で、部の喧騒に疲れた後だと心地良い。柵越しに見える街並みは都会の摩天楼のように視界を遮るものもなく、空気の層に霞む山並みがどっしりとして見える。


「文芸部に入部しました。私を含めて3人しかいませんが、騒がしいのがいるので退屈しません」


「私もいつか日本を見てみたいです。秋の紅葉、枝垂れ桜、日本には季節を感じるものが多いんだとか」


「私も、任務でなければ心を寄せたいものです」


 そう言うとフレイが電話越しにでも緊張したのが伝わってきた。


「きっと・・・あまり気分の良い仕事ではないのですね」


「・・・そうかもしれません」


 人の一生以上の時間を生きてきた人間が、若い肉体に間借りして異国の学校に潜入しているのだ。そんな歪な手間をかけた仕事が、まともであるはずがない。


「フレイが無事でいてくだされば、私は何でもこなすし、何にでもなれます」


「・・・私のために誰かが傷つくのは気持ちのいいものではありません」


 全く同感だ。私もフレイにはフレイ自身の人生を歩んで欲しいと願っている。断じて私のためなどではなく。


「あなたへの忠誠の言葉のつもりでしたが、お気を悪くされたのでしたら謝ります」


「いいえそんなことは・・・ですが私への忠誠があるのなら、せめて任務の詳細を教えていただけませんか?」


「それだけはできません。あなたに危害が及ぶ恐れがある」


「ですが私もハイライン家です。私の家系が何を生業にしているか知らなければ」


「それは今ではありません。いずれ、その責任を負う日がきます」


「その生業から逃れることはできませんか」


「フレイ、滅多なことを言ってはいけない。たとえ我々が諜報の任から離れても、また別の誰かが為さねばならない。国を、多くの人々が何も知らずに平穏に過ごすためには、我々のようなも者が必要なのです」


 そこまで話して私は自分に悪態をついた。何を議論しているのだ。こんなことのためにフレイに電話したわけではないというのに。


「・・・お土産を用意しましょう」


「え?」


 虚をつかれたのか、フレイは戸惑いの声を漏らした。


「せっかく日本にきたんですから、フレイにも日本を感じていただきたいのです」


 同時にゆっくりと、和らぐ空気を醸しながらフレイは“はい”と返事をした。


「日本のお菓子がいいです」


 そうして屈託のない希望を述べるのだった。

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