第11話 変化する生命倫理
水が鉄を叩く音と隙間風の冷たい心遣いで目を覚ます。体中が疼き、うまく立ち上がれない。細い縄が四肢を巡り、私の自由を制限しているかのよう。両腕を背中にまわされて、手首はロープで縛られていた。代わりに首をぐるりとまわして周囲を見渡す。
またしても廃工場。
割れた波板が寒空を裂け目から覗く。湿気の波に油の粒が混じって溶けた匂いと、濃密な埃が鼻腔をつく。似たり寄ったりな作りだが、ギア・テックの工場とは違うようだ。
「電流を食らったのは初めてか」
ブロンドの髪に大柄な体躯と仕立ての良いコート。彫りの深い壮年の男の眼が私を見下ろしていた。背後には男の取り巻きが数人。男は一本の鉄製の棒を突き出した。つんざくような音と共に、雷が棒から疾る。目覚めたばかりの眼に突然の閃光が突き刺さり、景色の影が網膜へと焼きつく。思わず目を瞑った。
「電撃というやつだ。電気を応用した新しい武器だよ」
男は私の元で膝をつき、手に持つ棒を私の背中へ押し当てた。
「あのオートマタはどこだ」
「さあな」
繊細な振動の細やかな衝撃が私の体中を貫き、反射的に声にもならない呻きをあげる。これ以上の電撃を避けるために私は適当な言葉を紡いだ。
「随分良い身なりだな。急進派か」
「身なりのいい人間などこの街には数え切れないほどいる。なぜワシが急進派だと」
「金持ちでこの街にいる人間はこの街で金を稼いでいる奴だからさ」
「・・・なるほど。そんな利口な君なら理解できるはず。少しの間でいい、我々の行いを見逃してくれないかね」
「何を見逃せと・・・」
「我々の商売だよ。英国は日本と平和的に産業の発展を目指すつもりらしいがとんでもない。必要なのは戦場だよ」
「どういう意味だ」
「君が喰らった電撃、これも産業革命の産物さ。これからの時代、こんなちんけなものじゃない。もっと強大な兵器が現れるだろう。いずれ強力な兵器を求めて各国は軍備増強の競争に乗り出し、莫大な国家予算が動く。我々は、イギリスはその競争に勝ち、他国を追い越して栄華を極めるのだ。だがそのためには広告が必要だ。我々の兵器がいかに有効かを示すための広告がね」
「戦場を広告にするつもりか・・・」
「その通りだ。今に戦場は新型兵器の見本市となる。様々な国家が戦場を見て我々の兵器を買い求めるだろう」
男の発想はあまりにも突飛抜けたものに思えた。戦場が広告になどなり得るというのか。だが諜報員である私は、東の大国や南の国勢のいざこざを嫌というほど理解している。巨大な経済と強力な軍備は何よりの課題だった。そうして順を追うと、男の、産業急進派が次に目指すのは軍事力だとうのは当然だった。たとえそれが大量の死者を生み出すとしても。だから私は鼻で笑った。それが唯一の抵抗だった。
「馬鹿げた妄想だ」
「そうかな。夜明けは近いぞ。それに結果的に我々はこの英国の発展に貢献することになる。君たち秘密警察と同じさ。他の国に先を越されないためにもあのオートマタ・・・あの技術を解明する必要がある。ギア・テックに独占させるわけにはいかないのだよ。つまるところ我々と君は敵ではない。ブリテンのために同じ志を持つ同胞だ。だからあまり手荒な真似はしたくない。大人しくオートマタの場所を教えてくれないかね。私もこのブリテンの、女王陛下のために真摯に働きたいだけなのだから」
「何がブリテンのためだ。国民を危険にさらして暴利を貪る豚め。その体と同じ、どうやら心まで脂肪がついているようだな」
男は小さくため息を吐いた。手に握る棒には力が込められている。
「残念だよ。君は随分と優秀のようだから、君の死はブリテンにとって大きな損失だ。が、それも仕方あるまい。君が死ぬまでに居場所を吐いてくれることに期待しよう」
男の背後の取り巻きが私に乱暴を働くために前へと出る。拷問の訓練は受けたが、できれば避けたいものだ。見たところ取り巻きは訓練を受けたようには感じられない。拷問で情報を引き出すためには実行する人間も訓練が必要となる。でなければ、効率的に精神を追い込めないし、情報も引き出せない。引き出した情報が虚偽であることもありえるから、嘘を見抜く目も必要だ。
所詮は政治屋の素人たちだ。耐えて時間稼ぎをするべきか、嘘の情報で混乱させるか思案しながら、なるべく痛みが及ばないように体を捻る。
が、どうやらその必要は無くなったらしい。
目にも止まらぬ剣閃。それと同時に頬を撫でる柔らかな風。次の瞬間に急進派の3人は歯車の狂ったオートマタのようにその場に倒れこんだ。いつ斬ったのか、私の両手を拘束していたロープは綺麗な切り口で落ちている。
「無事か」
慎ましい声を帯びた、淑やかな茶色の着物に身を包むオキタが納刀の残身をしている。私は立ち上がると服の埃を払いそれに応えた。
「殺したのか」
私は横たわる男たちを冷淡に見下ろす。目立った外傷はなく、ここが工場でなければ眠って見えるだろう。
「峰打ちだ。死んじゃいない。それよりもエイダ・フロイトに感謝するんだな。ここを突き止めるために手を焼いたようだぜ」
「なぜわざと捕まったんだ。アンタならあの程度の連中なら簡単にまけるだろう」
「彼女が逃げる時間をかせぎたかったからな」
「ならあんたの目論見は外れたぜ。奴さん、相当の数の追っ手をあのオートマタに割いている。今ごろオートマタを引き継いだあの諜報員もやられてるかもな」
「なら急いだ方がいい」
「待て。あのオートマタをジャケドローに会わせて何になる。さっさとバラした方が危険因子を排除できる」
「オキタ、私はたとえオートマタでも女性として生まれたのなら女性として扱うのさ。淑女が愛する者に会いたいと懇願しているんだ。それを手助けするのが紳士というものだよ」
「くだらねぇ。俺にはアレはただの歯車にしか見えない」
「なに、仕事はきっちりと果たすさ。だが物事には結果に伴う過程が重要なときもある。今回がそうなのさ」
※
霧に揺蕩うボウストリートを私とオキタは走っている。私の額に纏わりつく霧を、月明かりが縫い付けるようで不快だ。だが急進派の動きは想像以上に迅速で、割いている人材も多いらしく、こうして駆けずり回るはめになってしまった。
「あのオートマタ、急進派の手にわたると何かまずいのか」
「急進派はどうやら、イギリスが君の国と仲良くすることは本意でないらしい。イギリスが他国に彼女の技術を渡し、吸収されることを恐れている。そうなると君たちの国にとっても嬉しくあるまい」
オキタは納得したのかなるほどと息を乱すことなく呟いた。そうお喋りもしていられない。私たちが走るボウストリートの前方に武装した男たちとオートマタが見え、行く手を阻むように道を塞いでいる。
「我々を妨害するところを見るに、どうやら彼女の位置は特定されたようだな。仕方がない。ここからは力づくでいこう」
またしても粗悪なオートマタの障害。数の暴力が私とオキタの進行を阻む。
「邪魔だな。ジェイ、あんたは下がっててくれ」
そう言うとオキタは呟きながら刀に手を添えた。
「天然理心流・・・」
同時に凄まじい震脚の轟音。放たれた剣撃がオートマタを次から次へと斬り裂いた。オートマタがオキタの動きについてこれる筈もなく、されるがままに斬り伏せられていく。私は後ろからオキタの死角にいるオートマタを狙い撃ち、前進を援護することで障害だった者たちはあっという間に片付いた。オキタは破壊を尽くした色気を纏い、月明かりに照らされていた。
足元にはかつてオートマタだった鉄材が無造作に転がっている。オキタの戦闘術は誰が見ても超が付く程の一流だ。彼が敵でなかったことを素直に安心している自分に反吐がでる。
「何をぼさっとしてる。さっさと追いかけるぞ」
「行かせはしない」
オキタの声に続き、響いたのは壮年の男の声だった。工場でオキタに峰打ちを受けた急進派の男が立ちはだかった。
「いやはや。さっきの一撃は強烈だったよ。峰打ちというやつだったか」
「バカな。いくら峰打ちでも常人だったら二時間は気絶する力で斬ったはず」
珍しくオキタが驚愕に表情を歪める。
「常人、だったらね」
空冷した暗黒にメスを入れるのは一陣の熱風。おびただしい数の火の粉が舞い、ロンドンの空を無造作に飾る。火の粉は青い炎の柱となって空を切り、やがて渦となって男を包み込んだ。なんだこれは。童話に出てくる魔法を見せられているようで胡散臭い。そんな胡散臭さが現実として目前にある不条理さが、私を驚愕の表情に縛り付ける。オキタも同様、頬には一筋の汗が困惑となってつたう。
渦は大きく膨らみ、そして弾けた。
晴れた炎の先には、おおよそ人間とは思えない怪物じみた男。いや、怪物そのものが夜の帳となって現れた。質量保存の法則など無視したように体躯は更に巨大化し、鉄をも捻じ曲げそうな四肢の筋肉。青い炎が吹き荒れ、意識があるかのように怪物の体を這い回り、瞳を失った真っ白な眼球は知性を無くした獣のように血走っている。
「科学は我々の存在を変えてゆく!生活も、宗教も、そして生命のあり方さえも!今や生命の神秘的価値は失われ、物質としてそこにあるものというレベルにまで貶められた!生命は冒涜された!しかし、だからそれが何だというのだ!ワシは、科学が我々の命を侵犯するというのなら喜んで受け入れよう!その場しのぎなつぎはぎの進化など不要!必要な進化はワシ自身が決める!この青い炎は、生命すらも変えてゆくテクノロジーの化身だ!この場で消し炭にしてくれる!」
野太い声が夜の静けさを打ち砕き、破壊の象徴として我々の目前に屹立した。私たちの目前にこの怪物がいること。それこそが、急進派が目論む広告代理店としての戦争が、夢幻ではないことを示しているかのよう。
「ジェイ、あんたは先に行け」
そんな非現実的な光景を前に、あくまでオキタは落ち着きを払った声でそう言った。
「待て。あれはあまりにも異常だ。あんなもの、君の腕でもどうにかなるか、検討もつかないぞ」
「なに、元は人間だろ。だったら斬れないなんてことはねえはずだ」
「しかし・・・」
「ジェイ、あんたは変わり者だがいい奴だ。これからの時代、あんな訳のわからねえ技術がごまんとでてくるだろう。過ぎた力を扱うには、強い人間が必要になる。きっとあんたにはそれができる。今回の任務でそれを感じた。だからジェイ、この任務の最後にはあんたが近くにいねえと意味がない。俺も死ぬつもりはないから安心しろ」
オキタの強さは本物だ。悔しいが私のリボルバーが役に立たないのは明白だった。
「ワーテルローブリッジで待つ。死ぬなよ」
オキタが無言で頷いたことを確認して、私はその場を後にした。
「哀れな極東の後進国の民よ。この強大な技術に灼かれるがいい」
「はっ!来いよ焚き火野朗。熱くなさそうだが暖をとってやるぜ」
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