第8話 オキタソウジ

「紹介しよう。オキタ ソウジ氏だ」


 ハイライン卿は着物の日本人をそう紹介した。オキタは武人らしく礼儀正しく頭を下げた後、ハイライン卿の後ろに一歩下がった。侍女が紅茶を私とジャケドロー博士、ハイライン卿とオキタの4つを机に並べ、品のある香りが由緒あるハイライン卿の執務室を満たしていく。


「オキタ氏には日本で世話になった。今も外交、貿易ではるばるイギリスまで来て頂いたわけだが」


「ハイライン卿は日本とイギリスの貿易、技術交換の際に一段と苦労を買って出てくれた。これくらい大したことではありません」


 ハイライン卿の謝辞にオキタという男は謙虚な物腰で答えると影を潜めた。


「日本に助力せよと命じたのは女王陛下です。オキタ氏、ブリテンとハイライン家は貴方を歓迎します」


 オートマタ産業の発展の裏には、日本のからくり人形という精巧な造形物を参考にした事実があることを後から聞いた。オキタはハイライン卿と共に日本とブリテンのパイプ役を担っていたらしい。


「本件にはなにか大きな影を感じていた。先日、都合よくオキタ氏が来ることになっていたからご助力を願ったわけだが。どうやら正解だったようだな」


「仰る通りで」


 私はまだ熱い紅茶を胃に流した。オキタがいなければ工場の脱出は手間取っただろう。


「しかし裏で動いているのがあのギア・テック社とは。今やロンドンのオートマタシェア率はギア・テックがトップだと聞くが」


 私は陶器製のカップを置いてジャケドロー博士へと眼を向けた。


「ここから先はジャケドロー博士にお伺いいたしましょう」


 ジャケドローはオキタの紹介の間に思案していたらしい。閉じた眼をゆっくりと開いて言葉を選んでいるようだった。


「ドウセット卿、あなたが見たオートマタの名前は ♯6シャープシックスといいます。私とギア・テックが共同開発した、人の特性をプログラムしたパンチカードが組み込まれています。私の専門は生物学。それも現代社会におけるヒト種族の生態です。なので本来、私はオートマタ技術とは無関係なのですが」


「そんな貴方がなぜオートマタの開発に」


「人とはとても複雑な思考の過程で現在の状況を判断し、行動に移している。しかしその複雑性の中にも規則性があることがわかりました」


 例えば朝になれば起きる、昼になれば食事を摂る、夜になれば寝る。そんな単純な習慣もその一つだとジャケドローは続けた。


「ある言葉を投げかければ喜ぶ、或いは怒る。その様に人は特定の条件下においては規則的な反応を示します。私の研究は人の規則性、そのアルゴリズムを記録し続けることでした。もっとも、この研究に終わりはありません。人の規則性は時代の移り変わりで変化することが解っています。なのでこの研究は常に記録し続けなければ意味がない。そして現段階おける人の意識アルゴリズムを刻み込んだパンチカードを組み込んだものが、あの♯6というオートマタなのですよ。これの意味することが何なのか。もう皆様方にはお分かりでしょう」


 ハイライン卿もオキタも首を縦に振る。紅茶は既に冷めていた。


「人のように行動するオートマタの作製か」


 私が率先してそう言うと、ジャケドローが頷いた。


「人の行動、思考のアルゴリズムを内蔵されたオートマタは実に人間らしく振る舞いました。とはいえ、彼女たちに音は聞こえない。声も出ない。だから我々と意思疎通はできないし、一方的に何かしらの行動を示すことしかできない」


「それなのに人間らしく振舞って見えると?」


「勿論それでは人間らしく見えません。なので私は一つの条件を定めました。♯6はその試作品です」


「どんな条件を定めたのです」


「私を愛せよ。と」


 一呼吸を置いてジャケドローはそう呟いた。それはイギリス、いや世界中の女性に縁のない紳士が泣いて喜ぶ代物となること請け合いだ。世の女性方からは非難されるだろうが、そもそも女性に縁のない者にはそんな批判など無意味だろう。


「私を嫌悪しますか」


「いいえ。どうぞ続きを」


 私は努めて表情を崩さずに先を促した。ジャケドローはそうした自分の嗜好を曝け出すことに嫌がる素ぶりは見せず、淡々と話を続けた。紅茶を頻繁に口に含むようにはなったが、それも仕方のないことだ。私とて奥方との情事を他人に話すのは気持ちのいいものではない。


「愛情表現に言葉はあまり必要ない。静かに抱きしめ、キスをする。たったそれだけだが、私はオートマタから確かに愛を感じた。女性に抱きしめてもらえることがこんなにも渇きを癒してくれるものなのかと驚愕した。実験は成功。人のアルゴリズムの算出には膨大な分析と時間、更にはそれをパンチカードに書き込むという気が遠くなる作業を要したが、私はオートマタに愛情を模倣させることに成功した」


 ジャケドローは模倣という言葉を強く発した。


 オートマタの愛情表現は、あくまで外側からそう振る舞うように組み込まれたものであり、断じてオートマタから滲み出た感情ではないと。まるで自分自身へと強く言い聞かせているかのようだ。


「ジャケドロー博士、貴方はそのオートマタを愛しているのでは?」


「・・・無いとは言えません。正直なところ、女性に縁のない私は愛に飢えていたし、彼女はそんな私を受け入れてくれた。勿論それは私がそうするように設計したわけなので当然なのですが。彼女の腕は私の頭を優しく抱き、自らの胸へと包んでくれた。そのとき、私は泣いていたと思います」


「泣いていた?」


「はい。その愛が作り物であることを知っていても、私は感情を抑えられなかった。他者に無条件に受け入れてもらえることが、どれだけ尊く儚いものなのかと感動していた」


 例えその愛が作り物だとしても、その相手が空っぽの歯車装置だったとしも。私はクラウディアが書物を読んで泣いていた光景を思い出した。そのときの彼女は、物語の登場人物に共感したと言っていた。なるほど。虚構というのは想像以上に力があるのかもしれない。


「話を戻しましょうか。貴方を雇うギア・テック社はその技術を応用したオートマタ開発をしたいはず。なのになぜ貴方はそのギア・テック社そのものに監禁されたのです」


「この新しい技術をオートマタ倫理委員会に提出したところ、あまりに冒涜的だと批判されたのです。 ♯6シャープシックスは廃棄処分されることが決まりました。しかし♯6は逃げ出してしまった」


「なぜ」


「分りません。♯6は人の意識アルゴリズムを積んでいる。順当に考えれば生き残るためだと思いますが、真相は彼女にしか分かりません。ギア・テックが私を監禁したのは、マスコミの取材による企業内部の混乱、技術の漏洩を恐れたからでしょうね」


「ではなぜ♯6は他のオートマタを解体している」


「それも、彼女にしか分りません」


 侃侃諤諤と話す我々の中心に針を刺すように白く細い腕が伸びた。腕は私のカップを掴むと、そっと腕の主の口へと運ばれていった。


「自分という存在が何なのかを知りたがっている。だったら面白いわね」


 アルト長の音色を携えた声が、凛して執務室に反響する。いつのまに部屋にいのか、エイダ・フロイトが私の紅茶に舌鼓をうっていた。相変わらず表情に変化が薄く、冗談なのかわかりにくい。


「邪魔をしてごめんなさい。話は分かったわ。諜報員をロンドンに配置して枝を張ってみましょう。もしかすると引っかかるかも。ジャケドロー博士、後で私のところに来て♯6の特徴を教えてね」


 エイダはカップを元の器の上へと置くと、ハイライン卿に一礼をして部屋を出ていった。ジャケドローはポカンと口を開けたまま、有無を言わさず立ち去ったエイダの残像を見ているかのように惚けている。


「言葉を話すなんて驚いたな。彼女はどこの企業が開発したオートマタなんだい?」


 私はジャケドローの言葉に思わず吹き出しそうになったが寸手のところで堪えた。エイダ、君のその無表情さはオートマタ級だと開発者に太鼓判を押されたぞ。せめてもの手向けとして私は彼女の誤解を解いておくことにした。


「彼女は人間ですよ」


「とても信じられん・・・」


 ジャケドローは眼を見開いて首を横に振った。

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