第6話 エイダ・フロイト
「なんだか好奇心のようなものを感じるわ」
状況の説明を求める私にエイダ・フロイトはこう切り出した。大英図書館をあとにした私とクラウディアは屋敷に帰ってから各々に別れた。クラウディアには自己研鑽に励んでもらう一方、私は捜査を進展させるべく、破壊されたオートマタをエイダに調べてもらっていた。エイダ・フロイトは、私がハイライン家の専属になったときに秘密警察の本部から差し出されたやり手のオペレーター兼サポーターだ。ケンブリッジ大学を優秀な成績で卒業し、ロンドン警視庁の現場鑑識官をやっていたところを秘密警察に引き抜かれたらしい。その腕前は本物で、私がこれまで携わった複雑な任務に臆することなく果敢に遂行してきていた。現場から回収された中身のぬかれたオートマタの調査を、エイダは寝る間も惜しんで徹底的に調べ上げてくれたらしい。エイダはオートマタを解剖し、傷口や損傷の度合いから犯人の心理的状況を透視していたようだが、好奇心という言葉に私は些か驚きを隠せないでいた。
「まさか。オートマタがオートマタに好奇心を抱いているとでも」
賢明な女性だ。だからこうした報告は珍しい。エイダとの付き合いは長い。これまでに何度も共に仕事をこなしてきた。だからエイダがどのような人物かよく知っている。故に、彼女がこのように興奮気味に話す姿は近い記憶で覚えがない。
「でもそうとしか思えない。傷口は極めて綺麗。中身がないことを除けば損傷もほぼ無し。犯人はこの自動人形に興味津津」
エイダはそっとため息をついた。
「ジェイ、貴方はまるで生きているようなオートマタが去っていったと報告にあるけど、それは本当なの」
そんなエイダの質問に私もため息を吐く。
「勿論だ」
「例えばの話。あなたが見たのはオートマタなんかじゃなく、まるでオートマタのような人間だったりして」
エイダはこう見えて冗談を言うのが好きだ。しかし、表情の変化があまりにも乏しいので、初めて冗談を言われた人間はそれとは全く気がつかない。今回も例に漏れず彼女の表情に変化はない。おかげで冗談なのか本気なのか判断に困った。だから私は率直に答えることにした。
「家を跳んで越えていったんだ。間違いなく人間じゃない。それに私が発砲して破壊したときのオートマタの破片を君に渡しただろ」
エイダはふぅんと指を顎に当てて私から視線を逸らした。短く無造作な黒髪と、ランプの燈に冷淡な顔。中性的な美貌が露わになる。逐一思い出さなければ、ここがハイライン家の屋敷の地下だと気がつかないくらいに陰気だが、エイダはここを仕事場にして気に入っていた。私としては、素敵な女性は陽の光が当たる場所で相対したいものなのだが。
「他社のオートマタの技術を盗もうとした企業の仕業かと思ったんだけど、貴方の反応を見るとその限りではなさそう」
こちらに向き直るエイダに私の視線も連動する。
「そもそも、オートマタがオートマタを破壊するなんてことができるのか」
「オートマタがオートマタを破壊するためのパンチカードの製作は難しくない。問題はオートマタがオートマタと人間を、別の存在として認識するためのプログラムを作らなければならないことなのだけど」
パンチカードとはオートマタをプログラムするためのアウトボードだ。警官に従うガード型ならガード型のパンチカードが組み込まれ、馬車や荷車を引くためのオートマタならそれに適したパンチカードが組み込まれている。体内の歯車がパンチカードに刻まれた点の集合体を読み取り、示された労働をこなすのだ。つまりオートマタの行動はパンチカードに依存する。現状、パンチカードで行動可能な動きは簡易なものに絞られる。だからオートマタに複雑な動作、ましてや人間的な思考など絶対に存在しない。仮にそれを思考と呼んでいいものだとするなら、それはパンチカードに刻まれた点と点の集合体で、その刻まれた点以上の思考は存在しない。故にオートマタの動きは結局、ただのからくり人形のそれと変わらない。
「だけど、さっき言った通り。この犠牲になったオートマタの体の傷からは何か好奇心的なものを感じる」
「なら、オートマタがオートマタに興味を抱いているとでも」
「そうなるけど、そんな高度な加工が施されたパンチカードなんて見たことも聞いたこともない」
「エイダ、君の言うことは矛盾している」
「えぇ、分かっているわ。でも愛と憎悪が同時に抱くことができる感情であるように、正反対の性質を宿したものや、思想があっても何も珍しくないのよ」
「やれやれ。これは哲学の話だったか?」
「もちろん違うわ。だからあなたが撃ち抜いたオートマタの破片からこのオートマタの開発者を割り出してみたわ。直接話を伺おうと思ってね。だけど・・・」
エイダはそこで言葉を切った。
「何か問題でも」
私はようやく捜査の本題に入れることを感じて姿勢を正した。エイダとはよく討論になるので議題が逸れやすい。交換する情報量が多すぎて、冒頭の内容を忘れたとしても無理からぬ話だ。
「開発はギア・テック社。企業と開発責任者について調べてみたんだけど、企業は優良なオートマタの生産に貢献。ただ、責任者は既に退職しているらしいわ」
責任者は退職しているという言葉に私の眉が反応した。怪しい臭いだ。エイダも同じ考えらしく、自然、お互いの顔が近づく。
「責任者の名前は」
「グレッグ・ジャケドロー」
エイダはそう答えた。瞬間、点と点が繋がる。現場で見つけた”グレッグは工場に”と書かれたメモ用紙は偶然そこにあったわけではなかった。
「何でもオートマタへの傾注ぶりがフェティシズムに近い人間なんだとか。彼に何か心当たりでも?」
エイダにメモ用紙の話をしつつ、私は今回の事件から良からぬ影をジワリと掴んだ。
「なるほど、ただの偶然じゃなさそう」
「エイダ、そのギア・テック社の工場はどこに」
エイダは地図を広げて目ぼしい工業区画にペンで丸を記していく。やれやれ。ハイライン卿の直感は当たっていたようだ。ギア・テック社が何か重要な技術の開発、そしてその秘密を握るグレッグ・ジャケドローなる人物が鍵であることはほぼ間違いないだろう。
今後の捜査を思案していたとき、扉を叩く音が響いた。
「捜査中のところ悪いが失礼する」
秘密警察の諜報員だ。薄暗いコートがこの部屋の燈で拍車をかけてさらに暗くなっている。引き締まった体はオーバーサイズのコートの上からでも顕著に表れていた。諜報員特有の温和の顔つきだが、あくまでも眼は甘い優しさから最も遠い位置にある。
「先程、新たに破壊されたオートマタの報告があった。そのオートマタも同じように中身が抜かれているらしい」
「ただ、今回はその中身が近くで全て見つかった。駆動系、動力系、球体関節、パンチカード。なんでも綺麗に腑分けされているんだと」
エイダは眼を丸くした。そして広げた地図を畳んで、解剖されたオートマタに視線を落とす。
「なんとまぁ律儀なオートマタだこと」
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