第7話 グレッグ・ジャケドロー

 真鍮製の配管が、月光に反射して新しい。エイダのおかげで、グレッグ・ジャケドローなる人物の居場所はすぐに特定できた。ギア・テック社のお膝元にある工場で稼働していない場所は一箇所のみだったからだ。人の悪意が集まる所はいつだって廃墟、波止場、宿屋だと相場が決まっている。悪巧みをする人間の思考はいつだって単純だが、タチの悪い汚れのようにいつも私を困らせた。いつか大悪臭もろとも、ロンドンに蔓延る悪意をテムズ川が洗い流してくれることに期待しよう。

 荷物の搬出入が容易い波止場の近くにギア・テック社の工場はあった。私はぐるりと辺りを見回し、そしてたっぷりと時間をかけて様子を伺う。工場の入り口周辺にはマルティニ・ヘンリー銃を持った警備員が二人と、ガード型オートマタを二体確認できた。等間隔に配置された警備員同士の間は、少人数の襲撃で撃退されないための工夫だ。それは明らかに訓練された兵士の技術だった。


 ビンゴ。


 軍用銃を持った訓練済みの警備員など、ただの廃工場にしては厳重すぎだ。前もって侵入経路は図上で研究していたので動きは迷いなく、警備員から死角となる石壁を半ば強引によじ登って敷地内へと侵入した。先程の訓練された警備員が見回りに来たとしても、私の侵入を察知できる証拠を残さないように注意を繊細に研ぐ。錆が浮いた鉄製の壁に張り付きながら扉の前まで猫の歩みのように移動して、気密扉の隣にある茶色く色褪せたボタンを押すと、エアロックの空気が抜ける音がした。錆びた扉が唸る軋りは、取りこぼされたかつての今。栄華を極めんとするロンドンの街には、この工場のように役目を終えた産業の名残りがあちこちにある。かつての先端技術も数年経てば日常となり、さらに数年経てば邪魔になる。人であれ物であれ、国であれオートマタであれ、今という時間にはかつての名残りは必要ない。産業革命とは、急進派の目指すユートピアとは、ノスタルジーを許さない。テクノロジーを超えた魔法の世界。魔法の世界では女王陛下への忠誠心でさえ、計算盤の上となるのかもしれない。時代が諜報を不要と言えば私はその役目を終える。


 ・・・いつまでもハインライン家の繁栄に寄与し続けること。


 何度目かの夢想が産業の蒸気のように噴出して、ロンドンの寒空へと溶けていった。



 ※



 屋根の波板が崩れ、大袈裟な蒸気機関が朽ちた大広間に、人影を見つけた。リボルバーの銃口を影へと指向し、あらゆる事態を想定して引き金に指をかける。


「グレッグ・ジャケドローだな」


 エイダから事前に聞いていた体格、身長から目標だと判断。影は月の光の下へと踏み出した。ジャケドローは私が予想しなかった訪問者だったのか、口をポカンとあけて沈黙している。銀髪に白衣を纏った20代後半の男が、霧に隠された月光に碧眼を反射させた。私の容姿を丹念に見つめ何者かを判断しようとしているようだ。


「グレッグ・ジャケドローか」


 私はもう一度問いただした。


「いかにも。君は秘密警察だな」


 ジャケドローの観察眼に私はしばしば感嘆した。秘密警察の人間は一眼でそれが警察機関の人間には見えないような服装を心がけなければならない。だから私も目立たないコートを愛用しているし、ボウストリートの警官が着る制服とは無縁だ。


「よくここが分かったな」


 ジャケドローは監禁されているとは思えない落ち着き払った態度をしている。おそらく自身がギア・テック社にとって必要な人材であることを理解しているのだろう。


 だから今回の監禁も一時的なものだと踏んだのか。かく言う私も同じ考えだが、ジャケドローがここから解放されるのをのんびり待っているわけにもいかない。


「あんたの人形に教えてもらった」


♯6シャープシックスが?」


 ジャケドローは、ロンドンの家並みへと消えたあの人間にそっくりな人ならざる物をそう呼んだ。おそらくは第六世代という意味合いを含んだネーミングなのだろう。


「いい名前だな。私に子供が生まれたらそう名付けよう」


♯6シャープシックスと呼称されたオートマタの美しさを賛美したつもりだったが、ジャケドローは表情を曇らせた。


「皮肉か。影の男」


「・・・いや、人間と見間違える立派な造形だったからね」


「ふん。いつかその三枚舌のせいで大怪我をすることにならなければいいがな」


 ジャケドローの機嫌が直るまでのんびり待ってはいられない。私は襟元を正してジャケドローの瞳を捉えた。


「ジェイだ」


 念のために本名は伏せ、コードネームを名乗る。私のコードネームを愛称で呼ぶのはクラウとエイダくらいだが、なかなかどうしてか私は気に入っている。


「グレッグ・ジャケドローだ。もう知っていると思うが、まぁ好きに呼んでくれ」


「オーケー。ジャケドロー博士、あんたの開発したオートマタが世間でちょっとした騒ぎを起こしている。知っているな」


 ジャケドローは勿論だと返す。


「それとギア・テック社があんたを監禁していることは何か関係があると踏んでいる。違うか」


「勿論ある。が、ギア・テックはまだ警察沙汰になっていないはずだが、なぜ君が出てきたんだ」


「事件になる前に事を抑えるのも私の大事な仕事でね」


「殊勝だな。私も君の仕事に協力することはやぶさかではない。だが事態は少し変わったようだ。ガードのオートマタが多数、こちらに向かってきているぞ」


 ジャケドロー声に被るように、鉄の足が石畳を地鳴らす音が数多く聞こえた。出入り口から乱雑に集結しているそれらは、外で警備に就いていたガード型のオートマタとは違う、もっと簡素で粗悪なオートマタたちだった。おそらく徘徊のパンチカードを組み込まれているのだろう。その動きは牛歩。体の使い方を知らない木偶の坊のようだ。私はジャケドロー博士に壁に寄っているように指示を出した。出入り口はあのオートマタどもの後ろ。外にいるマルティニ・ヘンリー銃を持った二人組に感づかれるだろうが仕方がない。

 私はリボルバーの銃把を握り、撃鉄を起こした。オートマタの胸部と銃口、そして私の眼を一直線にして狙いを定め、軽快なテンポで引き金をタップする。動力部である胸付近を撃ち抜くと、オートマタは崩れ落ちるようにして床へと伏せた。あっけない。鉄クズとなんら変わりないそれらを跨いで入り口の方へと足を踏み出したときだった。さっきのオートマタは先鋒であるかのように、たった一つしかない出入り口から、押し寄せるように他の徘徊型オートマタの群れがなだれ込んできた。


 まるで軍勢。


 私のような単独で任務をこなす人間にとって最も脅威となるのは数の暴力だ。どんな繊細な任務でもこなしてきたが、このように多勢で大味な戦闘に引きずり込まれると、もはや私に出る幕はない。


「まずいな」


 一丁のリボルバーではなす術はない。残る選択肢は逃走しかないのだが、ジャケドローを庇いながらの逃走は困難だ。もたもたしていれば、発砲音を聞いた外の警備と鉢合わせすることになる。


「ジャケドロー博士、悪いが走ってもらうぞ」


 腐り落ちた木材の壁を蹴破ろうとしたときだった疾ったのは雷神の閃光。鉄を薙ぐ鋭い音が右から左へと流れるように通り過ぎた。同時にオートマタは真っ二つに滑るように上半身と下半身を分離する。三枚におろされたオートマタは、まるで手品師が使用したあとの道具のようにあられもない姿で地面に転がった。あまりにも綺麗な切り口は初めからそのように作られていたと言われても疑いはない。いくら粗悪といえどオートマタは鉄製だ。斬るなんて不可能。可能にできるのは手品師のみ。その手品師は、オートマタがワラワラと湧いて溢れる出入り口の最奥からそっと姿を現した。

 足下は足袋。落ち着きを払った色の着物と腰には日本製の剣。つまりは刀。髪は後ろで結って繕い、黒く静謐な紫電の眼光を携えている。日本人。見たのは初めてだ。


「あんたがジェイムスン・ドウセットか」


 敵か味方か。咄嗟に判別がつかず、私は沈黙を選んだ。


「エドワード・ハイライン卿の指示であんたを助けにきた。俺は味方だ」


 そう言うと日本人は着物の胸元を裏返した。そこにはグレート・ブリテンのバッジが鈍い光を帯びている。同じ女王陛下に忠誠を捧げる同志のエンブレムだ。


「ありがたい。だがあんた一人か。敵は数で押し切ってくるぞ」


「造作もない」


 刹那、柔らかな風が頬を撫でた。日本人が振った刀の風圧だった。一切無駄な力のない華麗な一振りが払った風は、殺意に満ちた鋭さすら感じさせない、敵を慈しみながら斬り伏せるような慈愛があった。

 こうしてオートマタはまな板の上に横たわる野菜や魚のように次々におろされていった。その太刀さばきは、オートマタが硬い鋼鉄であることを忘れさせるほどに軽やかだ。私は足元に転がるオートマタの切れ端を足でこずいてみたが、つま先には重い反動が返ってくる。日本に侍という者がいることは知っていたが、既に滅びつつあるはずだ。彼が過ぎゆく時代に取りこぼされた侍の末裔だというのなら、淘汰は間違いだと言わざるを得ない。この武術は継承されるべきだ。日本の武術はそのメンタリティにこそ真価があると聞いたことがあるが、あいにく私には分からない。だが私の前で舞うあの男の鮮やかな強さが、その精神性からきているのだとするなら至極納得がいく。私のような単独で動く任務に就く人間は数の暴力には抗えない。そんな考えを一掃してくれるほどに、彼の戦闘は私を高揚させた。

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