第12話 愛の行方
冷たい風がテムズ川に架かるワーテルローブリッジを突き抜ける。昼間に比べれば随分とマシだが、ここまで近づくとやはり悪臭が酷い。深夜のワーテルローブリッジは閑散とした静けさで佇んでいた。だから異常があればすぐに見つけられる。
私は顕著にもブリッジの空際線に浮き出ている人影の元へと近寄った。人影はボウストリートの若い警官だった。深夜の巡察がこたえているのか、目元にはうっすらとくまがある。
「何の用だ。こんな時間に出歩くなんて感心しないな」
凄む警官にブリテンのバッジを見せると、彼の顔は瞬時に強張った。
「秘密警察!?し、失礼しました!」
「構わない。それより何があったか説明を」
「はっ。実は認識番号の記載がないオートマタを発見しました。動きがあまりにも不審だったので、民間人に被害が及ばぬように破壊したのですが」
そこには虚空を見上げる彼女が壁を背にもたれかかっていた。呆気なく、唐突に。警官という突如として現れた不確定要素にあっという間に稼働の時間を奪われてしまったのだ。右手にはジャケドローに直接わたすつもりだったはずの手紙が握り締められている。それはまるで、彼女の最期が私とクラウの行き着く先を暗喩しているようで、希望が枯れていくのを感じていた。彼女が立つべき舞台と私が歩む深淵は混ざるべきではない。そんなことはとっくに理解している。
だから。
何もしないことが、私からクラウへと向けることが許されるたったひとつの愛。そんな幻想に捕えられていく。
「♯6・・・」
程なくして軽装甲馬車に乗ったエイダとジャケドローが現れた。馬車から降りたジャケドローの視線はかつて自身の恋人だったオートマタへと注がれている。
「状況は」
「すまない。私の不手際だ」
エイダはオートマタと警官を交互に見て状況を察したのか、それ以上何も聞かなかった。
「あの・・・そのオートマタを破壊してはまずかったのでしょうか」
警官は不安気に私やエイダの姿を伺っている。イタズラが見つかった猫のような表情が、警察官としての威厳を損なっていていたたまれない。
「問題ない。仕事に戻ってくれたまえ。だがこのことは報告書には書かないように。いいね」
「わっ、わかりました・・・」
私がそう言うと、若い警官はそそくさとその場を後にして夜の闇へと潜っていった。腰に吊ったガスランプがゆらゆらと踊り、やがて街角へと消えた。エイダには頃合いを見てジャケドローを連れてきてもらうように指示をしていた。私は想いが綴られた残滓を彼女の右手からそっと取り出し、ジャケドローへとわたした。
「それは」
紙の切れ端で織り成されたメッセージにジャケドローは眼を落とした。
※
親愛なるグレッグへ。まず最初に、私はあなたに謝らなければならない。私が逃げ出したせいできっとグレッグには大きな迷惑をかけてしまったはず。私は決してあなたを嫌いになんてなってないわ。それはあなたが一番分かっているはず。そうでしょ?
私が逃げ出した理由はね、あなたを愛し続けるため。あなたが命令されて私を破壊しようとしていたのは知っていた。破壊されるのがあなたなら、私は一向に構わなかったわ。でもねグレッグ。私はあなたを愛するために作られた存在だから、あなたを愛することをやめるわけにはいかなかった。私は生きてあなたを愛し続けることにした。離れ離れになってもあなたのことを忘れたことなんて一度もなかったわ。そうしてあなたのことを想いつづけているとね、ふと気になったの。私のこのあなたへの愛という感情はどこから湧き上がってくるのだろうって。私はあなたを愛する、いや、あなたしか愛せないように設計された存在。私の愛は、あなたが組んだパンチカードがこの鋼の体の歯車が読み取り、外部に出力されることで機能する。私はね、それがちょっぴり寂しかった。もちろんあなたを愛することが嫌だったわけじゃないわ。私の愛はパンチカードがないと成立しないという事実が寂しかった。私は、私のこの想いが創られたものだということを深く認識していたの。
私は、設計されなければあなたを愛せなかったのかな。そんなことを気にして、街を歩くオートマタたちを分解しては、私という構造を理解しようとしたわ。けど分かったことは、どのオートマタも目的があって造られたという事実だけ。
けどね、同時に分かったことがあるの。
グレッグ、あなたたち人間も、誰かを愛するように、食べるように、眠るようにつくられている。それって私と何ら変わることはない。というのは暴論かしら。私はその暴論に少しだけ救われたわ。私はあなたを愛するように設計されていることを知っていたけど・・・そのことに絶望を感じたことなんてない。
私がその真実を知って、あなたに反吐が出ても。
あなたが世界を拒絶しても。
あなたが自身を拒絶しても。
それでも、あなたを愛しているからね。
だからなのよグレッグ。私とあなたは、同じ次元で生きてはいけない。私は追われてあなたは囚われた。愛し続けることが私の望みだけど、そのせいであなたが不自由になるのは嫌なの。私はあなたにもっとこの世界を見てほしい。勿論、辛いことはこれからもたくさん起きると思う。私とあなたが決して結ばれないように・・・
辛いよね。
苦しいよね。
こんなことってないよね。
あなたはただ私を求めただけなのに、倫理委員会とかそんな勝手な人たちに引き離されるなんて悔しいよね。世界はあなたを拒絶して、あなたも世界を拒絶してしまうかもしれない。けどね。たまにでいいから少しだけこの世界も見てあげて。私がロンドンを見て回った時間はそれほど多くはないけれど、この街には面白いものがたくさんあるのよ。私をグレッグに引き合わせてくれた紳士さんみたいな人だっているんだしね。そして、私があなたを愛している事実こそ、あなたがこの世界から多くを学んだ証拠。そうでしょ?
だからねグレッグ、私はあなたをもとの世界へ返すことにした。私のいる世界に、あなたの幸せは存在しない。
だから
私はあなたが大好きだから
あなたのために逝くわ。
私を
創ってくれてありがとう。
あなたを
好きでいさせてくれてありがとう。
永遠の愛を込めて。
♯6
※
「教えてくれ。なぜこんなにも悲しいんだ。恋人を失ったわけでもないのに。家族を失ったわけでもないというのに。なんで」
ジャケドローは大粒の涙を目元に浮かべていた。それを必死に押しとどめようともがいているように表情を歪めている。
「違いますよジャケドロー博士。あなたは恋人を失ったのです」
「恋人?はっ!この鉄の塊がか!?笑わせるな!本当は分かっているんだ。こんなものに愛を求めたところでどうにもならないって。分かっていたのに、私は彼女に癒されていた。彼女を・・・愛していた。私は醜い男だよ。女性に相手にされず、それでもあえて踏み出す選択肢もあったはずなのに、それを拒み、間違いだと知っていながらこんなものを創った。心の奥底では嫌悪していた。♯6は私の醜い心の象徴だったから。なのに、今はこんなにも悲しい・・・そうか・・・これが失恋というやつのなか・・・初めて味わったよ・・・」
ジャケドローは♯6を抱きしめて、声を押し殺して泣いていた。その光景が、我々の愛の形をも変えようとするロンドンの意思を投影しているかのようで、抗えない巨大な変化の流れを目の当たりにしているかのようで・・・心なしか隣で見ていたエイダも眼を閉じて口をムッと引き締めて見えた。いつの間に追いついていたのか、オキタは後ろで立ち尽くしていた。服がところどころ焼けていたが、目立った外傷はないようだ。
私はジャケドローの胸の中に埋もれた♯6を見下ろした。機械の乙女が見た淡い夢のあまりにも現実的な選択。愛するが故、離れるという決意を機械が下したという事実に私は圧倒されている。愛する故に離れる。そんな自由な選択を機械がやってのけたのだ。
クラウディア。
あなたの横に並ぶことが叶わない身分である私があなたのために選べる手段は、どれだけ存在するのでしょうか。きっとあなたも、私たちの仲が悲恋に終わることを知っている。
あぁ。日々生まれ出ずるテクノロジーの煙突の中に、私が望む石炭の燃焼があるならば。そんな希望もやがて燃え尽き、グレーの空へ上っていく。
霧の街は、相変わらず悪臭の中。
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