第5話 大英図書館

 大英図書館の中は、外の空気に比べると幾分かマシだった。館内に人はまばらで、暇を持て余した探偵崩れや、学術書を漁る学生の姿が散見される。数多の知識の群れが列を成し、アーカイブ化された歴史がまるで人の一生のように、この国や他の国の生涯を現在進行形で綴り続ける。私は読書家というほどに本に慣れ親しんできたわけではないが、仕事柄、専門的な書籍を広く浅く読むことが多い。

 クラウは数冊の図書を机に積み、静かに文字を追っている。私は平積みにされたそれらのタイトルを見た。


 ”迫り来る死者たち”


 ”蒸気機関”


 ”冒涜された生命”


 命と科学を謳う本が重なり合う様相は、未だに解き明かしきれない人間の身体という神秘が、科学や医学の進歩のもと、世俗的なものへと貶められていくような淫靡さがある。


「クラウ、どうしてそこまで熱心に読書を」


「貴方のサポートをしたいからよ、ジェイ」


 そう口にしたクラウの表情に、諜報機関という仕事への疑いは感じられず、それ故に私は動揺する。


「馬鹿な。私の仕事はご存知のはず」


「勿論」とクラウ。


 私の仕事は諜報だ。当然、後ろ暗い汚れた仕事が多い。場合によっては邪魔な存在を排除することも厭わない。


「だったら、それは貴方には務まらないことも理解しているでしょう。そもそもハイライン卿がお許しになるはずがない」


「お父様は貴方を高く評価しています。貴方なら、私を上手に使ってくれることを知っているの」


「しかし・・・」と私は口を挟もうとするも、クラウはそれを許してくれない。


「ジェイの任務について行きたいとは言いません。ですが貴方の求める情報の収集、精査、国際情勢や動向を伝えることはできます。そのためには幅広い知識が必要ではなくて?」


「それはエイダ・フロイトが抜群にこなしてくれています」


「だったら・・・」と譲らないクラウ。


「クラウ。貴方はハイライン家の跡取りという立派な役職があります。貴方がいるから私は今後もハイライン家に仕えることができる。それは貴方なくして務まらない」


 納得しかねるというように、いつのまにか文字を追う赤みがかった瞳は私の眼を捉えていた。


「そうですね。少々、大人気ありませんでした。ですが、私がハイライン家を継いだとき、そこに貴方はいますか?」


 勿論ですと私は答えた。


「それは、私の専属?」


 勿論ですと私は再度答える。


「だったら、やっぱり私はジェイのサポートをすることに違いないのではなくて?」


「・・・そうかもしれません」


 いつのまにか会話の主導権はクラウに握られていた。私は肩をすくめて椅子の背もたれに深く腰掛ける。当然だが、ハイライン家のご息女たるクラウディアに私の仕事のサポートして欲しい思いなど微塵もなく、陽の下の表舞台で活躍してもらいたいところだ。


「ジェイ、私が心配ですか。しかし私もハイライン家の跡取りである以上、諜報の闇を恐れてはならない。しかし、だからお父様と貴方の仕事はとても立派だと思うの。ジェイ、貴方は愛国心がお有り?」


「私は女王陛下ハー・マジェスティの臣民です」


「私もです、ジェイ」


 その真摯な愛国心に、いや、身内を想う優しさか。願わくば、彼女に非人道的な選択が及ばぬようにと黙する。


 違う。


 それを防ぐために私がいるのだ。

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