第52話 2人のノア

「おいおい、クライアントを怒らせちゃまずいだろ」

 小谷が鬼神に向かって叫んだ。

「いや、葉月さんは怒っているわけじゃないんだ。ただ、ちょっと顔を合わせづらいらしい」

「どうしてだよ」

「まあ、ちょっとな。だが、お前の仕事に影響はないから安心してくれ。それじゃあ、よろしく」

 鬼神は、困惑する小谷に彩のことを託し、麻子を連れて警察にやって来た。

 例によって、ダリの絵が掛けられた応接間に入り、2人は隣り合ってソファーに座った。

 しばらくして、マリーが部屋に入り、テーブルを挟んだ対面に腰掛けた。

「さて、お二人にはお互いに隠し事は不要ですね。この事件の始まりから、順番に検証していきましょう」

 鬼神は、紫龍匠にタグチップの入ったリングケースを託されたこと、その時に『ノア』という男の名を聞いたこと、そして、その名前が明日香のダイイング・メッセージにもあったことを説明した。

「あなたは、メールの履歴から『ノア』のメールアドレスを知り、『ノア』にメールを送ったのですね」

「ああ、返事は郵便で送られてきたよ」

「なるほど」

「スラム街で『ノア』に会い、そこで地上に出る方法を聞いた」

「タグチップは、あなたが持っていたのですか?」

「リングケースは、父親から麻子さんに渡すように頼まれたんだ。だから、麻子さんに預けたよ。しばらくしてから、地上へ出られることも話した」

「分かりました。ところで、紫龍さんが誘拐された時、足取りを追うことができたのはGPSがあったからですね」

「まあ、そんなところだ」

 ドナから電話があったことをマリーが知らないということは、ドナはそれをあえて隠していることになる。このことは伏せておこうと鬼神は考えた。

「どうして誘拐されたと分かったのですか?」

「ああ、家にいることを確認しようと思ったら、全く別のところに移動していたからさ」

「そういうことですね」

 マリーは納得したようだ。

「夜中に紫龍さんの居場所をGPSで確認したということですか?」

 その考えは甘かった。マリーの追求は続く。

「引っ越し初日だったからね。ピエロ男が出没していたし」

 マリーは、しばらく口を開かなかった。鬼神の話を疑っているのだろうか。

「まあ、そういうことにしておきましょう。それほど重要な話ではありませんし」

 今度は麻子のほうへ視線を移し、マリーは質問を続けた。

「紫龍さん、あなたが会ったあの男は、あなたが地上に出れば超人症が蔓延すると考えていたのよね。その理由については何も言っていなかった?」

「理由については何も。でも、すごく自信ありげでした」

「他には何か、言っていなかった?」

「鬼神さんが、私を地上へ導いてくれるとか、私達スリーパーが新しい人類を導くとか・・・」

「妄想じゃないのか?」

 鬼神が口にした。

「妄想だけだとも思えません。鬼神さんは、スラム街にあったインフェクターの巣窟を覚えていますよね」

「ああ、ひどいところだったな」

「あれは、『ノア』が築き上げたインフェクターの観察場だったようですね」

「観察場?」

「あの場所にいたインフェクターは、お互いに協力して私達を襲撃しました。待ち伏せや不意打ちまでやってのけた。明らかに進化しています」

 鬼神は、黙したままマリーの話を聞いていた。

「人類が全てインフェクターとなれば、文明は崩壊します。しかし、インフェクターが進化すれば、また新たな文明が生まれる。『ノア』の狙いはそれだったのではないでしょうか」

「何のために?」

 鬼神の問いに対して、マリーはしばらく口を閉ざしていたが、やがて一言

「分かりません」

 と答えるだけだった。

「まあ、いずれにしても、感染者を増やそうとするような奴だ。狂っているとしか思えないけどな」

「そうですね・・・」

 曖昧な返事しかしないマリーを見て、鬼神は話題を変えた。

「そう言えば、あの殺された男の正体は分かったのか?」

「はい、DNA鑑定の結果、古池信明と同一人物であることが特定されました」

 マリーの言葉に、鬼神は目を大きく見開いた。


「どういうことだ? 『ノア』は2人いたのか?」

「そういうことになりますね」

「・・・クローンか」

 人に対するクローン技術の利用は禁止されている。しかし、技術としてはすでに確立しており、極秘裏に利用されるの問題が跡を絶たない。

「その通りですが、少々ややこしい話になっています。あの男の年齢を鑑定したところ、75歳くらいであることが判明しました」

「顔が作り物だから分からなかったが、かなりの高齢だな」

「しかし、古池信明の年齢は53歳です。そして、焼死体の年齢は推定50から55歳。こちらは一致します」

「・・・ということは、クローン体のほうが古池信明として生きていたということか?」

「そうなりますね。古池信明には、20歳ほど年の離れた兄がいましたが、事故が元で死亡したことになっています」

「まさか、それが本体だと言いたいのか?」

「古池信明の父親は遺伝子工学が専門の博士でした。子供が一人しかいないことを悩んでいたという証言もありますから、クローン技術を使って兄のDNAから古池信明を生み出した可能性はあります」

 マリーの説明を聞いて、鬼神は唸るだけだった。

「古池信明は、わずか9歳で大学に進学したほどの天才児でした。その後、16歳でGCSのSVに認定されています。マスコミにも大きく取り上げられて、当時は非常に話題になりました」

「すると、システムのクラッキングは、古池信明の仕業ということだな」

「おそらく、そうでしょう。そして本体のほう、名前は古池憲昭と言いますが・・・」

「だから『ノア』なのね!」

 麻子が突然叫んだので、鬼神もマリーも麻子の顔を凝視した。

「あっ、ごめんなさい・・・」

 2人に睨まれ、麻子は萎縮してしまったようだ。

「いや、気にしなくていいよ。たしかに信明と憲昭、どちらも『ノア』という字が含まれているね」

 鬼神が笑みを浮かべて麻子に声を掛けた。

「『ノア』の方舟の伝説は知っているかしら?」

 マリーに尋ねられ、麻子は「いいえ」と首を横に振った。

「神様が、堕落した人々を洪水で滅ぼそうとするの。でも、『ノア』は神様の言いつけを守って正しく生きていたから、神様に船を作るよう命じられ、その船に自分の家族と全ての動物のつがいを乗せて助かったという話よ」

「今回の厄災を、『ノア』は神の起こした洪水になぞらえていたのかも知れないな」

 鬼神は、独り言のようにつぶやいた。


「麻子さんには知らない話ばかりで申し訳ないけど、もう少し我慢してね」

 マリーに笑顔で話しかけられ、麻子は小さくうなずいた。

「本体は、顔を自由に変えられる仕組みを持ったサイボーグでした。今まで様々な顔の『ノア』が存在したのは、そのためですね」

「アンドロイドは、勝手に顔を変えられるものなのか?」

「いいえ。私達は、メンテナンス時に顔の調節ができますが、自ら変更はできません。『ノア』の場合、脳神経とダイレクトに接続して考えた通りに顔を変えられる作りでしたから、私達以上の性能を有していることになります」

「そんな技術をどうやって手に入れたんだ?」

「クローン体の弟と同様に、本体の兄もサイボーグ工学を専門とする天才と呼ばれていたそうですから、造作はなかったのかも知れませんね」

 鬼神は、ここまでの話を聞いて少し考え込んでいたが、やがてマリーに向かって別の質問を投げた。

「クローン体を焼いて殺したのは本体の指示だろうな」

「そのようです。おそらく、自分がすでに死んだものと思わせるためでしょう」

 鬼神は、マリーの返答を聞いて軽くうなずいた。

「顔を失ったのは、昔の事故のせいなのか?」

「クローン体に関してはそうでしょうね。実際に施術した記録も残っていますから。しかし、本体については不明です」

「どんな事故だったんだ?」

「両親の家に爆薬が仕掛けられていたのです。クリスマスイブで、家族が集っている時を狙ったようですね。両親と兄、その妻と2人の子供が死亡、弟の信明だけ救助されましたが、顔の半分を消失し、肺も焼けてしまったそうです」

「兄の死体は見つかっているということだな」

「その通りです。こちらは死体の損傷が激しく、DNA鑑定で本人だと特定されています」

 鬼神が、無表情なマリーの顔を見つめる。

「DNAデータもフェイクか」

「そうなります。しかし、他の人間のDNAデータをコピーしたわけではないようです。一致する人間はいませんでしたから」

「未登録の人間を探せば、いくらでもごまかせるさ」

 鬼神はそう言って、額に手を当てた。

「本体は事故を免れたとすれば、その事故を引き起こしたのも本体の可能性があるわけか」

 そう問いかけて視線を向ける鬼神に、マリーはうなずくだけだった。

「じゃあ、何のために顔をサイボーグ化したんだ?」

「クローン体と同じ苦痛を味わうためでしょうか」

 マリーの返答を聞いた鬼神が

「マリーにしては、あまり理論的な回答とは思えないな」

 と返すと、マリーは

「直感です」

 と言って笑みを浮かべた。


「最後に、お二人にお願いがあります」

 マリーが麻子と鬼神を交互に見て話し始めようとした時

「分かってる。地上のことは秘密にしてほしいということだろう」

 と鬼神が口を開いた。

「それもありますが、これから私が話すことも内密にしてほしいのです」

 鬼神は、マリーの顔をじっと見つめている。その視線を電子の目で捉えながら、マリーは話を続けた。

「私達アンドロイドは、感染を広めないために、地下都市を地上から完全に遮断しました」

「地上に感染が広がるのを防ぐためだな」

「違います。地上の感染者が地下世界に流入するのを防ぐためです」

 鬼神が、片側の眉を上げた。

「どういう意味だ?」

「その頃の経緯について、詳しい記録は残っていません。しかし、地下都市で超人症が発見される前、すでに地上ではパンデミックが発生していたそうです」

「どうして地上のほうが先に感染するんだ?」

「地下都市を建築する際に発生した大量の土砂の中に細菌が潜在していたのです。それが大気中に漏れ出し、空気感染により広まったと」

「じゃあ、地上に細菌が拡散することを防ぐために隔離されたというのは誤りと?」

「その後、地上からの連絡は完全に途絶えます。私達は、地上にいる人類が絶滅したものと思っていたのです。しかし、それを人々に伝えることはできませんでした」

「えっ? でも、地上には立派な建物があったし、人にも会いましたよね」

 麻子がマリーに問いかける。

「その通りです。ですから、私達は現在、混乱していまして・・・」

 鬼神が、頭を掻きながら

「感染は収束したということか?」

 と言うと、麻子は

「でも、病気がなくなったっていうことは、薬ができたということじゃないですか? それなら、地下にも知らせてくれればいいのに」

 と疑問を投げかけた。

「パンデミックが最初から嘘だった可能性もあるな。つまり、アンドロイドが正しいと思っていたことが誤りで、俺たちが勘違いしていたことが実は正しかったのかも知れない」

 鬼神の言葉に、マリーは何も返すことができない。

「地上にいる人に地下都市のことを聞いたら、計画だけで実際にはないと思っているようでした。地下都市への入口のことも、採掘場跡だと教えられていたみたい。なんだか、ひどい話だわ」

 麻子の話を聞いた鬼神が、マリーの顔を見てニヤリと笑い

「マリーとしては、封鎖を解いて地上に出られるようにしたほうがいいと考えているのか?」

 と尋ねた。しかし、マリーには戸惑いの表情が浮かぶ。

「いや、止めたほうがいい。そんなことをすれば、確実にパニックだ。まずは、少数精鋭で地上の調査をするほうがいいだろう。地上が受け入れてくれなければ話にならないからな」

 マリーは小さくうなずいた後、鬼神にこんな質問をした。

「鬼神さんは、地上に出たいと思っていますか?」

 鬼神は、しばらくマリーの顔を見つめ、こう返答した。

「ここには、俺の家族が眠っている。だから、離れる気はないよ。地上に出られるようになっても、俺は地下都市に残る。同じ気持ちの人間も少なからずいるだろうな」


「ところで、ドナさんは今、修理中ですか?」

 麻子はマリーに尋ねた。

「今朝、メンテナンス工場へ運ばれたわ。あなたが見たあの場所よ。いつ頃に帰ってこられるかは、まだ連絡をもらっていないの。修理にかかる日数は、部品の在庫次第になるわね」

 麻子は、小さくうなずいた。よほど心配なのか、浮かない顔をしている。

「ドナが戻ってくるまで、代わりのアンドロイドを派遣しましょうか?」

「あっ、いえ、一人でも大丈夫です」

 マリーの申し出を、麻子は慌てて断った。

「大丈夫か? ピエロ男はもういないが、同じような輩はいくらでもいるからな」

 鬼神が心配そうに、麻子に念押しした。

「心配ですか、鬼神さん? まるで父親のようですね」

 マリーにからかわれ、鬼神は照れたような顔で

「いや、女の子の一人暮らしなんて、父親でなくても心配するさ」

 と言った。麻子は、鬼神が心配するのを見て考え直したらしい。

「やっぱり、しばらくは代わりの方をお願いしてもいいですか?」

「分かったわ。それでは、鬼神さんお気に入りのアンドロイドを派遣しましょう」

 そう言って、マリーは微笑んだ。


 警察を後にした鬼神と麻子は、彩の待つ病院へと向かった。

 鬼神の横には、修理が終わり、すっかり元の状態に戻ったイヴが、笑みを浮かべながら並んで歩いている。その後ろを、麻子が歩いていた。

「また、一緒に仕事ができて嬉しいです」

 イヴが鬼神に話しかける。

「お前は、麻子さんのサポートをするのが仕事だろ? 俺と仕事をするわけじゃないんだぞ」

 鬼神がイヴに言葉を返した。

「紫龍さんのサポートの仕事が終わったら、私をパートナーとして雇いませんか? 必ず、お役に立つよう、がんばりますから」

「生憎だが、俺はもうハンターの仕事は辞めなきゃならない」

 鬼神がイヴの顔を見てそう言うと、イヴはたちまち暗い表情になった。

「どうして・・・」

「医者の命令だよ。これ以上続ければ命の保証はできないと言われた」

 鬼神の言葉に、イヴだけでなく麻子も反応した。

「鬼神さん、そんなに具合が悪いのですか?」

 背後から麻子に突然話しかけられ、鬼神は後ろを向いて

「いや、普通に生活している限りは大丈夫だよ。しかし、ハンターのように、激しい運動をする仕事はもうできない」

 と答えた。

「では、これから、どうされるおつもりですか?」

 イヴが問いかけた。

「まだ、何も決めていないよ。でも、普通の会社員なんて勤まらないだろうから、また警察にいられればいいけどな」

「ぜひ、そうして下さい。私も、いいポストがないか調べてみます」

 イヴの顔は真剣だ。

「ああ、よろしくな」

 鬼神は、笑顔でイヴに応えた。


 病院へ戻ると、彩の病室の近くで小谷が待機していた。

「あれ、イヴじゃないか。今日はどうしたんだ?」

 イヴを見つけた小谷が問いかける。

「しばらく、こちらの紫龍さんを護衛する役目を授かりました」

「彼女をサポートするアンドロイドが修理中でね。それまでの代理をお願いしたんだ」

 鬼神の話を聞いて、小谷は納得したようだ。

「彩さんの様子はどうですか?」

 麻子が小谷に尋ねる。

「一歩も外に出ていないよ。いったい何があったんだ?」

「その・・・鬼神さんに告白されて、顔が合わせられないみたいで・・・」

「麻子さん! それは・・・」

 鬼神が止めようとしたが、すでに遅かった。小谷は、それを聞いて大笑いだ。

「まるで高校生に戻った気分だねえ。天下の鬼神が告白なんて・・・」

「彩さんは発症して気を失いかけていたんです。最期かも知れないから、好きだということを伝えたかっただけなのに・・・ひどいです」

 小谷があまりにも笑うので、麻子が怒って文句を言った。

「ああ、いや、失礼。しかし、2人とも大人なんだから、普通に接していればいいんじゃないか?」

 小谷の意見に鬼神も同意のようだ。

「まあ、そうだよな。とにかく、戻ってきたことを伝えに行こう」

 と返し、病室のドアをノックした。

「鬼神です。今、戻ってきました」

 しばらくして

「どうぞ、開いてます」

 と言う彩の声が聞こえてきた。

 鬼神が中に入ると、彩は部屋の真ん中あたりに立っていた。顔を伏せて、鬼神とは目を合わせないようにしている。

「屋上へ行って、少し歩きませんか? 気分が落ち着くと思いますよ」

 鬼神の提案に、彩は小さな声で「はい」と言ってうなずいた。

 2人が病室を出て屋上へ向かうのを、麻子、イヴ、そして小谷の3人は黙って見送った。


「葉月さん、体調に問題はなさそうですか?」

 鬼神は、彩の顔を見ながら問いかけてみた。

「はい、今のところは問題ありません」

 彩は、相変わらず鬼神と目を合わせようとしないが、答えた後にチラリと鬼神の顔を見て、すぐに視線を前に向けた。

 その様子は鬼神に、高校時代の明日香が見せた反応を思い出させた。お互いの気持ちを確かめた後、明日香は鬼神の顔を見ることがしばらくできなかった。しかし、アトラクションでの美しい光景を見てすぐに、2人は普通に接することができるようになったのだ。何か、きっかけがあれば、元の状態に戻るだろうと鬼神は考えていた。

「そういえば、ここにはいつまで滞在できるのでしょうね」

 彩はスリーパーとなったのだから、もう退院ができるはずである。鬼神は、ふと気になって尋ねてみた。

「一応、一週間ほど様子を見るらしいです。体調に問題がなければ退院できますが、住居を探さなくちゃいけなくて」

「そうか、前は家族と一緒に暮らしていたんですね」

「ええ。でも、仕事柄、家に帰る時間がバラバラで、帰ってこない日もしょっちゅうあったから、一人暮らしに切り替えようとは前から思っていました。だから、ちょうどいいタイミングでした」

 鬼神は、彩から視線を外してうなずいた。その横顔に、彩はまた一瞬だけ視線を移す。

 いつものベンチに並んで座り、鬼神が話を続けた。

「退院したら、お祝いをしなくちゃね」

「そういえば、入院してからお酒は全然飲んでいないわ。私、日本酒が飲みたいな」

「E-2の商業スペースにある和食のお店、知ってるかな? 店内に大きな生け簀があって、その場で捌いてくれるんだ。日本酒だって、もちろんあるよ」

「『亀芳』ですね。一度、行ってみたいと思ってたの」

「じゃあ、場所は決まりかな?」

 鬼神が、そう言って笑みを浮かべる。その顔を見つめていた彩も微笑んでいた。

「私、あの店のおでんを食べてみたかったんですよね。すごくおいしいって評判だったから」

「おでんか・・・そう言えば、長いこと食べてないなあ」

「ふふっ、私も同じです。以前はよく、友達と一緒におでんパーティーをしてました。皆が好きな具材を持ってくるんですよ」

「闇鍋みたいで面白そうだね」

「女子ばっかりだから、野菜や果物を持ってくる子が多くて、おでんというより野菜の煮込みみたいになっちゃって」

「おでんに果物?」

「アボガドが定番かな? いちごやりんごを入れたこともありますよ」

「ふーん」

 鬼神は、どんな味になるのか想像することができなかった。

「お出汁も洋風や中華風にしてみたり、辛味を加えてみたり・・・もう、おでんとは呼べませんね」

 彩は口に手を当てて笑った。その顔に、鬼神は優しい目を投げかけている。

 その視線に気づいた彩が、慌てて目を伏せた。鬼神は、庭の花々のほうへ目を遣る。長い時間、その状態で2人はベンチに腰掛けていた。

「昨日、葉月さんがスリーパーとして目覚める前に、明日香の名前を呼んでいましたよね。ありがとうと言ってたみたいですが、なにか夢でも見ていたのですか?」

 花を見ながら、鬼神が不意に彩に問いかけた。

「不思議な話ですが、夢の中で、高校時代の木魂先輩と、咲紀さんに会ったんです」

「明日香と咲紀に?」

 彩はゆっくりとうなずいた。

「生きている間、すごく幸せでしたと伝えてほしいって」

「そんな、信じられない」

「多分、私が幻想を見ていただけだと思います」

「咲紀はどんな顔をしていましたか?」

「木魂先輩によく似ていました。でも、瞳の色は鬼神さんと同じでした」

 鬼神は、言葉が出なかった。彩は咲紀の顔は知らないはずである。しかし、彩が見た顔は本物の咲紀と同じらしいのだ。

「鬼神さん?」

 彩は、絶句したままの鬼神に目を向けた。

「本当に不思議な話だ。俺は、あなたが明日香と咲紀に会ったと信じますよ。他には何か言っていませんでしたか?」

「木魂先輩は、鬼神さんのことが心配で旅立つことができなかったと言っていました。でも、やっと旅立つことができるって・・・」

 鬼神は、その話を聞いて、今まで復讐のことしか考えなかった自分を悔いた。死んだ後も、明日香と咲紀を苦しめてしまったことを恥じた。

「俺は今まで、間違っていたみたいだな」

 そうつぶやく鬼神に対して、彩は真剣な顔で

「でも、私が出会った2人は本当に幸せそうでした。きっと今は、天国で鬼神さんのことを見守っていると思います」

 と訴えた。すると、その顔を見た鬼神が

「ありがとう。あなたのおかげで、俺は救われました」

 と笑顔で口にしたので、彩は少し首を傾げた。

「俺はね、明日香と咲紀を失ってから、ずっと復讐のことしか頭になかったんです。あなたのお母さんに諭されて、一度は復讐心を捨てたつもりでした。でも、2人を殺した相手が見つかった時、自分を制御することなどできませんでした」

 鬼神は、庭の中央にあるナツメヤシに目を遣って、話を続けた。

「あなたが発症したと聞いた時、俺は選択に迫られたのです。あなたの下へ向かうか、復讐を果たすか」

 彩はじっと鬼神の顔を見つめている。

「俺はあなたを選びました。そして、それは間違っていなかったと今、確信することができました」

 鬼神は、彩のほうを見た。彩は、鬼神の赤銅色の目に吸い込まれるように魅入っている。

 しばらく、見つめ合っていた2人であったが、やがて彩が下を向いて、そのまま鬼神に寄りかかった。

「私も、うれしいです」

 そうつぶやき涙を流す彩の肩を、鬼神がそっと抱き寄せる。2人はそのまま長い時間を過ごした。

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